打ち明け花火
「土方さぁ、今日花火大会あんの知ってた?」
「地下鉄にポスター貼ってありましたよ」
「マジで?早く言えよテメー、完全行き損ねたじゃねーか」
「俺ですか」
まったくの言いがかりに、報告書作成のためにキーボードを叩いていた手を止めて、顰め面で坂田さんの方を見やる。
今月中に決裁貰いたいから、と言っていた提案書は出来たのかそれとも行き詰っているのか、坂田さんの手はぐるぐるとマウスで遊んでいた。
その横顔の口元はつまらなさそうに尖っていて、宿題のせいで遊びにいけない夏休みの子供のようだ。
つい笑ってしまいそうになって、いや失礼だろうと咄嗟に堪える。
人件費削減と節電のため、不要な残業はしないようにというお達しが出て久しいが、特に冷房代のかかる夏に入ってから取り締まりは厳しく、急ぎじゃないなら早く帰れと追い立てられることも多い。
今日は近場で花火大会があるということもあり、営業部内には俺と坂田さん以外には誰もいない。他の社員たちは皆、花火が見たいから、もしくは混雑に巻き込まれたくないから、と常以上にそそくさと帰っていってしまった。
時計は7時を過ぎていて、すでに窓の外からは盛大な打ち上げ花火の音がばらばらと聞こえてきている。
「おっかしーと思ったんだよなァ。あれ?月末なのに皆帰んの早くね?って。したら女子に『え、坂田さんお祭り行かないんですか?出店とか好きそうなのに』ってよー大好きだっつーの、知ってたら行ってたに決まってるっつーの」
「そこで行けばよかったんじゃないですか」
「残業申請出しちまったもん。俺もう今月残り1時間しかねーもん」
「……ギリギリですね」
「ぎりぎりですよ」
後3日もあんのになぁ、と溜息を吐きながら、遊んでいた手が仕方なさげにキーボードに戻る。どうやらまだ終わってはいないらしい。
クールビズに合わせてノーネクタイ半袖のシャツから伸びた腕は、夏だというのに日焼け一つしておらず、雪のような白さを保っている。
同じ男とは思えないそれにしばし視線を奪われていたが、カタカタと文字を打つ音に、自分も仕事が片付いていないことを思い出し、軽く伸びをしてからパソコン作業に戻った。
支社から本社営業部に彼が転勤してきたのはこの春のことで、四月の挨拶の時にはその外見の奇抜さに言葉を失ったものだ。
仮にも営業の人間がそんな白髪天パの頭でやっていけるのか、と考えたのは俺だけじゃないだろう。周囲から聞こえるひそひそ声は、懐疑的というか、否定的なものが多かった。
けれど一月経つ頃には、彼はもう本社営業部に馴染んでいた。取引先からの評判も概ね良く、支社から引き抜いて来た当人である部長も、自分の手柄であるかのように誇らしげにしていた。
おそらく、人の心を掴むのが上手いのだろう。取り立てて愛想が良いわけではないが、人の顔色を伺うようでもなく、自然なフランクさで距離を取り払われている。
冗談ばかり言っているかと思えば、不意に真面目な、それも的を射たアドバイスをしてきたりもする。
何の気なく言ったようなこちらの言葉を、しっかり覚えていて、思いがけず面倒見の良い事をしたり言ったりしてくることもある。
第一印象が悪いほど、後の印象が良いと映えて見えるんだろうか、今では部のムードメーカーと言っても差し支えないほど皆に好かれ慕われている。
俺もその例外ではなく、気付けば一目置くようになっていた。
それでも初めの頃は、同じ職場の人間として、同じ営業の人間として、というだけだったように思う。
「……土方さぁ、提案書得意?」
再び話しかけられ、隣を見やる。
画面を睨む彼の眉間には皺が深く刻まれ、相当悩んでいるのだろうことが見て取れた。
「……どこですか」
ひとまず自分の仕事は置いて、坂田さんのパソコンを覗き込む。
この人の営業の上手さは、同行したこともあるからよく知っている。元々話すのも聞くのも得意なのだろう。相手の感情を害すことなくこちらの利を通すには、理詰めじゃないと学ばせてもらった。
反面、書類仕事は苦手らしい。報告書にしろ提案書にしろ、真剣に書こうと思うと時間がかかるらしく、「全部口頭で良いじゃんなァ」との愚痴を聞かされることがしばしばある。
担当先が軒並み売り上げを伸ばしているのを評価され、今回初めて新規開拓を任されたらしいが、書いたこともない分野にいつも以上に苦戦しているのだろう。
俺とて特別得意なわけではないし、新規開拓時の提案書なんて書いたこともない、けれど頼られてしまえば拒むことも出来ず。
この辺、と坂田さんがマウスカーソルでくるり丸を書いてみせた部分を、何度か読み返して、それならこういう書き方の方が、といくつか提案してみる。
おぉなるほど、と目を丸くしながら納得したように頷かれ、的外れでなかったのにこっそり安堵した。
「すげーなお前。支社じゃこういうの適当でさ〜」
「慣れでしょう。本部は形式うるさいですからね。最近の新規先の提案書見ますか?俺のじゃなくて先輩方のですけど」
「えぇ、お前の見せてよ」
「新規先なんて持たせてもらったことないですよ」
「土方さぁ」
今日何度目かの『土方さぁ』に、それまでの『土方さぁ』とは違う温度を感じ、画面から目を離して坂田さんに視線を向けた。
比較的至近距離から真っ直ぐに目を見据えられ、不覚にもどきりとした。
「いつまで俺に敬語?」
「……いつまでって、先輩ですからずっとでしょう」
「同い年でしょ?」
「……年次は4つ上です。大先輩です」
努めて平静を装って言葉を返す。
坂田さんは高卒地元採用、俺は大卒本社採用。確かに年齢は同じはずだが入社年数は4年違う、倍以上だ。
同い年だとお互い初めて知った時、坂田さんが「あ、マジで?同い年?」とどこか嬉しげに頬を綻ばせたのを覚えている。
年上とばかり思っていた相手の、予想外の幼げな表情に、胸を射抜かれた。
可愛い、と感じてしまったことに気付いた時には、もう遅かった。
「ンな固いこと言うなよー。仲良くしよーぜ」
「十分良くしていただいてます」
「だからそーじゃなくてさ。つーか俺が良いっつってんだから良いんじゃねぇの?」
「……先輩は先輩です」
知り合ってから何度目かの同じ会話に、苦い気持ちで目を伏せる。
きっと親近感を持ってくれているんだろう。
積極的に距離を縮めようとしてきているのを、嬉しいと思うと同時に、どうしようもなく戸惑っている。
芽生えてしまった感情を誤魔化し隠すには、先輩と後輩という距離感はちょうど良かった。
同い年だからといって、それを取っ払って近付いてしまえば、セーブが効かなくなってしまいそうだった。
男と男。同じ会社の人間。上手く行くはずがないのは分かりきっている。上手く行かなかった時にどんな大変なことになるかも分かりきっている。
受け入れられるはずがない。表に出せるはずがない。秘めておくしか方法はない。
そう思っていても、関係が近くなってしまえばいつ露呈してしまうか分からない。
安全のために、俺は頑なに敬語を使い続けてきた。
それで相手が寂寥感を覚えたとしても、最悪の事態を避けるためには、仕方ないことだった。
「……頑固だなァ」
溜息を吐かれる。顔を上げる勇気がない。
「取り柄ですから」
「嘘吐けェ。知ってんぞ。お前、取引先相手に退かなさ過ぎて思い切り怒らせたことあんだろ。そんで部長が頭下げに行ったっていう」
「……なんで知ってんですか」
「土方くんの数少ない失敗談ですからね〜そりゃ有名ですよ。つーかそんなに俺んこと嫌い?」
「そ、」
そんなわけないじゃないですか。そう言いかけて、飲み込んだ。
強い否定は、それ以上の意味を孕む。
思わず顔を上げてしまった状態で、正面向き合った形でそんなことをしたら、一体何を口走ってしまうか。
赤い瞳が、不満げにじっと見つめてきている。絡め捕られそうで、怖い。
「……そんなこと言ってる暇あったら仕事片付けて帰りましょう。8時回りますよ」
呆れたフリをして、無理やり目を逸らした。
自分のパソコンに向かい直った俺に、坂田さんは「はいはい真面目だな〜」と茶化すように返してきただけで、それ以上は何も言ってこなかった。
どん、ばらばらばら、と花火の上がっては散る音がやけに耳に障った。
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