打ち明け花火
8時を少し回った頃に、そろそろ帰るか、と欠伸と共に声をかけられた。
あれからお互い黙々と自分の仕事に取り掛かっていたが、ろくに集中できなかったため、報告書はほとんど進んでいなかった。書いた分だけ消したように思う。彼は提案書を書き終えられたんだろうか。
資料を片付け、机の鍵を閉め、パソコンの電源を落とし、忘れず冷房と電気を消して営業室を出る。
ほとんど人の帰ってしまった社内というのは妙に静かで、廊下までは花火の音もそう届かず、自分の靴の音が響いて聞こえた。
エレベーターを待ちながら、実のない会話を続ける。
「結局8時過ぎちまったなぁ。まだ花火やってんのな」
「確か半頃までです。電車はそろそろ混んでくるでしょうけど」
「あ、そうなの?まだやってんのに?」
「帰り道優先で、最後まで花火見ない人も多いんですよ」
「へー、さすが慣れてんね。てこたァ今更急いでも一緒か」
「一緒?」
何気なく言われた言葉の意味が分からず、聞き返そうとしたが、「お、来た来た」と到着したエレベーターに阻まれた。
まぁ聞き返すほどの話題でもないか、と受け流して、坂田さんに続いてエレベーターに乗り込む。
何かがおかしいことに気付いたのは、扉が閉まって、体が足元から緩く持ち上げられるような感覚に襲われてからだった。
「ってこれ上行きじゃないですか、乗るの間違えて――」
「屋上で花火見てこーぜ」
「はい?」
「どーせ混雑巻き込まれんなら、ちょっとでも見といた方が得じゃね?」
にしし、と悪戯っ子のような笑みで言われ、ぽかんと口を開けてしまう。
どんな理論だ、と思わないでもなかったが、それ以上に、なんだこれ、いいのかこれ、と降って沸いた状況に動揺していた。
坂田さんと二人で花火。願ってもないような、けれど同時に出来ることなら避けたいような。
そんな俺の困惑など露知らず、最上階に着くなり、屋上へつながる階段へと真っ直ぐ歩いていく坂田さん。
そもそも屋上なんか出れるのか、と思ったが、坂田さんが慣れた様子でドアノブの摘みを回せば、扉は簡単に開いた。
ぬるい外気が入り込んでくるのを受けて、「あっつ」と文句を言いながら屋上へと出て行く。
続いて自分も足を踏み出せば、丁度大きなのが上がったらしく、暗闇に色とりどりの光が開き、地を揺らすような轟音が鳴り渡った。
「おぉー、でかいねぇ」
見上げる横から、嬉しそうな歓声が上がる。
周りにもビルはあるため、川辺での低い花火を見るのは難しいが、空に上がる花火はよく見える。
混雑を避けて雰囲気を楽しむには十分に思えた。屋上など考えもつかなかったが、案外穴場なのかもしれない。
他に屋上に出て花火観賞している社員もおらず、胸元ほどまでの高さのコンクリート塀に二人並んで、肘をついて軽く身を乗り出すようにしてもたれかかる。
落ちそう、と面白がるように笑われる。落ちないで下さい、と眉顰めて返す。
「やっぱ夏は花火だよなー。うるっせーけど。カキ氷とかリンゴ飴とかあったらもっと良かったけど」
「何か買ってきましょうか」
「んー、いーや。どーせもうすぐ終わんだろ。一人で見ててもつまんねぇよ」
「……そうですか」
空を見上げたまま、何の気なしに言われた台詞に、どう答えていいか分からず、一拍置いて返す。
きっと深い意味はないんだろう。単純に、言葉通り、一人で見ても仕方ないというのだろう。
けれど言えない気持ちを抱いたままの俺は、どうしても、もしかしたら他の意味が含まれているのではないかと勘繰って期待してしまう。
明るく話を盛り上げられるタイプでもない。特別気の利く人間でもない。一緒にいて面白いだとか楽しいだとかいう類にはまず当てはまらないだろう。
そんな俺と一緒に花火を見たところで、一人でいるより気を遣って面倒なだけではないのか。
そんなことはない、というならば、そこには多少なりとも好意のようなものがあるんじゃないのか。
つい、そんな風に思考が動いてしまう。そうであればいいのに、と。希望的観測とでもいうのだろうか。
一つ、また一つと花火が上がる度、おぉ、すげぇ、綺麗、なんか連発来た、と声に出して楽しんでいる横顔を、そっと盗み見る。
地下鉄のポスターを見た時、あぁあの人こういうの好きそうだな、と頭に思い浮かんだのは間違いじゃなかったようだ。子供のようにはしゃいでいる。
甘いものが好きなら、せっかく近くでやってるんで寄っていきませんか、と誘ってみるのも有りかもしれないと思っていた。いつもお世話になってるんで奢らせて下さい、なんて台詞も用意してみていた。
実際にはそんな勇気も切欠もなく、一緒に残業時間を過ごすに留まっていたわけだが、思わぬ流れで今こうして二人で夜空を眺めている。
近付きすぎてはいけないという警戒心はもちろんあるが、すぐ隣で楽しそうにしている姿を見ていると、忘れそうになる。
闇にぼんやりと白く浮かぶ彼を、目を細めて嬉しげな彼を、花火の光が断続的に照らす。その様に見入ってしまう。
綺麗だな、と。
不意に、赤い瞳がこちらを見た。どきりとした。
「なんつーか、冷めてんね?お疲れ?」
「いえ、そんな、……元々こんなですよ。強いて言うなら暑いです」
「ははっ確かに」
花火に夢中なのを良いことに遠慮なく盗み見していたのを気付かれたかと思い、内心焦ったが、そういうわけではなさそうだ。とはいえ、花火を楽しんでいるように見えないというのはバレているようだが。
否定しかけたのを、咄嗟の判断で曖昧に濁す。はいと言ってもいいえと言っても、疲れてんなら、もしくはつまんないなら帰ろうか、付き合わせて悪ぃね、と切り上げられそうだ。
俺の言葉を信じたのかどうか、夜なのにあっついよなーと坂田さんがぼやきながら、襟元のボタンを外す。
パタパタとシャツを摘んではためかせる手の奥、ちらり覗く胸元に目が行きそうになり、必死にかつさりげなく目を逸らす。
「お前はさぁ、真面目すぎんのよ」
「……何の話ですか」
「お前の話だよ」
脈絡無く投げられた言葉は、いつも通りのトーンでいるようでいて、どこか静かだった。
仕事の話だろうか、と体を坂田さんの方へまっすぐ向ける。坂田さんは、花火を見上げたまま続けた。
「そりゃ長所だよ。与えられた仕事はきっちりこなす、ズルも手抜きもしない、勉強も怠らない、話も可能な限り裏付け取ってあるから説得力あるし、過程がきちんとしてるからその分だけ結果もついてくる。俺みたいに好き勝手やって結果出して周り黙らせてんのとは真逆っつーか」
「買い被りです」
「いやほんとに。良い悪いの判断もしっかりしてるし。土方ならいい加減な仕事はしないだろうっていう安心感はみんな持ってると思う」
「……ありがとうございます」
「でもさ」
がしがしと、銀髪の頭を掻く。困った時や、言いにくいことを言おうとしている時の、彼の癖だ。
何を言われようとしているのかは、大よそ予想がついた。今までにも何度も色んな人に言われたことだった。
「……仕事はそれでよくても、人付き合いまで全部そうお堅くやってちゃ勿体無ぇよ。前よかマシにはなったと思うけどよ。未だにお前、職場の人間とか取引先の人間とか、完全仕事上の付き合いって線引いてんだろ」
「……」
「私情を持ち込むまいって敢えてそうしてんのかも知んねーけど、やられる方からしたら、結構寂しいもんなんだからな。冷たい印象っつーか。下手すりゃ怖ぇっつーか」
「……」
「そういう意味じゃ、損してんだよ。かなり。そりゃ真面目もいーけど、たまには」
「坂田さんは」
「聞けよオイ」
「すみません。でも、お聞きしたくて」
「何」
遮れば、夜空を向いたままだった顔がこっちを向いて、存分に睨みつけられた。
先輩のアドバイスに口を挟むのが、どんなに失礼なことかは分かってる。分かってるけれど、どうしても聞きたいことがあった。
おそらく彼ならこう答えるだろう、という予想をしながら。
「俺のこと、冷たいって思いますか。怖く見えますか」
「……俺が?お前を?」
「えぇ」
不快げだった眼差しが、不可解げなものに移ろう。
けれど俺が真剣に聞いたのは分かったんだろう、仕方なさそうにわざとらしく溜息をついた。
「全っ然。単なる不器用さんだろ?」
投げやりながらも突き放したところのないその答えに、あぁやっぱり、とじんわり胸が温かくなる。
この人は、こういう人だ。
表面的なところで人を判断しようとせず、その奥を覗いて、分かろうとする。
そうしてぶっきらぼうにも優しく伸ばされる手に、どれだけ俺は救われているだろう。
きっと俺だけじゃない、どれだけの人間が救われているだろう。
勝てない。そう思い知らされる。
駄目だ、やっぱり好きだ。そう思い知らされる。
どんなに隠そうとしたって、どんなに抗おうとしたって、抱いてしまった想いばかりはどうしようもなかった。
「……なら、いいです。今のままで」
せめてもの抵抗として、話を現状維持の方向に終わらせる。
彼を慕っていることさえ伝われば、これ以上、無理にでも距離を縮めてこようとはしないだろうと踏んでの誘導だった。
近付きすぎてはいけない。想いが露呈してしまうことがあってはいけない。ほどほどの返事で、満足しておいてもらうしかない。
じゃないと、欲が出てしまう。
俺の台詞を諦めと取ったのだろうか、むっとしたように坂田さんが声を荒げる。
「よくねーよ。誤解されやすいまま放っておけるわけねーだろコノヤロー」
「今更です。坂田さんが分かってくれてるなら十分です」
「はぁぁぁ!?ンだよそれ!つーかそう思うならもっと俺に心開けって話じゃね?」
「開いてますよ」
「嘘つけやコラ、一人で勝手に心ン中でうだうだ考え込んでるくせに一切言う気もなく隠して溜め込んで距離作ってってののどこが心開いてんですか、敬語までばっちり悪用しやがってがっちがちにガード固めやがってよ」
「え?」
多少の文句は甘んじて受けようと思った矢先、思わぬ言葉に耳を疑った。
ちょっと待て、と先の台詞を脳内反芻する。
「……何の、話を」
聞き返した声が、震えた。
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