アーキテック 1/2
半地下になったレストランは、坪庭からの採光を大きくとっているおかげで開放感があった。地面の下にあるはずなのに、緑の木立が、白い花が、スプリンクラーの水滴を誇らしげに輝かせている。
「……ぼさーっとして。見惚れたか?」
隣席から声を掛けられて、土方は視線を引き戻した。銀時が両手にフルートグラスを持っている。一つを土方に差し出して、にやにやした笑みを浮かべていた。こめかみの辺りの、撫で付けた櫛目までもが得意気だ。
「俺が戻ったの、気付かなかったろ。」
「ああ、悪ィ。」
飲み物を取ってきてほしいと頼んだのは土方だった。白い壁に白い床、白い天井。壁のレリーフもブロンズの上を白く塗られて、ゆるやかな曲線を溶接したスチールの椅子も白。ラタンの座面までが白く染めてあるこの空間は、今日みたいな日にはお誂え向きの舞台だった。明るくて、調和のとれた美しさがある。
いい店だ、とは思う。現に、めかしこんだ招待客は誰もがくつろいで楽しそうに笑いあっているし、各々取り分けてきた食事は、それと判らないように落とされているピンスポットに照らされて、オープンサンドやピンチョスの一つ一つがとても美味しそうに見える。実際、味もいいのだ、と聞いていた。
「何か食う? 海老のフリットが旨いよ。」
「後でもらう。まだ、少し落ち着かなくてな。」
言ってしまって、土方はしまった、と口をつぐんだ。この店のことを色々教えてくれたのは、他の誰でもないこの男だった。既存の概念に縛られない、新進気鋭の設計士。長い、長い春を土方と共に歩いてきた相手。
「じゃあ、後で一緒に行くか。まだドゥルセが並んでねぇんだよ。」
ふ、と笑って、銀時はグラスを目の高さへ持ち上げる。申し訳ない気持ちを拭えないまま。土方もそれに倣った。目を合わせるだけの乾杯をして、同時にグラスを傾ける。シャンパンじゃなくてカヴァと言うんだ、ということも教わった。ブリュットがあるからお前もいけるよ、と言われたので、それなら、と頼んだのだ。
「どうよ。俺、酒はあんまり詳しくないけど、ここのは旨いと思うんだ。」
「旨いよ。お前が勧めてくるもんは、いつだってはずれが無い。」
土方が答えると、銀時は安堵したように長く息を吐いて、グラスを窓明かりにかざした。底から立ち上る泡の一粒一粒がきらきら光る。白い空間の中に淡い黄金のいろ。ああ、真白はこのためか、と得心する。
「……ドゥルセ、はドルチェか。それも旨いんだろうな。」
「旨いよ。俺の仕事の条件はひとつ、デザートが旨いことだ。」
白いフロアに、きらびやかな来客達に、銀時は再び杯を捧げて飲み干す。襟の高いシャツで見えにくかった喉のラインが露わになって、土方は目を逸らした。緑の坪庭に小鳥のオブジェが一羽遊んでいる。その鳥までもが白いから、やはり少しだけ居心地が悪かった。
共通の知人からの便りは一つの郵便受けに二通届いた。差出人が不審に思わなかっただろうか、と土方は気にしたが、もう一枚の受取人はぺらりと葉書を裏返して楽しそうに目を輝かせた。
「これ、俺が作った店だ。」
「……俺ァまだ行ってない店だな。」
少し皮肉めいた言い方になってしまって、土方は奥歯をこっそりと噛む。銀時は手がけた店が完成すると、いつも真っ先に土方を連れて行った。それは二人の間にある暗黙の了解みたいなものだったのに。
「ああ、うん。ちょっとね。でもそろそろいいかな。」
ちょっと、だとか、そろそろ、だとか、そもそも何でこの店だけ、だとか。意味が分からなかったが、クローゼットの中身を物色している銀時に、土方はそれ以上の追求をすることができなかった。
とりあえずクリーニングに出す服を決めておく必要があった。サイズが同じということは、便利でもあるが一緒に出かけるときには面倒だ。争奪戦になる。あのシャツは死守したいな、とか、あのジャケットはあいつの方が似合うんだよな、とか。何度となく思ったそんなことを繰り返して、その日もなあなあになってしまった。
いつからか、そしていつまで続くのか。心地いい惰性に溜息が出る。大きな窓から見える坪庭は雑木林を切り取ってきたようだ。種類の違う木が高いのも低いのも取り混ぜて植えてある。白い花を付けている木が丁度中心にあって、下草の中に小鳥の置物。
隣から咳払いが聞えて土方は首をかしげた。見ると、少し不機嫌そうな顔でグラスをくるくると手遊びしている、
「そんなに、気になんの?」
「……まあ、綺麗じゃねェか。」
ありふれた褒め言葉だ。だが嘘はない。それなのに隣席の機嫌は下降の一途で、めでたい席だというのに長い足を組んで椅子に埋もれてしまった。招待客の何人かが、何事か、とこちらを見ては囁いている。
「……銀時。」
耳元で呼ぶと、大儀そうに目蓋を上げて舌打ちをする。がしがしと髪をかき混ぜるから、今朝十五分も掛けたセットが台無しだ。それでも、無理矢理に撫でつけているより、気ままに跳ねているいつもの髪型が似合うと土方は思う。本人に言えば更に不興を買うだろうから、口にはしないけれど。
形をなさなかったざわめきが、近い方から段々に一つの色になって行く。幸せよりもいざこざの方がずっと面白いのだろう。そういった野次馬根性を好ましく思わないのは二人とも同じだった。
「いいよ、わかってる。もういいって。」
言って、銀時は肩をすくめる。まだ祝福とはほど遠い態度だ。しかしそれだけで周囲の目が興味を失って散開していく。囁き声と小さな笑い声。時折、記念写真でも取っているのか、携帯のシャッター音が聞える。
「でも、あんなのは作り物だ。それなりに手ェ入れりゃ見られるようになる。」
ぶすくれた口調で言って、銀時は空のグラスの縁をがじがじと噛んでいた。土方はグラスを取り上げて、ついでに自分のグラスも飲み干してしまう。片付けに行こうか、と立ち上がろうとしたのだが、くい、と袖をつままれてかなわなかった。
折良く通りかかった店員にグラスを預けて、土方は再び隣に腰を下ろす。つままれている袖は銀時の見立てだ。晴れの席だから柄ものでも、と思ったのだが、お前にはコレが似合う、と押し付けられてしまった。さすがにタイとシャツだけは白いが、他はどこもかしこも黒ずくめ。仕上げ、とラペルピンを刺してもらったのが唯一晴れがましいところか。
対して銀時はこういう日のために、と土方が店員に勧められるまま買ったチャコールグレーの上下を着ていた。ピンストライプにメタリックの糸を織り込んであって、華やかに見えるのだとかなんとか。お前が着るとそれっぽいから、というよく分からない理由で横取りされたのだ。それ、とは何を指すのか、定かではなかったが、試着した自分よりずっと似合っていたので文句のいいようもなかった。
土方のスーツを着て、銀時は土方が決して選ばないであろう淡いピンクのタイを蝶々結びのようにしている。胸ポケットにも同じ色のチーフを挿していた。店に着いた途端に色めき立った数名の女性客から写真を頼まれたから、きっと欲目ばかりでなく、傍目にも似合って見えるのだろう。この真っ白な店の中で、銀時はとても馴染んで見える。飄々と笑ってポーズを取る隣で、やはり土方は居心地が悪かった。
「それなり、じゃねえだろ。みんな褒めてる。」
溜息混じりに言って、引っ張られたままの袖を片手で隠す。見られて困る、というものではないのだが、きまりが悪かった。指先で宥めるように撫で、軽く揺さぶって離すように促す。袖から手が離れた、と思った矢先に指先を掴まれた。
「みんな、とか誤魔化してんじゃねエよ。テメェはどうなんだって。」
血を震わせるように低めた声と、相反するのは指から伝わる体温。熱いくらいに。
「……綺麗だ、って、言っただろうよ。」
庭のことを、店のことを褒めているだけなのに。頬が燃えて喉が渇いた。そう言えばもうしばらく煙草を吸っていないのだと土方は唐突に思い出す。血管が広がっているせいだ。ただでさえ、一人暑苦しい黒ずくめなのに。
ぎり、と鋭い痛みが走って、土方は怒号とも悲鳴ともつかないものを飲み込んだ。つねられたのだ、ということはすぐに判る。下手人は間違い無く隣の男だ。お前の作った店を褒めたのに、なんて仕打ちだ。どれだけ恥ずかしいと思ってる。長く一緒にいるせいで、お前のことを人に話すのも照れくさいんだ。それがどんなに些細なことだって。
「……テ、メェ……!」
「別に、お前がひとの女取ろうとか思ってないのは知ってんだよっ。でもっ……。」
大きな声を出しそうになって慌てたのか、銀時は歯噛みしながら声を絞った。睨み付けてくる目が爛々と怒りを湛えて、それから羞恥の色に変わる。慌てて目を逸らし、銀時は席を外そうとした。土方は袖を掴んで引き留める。引き留めてから、しまった、と思った。見られている。訝しげないくつもの視線に横顔を探られて、背中に厭な汗が滲む。
「……あー、お前も煙草?」
助け船は目の前から降ってきた。中腰に立ち上がった姿勢のまま、気怠げに問うてくる。
「あ、……ああ。悪い。火ぃ、貸してくれねぇか。」
ぱ、と手を離して、土方は意味もなくポケットを探るふりをした。煙草もライターも胸ポケットにある事は知っているし、何より、銀時は煙草を吸わない。それなのに、先へ立って導いてくれる。いつでも、どんな場所でも。黙ってついて歩きながら、やはり自分だけが場違いだ、と土方は唇を噛んだ。
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