アーキテック 2/2
喫煙所は坪庭を迂回したような位置にあった。庭と、メインフロアの一部が見て取れる。フロア同様に明るいが、昨今の嫌煙風潮を受けて他の客は居なかった。
きらびやかなその他大勢と同様に、喫煙所には用がないはずの甘党は、道すがらに調達してきた小さな菓子なんかを腰掛けて頬張っていた。土方はそれを横目に見下ろして煙草を吸う。煙が流れていかないよう立っているのはせめてもの配慮だ。頭の芯が冷えていく。土方は先ほどの口論、と言っていいかも判らない言い合いを思い出していた。
「……食う?」
視線を感じたらしく、銀時がまだいくつか料理の載った皿を突き出してくる。
「プリン、と、フレンチトーストか?」
「フランとトリハス。どっちもレモンピールが入ってて、旨いよ。」
土方が、そうか、とだけ答えると、遠慮したことを悟ったのか、あっさりと皿を引っ込めた。
「……女をどうこうってのは、何だったんだ?」
煙を帯にして吐いてから土方は低く訊ねる。もぐもぐとトリハス、というらしい揚げパンのようなもの、を食べていた銀時は、ことさらゆっくりと飲み込んで、重たげに口を開いた。
「だってお前、嫁さんばっかり見てたじゃねえか。」
答えを聞いても腑に落ちない。眉を寄せて続きを促す。俯いたままで聞き取りづらい声に、土方は耳を傾けた。
「だから、ひょっとして、とか。ひょっとしなくても、お前結婚したいのか、とかさ。」
結婚、と言われて、ようやく今日ここに招かれた理由を思い出した。結婚式、だったのだ。懐かしい顔をいくつか見ていたり、それより店の内装や作りに感嘆しているうちに、すっかり失念してしまっていた。
そういえばあの大きな窓のあるあたりは上座にあたる場所で、白い長テーブルには今日の主役がついていたはずだ。白いフロアに緑の景色を背負って、白いタキシード姿の知人と白いドレスの花嫁が。
勘違いということだ。なんてつまらない。こんなことで、宴席に水を差そうとしていたのか。土方は自分の不甲斐なさに頭痛すら感じていた。やっぱり欠席にするべきだった。同棲中の男が二人、来ていい居場所じゃあなかったんだ。
「違う。俺ァ庭を見てたんだよ。花咲いてて、鳥の置物があって……。」
土方は弁明する。たとえここが自分にとって場違いでも、美しい光に馴染むお前が、この場所に嫌われる必要が無い。誤解が解ければ、きっとまた容易く馴染むのだろう、と。
「庭ァ?!」
それなのに、銀時はすっとんきょうな声を上げ、ガタン、と椅子を鳴らして立ち上がった。顔がひどく赤い。喫煙所に他の人がいなくて良かったと土方は思った。
取り落としそうになった皿を支えてやる。すると銀時は慌てて座り込み、先程までの風格が何所へ消えてしまったのかというくらいに縮こまってしまった。
「……庭ね。庭。……ったくよぉ。アレじゃあ足りねぇんだって。」
ぶつくさ言いながらフラン、というらしい小さなカッププリン、をスプーンでつついている。土方は黙って待った。短くなった煙草はとうに捨ててしまったが、もう一本、という気にはならなかった。
「あの木な、足下の小鳥だけじゃなくて、枝にカラスのオブジェを作ってあったんだ。」
言葉の通りに土方は庭の景色を想像してみる。緑と白のキラキラした庭に、ぎろりと目を光らせる一羽のカラス。美しい調和の世界をぶちこわして、そこに格段の生々しさが宿る。
「そしたらあんまり出来が良かったせいか、本物のカラスに喧嘩売られたらしくてさ。今は修理中なんだとよ。」
手短に言って銀時は、ぱくりぱくりとスプーンで口を塞いでしまった。なんというか、これはそういうことなんだろうか。白い小鳥に白い花、白い壁も床も天井も、全てがたった一羽のカラスの獲物だ、とか。
「だから連れてきたくなかったんだ……。」
銀時が呻くように言った事が何よりの証明だった。
「やっとお前に見せようと思ったのに、カラスはいねぇし、お前は余所見ばっかりしてるし……。」
煙草も、菓子も終わってしまって、沈黙の中に視線がぶつかる。グラスを交わして、袖を掴んで、そればかりか、長い長い春を共に歩いてきた。今日この良き日に、美しい真実をくれた白い小鳥に、カラスは何を返せるだろう。
銀時がスプーンをくわえたまま、ためらいがちに土方の指に触れた。先ほどつねられたそこは約束の指だ。戒めの輪の代わりに赤く小さな鬱血がある。爪を立てたな、と土方は少し憎く思った。
「余所見なんか、できるかよ。」
共に過ごした月日が不安につながることを初めて知った。この奔放な男がひとつの束縛を欲しているなんてことも。何でもないように笑いながら、綺羅の内側で怯えていた事を。
「テメェが着飾ってんのが、落ち着かねえだけだ。」
触れていないほうの手を取って膝をつき、せめて、誓いのキスを。
「らんろ、ふもり?」
くぐもった声に土方は苦笑する。大の男がスプーンくわえて、真っ赤な顔で見下ろしていた。
「何の、そうだな、礼のつもりだ。」
今しがた約束を刻んだばかりの指をしっかり握る。息を一つ吸って、土方は確かめるように告げた。
「俺の人生を、お前にくれてやる。」
言葉はたちまち音になって消える。それなら、惜しむように重ねて。
「好きだ。」
共に歩んだこれまでも、ここから続くどこまでも、ずっと。
スプーンを奪って、土方は熱い首筋を引き寄せた。甘い唇を招いて、重ねる。握っていた指が震えたかと思うと、素早く絡め取られた。与えた筈のキスが降って来る。光のように惜しみなく。
長い春は続く。晴れがましくもなく、白いドレスもタキシードもないけれど。
「次は、喧嘩売られても負けねえのにしろよ。」
土方が言うと、銀時は小さく吹き出した。
「そうだな。そうでなきゃあ、な。」
ふふ、と笑うと、土方の首筋を整髪料の匂いが残る髪が擽る。
「お前みたいに、目つきの悪いカラスにするよ。」
黒曜の目で、黒檀の羽で。歌うように言う銀時の頭の中には新しい図面が引かれているのかもしれない。土方は片手で髪を撫でて、奇才の思考に思いを馳せた。
「カラスが戻ったら、俺にも見せてくれよ。海老のフリットが旨いんだろ。」
言って、耳元をついばむように、キスを落とす。
「ドゥルセと、カヴァ・ブリュットも。」
お前の奢りだ、と銀時が唇を舐めたので、土方はもう一度そこを塞いでやった。
銀のスプーンが互いの手の中で温まっていく。声も温度もいつかは消えてしまうけれど、記憶が隅々に残るように。真っ白な景色の中で土方は黒ずくめの袖に銀色を閉じ込める。
「やっぱり似合う、お前に。」
肩越しにフロアと坪庭を見回して、銀時が満足気に言った。
「俺はね、さっきお前に見惚れてたんだよ。」
その言葉通り、この黒がすべてお前のためならば。土方は誇らしさの総てを込めて、一層強く抱き締めた。
『アーキテック』(20110626)
-12-
[
back
]*[next]
bookmark
BACK
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -