短編 | ナノ
 魔法が解ける時




フロイド・リーチは良い男だ
彼が店長を任せられているという良い感じに暗くてジャズミュージックが聞こえるオシャレなバーで彼は客から付けてもらったドリンクを飲んで楽しそうに女性客と話している
その笑みだけで女なんてイチコロだろと思わせる程彼は美しい


「最近良く来てくれるねぇ」


先程までカウンターの女性客と話していたのにこちらに振り返って艶やかに笑うフロイド
そして数秒置いて自分に話しかけていると理解した


「あ、えと...オシャレで良いなって思いまして...」

「そぉ?ありがと。いつも1人だよね」

「あ、あ、......1人が...落ち着くので...」

「分かる


嘘である
学生時代の友達なんてもう連絡も取っていないし、仕事先で友達なんて出来るわけない
やりがいの無い仕事を淡々とこなしてたまに上司に怒られて、少女漫画に出てくるみたいな頼れる先輩なんて居ない
大人になればなるほど友達なんかの作り方が分からなくなるのだ

そんな時にふらっと立ち寄ったこのバーでまるで絵画から出てきたみたいな綺麗な顔とスタイルを持つフロイドに出会い緩く優しく話しかけてくれる彼に射抜かれた
別に友達になりたいなんて望んでいないし恋人なんて以ての外、ただ少しでいいから彼の近くに居たかったので週に何度か通うようになった

フロイドに顔を覚えてもらっただけでも舞い上がりそうなぐらい嬉しいし彼を見れただけで明日の嫌な仕事も頑張れる気がしたのだ


「1人だし、女の子なんだから飲みすぎないようにね」


甘い彼の声と優しい言葉で顔が熱くなって必死に頷くだけに終わった

フロイドみたいにコミュニケーション能力が高くないので会話があっても毎度こんな感じの2.3言で終わってしまう
もっと話したいなんて思うけどどうすればいいのか分からないし怪訝な顔でもされたら立ち直れない

そのまま0時を回る前にお会計を済ませて帰路に着く

帰り道はフロイドの横顔を思い出して深いため息が出る、息を吐くともう息が白くなる季節だ
この時間、この瞬間だけ学生の淡い恋のような青春を思わせてくれるので好きだった




バーに通って半年が過ぎた頃、いつもの仕事帰りの時間にバー行けばフロイドがこちらを見て「いらっしゃい」と微笑んだ
いつも通り綺麗な顔をしているが、でもなんだかいつもと違い疲れているように見える

定位置みたいに決まったカウンターの端っこの席に座ってなぜ暗い顔をしているのか話しかけるために強めの酒を頼んだ


「はい、お待たせ」

「ありがとうございます」


頼んだ酒を勢いを付けて飲んで、酔いが回るまでしばらくファジーネーブルをちびちび飲んでおいた

フロイドが他の客と話す横顔を眺めて今日もかっこいいな、と思うと同時にやっぱり少し元気が無いように見える


「ふ、フロイド、さん...今日は何かありましたか...?」


酔いが回って来た頃に勇気をだして、しかし顔はテーブルを見つめたまま手は空になったグラスを両手で握り、新しくファジーネーブルを持ってきたフロイドに話しかけるとフロイドはビックリしたような顔をして少しだけ黙ったあと諦めたようにフッと笑った


「俺そんな顔に出る?」

「なんとなく...なんですけど、元気、無いなぁって」

「ダメな店員だね、俺」

「そんな!そんな事ないです!ごめんなさい、失礼な事言ってしまって」


店員としての態度を指摘されたのかと勘違いしているのか慌てて首をぶんぶん横に振ってそういう意味じゃない!と弁解する

フロイドは必死な彼女が少し面白くてまた笑った


「じゃあ、内緒話。聞いてくれる?」

「は、はい!」


甘ったるい蜂蜜みたいな声でカウンターに肘を着いたフロイドは顔を近付ける
今までに無い距離感と声色と雰囲気に内緒話、そんなフルコンボ出されたらもう女はフロイド以外考えられなくなる

本当に内緒話をするみたいに更に顔を近づけて女の耳元でフロイドは声を小さくして話す


「最近、カウンターの右から2つ目の席の女に付けられてるんだよね」

「えっ」

「声大っきいよ、聞こえちゃう」


フロイドは首も視線も動かさずに言って顔を離して困ったような可愛らしい笑みを浮かべた
悟られない様に目線だけでカウンターの右側を見ると派手な金髪の女がタバコを吸いながら1人で酒を煽っていた

付けられている、と言う事はきっとほぼ間違いなくフロイドのストーカーという事だろう

フロイドは空になったグラスを下げて新しいグラスをカタン、と置いた
その音がなんだか心の押してはいけないスイッチが入った音に聞こえた


その後も数杯飲んでいつもより少し深く酔ったのであれ以降会話もろくにせずフロイドにチェックをしてもらい少しだけ千鳥足になっているのを自覚して店を出た

頭の中にフロイドの困った顔とストーカーらしき女の顔がぐるぐる回って泥の中に足を突っ込んだみたいな不快感でいっぱいになる

家に帰ってコップいっぱいの水を何杯か飲んで倒れ込むようにベッドに横になった
なんだか憂鬱な気分と共に脳内であのストーカー女をなんとかすればフロイドさんに褒めて貰えるかもしれない、お近付きになれるかもしれない、と邪な考えが過ぎるが頭を軽く叩いて考えないようにして化粧を落とすのも忘れて眠った


しかし1度気にしてしまえばどう頑張って視界に入れないようにしたり考えないようにしても気になってしまう
あれから3日が過ぎてまたフロイドの店に足を運ぶと先に金髪の女が右から2つ目のカウンター席に座っていた

いつもオシャレで落ち着く雰囲気のバーが一転してドロドロした修羅場の様な雰囲気のバーになってしまった


「いらっしゃい」

「...こんばんは」


フロイドに声をかけられていつもの端の席に座る
この3日程眠りが浅くて仕事でもミスをした
目の下には軽くクマが出来ているし肌の調子が悪くなって化粧ノリも最悪だ


「なんかあったの?」

「あ、いえ...仕事、仕事でミスをしてしまって」

「責任感強いんだねぇ、ミスぐらい誰でもするって」

「ありがとうございます...」


1番気になってるのはフロイドと金髪のストーカー女なのだがそんな事言える訳もなくいつも通り適当なカクテルを頼んだ

数時間して金髪の女が「チェックで」と店を後にした
いつも自分より遅く帰るしなんなら最後まで残っていそうな金髪の女が珍しく先に帰ったのだ
何故か好機だと酔った頭とグラスの中の氷が同時に音を立てた


「チェックお願いします」

「あれ?もう帰っちゃうの?」

「はい、また、来ますね」


最後にフロイドに笑った顔はきっと綺麗だったと思う
今からフロイドを悩ませる種を自分が解決すればきっと私をもっと気にかけてくれる、友達になって休日に会うような仲になれるかもしれない

低いパンプスを鳴らして先に出た金髪の女を探すと直ぐにその後ろ姿を見つけた


「あ、あの!」

「?なんですか...?」


振り返った金髪の女はこちらを見て怪訝そうな顔をする
同じバーに通っているし目当ての人も同じなのだ、お互いに顔は知っているという訳か


「ふ、フロイドさんの事、ストーカー?してますよね?」

「はぁ?あんた誰?彼の何?」

「迷惑だと思うんです...!やめてください」

「彼のなんなの?って聞いてるんだけど」

「ストーカーしてますよね?先に聞いてるのは私です!」


声が震えるけどフロイドに話しかける時の緊張感と比べるとなんでもない
金髪の女は鬱陶しそうに顔を顰めてヒートアップする会話と共にヒールを鳴らしてこちらに近付き肩を強く押された


「あんた何なの!うざいんですけど!関係ないくせに話しかけてくんなよ!」

「ストーカー行為は迷惑だと言っているだけです!」


金髪の女は2度3度肩をまた強く押してくるので、どんどん後退すれば少し脇道に入ったところで尻もちを着く


「痛っ...」

「あんた邪魔」


金髪の女は肩から下げていた小さめの黒いカバンから折りたたみのナイフを取り出してこちらに向けた
突然刃物を向けられて驚きと恐怖で体が固まって先程まで大声で言い合ってた癖に声が出なくなった


「ひ、」


金髪の女は少し腕でも切って脅して二度とバーに来られないようになればいい、とナイフを振りかざしたが間一髪でなんとか避けた

こちらはこの女本気で刺そうと、殺そうとした!と脳内が停止してどこに隠れていたのか本能で身を守る為に金髪の女からナイフを奪い取った
その時に手のひらがざっくりと切れたが今はアドレナリンが沢山出ていて気づかない

お互いにハァハァ、と息を荒くして金髪の女は「返せよ!」と怒鳴ってくる


金髪女の怒鳴り声、手が熱くなる感触、ミスで怒る上司、つまらない会社、お酒を飲む友達もいない、フロイドの声、フロイドの優しい目、フロイドの困った様な顔、フロイドの、


「ア...ッ、」


気付いたら金髪の女の胸元を刺していた


奥深くまで力を込めて差し込むと金髪の女は小さな悲鳴と共に倒れた

倒れた女の体からどんどん赤いものが広がって道路を侵食する

自分の足元にまで赤が届いた時、やっと正気を取り戻して酸素を取り込んだ


「今、え...?わた、?私?...え?」


か細い声が誰もいない通りに響くが真後ろは大通りで喧騒が鳴り響く

どうしていいか分からずに持っていたナイフを放り投げて走ってその場から逃げた

何故か分からないが自分のセーフハウスはあのバーだけなのだ、とりあえず行って、事情を話して、どうしよう、あれ?手、痛い

ナイフを奪い取った時に切った手のひらから血が溢れ出して少しの返り血と自分の血が服を汚していく

フロイドのバーまで戻ってきたので血まみれの手でドアを開ける
するとフロイドは目を見開いてこちらを見て固まった


「え、え?どうしたの、それ、血?」

「フロイド...さん、」

「とりあえず救急車呼ぶから、ちょっと待ってて」


フロイドは驚いているが冷静な態度で救急車を呼んだ
何があったのかは聞かず、応急処置としてざっくり切れた手のひらを消毒して店にある救急箱から包帯を取りだして巻いている時に救急隊員が駆けつけた

軽いパニック状態で浅い息を繰り返す女、救急隊員は服にまで血が着いているのを見て手以外にも怪我を負っていると思い担架に女を寝かせた

色んな事が一気に起こってパニックの中、救急車に運ばれる最中、フロイドが心配そうな顔をしていたのが目に入った


そうだ、言わないと、安心してって言わないと、もう大丈夫だよって、
となけなしの理性で涙を溜めた目でフロイドを見つめた


「フロイドさん、あっ、あ、安心して、ストーカーの女、私が、わた、私がころ、した、から」


軽い過呼吸を起こしながらついに涙を流してフロイドを見る

安心してくれただろうか、私を見てくれるだろうか、ありがとうなんて言ってくれるかな、役に立てたかな


フロイドは少しだけ目を開いて優しくにっこり微笑んだ


「俺そんな事頼んで無ぇよ?」


フロイドの無邪気な声と優しい笑顔を最後に救急車の扉が閉まった





カウンターのグラスを全て下げて客が居なくなったところでフロイドはタバコに火を着けて電話をかける
数コールで出た相手に頬を赤らめて電話越しに聞こえる可愛い声にニコニコしてしまう


「もしもし?小エビちゃん?良かったら近々また飲みに来てよ。...え?あー、大丈夫だよ。面倒くさい客、居なくなったから。......ん?なんでって?んー、分かんなぁい。飽きたんじゃね?...うん、うん。...じゃあ待ってるね」






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