3.唇に指を這わせ


 夕餉の時間が近づいて来たので、そろそろおいとましなきゃと考えた私は、コトシロヌシにおじゃましましたねと告げ、自分の部屋に一旦戻る事にした。

「独神さんまた来てよ、待ってるから」

 その言葉が素直に嬉しくて、コクリと頷く。それじゃと立ち去ろうとしたら、コトシロヌシが私の髪を一房掬い取り、名残惜しそうに口付けた。髪を伸ばしていて本当に良かったと、何故か謎の勝利感が頭をよぎる。でもそれ以上に、辺りに漂う甘い空気にどう反応したらいいか分からない。つい照れ隠しに、いくらお腹がすいたからって私の髪を食べちゃダメだよと一気に告げ、全速力で逃げてしまった。

 走って走って走ってやっと自分の部屋に戻って来た私は、コトシロヌシの部屋で起きた一連を思い出す。柔らかいと言われた唇の感触だけど、それは寧ろ彼の方じゃないかなと感じた。柔和な雰囲気に良く合う、顔立ち通りの唇だなとそう思う。

 おそらく無意識だったのだろう、ふと気付いたら指で自分の唇を撫ぜていた。名残惜しいと言わんばかりに、もっと望んでいると欲さんばかりに。

 ーーああ、もう私は逃げられない。

 他人から言われるのと自覚するのとでは、大きな隔たりがある。あれだけコトシロヌシからの恋愛的主張を見るからに、本気なのは疑いようもない。だったら後は私の覚悟だけ。


 託宣とは言わせない、私だけの断決を。だって、私はまだ自身の気持ちを彼に告げてはいないから。


 手を握り締め、よし! と言わなかっただけも褒めて欲しいとは、随分後で冷静になってから思った事だけど、その時の私には考え付きもしなかった。

2017/11/26
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