少し、昔の話をしようと思う。

高校の頃、俺には好きな奴がいた。家が近所の、俺よりひとつ幼い、大人しそうで物静かで、それでもちゃんとした芯はあるような奴。
どうして彼女を好きになったのかはよくわからない。近所とはいえ知り合ったのは高校に入ってからで、特別近くにいたわけではない、特に話したことだってそうあるわけではない。それでも、俺の怪力を恐れない彼女の強さに、俺は惹かれてしまったのだ。
見ているだけでよかった。俺の心がいくらそう叫んでも、俺はやはり健全なる男子高校生で。そんな罪悪感にうなされることもあったが、俺は別に、本心から今の状況に変化がおこらなくてもよかったのだ。
変わったのは、卒業式の前日。
彼女に、彼氏ができた。
「ね、静ちゃん」
そんなときだった。
「…ねえ、セックスしない?」
臨美が、俺を誘ってきたのは。
臨美はきっと俺が酒の勢いにのせられたとでも思っているだろう。しかしそれは違う、俺はその時しっかりとひんやりとした意識があった。それなら何故大嫌いなはずの奴を抱いたのかと聞かれれば、あいつが少し、その彼女に似ていたからかもしれない。
ノミ蟲は事前にこの関係をセフレと言っていたので、そうして俺は何の遠慮もなく、好きだった奴への不完全な熱をこいつへと流していったのだ。

おかしいと思い始めたのは、臨美から連絡が途絶えて2か月がたとうとした頃。今まで週に一度程、しよう、なんて何の恥じらいもないような誘い文句で家へと呼び出されて、まぁそれで着いて行ってしまう俺も俺なのだが。一か月ほど連絡がこないことはまれにあったが、これほどまで来ないのはおかしい。
次第に俺は何故かいらつく奴に会わないということでいらつき始め、絡んできた奴らは前より酷い怪我を負わされる羽目になってゆく。とうとう一人、大けがを負わせてしまい俺は闇医者である新羅の家へとけが人を担いで向かった。
久しぶりだねえ、なんて呑気な奴の言葉を聞き流し、ソファに座って出された珈琲をすすろうと手を伸ばすと、
「そういえば、臨美なんだけど」
思わず手が止まった。今の俺には何故新羅がこの時臨美を話をしたのか全くわからない、普通の奴なら、というかむしろ俺と奴の仲を知っているやつが俺の前で臨美の名を出す等自殺行為に等しいというのに、こいつはそんなに命知らずな奴だったか。
その理由は、次の一言ですぐにわかった。
「父親、君じゃなかったんだね」
新羅は、俺が初めて見るほどに、大変怒っていた。
別に怒鳴られたわけでも殴られたわけでも、恐ろしい形相をしていたわけでもない、でもその声音が、纏う空気が、明らかに彼が激怒していることを表している。
しかしその時の俺は、新羅が怒っていることに気がついたものの、それを気にするほど脳内に余裕はなかった。
父、親?
一ヶ月間の音信不通、連絡の途絶え、新羅の激怒、そして「父親」。脳内で全ての出来事が結びつく。
つまり、あいつは。臨美は。
  妊娠、した?

新羅の家から飛び出し、急いで奴の家へと向かう。
身に覚えがなかったかと聞かれたら、あった。中に出したことがあったのだ。その時臨美が抵抗したのかしなかったのか覚えていないことから、恐らく俺が酔っていた時だろう。
あいつはこの関係を「遊び」だと笑っていたから、形になるものなんて残したくなかったに決まっている。堕ろすのだろうか。その時、心の中で堕ろせと言っている自分がいて、最低だな、俺。自嘲じみた笑いをしようとするもうまく頬が動かずおかしな表情になってしまった。
臨美のマンションまで来て、閉じられた頑丈な扉を蹴り破る。久しぶりに見る臨美の体は、随分と痩せていた。
俺が来ることを心のどこかで予測していたのかもしれない、驚いた表情を浮かべながらも、目はどこかしら余裕を保っていたのだ。今にも目の前のこいつを殺ってしまいそうな俺を落ち着かせ、臨美は俺を近くのソファへと案内した、臨美も向かいへと座る。
二か月ぶり、たった二カ月なのにこいつの纏う空気は明らかに変わっていて、前より不思議といらつかない。薄かった体はより薄くなっており今にも消えてしまいそうだ。
そんな臨美に戸惑いつつ俺がどう切り出そうか迷っていると、「何?」だなんて聞かれて。わかってるくせに、やはりこいつは性格が悪い。
「妊娠、したんだろ」
もうこの際隠しても仕方がないと諦め、率直に聞いてみることにした。その時一瞬だけ、臨美の眼に影がさす。
「うん」
その答えに予想はついていたものの、実際本人の口から出されるとやはり重みが違う。妊娠したのだ、今目の前の女の中にもう一つ命があるというその事実を受け止めきれずに、俺は思わず眉をひそめた。
「...どうすんだ」
「どうするって?」
「その...産むのか」
正直、これには予想がつけようがない。こいつは俺との関係を確立させるような要素をほしいとは思っていない筈なのだが、しかし人間を愛しているとかほざいているため、人間愛を壊すか大嫌いな俺の子を産むか、検討がつかなかった。後々思い出してみると、きっとこのときの俺は相当渋い顔をしていたに違いない。
俺としてはどうしてほしいのか。本音を言うと、あまり産んではほしくなかった。最低な答えだとは自覚しているが、それが今の正直な気持ちであった。大嫌いであるこいつと俺の血をひいた子を気持ち悪いと思ったし、逆に今の関係を壊したくなかったということもあるかもしれない。
「産むよ」
産む、のか。
どくん、と心臓が脳に直接音を届ける。どうしていいかわからなかった。
「あぁ、でも安心して」
これで一旦静寂がくるかと思えば、まだ言葉に続きがあったので俺はそちらに耳を傾けて、本当に衝撃をうけた。
「責任とか、いらないから。」
とっさに立ち上がる。どうして怒ったのかはよくわからない。しかし、こいつの俺を捨てるようで守ろうとするような矛盾した言動に、わけもわからず腹が立ったのだ。
「てめぇ...」
「どうしたの?何に怒ってんの?」
「黙れ...」
「別に私は一人で育てるから父親になれなんて言わない」
「黙れよ...」
「よかったねぇ静ちゃん」
いくら黙れと言っても、そのうるさい口はふさがらない。黙れ、黙れよ。何で怒ってるかなんて、俺もわからない。けれど、これ以上そんな言葉を言ったら、俺はキレる。間違いなくキレる。
「大嫌いな私と結婚せずにすんで」
その言葉が最後だった。
「黙れっつってんだろ!!」
俺の怒りの矛先は目の前のこいつではなく近くにあった電気製品。普段なら間違いなく殴っているのに、妊婦だということで少し心理的にストッパーがかかっているのだろうか。胸糞が悪い。
「俺が怒ってんのは孕んだことじゃねえ」
何で、どうして。別に言われたとして、俺はむりやり堕ろせなんて言ったりしない。こいつがどうしてもというなら、考えないことだってなかったのに。
自分でもわかるほど理不尽な怒りがふつふつとわきあがる。
「何で、黙ってた」
どうして。ふざけるな。
「何で黙ったまま産もうとして...出ていこうとしやがる」
部屋に入った時、いくつもの段ボール箱にものが詰められているのを俺は見た。つまりそれは、出て行こうとしたということ。
広い部屋に俺の声だけが響く。俺が話している間、こいつは反論も相槌も、何も言わなかった。
「だって」
暫くの静寂のあと、今度は臨美の声が響いた。
「言えるわけないじゃん」
起伏のすくない限りなく平坦な声であったのに、怒気が含まれているというより俺を責めるような声。臨美は俯いていて、目も合わせない。
「今まで抱いてくれたとき、好きだとか言ってくれたことある?ないでしょ?それどころか名前も呼んでくれなかったよね?そんなんで誰が愛されてるなんて思えるの?産めると思えるの?子供産むのってねすごい不安なんだよ?おろせって言われないかとか捨てられないかとか、面倒だって思われたらどうしようとか。だから言えなかった、静ちゃんはきっとおろせって思うから」
「それは、」
「別にいいんだよ静ちゃんが私のこと嫌いだってこと知ってるもん、私は身代わりだったんだよね私の体が好きだったんだよね、そうじゃなかったら抱いた後一人になった途端気分悪くなって吐きかけたりしないもんね?」
「、なんで、」
何も反論できない、俺はただ黙って聞くことしかできなかった。このまま黙っているつもりだったのに、最後の言葉に俺は驚かされ思わず声を出してしまう。確かに、俺は大嫌いな奴を抱くという行為に気分が悪くなったことが数度ある。でもそれは、臨美が寝ている最中とかで見られたことはなかった筈なのに。
臨美はようやく顔をあげたかと思えば、泣きそうなのに無理していつもの嫌味たらしく笑おうとしている顔だった。どくん、と心臓が痛くなる。
「何で知ってるかって?知ってるに決まってるじゃん静ちゃんのこと見てたんだから、そうだよ静ちゃんが好きだったんだから、」

今こいつは、なんていった?
俺が  好き ?
「大丈夫、別に好きになって欲しいとか思ったことはなかったから」
ちょっと待ってくれ、だってお前は俺との関係をセフレだって、体だけの関係だって、性欲処理とでも思ってって。
全部嘘、だったのか。
「そういうことなんだよ」
「......何がだよ」
突然のことに脳内がぐるぐると渦巻く。ようやく絞り出せた声は小さく低い声だった。
「私は静ちゃんが好きだから、静ちゃんが幸せになってほしい」
嘘だ、
「私と一緒になったら静ちゃんは幸せじゃない......いつも名前呼んでるあの人が好きなんでしょ?」
やめてくれ、
「私は一人でも生きていけるから、静ちゃんが幸せになってくれるのが一番嬉しい」
「...臨美、」
そんな泣きそうな顔、するな
「だから、終わりにしよ」
俯いた臨美に俺はどうすることもできず、ただただ体は動かないまま頭が高速回転していて。
何でそんな、俺はこれでよかった筈じゃないのか、大嫌いなこいつと一緒になることもなく、大嫌いなこいつは遠くへ行ってしまって、俺は幸せじゃないのか。臨美の言っていることは正しいことじゃないのか。
最後に臨美は顔をあげて、涙を浮かべた目を細めて強制的に作られた笑顔を見せて、
「さよなら、しようよ」

腕を引っ張られ無理矢理立たされ、追い出されるように家の外へと出される。いや、実際追い出されたのかもしれない。
これからどうしていいのか全く分からずに、俺はなるがままに歩きだした。
少し、考える時間がほしくて。

そう、考えて



けれど
気持ちを整理して俺が臨美の家へ行ったのは一週間後。
臨美の家には、誰もいなかった。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -