メインイベントは前夜祭で2 | ナノ




 生徒玄関から職員玄関の方に回ると既に準備を終えている放送部の二人が待機していて、知子ちゃんが足早にそちらへ駆けていく。牧野先生はまだ来ていないようだ。
「すみません、遅くなりました。よろしくお願いします」
「あれ須田くんじゃん、キミも乗るの?」
 拡声器をメガホンみたいに持っているショートカットの女生徒が首を傾けて言った。
「えーっと、誰っすか?」
「木船、木船郁子。私、部長だからたまに生徒会に顔出すの。キミいっつも生徒会室でちょろちょろしてるよね」
 なんと、意外に自分は有名人らしい。
 意外も何も―――関係者でもないのに生徒会に出入りしては他の部活動まで首を突っ込む変わり者として、生徒間のみならず教師の間でもその名が知れ渡る存在だったのだが、本人にその自覚はなく、せいぜい美人の先輩にまで知られてるなんてラッキー程度の認識だった。
「あ、どうもっす。俺はただ見物にきただけなんで。…でも、生徒会って何か居心地良くないすか?」
「あそこが居心地良い?あの生徒会長が居て?変わってるなぁ、私だったら無理」
 隣の男子生徒もうんうんと頷いている。
 確かに淳は唯我独尊タイプだから苦手な人も多いことは知っているけど、黙って眺めていればかなり面白いキャラなんだけどなぁ……どうやらそう感じられるのは自分だけみたいだ。
「変わってるといえばさぁ、江戸くん、留学生の話どうなってる?」
 木船先輩は江戸というらしいもう一人の部員に話しかけた。

 留学生は各学年に必ず一人はいるが、変わってると名付けば三年のハワード・ライトしかいない。
 自分が言うのも何だが、知り合いのいない日本に出て来て憶するどころかあちらこちらを飛び回り、存分に青春を謳歌している風変りなアメリカ人だ。
「どうですかね、一応インタビューすることは紙に書いて渡したんですけど、何か『OK!マカセテ!モリアゲル!』ってカタコトで…何せ超ハイテンションでしたから」
「あいつ、盛り上げると騒ぐを絶っ対勘違いしてるわ……」
 額に手をを当ててうつむいてしまった木船先輩率いる放送部は、毎年文化祭に生放送をやっている。成績優秀な部の部長とか、人気のある先生とか、留学生を呼んでインタビューをして、あとは最近流行りの曲を流したり……そのくらいしか俺は知らない。実際のところ、文化祭が始まってしまえば、放送など黙って聞いている人間はほとんどいないと思う。
「他の部も大変なんですね」
 更に込み入った話に発展してすっかりついていけなくなった俺らは、傘置き場に腰掛けて、雑談を始めた。
「知子ちゃんのところは?美術部って何やるの?」
「私のところも展示です。今年コンクールに出した大型作品や、文化祭のために描いた絵を並べて……あ、あと絵の上手な先輩が似顔絵コーナーやったりします。知子はまだまだだからできないけど…」
「へえ、ちょっと面白そう」
「でも美術室ってごちゃごちゃしてるじゃないですか、カフェスペース作るにも大がかりで。今はそれが大変かなぁ」
 伸ばした足をプラプラさせて知子ちゃんは笑った。苦労をいとわない笑顔だ。そんな風に自分も夢中になれる一つのことがあればいいなと思う。今のところ、広く浅く色々なことに首は突っ込むけれど、これといって夢中になれるほどのことはまだ見つかっていないような気がするのだ。牧野先生のことは置いといて。
「それにしても遅いですね」
 雑談のネタも尽きようという頃、空模様まで怪しくなってきて各々に不安げな表情になってくる。知子ちゃんの言葉に自分を含め他の二人も頷いて硝子戸の中の玄関を目を配らせても相変わらず牧野先生が来る気配はない。
 ついには先生に何かあったのかと不安が怖れに発展しそうになったところで、遠くから間延びした声が聞こえてきた。
「皆さーん、遅くなってごめんなさい」
 てっきりそこから出てくるから職員玄関が待機場所だったと思っていたが、予想に反して牧野先生は駐輪所に続く校舎裏の方から駆けてきた。雑多な荷物を抱え、はあはあと息を切らせている。
「お待たせしてすみません、山車の制作状況のチェックがありまして」
 持っていたバインダーで顔を仰ぎながら汗を拭っている先生は、いつもの白シャツとセーターにベージュのチノパンという服装から、動きやすいジャージに着替えていた。紺色を基調として、胸の辺りまでが白色のツートーンのジャージだ。きっちりファスナーを閉めている辺りが実に牧野先生らしい着こなしだと思う。
「もー、先生遅いー」
 どこまでも腰が低い先生は木船先輩の駄目出しにぺこぺこ頭を下げて、「それよりも早く出発!」と更に急かされて社会科準備室まで車の鍵を取りに行った。そして今度はすぐに戻ってきて、ようやく出発の運びとなった。
 ぞろぞろと正面玄関裏の第二駐車場まで歩いていく途中、牧野先生はそこで俺の存在に気づいたらしい。
「そういえば、須田くんはどうして居るの?」
「壁新聞の取材なんです。準備風景を撮りたくって」
 言いつつ、まだ本日一度も活躍していないデジカメを取り出す。
「そうなんだ。四人乗りだから乗せられなくてごめんね」
「じゃあ今度乗せてくれますか?」
「うーん、そうだね、機会があればね」
 やっぱりそうだよな。教師の車に生徒が乗る機会なんて、部活でも入らない限りそうそうあるもんじゃない。
 自分が唯一経験したのは、小学生の頃に道草で遅刻して、探しに来た担任の車には乗った時だけれど、こっぴどく怒られたという記憶しか残っていない。

 駐車場について俺は先生の車に興味を移した。端に停めてあるシルバーのコンパクトカーが、解錠を示すランプを点滅させている。
 テンションも高めに早速乗り込む三人の後ろですっかり所在がなくなった俺は、それをぼんやり眺めていたのだが、その内自分の中にもやもやした気持ちが渦巻いてくることに気がついた。
 走りだした車の後部座席から手を振る知子ちゃんに手を振り返して、校舎まで戻る間にその感情について一考する。

 たかが車に乗れないくらいで何が嫌なんだろう、自分は羨ましいんだろうか?
 ―――そりゃあ羨ましい。だって牧野先生の車だ。乗ればまた一つ、いやそれ以上かもしれない牧野先生のことを知ることができる。自分はとにかく牧野先生に近づきたいんだ、知らない先生をもっと知りたいし、先生の役に立てるような人間になりたい。
 でもそれは何のためなんだろう?先生に世話になったからだろうか。
 ―――確かに牧野先生には人一倍世話になったと思うけど、恩義で全ては片付けられない気がする。それだと車に乗れなかった気持ちに説明がつかない。
 先生のことが好きなのか?
 ―――そりゃあ好きだ。みんな好きだろう、牧野先生のことは。嫌っているのなんて宮田先生くらいしかいない。宮田先生は嫌いな癖に牧野先生の行動を監視して逐一ああだこうだと批判ばかり、いったい何が嫌なんだ、そんなに牧野先生のことが気になるのか―――
「気になる?」
 全然関係ないところで思考が引っかかって、自分の下駄箱を前に首をかしげてうっかり独り言までつぶやいてしまった。
 気になるって何がだ、まさか好きなはずあるまいし。それとも何か?素直になれない理由があるとでもいうのか?
 いやいや、宮田先生が牧野先生を好きというのがあり得ない話だ、あれだけのことをしておいて。
 好きだとしたら自分たち生徒と宮田先生が同じということになってしまうだろう、だけど俺らと宮田先生の共通点が見いだせない。
 強いて挙げるとすれば、牧野先生の動向にやたら詳しいということが裏返しとしての可能性がないとは言えないけど……

「…あー、わっかんねぇー」
 俺はテレビの探偵のように頭をかきむしった。
 宮田先生のことは真実の情報が少なすぎて考える材料にならない。いじめていた(最近は目立った行動がないので過去形にしてみた)以外の客観的情報が何ひとつないのだ、好悪を判断できない状況で比べるなど、どう導きだそうとも仮説に基づく独りよがりな結論にしかならなかった。

 答えが出ないことに考えをめぐらせても時間だけが無為に過ぎてしまうので、俺はひとまず気持ちを切り替えて、本来業務に戻ることにした。


 回ると言っても研究や作品だけの展示の場所は画的に面白くないし、俺も今回ばかりは自分のクラスのことしか知らないので、妥当な線で生徒会の前評判ランキング上位のクラス・部活の出し物を重点的に撮影させてもらった。
 まずは亜矢子先輩の模擬店。
 あそこは商業クラスで女子が多く、家政科部の部員の割合も高いので、毎年レベルの高い商品を提供している。俺が行った時も「試作品だけど」と言って出されたアフタヌーンティーセットはどう見ても完璧な仕上がりだった。最優秀賞も取る訳だ、花嫁部の別名は伊達じゃない。
 そういえば木船先輩の双子の姉妹の柳子さんもいた。ボーイッシュな木船先輩とは違って大人しい感じの美人さんで、家政科部は色々な意味でレベルが高いことを実感させていただく。

 続いては美耶子のクラスのメイド喫茶。
 メイド喫茶自体はこのご時世、出尽くした感があるけれど、美耶子のクラスでは「ホラー」「ツンデレ」「絶望」をテーマにしているらしい。設定を盛り過ぎなんじゃないかと思えたが、見てみれば意外とそうでもない。古い建物をイメージした凝った店内が、神代家のクラシックな着物のメイド服とマッチしている。
 ただ「絶望」だけはいただけない。あのメニューは駄目だろう、何なんだあの冷麺に苺ジャムを入れた地獄絵図みたいな食べ物は。俺は絶対に食べないぞ。
 美耶子や牧野先生にあーんしてもらうなら……考える、かも。

 最後は美耶子の隣のD組の映画だ。
 一年生が大がかりな出し物をやるのは珍しいけど、担任が面倒見の良い藤田先生だから手を尽くしてくれたんだろうと思う。
 当たり前だけど内容は見せてもらえなくて、それでも傍から撮影風景を見学させてもらうと、これもかなり凝っていることが分かる。これから編集作業が大変だと藤田先生がぼやいていた。
 しかし文化祭なのに「ツインテールの美少女が笑いながらマシンガンを持ってどこまでも追いかけてくる映画」ってテーマが恐ろしすぎやしないか。
 美少女なのに、血のりべったりの顔で狂ったように笑う矢倉さんが死ぬほど怖かった。あれはさすがに載せられない。
 美耶子のところのメイド喫茶といい、羽高を席巻しているホラー旋風は堕辰子さまなのか、堕辰子さまの影響なのか。

 後は無難にバンド演奏やカラオケ大会の練習風景などをぼちぼち撮影して回り、生徒会室で騒いでいる淳には取材のことは伏せて(知らせるとうるさいから)外からこっそり撮影して、本日の業務は終了した。

 デジカメを返却してクラスを出る頃にはすっかり夜になっていた。時計は七時半を指している。準備活動自体は五時半までとなっているけど午後八時が完全下校時刻なので、校内にはまだ残って作業をしている生徒も少なくない。
 もう一度生徒会に顔でも出そうか、それとも牧野先生のところに寄ってみようか、と考えていたら、急に廊下が慌ただしくなった。階段の方から何人もの生徒が「ビニールシート!」と叫んで走ってくる。雨が降ってきたのか。
「須田も手伝ってよ!」
 通りがかりのクラスの女子に鬼の形相で言われ、事の重大さを理解した俺は、急いで持っていた荷物を教室に置きに行き、そこにはかろうじて二人の壁新聞の仲間が残っていたので、問答無用でそいつらも連れていく。
 階段を二段飛ばしで駆け下りて、玄関に向かう廊下を全力で走り抜ける。ざあざあという雨音が玄関に近づくにつれ大きくなり、一階廊下から見える外の窓には既に大粒の雨が滴っている、一刻の猶予もないのだ。
 取るものも取りあえず外に飛び出すと体中に痛いくらいの雨がぶつかってきて、雨音は轟音のような唸り声を上げている。靴も何も構うものか、一目散に走り続け、阿鼻叫喚の駐輪場に到着した。

 たとえそれが怪しげな生物の張りぼてであっても、一生懸命作った物が無に帰すなんて耐えられない、全員が同じ気持ちだったのだろう。
 シートを広げて、そうじゃないこっち!必死に雨音にかき消されながらも喉をからして指示をする女生徒、脚立が足りずに投げて何とかシートを載せようとする男子生徒、後からやって来て傘を放りだして手伝いを始める生徒、仮設テントの下に入れようと台車に乗せて移動させる先生たち―――現場は修羅場と化していた。
 山車の大半は木材でできているが、塗装や装飾は豪雨に耐えられるほど頑丈ではない。この雨がいつまで続くかは分からないが、この時期は台風だってやってくる、実行委員会の先生の判断で、最終的には残っていた人間全員で渡り廊下まで山車を運んで風雨をしのぐこととなった。

 山車に関する一連の作業が全て終わったのが九時、それから残っていた元々の片付けを終えたのが九時半、着替えやら途中休憩やらを挟み、時刻は十時を回っていた。それでも雨はまだ止まない。
「この雨、当日まで続くみたいよ」
 携帯でテレビを見ていた亜矢子先輩が不機嫌を隠さずに言った。
「雨天時用の計画は立ててあるが、生徒に周知徹底できているかと言われると疑問だな。生徒会としても対策を打ち出さなきゃならないだろう」
 クールに言っているつもりだろうが、ジャージの淳には何の迫力もない。
 通常の生徒なら作業時は動きやすいジャージを着用しているので、騒動後の現在は制服姿だ。着替えに苦心しなかったのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。ただ、約一名は作業中も制服など着ていたせいで、他の生徒とは違って随分浮いた格好になってしまったが。
「迎え来たぞ」
 トイレに行っていた美耶子が携帯を片手に戻ってきた。淳と亜矢子先輩に帰り支度を促し、そのままこちらを向く。
「恭也、本当にいいのか?」
「うん。美耶子んち全然別方向だし、俺の親も十一時には来れるっていうから」
 この雨で見事に公共交通機関が麻痺した地元は、移動手段を車のみに限定させてしまった。生徒たちが自力で帰ることは言うまでもなく不可能であり、帰宅困難な生徒は順次教師が手分けして車で送っていた。俺はその役目を担う一人が牧野先生であることを知っていたのだ。
 美耶子たちに迷惑をかけられないというのは理由の一つしてもちろんあった。しかしもう一つの理由、俺はもしかしたら牧野先生に送ってもらえるんじゃないだろうかという淡い期待をどうしても捨てきれなかった。
「ふん、お前が頭を下げるなら別に乗せてやっても構わないんだぞ」
「はいはいありがとう、でも本当にいいよ。もう遅いしさ、神代の家めちゃくちゃ遠いだろ」
「あなたも風邪ひかないようにね」
「ありがとう亜矢子先輩、じゃあまた明日。またな美耶子」
 美耶子は最後まで俺の方を申し訳なさそうに何度も振り返っていた。
 悪い美耶子、でもこれは二度とないチャンスかもしれないから。
 俺は心の中で謝って、誰もいなくなった生徒会室の電灯を消すと職員室へ足を向けた。

 職員室は一部を残して大半の照明が消されていて、薄暗くひっそりと静まり返っていた。
 開いたドアから中に入ると、灯りに照らされた室内の片隅の机で何かをしている牧野先生を発見する。仕事をやっている訳ではないだろう、もしそうだったら…この賭けは負けということになる。
「先生」
「わ、須田くんまだ残ってたの?」
 牧野先生は弾かれたように顔を上げ、驚いた顔で俺を見た。
「はい…あの…」
 嘘を言いにくくて言い淀んでいるのではなく、この賭けに勝てるかどうか緊張して切り出し方を迷っていた。しかし事態は俺に葛藤する暇も与えないほどあっさりとした答えを牧野先生からもたらした。
「もしかして足ないの?」
「はい…それで誰でもいいんで送ってもらえないかなって」
「ああそっか、うんいいよ。私ももう帰るところだったから一緒に帰ろう」
 “一緒に”
 この言葉に俺はときめいた。先生を騙して乗せてもらう罪悪感もかき消されてしまうくらいに。



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