秋日の出1 | ナノ


こんな平和があってもいい。



 夏の名残も日に日に小さくなり、朝晩はやや寒さを感じるほどの時季になった。
 朝露に濡れた草木の匂いとどこからか聞こえてくる虫の声。澄んだ空気が秋の香りを運ぶ羽生蛇の朝は神聖な雰囲気がそこはかとなく漂っている。
 宮田が目を覚ますと、隣で眠っていたはずの兄の姿がなかった。シーツに抜け出た跡さえ残っていないということは、おそらくベッドを降りた後わざわざ布団をかけ直してくれたくれたのだろう。
 相変わらずだな、と思わず口から声が出た。
 いつもながら兄の気遣いには感心してしまう。自身のように仕事としてならいざ知らず、普段からそれだけの配慮を周りの人・物全てにするのだから恐れ入る。
 時刻は目覚ましが鳴る三十分前を指しており、どちらの出勤時間も大分先だ。とりあえず兄がまだ家にいる確証は得られたので宮田はゆったりとした動作で立ち上がり、着替えを済ませてから行方を探すことにした。
 朝の礼拝はだいたい宮田の出勤時間と重なるため、朝はたとえわずかな時間であっても忙しい二人には共に過ごす貴重な機会となる。なので、宮田はこの時間を極力大切にするようにしていた。
 もちろん兄の牧野も同様の気持ちであるが、疲れて眠っている弟をわざわざ起こしてまで無理に自分に合わせずともよい、という配慮である。宮田は兄のその配慮が嬉しくもあり、「お兄ちゃんに甘やかされている弟」のようで少々面映ゆさも感じていた。

 この時間は大概、兄は神に祈りを捧げている。初めは痕跡を残さずにベッドを離れることや、自宅で自分が側にいるにも関わらず仕事―――のように当時の宮田には感じられていた―――をする様子に反感を抱くことも少なくはなかった。
 しかし共同生活を繰り返していくと、次第に相手がどのような性格で何を思って行動するのかが理解できるようになり、それに伴って兄が大切にしたいものには自分も協力したいという気持ちが湧いてくるようになった。
 朝の祈りも兄の生活の一部として既に溶け込んでいる。信仰は兄が兄であるためにはとても重要なものらしい―――などと他人事のように考えている宮田も一応は眞魚教の信者ということになっている。が、これも医療者の性か、非現実的なものへの関心は薄い。
 自身の信心の程度は横に置いても、求導師という職に心底誇りを持って懸命に生きる兄が宮田は自慢であったし、その生きざまは時に羨ましく思えるほど純粋であった。


 牧野はやはり庭にいた。黒のズボンにスタンドカラーシャツという出で立ちで、ちょうど朝日が射し込んでいる庭の奥、芝が伸びてすっかり草むらになってしまった所に跪き、祈りを捧げていた。
 部屋用の上掛けを着ている自分ですら少し肌寒いのに、あんな薄手のシャツ一枚で寒くないのだろうかと思ったが、声をかけるのが躊躇われるほど兄を取り巻く空気は張り詰めている。
 真剣な眼差しは教会でのそれと寸分違わず、相違点といえば膝まである法衣を着ていないことぐらいだ。
 最近はこの光景や張り詰めた空気も心地よい緊張として感じられるほど、見慣れたものになりつつある。宮田は縁側の窓を静かに開け、その場に座って暫し兄の姿を眺めることにした。


「……牧野さん」
「ああ宮田さん、おはようございます」
 ゆっくり顔を上げたのを見届けてから声をかけると、牧野は地に付いていた膝を伸ばしてこちらを振り返った。
「お祈りですか」
「ええ」
 沓抜石に置いてあったサンダルを引っかけて兄の元へ歩み寄る、流れる外気に乗ってわずかに兄の匂いが香った。
 シャツに包まれた肩に触れると、それは元より外のものであるかのように気温と同じ冷たい手触りを返してくる。
「冷たくなってますね」
「ええ、最近はかなり涼しくなりましたしね。でも自然の中で瞑想する方が御主と一つになっている感覚がします。朝は気持ちもすっきりして集中もしやすくて、お祈りにはとてもいいんですよ」
 牧野はそう言って、曇りのない目で再び村の方を向いた。柔和な笑みにも芯の強さを感じさせる、とても聖職者らしい表情だ。
 このような時、牧野が欲に塗れた自分とは全く異なる境地にいると実感させられる。羨ましいのはこのような時であった。
 一つのものを信じきって全力で目的に向かって生きている兄。
 自分の仕事もやり甲斐がない訳ではないが、家業であったからという理由が大きい。兄は自分と同じく家業を継いで求導師になった。ならばなれるのだろうか、自分も兄のように―――。
 次第に強まる陽光で自在に色を変えていく空と、照らされる村の一帯に何を見ているのか、宮田には分からない。目に見えるものよりもっと遥かな何かを見つめているようにも見える。
 その横顔を黙って見つめていると朝日を受けた牧野の肌が虹色の光彩を放っていることに気がついた。
 まるでこの世の人間ではないかのようだ―――そう思った瞬間、兄が明日にでも別の世界に行ってしまいそうな儚いものに感じられた。

 兄さんも聖書の救世主のように、地上での役目を終えたらどこかに還ってしまうのか?

 最後まで考え終わる前に、宮田の腕は牧野をしっかりと閉じ込めていた。



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