笑って荊を踏む様に。A【孔花】


「言っただろ?…僕はいつでも君の味方だ」

宵闇の中、雲間から覗く一筋の光。
月明かりの中、差し出された手を、彼女は茫然と『これは生と死の間に見る夢』だと思った。
「…し、しょう…?」
口が勝手にそうであってほしいという希望をこめて、言葉を紡ぐ。
久しぶりに発した名前は、小さすぎてほとんど聞こえてこない。それでも、問いかけた先の主は、目元を細めてしっかりとその答えをくれた。
「うん」
その応えに、ゆるゆると鈍い動作で、花はその手をとった。
触れるかどうかという所で、触れれば消えてしまうのではないかと手を止める。

止めた手を、師の手が追いかけるように握りしめる。
ーー握った孔明の手は、はじめ氷のように冷たかった。
カサカサと、乾いた指先。よく見れば、自分の知る師よりずっと顔色が青白い。
(やっぱりこれは、夢なんだ。だけど、信じられないくらいに、リアルに感じる)
だけど、なんていい夢。
先程まで血の通っていないように冷たかった花の指先が、氷が解けるように温まる。
孔明の手もまた、体温を取り戻すように熱を持ち始めた気がした。
握り返されたその温もりは、目を覚ましたら消えてしまうのではないだろうか。

「花、…君の居場所は、何度でも僕があげるよ」

月の光に照らされた、黒装束に身を包んだ見知った人物の言葉に、花は力一杯駆け寄った。
涙は全然出なくて、ただただ存在を確かめるように。
着物の端を踏みつけて転びそうになりながらも、その人物に全身でしがみついてしまいたくて、仕方なくて。

「し、師匠…?師匠、ししょ、う……!」
「…うん。君の、お師匠様だよ」

そう言うと、顔を覆っていた布から見える瞳が、優しく緩められた。
まるで『おかえり』と待っていたように優しく。
嗚咽をあげながら、子供みたいに泣きじゃくる花の頭を小さな子供にするように優しく撫でる指は、たしかに記憶にある、彼のものだった。

抱きしめかえしてほしいのに、その指は遠慮がちに頭をなでるばかりで、もどかしい。
抱きついた彼の体は全身冷えていて、触れ合った部分の素肌が冷たい。
それでも、少しでもその感触を感じたくて、しがみつく力を強めた。
これが夢でないのなら、もっと感じさせて欲しい。

けれど、見上げたその先の顔が、あまりに知っている師の顔よりもずっと綺麗に見えて。
伸びた黒髪が、風に揺れる。
花は、思わず息をのんだ。
途端に、心臓が止まってしまったような感覚。

「ーーそろそろ次の見張りが来る。迎えを呼んであるから、行くよ」

気づかれる前に、逃げないとね。
言われて、この場所が師にとっての敵地であることを思い出す。
もし見つかれば、自分はともかく師がどうなるかわからない。けれど、自分の中に逃げないという選択肢はなかった。
命の危険をおかしてまで、この監獄に師匠が来てくれた。
花は、震える体を無理矢理奮い立たせようと体を離した。
「花、これに着替えて」
もつれそうになる衣装を手早く脱ぎ去ると、孔明がサッと腰に巻いていた黒衣の上着を羽織らせる。
夜の闇に紛れやすいそれは、先程まで師の体に巻かれていた布だと気付いて、胸が疼く。
それを振り切るように、衣装を脱ぎ捨てるように着替える。
今は、とにかくこの場を離れることを考えないといけないーー花ははじかれるように頷いた。

「…っ。花、準備が出来たら言いな。僕は見張りの様子を見てくる」
いきなり下着にまで脱ぎ始めた花から視線を逸らし、孔明は一度息を僅かに詰まらせたものの、ごく自然な動作で体ごと逆方向に向いた。
そんな師の行動に全く気づかない花は、そのまま着替えを進める。
(えっと、帯はこうで…なんか、どうしても腰元と胸元が緩いけど…)
腰紐を締める手が震える。
胸元が強調される孟徳の贈り物の衣類は、紐を解くだけで脱ぐことが簡単にできる、そういう意味の衣類が多い。
脱ぐことは容易にできたが、紐の締め方が解らず焦る花の手元を、さっと公明の手が支える。
「見ないから。…手を上げて。…少し、触れるよ」
背中越しに、胸元の布の合わせに手をかけられる。
触れそうで触れない手が、そのまま腰へ。
下着姿の花の背後で、言葉を発することなく腰紐がするすると巻かれ、衣類を整えられていく。
周りの音は風音以外なにもないのに、耳の奥でお互いの息遣いだけがやけに響いた。
「あ、りがとうございます」
胸元に一瞬かすめた指の感覚が、まだ残る。
ほんの数秒の出来事だったのに、自分の体はこんな時だというのに、嫌になる。
それを悟られないように、花は自身の荷物をひとつだけ握りしめた。
「行こう。君のーー荷物は、それだけ?」
寝台のそばの小さな化粧箱。その中に、制服のリボンと携帯電話のストラップ。
「はい、これだけです。他のものは、えっと、…孟徳さんの部屋か、処分されているかと」
花は言葉を濁した。
制服は焼かれ、本も焼失して、もうどこにもない。
携帯電話本体も、もしかしたら破棄されている可能性もある。
「ーー君の本も、次は必ず取り返す策を考えないとね」
安心させるように、低いヴァリトンボイス。
あまりに当たり前のように言われて、花はぐっと言葉を飲み込む。
もう、本はないんです。そう言わないといけないのに、何故だかうまく言えなかった。
(師匠、私、本を失くしたんですって、ちゃんといつか言わないと)
引かれる手をぎゅっと握り返して、花は監獄から一歩を踏み出した。



続く



この後の展開どうしようパート2
とりあえず黒装束の髪が伸びた師匠が書きたかっただけかもしれない。
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