「ユーシ! 俺結婚するわ!」

 従兄弟が、結婚した。



 まっさらに晴れた空の下。ぴっしりと礼服を着こなして式場の受付に並んだ。明るくて人懐こいあいつらしく参列者の数は凄まじい。ちらほらと中学時代の顔なじみも見えて、懐かしくなった。
 謙也が入籍したのは数ヶ月前。思っていたよりも早く式を挙げることになり、せっかちなあいつらしいとも思った。広いパーティー会場の主役があいつだと思うと、なんだかくすぐったい気持ちになる。

「お、忍足クンやん。久しぶり」
「ああ、白石か」

 手持ちぶたさでいたところ、白石に声をかけられた。大学進学と同時に関西へと越してから、学部は違えど同じ大学に入った為付き合いがあった。白石は四天宝寺のテニス部員と一緒やったようで、後ろの方に見覚えのある連中が戯れていた。

「ほんま、まさか謙也に先越されると思わへんかったわ」
「白石には予定ないん」
「お互いにまだ余裕ないからなぁ。そういう忍足くんは」

 ぷつり、と室内の照明が落ちた。司会進行役が前説を始める。ああ、もう始まる時間なんやと視線をそちらへ移す。新郎新婦入場の合図とともに、スポットライトに照らされた扉が開き、主役の二人が現れた。二人とも、よく見知った人物である。そう、二人とも。



「知り合いなん?」
「ああ、中学と高校が同じやってん」

 謙也に電話で聞かされた時の会話を思い出す。数年ぶりに見た彼女は随分と大人びて、綺麗になっていた。






「忍足くん、おはよ!」

 明るい声でそう言ってくるなまえは、いつも緊張を隠しきれていなかった。毎朝どうにかして俺を探し出して声をかけにくる。決まって頬を染めていた。

「おはようさん」
「今日は彼女一緒じゃないの」
「朝練やったからな」
「そっか、ラッキーだ」

 笑顔で隣を歩く姿を見て、ため息が漏れる。それをいつも気づかないふりをして、俺に話しかけてくるなまえは、とても健気で切なかったように思う。中学で氷帝に着てから高校を卒業するまで、ずっとそうだった。

「なんで毎日俺んとこ来るん」
「えー、好きだからだよ」
「付き合えへんて言ったやろ」
「付き合ってって言ってないもん」
「なんやそれ」

 彼女に言わせれば、少しでも話をしてくれるだけで幸せだったそうだ。恋する乙女とはそういうものらしい。6年間のうち俺が何度彼女を変えてもなまえの態度は変わらなかった。告白らしい告白こそしなかったが、俺のことが好きだということは明白だった。変わったヤツやな、と、思っていた。

「お前、彼氏とか作らへんの」
「なんで? 私忍足くんが好きなんだけど」
「せやから俺彼女おるし」
「いつかその気になるかもしれないじゃん」
「いつか、なぁ」

 正直、苦手だった。まっすぐに感情を向けられるのがそわそわした。だから何度も遠ざけようとした。廊下で見かけたらこれ見よがしに彼女と手をつないだり、話しかけてくるときもその時の彼女の話をしたり、帰り際声をかけられたら、目の前で彼女と合流したり。長いこと好きだ好きだと言ってくるのはなまえだけで、そんななまえの存在が居心地悪かった。他の女子ならさっさと見切りをつけるのに、なんでそんなに俺のことが好きなのか、わからなかった。

 時々見かける、俺以外の奴と笑っている姿を見て落ち着かなくなるのも、わからなかった。

 高校三年の時のバレンタインで、毎年恒例と言わんばかりに大量にチョコレートをもらった。机も下駄箱もロッカーも溢れかえっていた。帰り道、校門の前でなまえが待っていた。

「やっときた。忍足くん、これ本命チョコ」
「今年もえらい直球やな。どうもありがとう」
「受け取ってくれるんだ」
「受け取らへん言うても押し付けるやん」

 そのとき、彼女はいなかった。既に関西の医学部に進学することが決まっていたから、遠距離恋愛回避の為だ。あんまり面倒にはしたくなかった。なまえにも言っていなかった。6年も長いこと付きまとってきたなまえともあと少しの付き合いかと思うと、胸の奥でなぜかチクリと痛みを感じた。

「彼女と別れたんだっけ?」
「まあな」
「相変わらず冷たいなあ」
「こっちの話やろ」
「そうだけど。でも私は好きだよ、忍足くんのこと」
「はいはい」

 なまえはいつも堂々としていた。6年もの間、俺に態度を変えずに。バレンタインの日、珍しく一緒に帰った。バレンタインに男女で帰るなんて、まるで恋人同士のようだと、思った。その日初めて、好きとは何度も言われたものの「付き合ってほしい」と言われたことがないことに気がついた。それに意味があったのかはわからない。

 卒業式の日。制服のボタンはすぐ無くなった。夜はクラスで打ち上げがあるだとか、何日にテニス部の食事会があるとかを話していた。周りは泣いたり笑ったり、担任教師を胴上げしているクラスもあった。そんな中で、なまえは俺の元にやってきた。あれが、最後だった。

「忍足くん、卒業おめでと」
「おん、お前もな」
「ボタン一個もないじゃん。さすがだね」

 なんだかくすぐったかった。いつものような軽々しさがなくて少し困ってしまう。足元のあたりがざわざわとしていた。手の中に握りしめたものをなまえに差し出したときのことを、今でも忘れられない。

「これ」
「え、これ」
「第二ボタン」

 女子からの総攻撃に合う前に、あらかじめ第二ボタンだけとっておいた。貰えると思っていなかったのであろうなまえは目をぱちくりさせながら、驚いた顔をして俺のことを見つめていた。

「いいの?」
「ええよ」
「・・・嬉しい!」

 笑った顔を、可愛いと思った。嬉しそうにボタンを見つめる姿は子供のようだった。頬を染めた彼女の顔をもう見られないと思うと、寂しくもなった。

「卒業証書代わりだね」

 ぽつりと彼女が呟いた言葉の意味を、すぐには理解できなくて、そのときは聞き流していた。

 6年もの間、ずっとくっついてきたなまえのことを、遠ざけようとしつつも完全に拒否はできなかったこと。チョコレートを毎年受け取ってそれだけは食べきっていたこと。そのとき彼女がいても試合中なまえの声ばかり耳についたこと。第二ボタンをなまえにとっておいたこと。ふとした笑顔を可愛いと思って時々思い出していたこと。全て、全て答えだったはずだった。認められなかった。6年も猶予があったのに、臆病な心が邪魔をし続けていた。

 大学進学と共に関西へ引っ越して、卒業までは関西に住んでいた。その後東京にある親父の大学病院に配属することになりまた東京へと戻った。街を歩いてるときいつも何かを探していた。何を探しているのか、わかっていないふりをしていた。

 謙也からの結婚報告を聞いたとき、なまえの名前が出たときは正直冗談だと思った。同姓同名の誰かだと思ったのに、送られてきた写真に写っていたのはよく知った彼女だった。俺が就職で東京にきたのと入れ違いで、彼女は関西に越していたらしい。全く知らなかったと言う話を岳人にしたら、岳人はそれを知っていた。

「なんで教えてくれへんかったん」
「聞かれなかったし」
「・・・せやな」

 数日前、岳人と久しぶりに飲んだ。岳人は学生時代なまえと仲が良かったから、結婚の話も聞いていた。岳人となまえの話をするのは、これが初めてだった。

「・・・侑士はさ、臆病だっただけだよ」
「俺が?」
「いろんな奴と付き合うくせに、あいつにだけは手を出さなかった。出せなかったんだ。本当に欲しいモン手に入れて、失うのが怖かったんだろ」

 真剣な声色だった。俺の中で何かが音を立てて壊れていった。
 俺のことを好きでいるなまえが俺のことを好きじゃなくなるのが怖かった。関西に引っ越すということを打ち明けられなかったのは、悲しむ顔を見たくなかったし、あっさり受け入れられるのも怖かった。付き合うのは簡単だった、でも全て見せて嫌われるのが怖かった。結局俺の中で、一生忘れられなくなってしまった。




 来賓者が次々新郎新婦に声をかけにいく中に混じって、彼女に声をかけた。足が震えていないか心配になる。顔に出ていないか、冷や汗をかいた。

「おめでとうさん」
「わ、久しぶり・・・! 従兄弟って本当だったんだね」

 驚いた顔をしたなまえは、大人びてもちゃんとあの頃の面影を残していた。昔に戻ったような感覚になった。でも、確かに時は経っていて、左手の薬指には指輪がはめられている。

「俺んこと覚えとったんやな」
「当たり前でしょ、初恋の人だもん」

 引け目なくそう言ってのける彼女を何も変わっていないと思いながらも、その笑顔に全くの未練も感じられなくて切なくなった。俺のことが好きだったなまえはすっかりいなくなっていて、代わりに幸せそうな花嫁がそこにいた。

「ここで今、好きやって言ったらどないするん」
「・・・10年前に聞きたかったなー、って言う」

 いたずらっぽく笑う彼女に、本当に言ってやりたくなる。でも、喉につかえてそのまま飲み込んだ。きっと何度も傷つけた。目の前にいるなまえは本当に幸せそうで、きっとこのまま二人で幸せになるんだろうと、思う。

 第二ボタンを、卒業証書だと言った。彼女はもしかしたら、俺の関西行きを知っていたのかもしれない。彼女自身、俺への思いをあの6年間で終わりにしていた。彼女はきっぱりと、俺への気持ちをあの日に置いてきたのだろう。
 強いな、と思った。どれだけ俺が傷つけてもまっすぐに気持ちをぶつけてきて、引きずらずいつも前を向いていて。彼女は幸せになるべきだ。俺が傷つけてきた分、そうあるべきだろう。
 きっとこの思いを俺は一生忘れない。これは臆病な俺への、当然の報いだった。

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