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桜、遠野へ行く [ 48/259 ]
一向に戻ってこない藍を恋しがって泣く桜に、ぬらりひょんは頭を悩ませた。最初は藍が作ったウサギの人形で誤魔化していたが、それはもう通用しない。
「ママァーママァー」
大きな目からは、大粒の涙がボロボロと零れている。
「藍は、お仕事に行っておる。大人しく父様と待つと約束したじゃろう?」
「ママの…におい、がきえちゃた…のっ。…さっき、まで…してたの。…ママ…どこいっちゃったの?」
藍が奴良邸を発ってから既に三時間は過ぎている。匂いが消えたとは一体どういうことか。藍の身に何かあったのかもしれない。
鴆の部下が護衛についているのだ、滅多なことは起こらないはず。
「桜、夕方になって戻らなければ迎えに行けば良い」
「いま、ママをおむかえにいく!」
「そんなことしたら、藍が悲しむぞ。約束破りはいかん。藍を信じろ。お前は藍の娘じゃろう」
ぬらりひょんの言葉に、目尻に涙を溜めた桜がコックリと小さく頷いた。
「とーしゃま……」
両手を伸ばし抱っこを強請る桜に、ぬらりひょんはフッと笑みを浮かべ彼女を抱き上げた。
「桜は良い子じゃのぉ。どれ藍が戻るまでの間、ワシと散歩しような」
「あい」
ぬらりひょんは、散歩と称し無銭飲食をし後にそれが藍にバレこっぴどく叱られるのは少し先のお話である。
夕方になっても、藍が戻ってこないことに一抹の不安を覚えたぬらりひょんは約束通り桜を連れ彼女を迎えに行くことにした。
「カラス、藍を迎えに行ってくる。朧車を用意してくれ」
「お一人でですか?」
「いや、桜も一緒じゃ」
桜を抱き上げながら宣うぬらりひょんに、烏天狗はハァと溜息を吐いた。リクオといい、ぬらりひょんといい藍が絡むと人が変わったように暴走する。
四百年前、瑞姫が居たころを髣髴とさせる姿に烏天狗の心労は更に増した。
「分かりました。くれぐれも遠野で暴れるようなことはなさらないで下さいね」
「さあのぉ……藍に何かしとったら保障はできん」
飄々とした顔で何とも物騒なことを宣うぬらりひょんに烏天狗は顔を引きつらせる。
「総大将、遠野から使者が来てますがどうしますか?」
話が終るのを待っていたのか、首なしがおずおずとぬらりひょんに話しかけた。
「遠野の者か……丁度良い。通せ。ワシも話がある」
「はい」
首なしは、ぬらりひょんに一礼すると遠野の使者を呼びに行った。
「桜、藍に会いに行くのは少し待てるな」
「ママ……」
「ママのことを知ってるやつが来とる。話をしたら迎えに行こう」
少し視線を彷徨わせた後、桜はギュッとぬらりひょんの袂を握り締め小さく頷いたのだった。
ぬらりひょんの部屋に通された使者は、単刀直入かつ簡潔に藍の処遇を話した。
「薬鴆堂のから遣い出来た娘は、薬草が揃うまで暫く遠野に滞在する。客人と扱うゆえ、安心しろ」
尊大な言い方に、ぬらりひょんは眉を顰める。
「薬草の受け渡しだけのはずだ。何故、期日までに揃ってない?」
「……遠野の不手際だ」
苦虫を噛み潰したような顔をする使者に、ぬらりひょんは溜息を吐いた。自らの非を認めたくないのだろう。態度にありありと出ている。
「だから客人か。話にならんな。桜、藍を迎えに行くぞ」
「あい」
膝に抱いていた桜を抱き上げ、庭先で待機していた朧車に乗り込むと、烏天狗の静止も聞かず行き先を告げて出立した。
「ママにはやくあいたい」
じんわりと涙を溜めながら藍を恋しがる桜に、ぬらりひょんは頭を軽く撫でた。
藍にべったりの桜が、頑張って半日も離れていたのだ。褒めてやるべきだろう。
「桜は良い子で藍を待ったんじゃ。後でいっぱい褒めてもらうな」
「しゃくら、いいこ?」
「ああ、良い子じゃ。流石ワシの娘じゃ」
「えへっ〜」
ニコォと嬉しそうに笑う桜を抱きしめながら、ぬらりひょんは一人遠野にいる藍に思いを馳せたのだった。
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