小説 | ナノ

少女、遠野へ行く [ 44/259 ]


 事の始まりは、鴆の一言からだった。
「おい、例の薬草届いてるか?」
「いえ、まだ届いてませんね」
「チッ、毎度毎度納品遅れるたぁどういう神経してんだあの馬鹿。こっちが行けねぇってんで依頼してんのによぉ。これから定期交換の時期に入るってのに……」
 イライラした様子の鴆に、薬品の補充をしていた手を止め私は首を傾げる。
「どうされたんですか?」
「ん? ああ、遠野の奴に頼んだ薬草がまだ届いていないんだよ。あれが無いと良質の傷薬が作れねぇ」
 ガリガリと頭を掻きハァと溜息を吐く鴆に、私は少し考えて提案した。
「私で良ければ取りに行きますよ?」
 鴆や天台のようにこの薬鴆堂で主力として働いているわけではない。比較的自由に動ける。
「駄目だ。荒くれ者たちが住む里に人間のお前を向かわせれば身の保障は出来ない」
「出入りの時に、お薬が切れるようなことがある方が大変です。鴆様が取引なさるところです。無闇に人を襲うような方はいらっしゃらないでしょう」
「そうだが……」
「彼女にお願いしましょう。私も付いていきます。里には、私だけが入りますので危険は少ないでしょう」
 天台の後押しで、私は遠野へ薬草を取りに行くことが決まった。


 週末、私は天台と共に遠野へ行く事となった。遠野は寒いということで、厚手の羽織を手に出立の準備を進めていると桜が何かを察したのかピッタリくっ付いて離れない。
「どうしたの桜?」
「ママ、どこにもいかないよね?」
 鋭い。桜の不安げな目に私は困った。泣かれて出発が遅れるのは避けたい。
「ママは、これからお薬を受け取りに行くの。少し遅くなるけど、桜はこのウサちゃんと一緒にお利口で待っててね」
 等身大のウサギのぬいぐるみを桜に渡すと、少しぐずったもののコクンと小さく頷いた。
「ママと同じ匂いがする」
 キューッと抱きしめて匂いを嗅いでいる桜に私は苦笑いを浮かべる。私には良く分からないが、桜は匂いに敏感なようだ。
「父様のところへ行こうか」
「あい」
 桜の手を取り、ぬらりひょんのところへと向かう。リクオが、遠野へ行くのを知ればまた五月蝿いことになりかねないからだ。
 ぬらりひょんの部屋の前で立ち止まり外から彼に声を掛ける。
「藍です。お邪魔しても宜しいでしょうか?」
「ああ、入んな」
 廊下に膝をつき襖を開ける。
「失礼します」
と声を掛け桜を中に入れた後、私も部屋の中に入る。胡坐を掻きながら煙管を吹かすぬらりひょんの姿に、私は呆れた目で彼を見てしまった。
「……着崩すのは構いませんが、肌蹴過ぎで御座います」
 胸元全開はヤバイでしょう。そう言えば、京の出入りの時もそんな格好をしていた気がする。
「良いじゃねぇか。それとも、藍が直してくれるって言うのかい?」
 煙管盆に手をかけながらニヤッと笑うぬらりひょんを軽く睨みつける。
「直さないといけなくなる着方をしないで下さい」
 ピシャリと叱ると、ぬらりひょんはクツクツと笑みを零している。私の反応が楽しいのだろうが、本当彼といいリクオといい人をからかうにもほどがある。
「遠野へ薬を取りに行って参ります。その間、桜を見て頂きたいても宜しいでしょうか?」
「遠野は危険じゃ。そもそも、藍が行く必要はなかろう」
 遠野行きに難色を示すぬらりひょんに、私は首を横に振った。
「今、手が空いているのは私しかいません。遠野の薬草でなければ良質の傷薬が作れないのです。定期交換に入る前に、どうしても薬を揃えなければなりません。危険は承知しております。鴆様が信頼を置いて取引されているところで御座います。無闇に人を襲うような方はいらっしゃらないと信じております」
「じゃが、万が一という事もある。別の者に取りに行かせれば良いじゃろう」
「薬の知識がある程度必要に御座います。遠野へ行きますが、里に入るのは天台さんだけです。私は外で待つので危ないことはありません」
 私が、揺らぎない意思で遠野へ行くと言うとぬらりひょは大きな溜息と共に小柄を差し出した。
「いつ、何が起こるか分からん。これを持っていけ」
 桜の浮き彫りが施された小柄に目を奪われる。華美ではないが、相当値のするものだと素人の私でも分かる。
「これは?」
「祢々切丸同様に作られた退魔刀じゃ。かつて瑞姫が持っていた。藍、お前なら扱えるじゃろう」
「ありがたくお借りします」
 小柄を受取り、私はぬらりひょんに一礼した。
「無事に帰って来い」
「はい。桜、父様のところでいい子でお留守番するのよ」
「あい」
 ぬらりひょんから借りた小柄を帯びに挿し、私は迎えに来ているであろう天台の元へと向かった。

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