小説 | ナノ
十弐夜 [ 88/218 ]
「あっ! 目を覚ました。大丈夫? 痛いところは無い?」
泣きそうな顔で覗き込んでいる昌浩に、自分が部屋に帰ってきた事を知る。
「顔近い」
肩から腹にかけて斜めに切られたのだ。痛まないはずがない。
「ねえ、何で…ひろ兄がここにいるの? 高淤様のとこに行ってたよね?」
傷のせいで発熱しているのか、佐久穂の口調が少し幼い。
「じい様から式文が飛んできて知らされた時は、心臓が止まるかと思ったんだぞ。高淤神も戻れって言ってくれたから戻ってきたんだ」
ここ数年、京都の治安はあまり良くない。晴明も何かを感じ取っていたようで、昌浩を単身で京都へと送り込んでいた。
京都には、花開院家がある。妖怪を完全な悪とみなし、徹底的に滅するという思想に傾倒している節がある。
そのせいか、首都に居を構える安部家と対立関係にあり、お互い良い感情を持っていないのだ。
「だからって……ホイホイ戻ってきたらだめでしょ。何が起こるか分からないのに……」
「今すぐどうこうなる…って事はないと思うよ。腐っても陰陽師の端くれがいるんだから」
黒い笑みを浮かべて、そう評価する昌浩に佐久穂は相変わらずだなぁ……と笑った。
「天一が、傷を請け負おうとしたらしいんだけどね。佐久穂、無意識に拒んだでしょう。泣いてたよ」
「天一の美しい肌に傷がつく方が、私が泣くわ! でも、包帯でグルグル巻きってちょっと嫌ね」
痛みと熱でボーッとする。額に乗せていた濡れタオルを交換し終えた昌浩は、氷嚢を持ってくると言って出て行った。
暫く床に伏せそうだと思っていたら、プルルと携帯電話が鳴った。
サブディスプレイには、知らない番号からだ。
「……はい、どちら様ですか?」
「あ、あの…リクオです。怪我の具合は、どうですか?」
酷く落ち込んだ声が、電話口から聞こえてくる。
「暫くは、床に伏せる事になりそう」
正直に答えると、リクオは声を震わし謝ってきた。
「ごめんなさい。僕が、もっと強ければ怪我なんてさせなかったのに……」
「この程度の怪我なんて、陰陽師やってれば日常茶飯事なのよ。怪我の分も割り増しして請求するから、君もしっかり傷を治すこと!」
「……はい」
明るい声を出してリクオを慰めるが、後悔の念が強いのか声が沈んでいる。
「鴆殿の薬なら直ぐ治ると思うの。傷薬と熱さましの薬調合して届けて貰っても良いかな? 勿論、薬代は出すわ」
「直ぐ届けてもらうように手配します!」
「ありがとう。助かるよ」
それから他愛もない会話を少しして、佐久穂は電話を切った。また上がり始めた熱に、佐久穂は目を閉じ意識を飛ばした。
夜、リクオに頼んでた薬が届いた。届け人は、リクオ本人である。
ぬらりひょんの孫だけあって、家に張ってある結界を難なくすり抜けてきた。
「邪魔するぜ」
ガラリと襖を無遠慮に開け、許可もなくズカズカと入ってきたリクオに佐久穂は諦めの極致を悟る。
「あんたと良い、ぬらりひょんと良い。本当に図々しいわね。部屋に入る許可を出した覚えないんだけど?」
軽く睨みつけると、リクオはさも当然のように布団の横に腰を下ろした。
スッと伸びた大きな手が、佐久穂の額を撫でる。
「……熱いな」
「まあね。あれだけ大きな傷だもの。仕方が無いわ。……四国の連中は、どうなったの?」
「あんたのお陰で助かった妖怪が沢山いた。玉章は、条件付きで手打ちにした」
「その条件って?」
「犠牲になった者たちを必ず弔って欲しい」
昼のリクオらしい条件に、佐久穂は思わず笑みが零れた。
「そっか……良かった」
「お前って、本当に変な女だな」
微苦笑を浮かべ愛しいものを見るようなリクオの目に、佐久穂はドクリと胸が高鳴った。
普段見ているからかいを含むそれとも、畏れを纏っているときのそれもと異なるものだ。
「変な女で悪かったわね」
「悪くねぇ。褒めてんだよ」
「……嬉しくないわ」
プィと顔を背ける佐久穂に、リクオが笑う気配がした。
「熱も高いようだしな。そろそろ帰る」
えっ? と思わずリクオの方を向き直した佐久穂の目の前には、彼の顔があった。
唇を重ねるだけの口付けに、身体が動かなかった。
「使いの駄賃にしちゃあ物足りねぇが、今日のところはコレで我慢してやるよ」
唇を親指で名残惜しげに撫で、薬を枕元に置くと帰っていった。顔の火照りが収まらない。
リクオを好きになったら、絶対苦労するのは分かっているのに、ドクドクと五月蝿い心臓に佐久穂は泣きそうになった。
「……好きだなんて言えないよ」
ポツリと呟かれた佐久穂の本音は、静かに闇へと消えた。
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