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壱夜 [ 77/218 ]


 延喜21年1月11日、稀代の陰陽師よ現代でも語り継がれる男がいた。
 彼の名は、安部晴明と云い鎌倉から明治初期まで陰陽寮を統括した土御門家の祖でもある。


 20XX年、4月8日。安部邸は、末孫娘の浮世絵高校入学にいつにも増して賑やかだった。
「佐久穂様、起きて下さいっ!!」
 布団の中で深い眠りについている彼女を起すのは用意ではなく、いつもなら鮮やかな手並みで起してくれる小さな物の怪の姿はない。
 それもそのはず、一つ上の兄・阿部昌浩の護衛についている。運悪く入学式の準備係要員に任命された彼は、先に学校へ行っている。
「あと、5…ふん……スー」
 いつまで経っても起きない佐久穂に、起しに来た彼女はガックリと肩を落とした。
 優雅に結い上げた陽の光のような金の髪を揺らし、晴れ渡る冬空や淡く凍てついた湖にも似た色の瞳は、憂いを帯びている。
「ああ、もう時間がないのに……」
「天一退いていろ。私が叩き起す」
「勾陳、お願いします」
 勾陳は、焦る天一の肩を叩きズカズカと部屋に入りまだ布団の中で夢を見ている佐久穂の前で仁王立ちになり、布団を掴むとひっぺがすと廊下へ放り投げた。
 文字通り叩き起こされた佐久穂は、寝ぼけ眼で辺りを見渡し何があったのかとビックリしている。
「いい加減起きろ。入学早々に遅刻したいか?」
 天一とは対象的に、肩に付かない位置で切りそろえた漆黒の髪を耳に掛け、濡れたような黒曜の瞳が佐久穂を睨み付ける。
 ドスの効いた声に、佐久穂は心底震えながら土下座した。
「ごめんなさい。直ぐ支度します!」
 常に冷静沈着で傍観者を徹する彼女を一度怒らせると、ハッキリ言って怖い。
 晴明だけでなく、他の式神達から色々と聞き及んでいるせいか、『勾陳だけは怒らせてはならない』と幼心に誓ったのだ。
「布団は片付けておきますので、お召し物にお着替え下さい」
「飯は、居間に用意してある。早くしろ」
「ありがとう」
 有能な神将二人に、佐久穂は礼を述べ真新しい制服に袖を通し身支度を整えた。


 浮世絵町――妖が最も多く出没されると言われる町である。
 陰陽師の家系に生まれた因果なのか、佐久穂自身もその血を色濃く受け継ぎ兄の昌浩と共に甚くとある神に気に入られてしまっていた。
 広大な敷地を誇る旧家には、人よりも式や式神が多く暮らしている。
「ごはん、ごはんっ!!」
 スパーンッと襖を開け中に飛び込んできた佐久穂が目にしたのは、浮世絵町を拠点とし奴良組の総大将であるぬらりひょんが、我が物顔で自分の朝食を食べていた。
「私のごはーんっ!! このクソじじい、人の飯食うな!」
 胸倉を掴みガクガクと揺さぶる佐久穂に、隣で静かに食事をしていた祖父の晴明はちゃっかり自分だけ非難している。
「お前さんが、大切な日に寝坊するのが悪かろう」
 余裕綽々な顔して正論を突きつける彼に、佐久穂はウッとつまり首を絞め居ていた手を緩めた。
 それを見逃すような馬鹿ではないぬらりひょんは、膳を持ち上げ佐久穂と距離を取ると朝食を腹に収め綺麗になった膳を佐久穂に渡した。
「……おのれ、毎度毎度毎度…私のご飯を食べやがって。今日という今日は許さないんだから! そこへなおれ、払ってやるわ!!」
 札を取り出した佐久穂に、低く通る声が静止をかけた。
「いい加減にせんか。まったく、十五にもなって騒々しい。ほれ、時間じゃぞ。早く学校に行かんと遅刻するな」
「クッ……いつか、絶対、必ず払ってやる」 
 空になった膳をぬらりひょん目掛けて投げつけ、ドスドスと音を立てて居間を後にした。
 靴を履き時計を見ると、本格的にやばい。
「ゲッ、時間がない」
 全力疾走してもギリギリの時間だ。汗だくで入学式を迎えるのは嫌だが、早々の遅刻はもっと嫌だ。
 浮世絵町駅を目指し走っていた佐久穂は、十字路で人とぶつかる羽目になる。
 それが、後に三代目ぬらりひょんを継ぐ孫・奴良リクオとの出会いになるとは予想もしていなかった。


 全力疾走していた佐久穂に対し、リクオも全力疾走していたためか、行き成り飛び出てきた彼女に対応しきれず激突した。
「うわぁあああっ!」
「ゲッ!!」
 反射的にリクオを受止める形で衝撃を殺そうとしたが、女の佐久穂に突進してきた相手を受止めるだけの力はなく軽く吹っ飛ぶ形となった。
 鉄のさくに背中をぶつけ二人して地面に倒れ込む。
「いったぁー」
 痛がる佐久穂だったが、彼女の声を掻き消すかのような大きな声が被さってきた。
「若様っ、大丈夫ですか?」
 ベリッと音が出るんじゃないかと思うくらい、腕の中にいたリクオを引っ張り出し安否を気遣う少女に少年は困った顔で頷いている。
「若様に何さらすんじゃ!」
 厳つい顔をした長身の男に、佐久穂は素直に謝罪を述べた。
「ごめん、急いでたんだ。君、怪我とかしてない? 痛いところは?」
「あ、いえ大丈夫です」
「そう、良かった。もし具合が悪くなったりしたら、ここに連絡して」
 生徒手帳を取り出し、メモのページを破き携帯の番号を書き記すと彼の手にそれを渡した。
 ポケットから取り出した年代物の銀時計。時刻は、8時16分を示している。
 完全に遅刻を悟った私は、ガックリと肩を落とし後で怒りの鉄槌が落ちるのを覚悟する。
 スカートの裾を払い、放り投げられた鞄を広い去ろうとした佐久穂を呼び止める声がした。
「あの…名前は?」
「安部佐久穂。君は?」
「奴良リクオです。助けてくれてありがとう御座いました」
 奴良と聞いて顔を顰めた佐久穂だったが、目の前の彼がそうとも限らないと言い聞かせる。
「……どう致しまして」
 それだけ言うと、佐久穂はリクオと別れ学校へと向かったのだった。
 その後、佐久穂の予想通り盛大に叱られるイベントが発生したのは言うまでもなかった。

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