小説 | ナノ

触れた手のひら.5 [ 43/145 ]


 子供を宿したと知った私は、素直に喜べなかった。恋しい彼の子を授かったのは嬉しいことだ。
 でも、生めば死は免れない。出産は心臓に負担が掛かる。常人でも命を落とすものもいるのだ。
 子供を生んだ後、その子の行く末が心配でならなかった。そんな不安定な私の状態に、朗報と訃報が一緒に舞い込んだ。
「ぬらりひょん様が、羽衣狐に勝ったぞ。京一の美姫を連れ帰ったんだと。流石、総大将! やることが派手だな」
 自分の事のように笑う牛頭丸に、私は気分が悪いからと部屋を出てもらった。
 喜ぶべきなのだろうが、先のことを考えると私の存在は非常によろしくないものだろう。
 牛鬼の好意で身を寄せさせて貰っているが、もう甘えるわけにはいかない。
 幸い、お腹はそんなに目立っていない。今なら、まだ逃げおおせることが出来るだろう。
 後日、私は牛頭丸にぬらりひょんの贈物を送りたいから買い物に付き合って欲しいと誘い捩眼山を降り、町で迷子を装って逃亡した。
 牛鬼から貰った路銀だけを頼りに、行けるところまで行った。
 行き着いた先は、江戸から目と鼻の先にある小さな宿だった。路銀も尽きた私を助けてくれたのは宿の女将さんで、職と宿を提供してくれた。
 腹の中に子供がいることも、身体が弱いことも、身寄りが無いことも全部聞いた上で助けてくれたのだ。
 身体に負担が掛からない程度で働ける環境に、私は感謝の言葉をいくら述べても尽きない。
 徐々に目立ち始めたお腹を擦りながら、偶にの休日には江戸をお見下ろせるあの丘へと来ていた。
 魑魅魍魎の主になった彼が好きだった場所。
「ねえ、鯉伴。私の愛する場所が、あそこにあるの。いつか、貴方が大きくなったら自分の目で確かめに行ってね」
 独り言を呟くのは、もう癖になってしまった。
「私は……もう、行けないから」
 江戸に戻る勇気も、ぬらりひょんの前に姿を現す勇気も私にはない。
「何故行けないんじゃ?」
 背中から腕が回り閉じ込められる。嗅ぎなれた懐かしい香りに私は目を見開く。
「やっと捕まえた。牛鬼から聞いたぞ。腹の中に子がおるんじゃとな」
「ぬらりひょん様の子ではありません」
 声が震えてしまわないか気が気じゃない。強勢を張る私を彼は意図も簡単に崩す。
「嘘吐け。どう計算しても、ワシ以外ありえんじゃろう。やっと、佐久穂の身体を治せる奴を見つけたというのに肝心のお前は雲隠れと来たもんだ。挙句の果てに逃げやがる。何のためにワシが魑魅魍魎の主になったのか全然分かっとらん」
 文句の嵐に私は唇を噛締める。気を抜くと嗚咽が零れ落ちそうになるからだ。
「……魑魅魍魎の主になられたこと、真におめでとう御座います。珱姫様と末永くお幸せに過ごされることを心よりお祈り申し上げます」
 一息で詰まらずに言えた自分を褒めたい。もう、会うことはないだろうと彼の腕を外そうとしたら怒気を孕んだ声で怒鳴られた。
「まだ、そんなことを言うのかっ! ワシが惚れとるのは、後にも先にも佐久穂だけじゃ。珱姫は、お前の身体を治せる唯一の人間。本当は、あの日…お前の身体を治してもらうつもりだった。急に居なくなったことを知ったワシの気持ちを考えたことがあるのか? 牛鬼が教えてくれなければ、諭してくれなければワシはこの手でお前を奪い閉じ込めていただろう」
 強まる彼の腕に私はハラハラと涙を零した。都合の良い言葉が聞こえる。私は、彼を愛して良いのだろうか。不安で不安でたまらないといった私を、ぬらりひょんは何度も言い聞かせるように抱きしめながら諭すように愛を語る。
「珱姫が羽衣狐に攫われた後、奪い返しに行ったのも全て佐久穂を治したい一心だ。その時に、魑魅魍魎の主の座も一緒に頂く形にはなったがな。腹に子供が出来たと知った時は、嬉しかった。全てが片付き会いに行ったら、おぬしは逃亡した後で腸煮えくり返ったぞ。手当たり次第探した後、ワシは探すのを止めた。止めて待つことにした。ワシに惚れておるなら、必ずこの丘にくると思ったからのぉ。そして、やっと捕まえた」
「ぬらりひょん様……」
 私は身じろぎし身体を反転させた後、向き合う形でぬらりひょんの顔を見る。少しやつれた感じがする。
 頬に手を伸ばすと、手を掴まれ指を絡められた。逃がさないと言われているかのようだ。
「佐久穂、ワシと夫婦になろう」
「私は……」
「答えは、是しか聞かんぞ。一度、ワシとの約束を破ったんじゃ。ワシのいう事を一つくらい聞け」
 彼が魑魅魍魎になる瞬間を隣で見届けるという約束を彼は言っているのだろう。
「ぬらりひょん様は……私で、良いのですか?」
「お主のことは、ワシが守る。だから安心して嫁に来い」
「はい……」
 私は、目尻に涙を滲ませながら彼の言葉を受け入れた。


 ぬらりひょんに連れられ江戸に構える奴良邸で、盛大に怒られる行事が待ち受けていました。
「あんたねーっ、どこ行ってたのよ!! どれだけ総大将がウザかったと思うの! 本気で死ねと思うくらいウザイのよ。ご飯は不味いし、酒は不味いし、お菓子はないし、本当最悪!!!」
 雪女に抱擁されたかと思うと、凡そ八つ当たりに近い愚痴を聞かされる。
「確かにウザかったな。やっと美味い飯が食える。心配掛けさせんな、糞ガキ」
 ペシンと一つ目に頭を叩かれ、
「つーか、元はと言えば総大将の甲斐性なしが悪いんじゃね?」
と狒々の突っ込みをぬらりひょんは無視しながら、私を雪女から引き剥がし抱きしめた。
「てめぇら散れ! これから、ワシと佐久穂はイチャイチャするんじゃ」
「ふざけんじゃないわよっ!! 不味い飯を食えっての? 佐久穂には、ご飯作ってもらうんだから!」
 キーッと雪女がヒスを起こし、それに便乗する下僕達の意見に結果ぬらりひょんは押されて、泣く泣く引き剥がされることとなった。
 久しぶりに立った台所で腕を振るった後、色んな妖に小突かれて泣かれて私は心がホッコリ温かくなった。
 珱姫と引き合わされ、彼女に病を治して貰い無事に鯉伴を生むことが出来た。
 珱姫も私も同世代の女性というのは初めてで意気投合し、結果ぬらりひょんにヤキモチを焼かれて怒られる。
 もっと素直になっていたら、早くに彼と幸せを分かち合えていたかもしれない。
「ぬらりひょん様、愛してます」
 彼がくれる言葉を待つより、私は愛の言葉を紡ぐ事を選んだ。いつの日か私に「幸せか」と聞いた。今、貴方は私と共に歩んで幸せですか?

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