小説 | ナノ

触れた手のひら.3 [ 41/145 ]


 出会った頃から四年、私は少女から女へと変わった。背も伸び胸も膨らんだ。十八になり、私は一生結婚しないでぬらりひょんに仕えるものだと思っていた。
 夜、月を見ながら縁側で酒を楽しむぬらりひょんに、呼び止められ彼の隣に腰を下ろし一緒に月見を楽しんでいた。
「月が綺麗じゃな」
「ええ、そうですね」
「……佐久穂」
「はい、何で御座いましょう?」
 いつもとは違うぬらりひょんの様子に、私は首を傾げながらも耳を傾けた。
「今、幸せか?」
「ええ、幸せで御座います。あの時、出会わなければこの幸せに気付く事無く逝ってしまったでしょう」
「そうか……ワシは、京へ行く。魑魅魍魎の主となりにじゃ」
 前々から言われていた彼の目標。妖を束ねる長になり、人と妖が共存できる世界を作りたいと言ったぬらりひょん。ぬらりひょんを愚かだと笑うものも居た。
 私は、彼ほどの男が愚かとは思えなかった。人である私を助け受け入れた彼を愚かではなく懐の大きな妖だと心底思う。人でも大きな懐を持つ者はそう居ないだろう。
「京に発たれるのですね。魑魅魍魎の主になる日を私は心よりお待ち致します。ぬらりひょん様なら、魑魅魍魎の主になれるでしょう」
「一人待っているみたいな言い方じゃな」
 憮然とした彼の顔に、私は言葉を詰まらせ目を伏せる。本当は、一緒に連れて行って欲しい。でも、私は心臓に爆弾を抱えるお荷物でしかない。
「足手まといになりますでしょう。私は、どこへ居てもぬらりひょん様が魑魅魍魎になられることを祈っておりますよ」
「祈らんで良い。ワシの傍で魑魅魍魎になる瞬間を見届けろ」
「え?」
「お主のことは、ワシが守る。安心して着いて来い」
「……はい」
 言葉なんて要らなかった。ぬらりひょんが、私を必要だと言うのならそれに応えたかった。
 その夜、彼の腕の中で私は女になった。


 京入りを果たした私は、島原に構えた屋敷で齷齪働いていた。毎夜妖狩りをするぬらりひょん達のために、鴆と共に傷薬や包帯を作る。
 少しでも彼の心が癒される空間作りに勤しんだ。それが重荷になっていたのだろう。次第に、彼は夜の街を彷徨うようになった。
「お帰りなさいませ。湯殿の準備は出来ております」
 妖の返り血を浴びたぬらりひょんに手拭を渡すと、彼はそうかと呟き湯殿へと向かっていく。
 江戸に居たときよりも会話が減った。私を見ることも少なくなった。
「……あんま、気にすんな」
 ポンと頭を軽く撫でる狒々に、私は力なく笑みを浮かべる。
「……はい」
「京は、食うか食われるかの世界だ。総大将もそれが分かっているのか、少々神経質になっていらっしゃる。佐久穂が居なければ、もっと酷い状態だっただろう。お前は、よくやってる」
 労う牛鬼の言葉は、私の心には何も響かなかった。私も心を閉ざしていたのだろう。
「私は、大丈夫です。皆様も湯殿で汚れを落として下さいませ。新しいお召し物をご用意致します。さあ」
 私は、彼らを追い立てるように湯殿へと誘導した。
 言葉通り、彼らの着替えを準備して汚れ物と交換させて貰う。洗濯が大変だが、少しでも快適であれば苦にならなかった。
 洗濯物を纏めた後、ぬらりひょんの褥を作ろうと部屋に入ったら、既に彼が煙管を吹かせながら月を眺めていた。
「今、お布団を引きますね」
 私は、一声ぬらりひょんに掛けた後、布団を敷き褥を作る。
「佐久穂……」
 久々に呼ばれた名前に、ドクリと胸が高鳴る。
「はい、何で御座いましょう」
「抱きたい」
 率直な欲望を口にするぬらりひょんに、私は顔を赤らめる。心臓を患っている私には、抱かれることは負担になる。それでも、求められるなら抱かれたい。
「抱いて下さい」
 求められるままに身体を明け渡した私は、体調を崩すという結果を招いた。ポンコツな身体をこれほど呪ったことはなかった。


 奴良組の名前が知れ渡るようになって一年。以前のようにギスギスした感じは無くなったが、彼を満足させられない私は夜な夜な外へ歩く彼を止めることなど出来なかった。
 時々、ぬらりひょんから別の香が鼻腔を擽った。誰かと会っているのは明白で、それでも追求することはしなかった。
「そう言えば、京一の美姫がいるらしいぞ。何でも手を翳すだけで病が治るらしい」
 そんな事を納豆小僧達が話しているのを聞いていたぬらりひょんは、在ろうことかその美姫に会いに行った。
 一度ならまだ良かったものの、毎夜その美姫の元を訪れるぬらりひょんに、私は今度こそ恋は終ったのだと悟った。
 珱姫の元から戻ってきたぬらりひょんの顔は、いつもより晴れ晴れとしている。
「お帰りなさいませ」
「佐久穂か、明日珱姫を連れて来る。宴会の準備をしてくれ」
 上機嫌で言う彼に、私はただ一言「はい」と返した。

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