01
なんの変哲も無い日だった。強いて言うなら、少しだけ風が冷たかったか。けれどそれも、言われてみればそうかもしれない、という程度のことで、結局はなんら変わらない日常だった。 そんな日、平和が根強く蔓延る街にて。当然いつもの通りに賑わっている街の大通り、景気の良い声や笑顔の中をすり抜けるように歩く男が一人。 彼は、紫煙を吐き出しながら気の向くままに歩いているようだったが、不意に立ち止まって振り返った。しばらく視線を巡らせて、しかしそのうち興味を失ったようにまた歩き出し、するりと路地に入り込む。そうして、振り返り――後ろについて来た気配に、素早くナイフを突き付けた。
「…俺に、何か用か?さっきから後をコソコソと…、」 問う声は低く、気怠げだ。ナイフを突き付けられた側はといえば、別段焦りもせずに切っ先を眺めながら、ゆるりと口元に笑みを浮かべた。 目深に被っていたフードを取り去った、眼鏡をかけた青年は、未だにナイフを下ろそうとしない男の、自分よりも少し高い位置にある蒼い瞳を見詰めて口を開く。 「気付いていたんですか、…ちなみにいつから?」 鋭く、刺すような視線にも怯むことはなく、笑顔を崩さないままに青年はそう問い掛ける。 「…多分、最初からだな。」 わかりやすく不機嫌な音で紡がれる声は、何の用だ、ともう一度問うた。それに対して青年は、やはり笑顔のままで応える。 「いえ…随分とヒトに化けるのが上手かったので、少々気になっただけですよ。…そうでしょう?…悪魔さん。」 どことなくからかいのような色を含む言葉に、男の眉が寄る。チ、と小さく漏れた舌打ちは、辛うじて青年の耳に届いた。 「…祓い屋か、」 「えぇ、まあ、一応。」 忌ま忌ましそうに呟かれた単語に、青年は笑みを深くした。
男は確かに"悪魔"と呼ばれる種であり、人間に害をなすこともしばしばある。 そして、そんな存在が在れば、当然、人間の中には悪魔などの人外種を狩ることを生業とする者――"祓い屋"が存在する。 わかりやすく敵同士である二つの存在が巡り会ってしまった今、戦闘……もとい、殺し合いに発展することなど言うまでもなかった。
男が吸っていた煙草の先から、灰がこぼれ落ちる。そしてそれと同時に、男のナイフが空を裂いた。 ヒュ、と横凪ぎに払われたそれを咄嗟に身を引いてかわした青年は、口の中で小さく何かを唱えながら男に向けて手を翳す。 男はそれが何を意味するか瞬時に理解した。どんなものかは解らないが、祓い屋である以上なにかしらの術を使う気だろう。 即座にそこまで考え、距離をとろうと男は後ろへ跳び退いた、――筈だった。 けれど、次の瞬間には青年の翠色の瞳と髪が目の前まで迫っていて、回避する間もなく腕を掴まれる。 「っ、はな、…ッ!?」 腕を引きはがそうとナイフを構え直した瞬間、男は膝から崩れ落ちた。 何が起こったのかを理解する前に彼の視界はブラックアウトし、そのまま地面へ倒れ込んでしまう。意識を失う直前、青年が楽しげにわらう気配がした。
「…へぇ、…案外、大物だったようですね。」 地に臥した男を見下ろしながら、感心したように青年は呟く。 ――男の背と尻にはそれぞれ、悪魔らしい漆黒の翼と尾が存在していた。
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