01
「ちょっと、良いかな?」 校門を出た所で横から掛けられた声に、少年は緩慢な動作で振り返った。 「……、誰、ですか?」 しばらく考え込む素振りを見せたが、結局、声を掛けてきた顔に覚えは無かったらしく、素直にそう問いかけた。 「んー、まぁ、面識は無いよね。僕が一方的に知っているだけ……と言っても、僕も知っているのは君の外見だけだったし。声、そんな声なんだね。予想よりもちょっと高いかな。」 「…………。」 突然流暢に話し出したかと思えば、どうも世間体の宜しくないことを口走っている男に、少年はあからさまに眉を寄せた。 「あー、うん、そんな不審者を見るような目で見ないでよ。確かに緊張して口数多くなってる自覚はあるし、妙なこと口走ってるような気もするけどさ。……少し、話したいだけなんだ。時間、貰えないかな?」 痒くもない頭を掻いて、男――霞は、誤魔化すような苦笑を見せた。
「……それで、」 ご用件は?と、友人らしき青年を帰らせ、学校の裏へ移動して、二人きりになった時点で少年が口を開いた。。 「んー、と……、驚くと思うし、気持ち悪がっても、良いから、聞くだけ聞いて欲しい、んだけど。」 恐る恐るといった体で前置きをした霞に、怪訝そうに、それでも少年は了承の意を示した。
「……この間の、文化祭で、君のことを見かけたんだ。」 ぽつり、霞は落とすようにそう言った。 だんだんと空が紅く染まっていく中、お互いに名も知らないこの状況で、どうして彼はこんなに冷静なのだろう、と、霞は、少年に対して思いながら、口には出さずにこの妙な状況に身を預けていた。霞にとってはそれは好都合だったし、少年は何を考えているのかはわからないが嫌そうな顔はしていないので、さっさと言って、終わりなら終わりにしてしまおうと思った。
「君を見た瞬間、動けなくなって。……君のその、目とか、独特な雰囲気に、惹き込まれてた。」 早い話が一目惚れをしたのだと、そう言って、いつの間にか俯かせてしまっていた顔をあげて見てみれば、先程まで平然と聞いていた少年も、流石に驚いた顔をしていた。 数秒の間の後、少年は何回か瞬きをして、処理が済んだのか、口を開いた。
「――アンタ、……」 先程よりも少し低くなっている声に少しきょとんとしながらも、霞は止まってしまった言葉を促すように「うん、」と相槌を打つ。 「……アンタ……ゲイ、なの?」 「…………違う、と思う。」 どう言うべきか迷った挙句、真実を告げる。 男に告白している時点で説得力のカケラも無いと自分でも思うが、仕方ない。実際問題、男に惚れたのは彼が始めてだ。たとえば高校時代の男友達に、いちいち言動が可愛いのが居たけれど、可愛いと思い、庇護欲を掻き立てられはしたものの、恋愛感情や、そういう、いわゆる情欲が芽生えることなどは無かった。 訝しげな視線を寄越す少年に、気まずくなって視線を逸らしつつ、霞はもう一度口を開く。 「えっ、と……、男に惚れたのは、本当に君が初めてで、正直僕も、戸惑ってる。けど、いくら思い悩んだって簡単に諦められるような気も、しなくて。」 どうして僕はこんなにも馬鹿正直に真実をベラベラ喋ってるんだろうと自嘲しながらも、霞は半ば自棄になって続ける。 「ある人に相談したら、さっさと当たって砕けちゃうのが僕自身にも、君にも良いだろうって言われてね。……だからこうして、告白だけ、しに来たんだ。」 聞いてくれてありがとう、と話を打ち切るようにへらりと笑った霞。目を開けた瞬間、目の前にあったものが何か認識するより先に、額に痛みが走った。
「っ、……へ?」 じんわりと痛みの残る額に手をやりながら呆然とする霞に、手を下ろした少年は大仰に溜息を吐いた。 ……どうも自分はデコピンされたらしい。そう察してから、断られるか逃げられると思っていた霞は、彼の行動が予想外過ぎて、どうしたら良いのかわからなくなった。 「え、っと、……なに?」 首を傾げながら漏れたその言葉は、本当に率直に思ったものだったし、実際、知りたかった。彼がなにを思ったのか、を。彼がデコピンなんかした理由を、何とはなしに知っておきたかったのだ。 「……いや、最初から俺の答えを決め付けてるようだから、腹が立って。」 溜息を吐きながら、どこか蔑むようにそう言う彼に、霞は一瞬ぽかんとする。そして我に返ってから、ほんの少し期待を滲ませながら、口を開く。 「……口調、というか雰囲気変わった、ね。……そっちが本当?」 その言葉に、少年は平然としたまま答える。 「そうだよ。……なんでそんな嬉しそうに目ェ輝かせてんですか、アンタ。」 答えてから、顔を顰めた。霞が酷く嬉しそうにしているのに気付いたからだったが、当の本人は自分の心中が筒抜けだったことに動揺し、妙な声を上げて焦っていた。 「いや、えと、えっとその、ね、うん、えぇ……と……うぅ。」 おろおろと視線を泳がせ、必死で誤魔化す言葉を探したものの見つからなかったらしく、暫く唸った後、霞は項垂れ、小さくごめんと呟いた。 「なにが“ごめん”なんだか。俺はテレパシー能力なんて持ってませんよ。」 呆れた表情を隠しもしない少年は、もう一度溜息を吐いた。それを見た霞は、思わず口を開く。 「……告白よりも引かれそうなこと、言っても良い?」 本当は言う気は無かった。隠せるなら隠しておこうと思っていた。ただ、薙杜の言っていたことを実行しても、この子はもしかしたら、受け入れてくれるかもしれない、と、ここまでの会話は霞に仄かな期待を抱かせていた。 「聞くだけ聞いてあげますよ。」 そう言った彼の目は全てを見透かすように深く透き通っていて、吸い込まれてしまいそうだ、なんて柄にも無い定番な感想を胸中に沸かせながら、霞はその目をそのまま見詰め返して口を開く。
「……僕……M、なんだよね、……それも、かなりの。」 言い始めてから後悔したのか、言葉は尻すぼみになったが、それでも少年の耳にはしっかり届いたらしく、彼は「へェ……?」とだけ言って値踏みするような視線で霞を見ていた。 居た堪れなくなって霞が再び口を開こうとすると、少年がそれを遮るように靴を鳴らした。 数メートルの距離は、少年が霞へと歩み寄ったことであっという間に50センチ有るか無いかの所まで縮み、霞の混乱を助長する。 「……それじゃァ、」 それどころか、口を開いたかと思うと少年は、その50センチさえも縮めてしまった。 お互いの距離が20センチ無いところまで来て、少年はやっとその足を止めた。そうしてから、じっと霞を見上げる。 「……ッ、」 十数センチ下の瞳に射竦められて、霞は息を詰まらせた。見上げられている筈なのに、何故か見下されている気がして、ほんの少し、背筋が震える。
「アンタ、俺の犬になれる?」
不敵な笑みで挑発するように発された言葉は、酷く甘美な響きを含んでいた。 それは霞にとって願っても無い申し出だったが、だからこそむしろ怖くなった。大きく深呼吸して、それでも自分の意思を伝えようと口を開く。 「……君がそれを望むなら、構わないよ。」 真っ直ぐに目を見てそう言った霞に、少年は少し驚いたようで、数回目を瞬いた。それから、ふ、と笑って、 「気に入ったよ、アンタ。でも俺も考える時間が欲しい。」 と言った。 それはそうだろうと思っていたので、霞は素直に頷く。 ここまできたら、もう無かったことには出来ないだろう。まあ、先延ばしにされたら二度と会えない、何てこともあるかもしれないけど、それはそれで玉砕ルートだったってだけだ。 そう自分に言い聞かせながら、霞は内心、酷く恐怖していた。 (久々だな、失恋がこんなに怖いのは。) そこか他人事のように思いながら、少年の言葉に耳を傾けた。
「……明日、15時半に、ここに来てください。俺は少し遅れるかもしれませんが、待っていてくれれば、きちんと返事します。」 「本当ッ……?」 明日、だなんて急な話だとは思っていなかった所為で、霞は驚きながら確認する。口調が戻っていることは眼中に無いようで、言われた内容だけを必死に消化する。 「本当ですよ。それじゃ、俺はこの辺で。……また明日、会えると良いですね?」 どこか含みを持った言葉を残して、少年は去って行った。
「……っ、きんちょう、したぁ……。」 残された霞は、糸が切れたようにその場に蹲って、大きく息を吐き出した。
第二話 了
とりあえず、告白。 「即刻フラれる」をまさかの回避です。 あと霞は本当にドMです。←
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