「蒸かした芋であります!」
難しい表情で何事かを話し込んでいる面子に気付き、ナナシはそちらへ足を向ける。
今日は特別なにか問題が起こった、などとは聞いていないが。
なにかあったのだろうか。
「どうした?」
声を掛けると、一番手前にいたナナバが振り返ってきた。
「ナナシか。いや、大したことじゃないんだけどね。ちょっとした問題…というかなんというか」
なんとも歯切れの悪い物言いだった。ナナバにしては珍しい。
話すべきかと躊躇っている様子に先を促すと、眉間にらしくないシワを刻んで真剣な表情になる。
「近頃調理場から食材が消えてるらしいんだ」
「食材が?」
「とは言っても大した量でもないみたいでね。目を離した隙に、芋が一個なくなったりパンが一個減っていたり。そんな話を今日ゲルガーが聞いてきたみたいで、騒いでいたんだ」
「オイオイ、酒を取りにいっただけだってのに俺が疑われたんだぞ?これが騒がずにいられるかって話だ」
「…まさか飲むつもりだったのかい?」
「バカ言え、酒を眺めながら飯を食うつもりだったんだよ」
話を振られたゲルガーと、その一言を見咎めたリーネが言い合いながら話を脱線させていく。
なるほど。
状況は理解出来た。
確かにあまり大きな問題ではないが、放置出来る事でもない。
下手に騒ぎが大きくなる前に、手を打った方がいいのかもしれない。
そこでふと、思い出した。
「そう言えば以前、肉がなくなったと騒ぎになっていたな…」
「あぁ、聞いた事がある。その後すぐに超大型が出現してそれどころじゃなくなってしまったみたいだね。…それで、私たちで見張りでもしてみようかと話していた所なんだ」
「…さすがにそんな事に人員を割ける程、暇ではないんじゃないか?」
「ナナシさん、俺はやってやるつもりですよ!疑われたままじゃ気がおさまらねぇ!」
ゲルガーが燃えている。
仕方ない事かもしれない。
確かに、犯人がいるのなら、見付けるべきだった。
「わかった。俺も少し注意して見ておこう」
そう話したのが今日の昼時の事だった。
──それがまさか、こんな事になろうとは。
目の前で起こった犯行に、さすがのナナシも驚きを隠せなかった。
***
サシャはギクリと動きを止めた。
咄嗟にポケットへ右手ごと突っ込み獲物だけは死守するが、見られていた事実は消せない。
その見られた相手、というのがナナシ分隊長であり、まだ一度も接触した事のない上官に、サシャは滅多にしない緊張を味わった。
頭をフル回転させて、取り敢えず姿勢を正し、敬礼する。
右手を心臓の上へ。
勿論芋は手放した。
学習はするものである。
一部始終を眺めたナナシ分隊長が、サシャへ応えるように同じ敬礼を返してくれた。
思わず見とれてしまうような、とても様になる動きだった。
「…………、104期生だな。名前は?」
「サシャ・ブラウスであります!」
「……サシャ・ブラウス。今、ポケットに入れたものは何だ?」
酷く静かな問い掛けだった。
キース教官のような威圧感はないものの、まったく感情の読めないその声音は独特の恐怖を運んでくる。
上から下までじっと観察され、その視線がぽっこりと膨らんだポケットで止まっていた。
未だ敬礼の姿勢を崩さぬまま。
聞かれたからには正直に。
サシャは声を張り上げた。
「蒸かした芋であります!」
「…盗んだのか?」
「ちょうど頃合いのものがあったので、つい!」
「……………」
「……………」
暫く無言で見つめ合う。
ナナシ分隊長はついと視線を逸らすと、額に手をあてて深刻な表情で何事かを考え込むように俯いた。
その間に、調理場の方からカチャカチャと物音が響いてくる。調理が始まったようだった。
サシャの胸ポケットからは今だにほくほくと湯気が立ち上っており、その体をじんわりと暖めている。
食べ頃が。
でも我慢しないと。
内心の葛藤を、なんとか制御する。
私はもう調査兵団の一員なのだ。
ここを乗り越えなくてはならない。
ナナシ分隊長が顔を上げた。
「……普段から、こんな事をしているのか?」
「……それは…その、初犯か、という事でしょうか?」
「そうだ」
「………………」
同期の皆にはバレているし、キース教官も知っている。
ここで嘘を付いて切り抜けたとしても、後でその事実を知ったナナシ分隊長がどうするか。
それを考えると正直に答える方が適切に思えた。
「…そこに食料と隙さえあれば、…たまに」
「……………そうか」
答えるごとに、ナナシ分隊長の沈黙が増していく。
再び無言のまま見つめ合った。
まさか、戦利品を手に調理場から出てきた直後の姿をナナシ分隊長に目撃されるとは。
注意は配っていたつもりだが、全く気配を感じなかった。
「そこの調理場では…俺達の食事も作られている。皆、決められた配給を守っているんだが」
「………」
「…………………駄目だな。正直に言おう。死にたくなければ今すぐその芋を返してこい」
「!?」
それまで説得を心掛けたような口調だったものが、一転して脅しとなった。
急激な変化に息を飲む。
それが冗談でも嘘でもないと、その瞳が物語っていた。
「今なら見なかった事にしてやってもいい。…が、あくまで盗みは続け、罰を受けたいと言うのなら、俺はそちらでも構わない」
「…!?」
サァッと青ざめる。
皆が今まで、信じられない、といった表情を浮かべて蒼白していた理由を、今やっとサシャは理解した。
吹き出した汗で視界が滲む。
心臓が嫌な鼓動を刻んでいた。
夕飯抜きなど軽いものだった。
死ぬ直前まで走らされる事など生易しい罰だった。
もっと、なにか。
おそろしいものがある。
「…どうする?」
「い…い、今すぐ返してきます!!!」
「そうか」
静かすぎる声が逆に恐ろしい。
絶対に、怒らせてはいけないタイプの人間だ。確信する。
じっと観察してくる視線に気付き、サシャは大きく頭を下げた。
「も…もうしません!!申し訳ありませんでした!!!」
そのままダッと踵を返す。
脇目も振らずに調理場へと駆け込んだ。驚いたようにこちらを見た調理場担当者へと、先ほど盗んだ芋を差し出す。手が震えていたが、そんなものを気にしている場合ではない。
サシャはその場で綺麗な土下座を決めた。
***
「あの子が犯人だった訳だね」
息も絶え絶えに走り続けている少女を眺め、ナナバは隣に立つ人物へと確認する。
あの騒動は、突然の犯人からの自首という形で幕を閉じていた。
「見張っていた訳じゃない。たまたま通りかかった時に出てきた」
「それはまた、すごいタイミングだ」
運がいいのか悪いのか。
ゲルガーに見付かるよりはマシだったのかもしれない、とは思う。
それにしても、ナナシはいつまで見ているつもりなのだろうか。
「…少し、脅しすぎたかもしれない」
そんな言葉が隣から聞こえ、ナナバは小さく笑ったのだった。
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