きのう撫でたような猫

※拍手お礼だったもの。溶けてゆくのはの翌日




 乾いた音を立てて茂みが揺れる。ぴゅーぴゅー吹いていた口笛を止め、御手杵は目を丸くした。

「お前、なんでこんなとこにいるんだ?」

 小さな身体が大袈裟なまでに飛び上がる。驚かせてしまっただろうか。その場で立ち止まり、ゆっくりとしゃがむ。

「なんもしねえよ」

 とは言ってみたものの、伝わるとは最初から思っていない。自分の図体が小さなものにとっては恐怖の対象にもなり得るのだということも分かってる。
 ただ、本丸で猫を見たのは初めてだったから。

「おいで」

 手で招くこともせず、黙ったまま、じいっと見つめる。すると驚いたことに、黒猫はお尻を振りながらぽてぽてと近づいてきた。
 おおおお、とあふれかけた歓喜の声を封じ込める。ここで逃げられては元も子もない。
 ぱっちりとした目が御手杵を見上げている。距離は一メートルもなく、腕を伸ばせば届く距離だ。

「なあ、触ってもいいか?」

 みゃー。言葉を解しているかのようなタイミングで猫が鳴いた。
 うずうず。胸が弾む。御手杵はゆっくりと手を伸ばし――慌てて引っ込めた。
 久しぶりに宛てがわれた畑仕事を終えたところだ。軍手は汚れ、その下の手にも渇いた土が貼り付いている。爪の隙間も真っ黒だ。

「ちょっとだけ待っててくれよ。すぐ戻ってくるから」

 じりじり後退し、納屋の脇の水道を目指して全力疾走。ささっと洗って戻るつもりだったのだが、爪の間に入り込んだ汚れはなかなかしつこい。
 もういなくなっているかもしれない。そう思いながら戻ってきた場所には猫の影も形もなく、ため息をついたところで、再び茂みが揺れた。
 ぴょこ、と顔を出した猫がこちらの様子を窺っている。御手杵の姿を認めると、嬉しそうに茂みを飛び出してきた。

「隠れて待ってたのか?」

 みゃー。
 その返事に御手杵の頬が緩む。

「あんた、いい子だなあ」

 伸ばした手を猫は恐れなかった。顎の下をこしょこしょ撫でると、くりっとした目が心地よさそうに細められる。随分と人懐っこいみたいだ。
 段々と気分が乗ってきた。万屋のあたりで見かける猫達は御手杵に見つかると同時にさっと路地に逃げ込んでしまう。これを逃せば当分猫を愛でる機会はやって来ないだろう。
 尻が汚れるのも構わず土の上に胡座をかいた。ほら、と足を叩いて招く。ほら、ここにおいで。
 猫が大人しく歩き出した。と思ったのも束の間。

「うえっ!?」

 予想外の跳躍。黒い塊が顔面を目がけて飛びかかってきた。
 従順に見えていた猫の攻撃に御手杵は思わずひっくり返った声を上げる。しかし、持ち前の反射神経でどうにか顔を守ることには成功した。
 みぎゃっ。

「げっ! あ、ああ、ごめんな……」

 代わりにダメージを追ったのは黒猫のほうだ。御手杵の腕に阻まれた猫は鈍い声を上げて転げ落ちていく。慌てて拾い上げ、震える身体をそっと抱きしめた。
 猫は腕の中で小さく縮こまっている。ぶつかったと思われる額と鼻先をそっと撫でた。たんこぶができたらどうしよう。

「で、でもあんたも悪いんだぞ。いきなり飛びついてきたらびっくりするだろ」

 にゃあぁ……。
 切なげな声が胸を打つ。正当防衛のつもりだったが、ちょっと傷をつけられるくらいなら許しても良かったかもしれない……そんなことまで考えてしまった。

「そうだ、チョコ食べるか? チョコ」

 猫を膝に下ろしてポケットを探る。昨日のハロウィンで配ったチョコの余りだ。包みを剥いて口元に近づけると、ぷい、と顔を逸らされた。

「嫌いなのか?」

 み゛ゃー。
 怒った声。嫌いなのか。

「あー……どうしよう……。まだ痛いか? 結構勢い良かったもんなあ」

 なでなで。御手杵には撫でることしかできない。
 先ほど気持ちよさそうにしていた顎の下と、額と、耳の付け根のあたりと。顔の周りを重点的に。
 しばらくそうしていると、徐々に猫の表情は和らいでいったようだった。

「痛いの治ったか?」

 みゃ。
 ちょっとだけ。そう言っているらしい。猫というのはこんなにも感情豊かに語りかけてくる生き物だったのか。新たな発見に胸が高鳴る。
 猫の身体は想像していた以上に柔らかかった。手ざわりは素晴らしいけれど、少しさじ加減を誤っただけで傷つけてしまいそう。だが、優しい触れ方なら御手杵は既に知っている。

「お前、あいつに似てるな」

 あいつ? 首が傾げられる。

「ここの主なんだけど、知ってるか?」

 珍しく猫は黙ったままでいた。今まで本丸で猫を見たことはなかったし、ここに来て日が浅いのかもしれない。

「髪が長くてさらさらで、肌が白くて、綺麗なやつ。あ、女の子な。ここに女って一人しかいないから……あれ、女って言って分かるのか?」

 自分は最初、男の肉体と女の肉体が根本的に違うのだということを理解するまで短くない時間を要したのだが。
 少しの沈黙の後で、小さな鳴き声。良かった。伝わったらしい。

「なんか、撫でられた時の感じっていうか……気持ちよさそうにしてるとこが……」

 彼女の姿なら目を瞑らずともすぐに思い出せた。世界で自分だけが知っている。つい昨日も、御手杵はその柔らかな肌に触れていたのだから。

「……うん、似てるよ」

 ゆったりとした雰囲気とか、安心しきった表情とか。思えば、しなやかな身体や、その黒い瞳なんかも。
 人と猫という大きな違いがあるはずなのに、そういったものが不思議と重なった。

「可愛い」

 どちらについて言及したものかと問われれば、たぶん両方だ。
 猫は御手杵の太腿に顔を擦りつけるようにして丸くなっている。一丁前に照れているのかもしれない。

「猫って飼うことできんのかなあ……虎とか亀とかいるけど……」

 あと、狐と鵺もか。
 出会ってからさほど時間が経っていないにも関わらず、御手杵はこの小さな黒猫に愛着のようなものを抱いていた。ぼそぼそ呟きながら、撫でる場所をなくした手は自然と丸い背中を下っていく。
 びくっ。尻尾に辿り着く手前で、すっかり寛いでいた身体が跳ねた。

「ここ気持ちいいのか?」

 にゃあん。
 甘い声を漏らし、ふにゃふにゃとその身をよじらせている。それなら、と尻尾の付け根をひたすら刺激してやると、猫はにゃんにゃん悶えた末、胡座をかいた足の中でごろんと仰向けになった。そこはもうだめ。そう言うみたいに。

「へー。猫のここってこんなふうになってるのか」

 お腹をさらけ出した姿もなかなか新鮮だ。ここも撫でてほしいのかもしれない。顔を綻ばせながら、御手杵はふくふくとしたお腹に手を伸ばす。
 フシャーッ。それまで幸せそうにごろごろしていた猫が一気に殺気立った。
 両足を空中でぱたぱた。なんて可愛いしぐさだろう。けれども本人(本猫?)は嫌がっていることを必死にアピールしているようだ。

「え、悪い。そんなに怒るなよ」

 逆か。触ってほしくない場所だったのか。
 面食らいながら小さな身体を抱き上げる。そして御手杵は、機嫌を直してもらうつもりで、いつものように。

「あいつには内緒だぞ」

 ちゅ。
 唇が重なる。その瞬間、どこか覚えのある香りがふわりと鼻をくすぐった。

「え」

 御手杵は呆然と目の前の姿を見つめていた。
 何が起きたのか分からない。分からないが、事実だけを簡潔に述べるならば、『キスをしたら猫が人間になった』。
 それも、自分がついさっき思い浮かべていた人物だ。

「……あなたが私を大好きなことは分かりましたけど」

 さらさらの髪。ぱっちりとした黒い瞳。ただ、白い頬は何故か真っ赤っかで。

「猫に何するんですか、この変態」

 捨て台詞のように言い残し、彼女は屋敷へと帰っていく。

「へ……?」

 御手杵は口をあんぐり開けたまま。散歩をしていた三日月宗近に声をかけられるまで、ずっとその場に座り込んでいた。

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