溶けてゆくのは

「トリックオアトリート!」
「……え」

 目の前には十一振のモンスター。
 魔女っ子乱ちゃんの似合いっぷりはさすがといったところ。タキシードを着こなしたドラキュラ薬研に、包帯でぐるぐる巻きのミイラ博多。目と鼻と口の付いたくたびれた布を被った幽霊五虎退――あれ、もしかしてその布は。
 その他、黒猫、ゾンビ、狼男、コウモリなどなど。そんな手の凝った仮装をした短刀達は今、揃ってこちらに手を差し出していた。

「可愛いですね」
「でしょ? 前から準備してたんだよ」

 乱が鼻を高くして言う。なるほど、前々からハロウィンを楽しむ気だったと。

「で、あるじさま。おかしをください」

 期待に満ちた赤い瞳が私を見つめている。今剣の頭の上では黒い耳がぴょこぴょこと感情豊かに動いていた。一体どんな仕掛けなんだろう。
 と、冷静に観察しながら。私の心の中は湧き上がってくる焦りでいっぱいだった。

「お、お菓子……ね」
「お菓子をくれなきゃ……」
「いたずらだぜ!」

 可愛らしい頭巾を被った小夜の後を、茶色いもふもふの耳と手足を付けた愛染が継いだ。赤頭巾ちゃんと狼か。赤頭巾ちゃんのほうが狼の百倍凄んでいるのだが。
 それはいいとして、問題はお菓子だ。去年の十月三十一日は何事もなく過ぎた。話題にされているのを聞いたこともないし、まさかハロウィンなんてものを知っているとは思っていなかったから、当然、用意などできていない。

「えー! もしかしてお菓子ないの?」

 ショック〜! そんな悲鳴を上げる乱の顔はにやついている。純粋にお菓子がもらえなくて悲しんでいる子を見習ってほしい。

「おう、じゃあ大将にはいたずらだな!」
「厚も乗り気なんですか」
「俺はどっちでもいいぜ。いたずらなら全力で行かせてもらうが」
「薬研もね……」

 普段大人びているのに、こういうイベントにはちゃっかり参加するのだ。
 いたずら、ねえ。可愛いいたずらなら別に構わないのだが、前田や平野が困っているのが申し訳ない。お菓子もできればあげたいし――。

「あ」
「ん?」
「ちょっと待っててくださいね」

 思い出した。執務室の奥の私室に引っ込んで、棚の上に腕を伸ばす。手に取った箱の裏を確認。十二個入。すごい。ちょうどいい。

「はい、お菓子あげますね」
「わぁ……!」
「ええ?!」
「そこ、ちゃんと喜びなさい」

 お土産用の小さなお饅頭。ハロウィンには似つかわしくないが、お菓子はお菓子だ。

「主君、これは現世に帰られた時に購入されたものでは……」
「そうですよ。はい、平野もどうぞ」
「いただいてもよいのでしょうか」
「ええ」

 平野の顔が綻ぶ。本当は二人で食べるつもりだったのだが、皆が喜んでくれるのならこれもいいだろう。

「ちっくしょー。絶対持ってないと思ってたのになあ」
「ね。せっかく主にいたずらできるチャンスだったのに」
「残念でしたね」

 お饅頭を頬張った顔がぷくーっと膨れている。美少女、いや、美少年が台なしだ。

「うまいな、これ」

 その隣では胡座をかいた薬研がもぐもぐと口を動かしている。彼もいたずらをしたいとは言っていたけれど、やっぱり乱や厚ほどではなかったみたいだ。

「でしょう? 温泉街を回って、一番美味しいのを選んできたんですから」
「へえ。俺達がもらっても良かったのか?」
「いいですよ。あと一個残ってますし」

 透明な包みを剥くとふわっと甘い匂いが広がった。ふっくらとした香ばしい生地と、それに包まれた餡子の甘さが絶妙だ。買ってきた自分を褒めたい。
 そうして、短刀達と午後三時にはかすりもしないお茶の時間を楽しんでいた時のこと。再び思わぬ来客があった。

「……? なんでしょう」

 複数の足音と話し声。これより奥に部屋はないので行き先はここなのだろうけれど。
 あ、もしかして。そう呟いたのは秋田だったが、続きを聞く間もなく答えは目の前に現れた。

「主さーん! トリックオアトリート!」
「トリックオアトリート!」
「わぁッ!?」

 障子戸が勢い良く左右に開かれる。そこから出てきたのはやたらリアルなゾンビと……馬?
 短刀達からは悲鳴が上がり、入口の近くにいた博多は仰け反った。青白い肌やらぽろりと落ちそうな目玉やら、べっとりと付いた血糊やらで装飾された苦悶の表情はなかなかの迫力だ。正直、長時間は見ていたくない。

「浦島……鯰尾……」

 意気込んだ仮装は頭部のみだったので、服装から中身は知ることができた。その後ろからひょっこりと姿を現したのは骨喰、堀川、青江。脇差が勢揃いだ。

「短刀はもう来ていたか」
「おう! 脇差もハロウィンか?」
「うん。二人が張り切ってね」

 堀川の言うとおり、意気込んでいるのは鯰尾と浦島だけのようで、他三人は普段通りの内番服だ。
 先日、本丸にやってきたばかりの浦島とも仲良くやっているようで何より。それは喜ばしいことなのだが。

「あなた達は子どもじゃないでしょう」
「そんなこと言ったら、短刀達だって子どもじゃないさ」

 ハロウィンは子どもが主役のお祭りではなかったか。すっきりしない私に青江は謎めいた瞳で微笑みかけた。
 言われてみれば確かに。子供の姿をしているといっても、彼らは数百年の単位で私よりずっと長く生きている。

「それなら、あなた達から見て一番子どもの私にお菓子をねだらないでくださいよ……」

 前もって言ってくれたのならいくらでも用意したけれど。残念ながらお饅頭は綺麗に片付いたし、もう出せるものなど何もない。
 今から何か買いに行こうか。どうせなら刀剣男士全員分。
 うんうん悩んでいると、いつの間にか馬面(悪口ではない)が私の傍に寄っていた。これも近くで見ると毛の生え方や目元の造りが精巧で、なかなか芸が細かいことが分かる。中身は鯰尾だ。

「まあまあ、主。何も俺達はお菓子をせびりに来たわけじゃありませんよ」
「じゃあ、何が……」

 尋ねかけて、はっとした。そうだ、ハロウィンの選択肢は一つではないのだ。

「いたずらさせてくれればオッケーです」
「全然オッケーじゃありません」

 馬の鼻先をはたく。いてっ、と鯰尾がこぼしたがそこに頭はないので大丈夫だろう。
 
「でもさ、まだお菓子あるの?」

 体育座りの乱が足を抱え、膝の上で首を傾げた。スカートの中はいつものスパッツか。
 見えてしまったものは仕方ないと言い訳しつつ、部屋の中を思い浮かべる。旅行で買ってきたお菓子はあれでおしまいだし、他には何も……。

「……い、今から買いに行くというのは」
「駄目でーす」
「ぐ……」

 打つ手なし。

「じゃあ、いたずらですね!」

 表情の変わらないはずの馬の瞳がきらりと輝いた。
 何をするつもりなんだろう。そんなに変なことはしないとは思うけれど、最近鯰尾は遠慮がなくなってきたから少し身構えてしまう。まあ、仲良くなったと思えばそれはそれで嬉しいか――。
 そんなことを考えていると、目の前の馬頭に大きな影が被さった。
 首を反らさなければ視界に収まりきらない長身。ぴょんぴょん好き勝手に跳ねた髪。緩い雰囲気を醸し出すジャージ。

「いや、お菓子だな」
「へっ?」

 ぼとぼと。驚いた様子の鯰尾の上で円筒型の箱がひっくり返されて、降ってきたのは、お菓子の雨。

「お、御手杵?」

 いつの間に。それに、そのお菓子は?
 目を丸くする私の前でぐるぐると馬の頭が回る。畳の上を覗き込もうとし、上手く見えなかったのかついにマスクは外された。ぷはっ。鯰尾が大きく息を吸う。

「何するんですか」
「お菓子ほしかったんだろ」
「えー。御手杵からもらっても」

 マスクを脇に抱え、くしゃくしゃになった髪を直しながら鯰尾が口を尖らせた。それに対し、御手杵も何故か不満そうな口振りで言い返す。

「俺があげるのもあまねがあげるのも一緒だろ」

 一瞬、変な沈黙が落ちた。

「……当たり前みたいに言うんだもんなあ。まあ、カウントしますよ」

 鯰尾が大きなため息をつく。どうやらいたずらは回避できたみたいだ。
 それにしても、一緒って。御手杵からもらうのも私からもらうのも一緒って。どう捉えればいいんだろう。いたずらはされずに済んだし、ありがたいのだけれど、妙に気恥ずかしいような。
 いや、とりあえず。

「御手杵」
「ん?」
「人の頭にお菓子落としちゃだめ」

 そう言うと、御手杵はぽかんと口を開けて固まった。

「あ、悪い」 

 大きな体躯を屈め、一緒になってお菓子を拾い始める。小分けにされた焼き菓子は全部違うものみたいだ。贈答品らしいアソート。箱も可愛くて立派なものだし、本当にどうして御手杵がこんなものを持っているんだろう。

「別に怒ってませんけどね。あ、フィナンシェいただき」
「おう。あんた達はどうする?」
「いいんですか? じゃあ僕はバームクーヘンもらおうかな」
「……クッキー」
「あ、やべ。割れてないか?」
「大丈夫だ」

 お菓子を囲んでわいわいと騒ぐ姿にほっと一息。けれども、その安堵も一瞬のことで。

「浦島はどうする?」
「あ、うん」

 すぽっとゾンビマスクが引き抜かれる。その下から現れたのは浮かない表情だ。

「どうかしたのかい?」

 青江の問いかけに、浦島は半分笑いながら答えた。

「あ、えっと……御手杵がいきなりお菓子落としてきたからびっくりして。なんか怒ってるのかなー、って……」

 部屋中が再び妙な沈黙に包まれた。
 御手杵は明後日の方向に目を逸らしている。私がどう返すべきか戸惑う傍らで、多くの刀剣達は密やかに笑っていた。
 言っちゃダメなことだった? 慌てる浦島に答えを示したのは今剣だ。

「おてぎねはぼくたちがあるじさまにいたずらするのがいやなんですよ。おとなげないですよね」

 ぎくっ。御手杵の肩が跳ねた。

「そ、そういうわけじゃねえし。誰が大人げないって……」

 否定しているものの、図星を突かれたのは丸分かりだ。それがさらに失笑を買った。

「えっ、そういうことじゃないんですか? だったら頭に落とされたのは納得いかないなあ」

 鯰尾がここぞとばかりに畳みかける。にまにました笑顔は完全に分かっている顔だ。
 御手杵の頬が薄らと赤い。それを「可愛い反応だなあ」と楽しむことができない程度には、私へのダメージも大きかった。

「別にエッチないたずらするわけでもないのにね。やらしー」
「こら、変なこと言うな」

 魔女っ子の大きな三角帽の下で乱がくすくす笑っている。その足元に御手杵は何かを放り投げた。澄んだ水色の目が丸められ、瞼がぱちぱちと上下する。

「なに、これ」
「あげるから黙ってろってことじゃねえか?」

 隣の厚が乱の手元を覗き込む。飴玉程度の大きさ。光沢のある包み紙の奥には、甘い香りを放つチョコレートがあった。

「そういうこと? じゃあ杵くん、あと十個ー」
「はい! 脇差にもくださーい」
「あー、はいはい」

 仕方ないなあ。そう言いながらお菓子を配る姿はまさに『近所の優しいお兄さん』といった雰囲気。もし普通の人間として生まれていたら、ハロウィンの時には子供達が家に詰めかけていたかも。なんて。

「御手杵さん、ありがとうございます」
「……おう」

 大人げないことを自覚しているからか、素直にお礼を言われた御手杵はむず痒そうにしているけれど。
 親しみやすいんだと思う。……そういうところも好きだな。頬の火照りを静めつつ、私はその光景をぼんやり眺めていた。

「そろそろ戻る? 予定とは違ったけど、お菓子も貰えたしね」
「僕達も行きましょうか」
「そうだね。主、杵くん、ありがと!」

 見事にお菓子を獲得した彼らが揃って部屋を出て行く。人数は一気に減り、部屋の中に残されたのは御手杵と私だけ。
 別に、二人きりだなんて今更意識するようなことではないはずなのに。変に皆に弄られたせいで、なんだか落ち着かない気分だ。

「……恥ずかしかった」
「ごめん」

 向こうも同じ気持ちだったのか、目が合うと誤魔化すように笑われた。

「あんたにもやるよ」
「え? ああ、ありがとうございます」

 正面に腰を下ろした御手杵がポケットの中を探る。お詫びだろうか。先ほど脇差にあげたものの余りらしいダックワーズが手渡された。

「食べて」
「今?」
「ああ」
「じゃあいただきますね」

 ぴり、と袋を破る。優しい香りに引き寄せられるように、一口、齧りついた。

「あ……おいしい」
「うまいか?」
「うん」

 舌の上で十分に味わってからもう一口。食べている様子を御手杵にじっと見つめられていることに気づいて、そっと顔を俯けた。でも、まだこっちを見ているみたい。

「あのお菓子な、全部あんたにやろうと思ってたんだけど」
「そうなんですか?」
「おう」

  ふいにかけられた言葉が意外で思わず視線を前に向けた。御手杵が少し複雑そうなのは、お菓子の大半を脇差達にあげることになったからだろうか。
 手元のお菓子を見下ろす。これは御手杵が私のために用意してくれたものなんだ。そのことを思うと、舌が感じる甘さは不思議と増して、頬は抑えようもなく緩んでしまう。

「嬉しい」

 全部はもらえなかったけれど、気持ちだけでも嬉しい。最初に見た時に贈り物みたいだとは思ったけれど、その宛先が自分だとは思わなかった。箱は絶対に取っておかなくちゃ。

「……ん。あんたが喜んでくれたならいいや」

 御手杵の表情がやわらぐ。胸に染み込むような微笑みだった。
 ごちそうさまです。そう言うのを待っていたように、御手杵が隣にぴたっとくっついてきた。

「どうしたの?」
「ん……あまね……」

 肩と肩が触れ合う。名前を呼ぶ声は甘えているみたいだ。
 そんなに私が他の子にいたずらされるのが嫌だった? いや、さっきまで皆と一緒にいたから、独占できるのが嬉しいのかも。そう考えるのはちょっと調子に乗りすぎだろうか。
 畳の上に流していた手に御手杵の大きな手が重ねられる。優しげな顔がゆっくりと近づいてきて、私は目を閉じ――。

「トリックオアトリート」
「……へ?」

 とりっくおあとりーと。
 一瞬、頭が真っ白になった。今日既に何度も聞いた台詞なのに意味がよく分からない。
 御手杵の口の両端がにんまり吊り上がる。それを見てようやく思い出した。
 トリックオアトリート。お菓子くれなきゃ、いたずらするぞ。

「お菓子持ってないもんな。じゃあいたずらしかないよな」
「え、え……!? そんな、ま、待って……」

 お菓子お菓子。そんなものあるわけがない。あったとしても既に脇差に渡している。

「さー、どうしてやろうかな」

 にやついた目が舐るように私を見つめている。
 ああ、さっきのお饅頭を食べずに残していれば。そんなことを思っても、もう遅い。

「ど、どうせエッチないたずらなんでしょ。やらしー」
「あんたも言うか」

 せめてもの反抗に乱の真似をして言ってみる。御手杵はダックワーズが入っていたのとは逆の側のポケットをまさぐって、先ほど皆に渡していたのと同じ包みを引っ張り出した。
 元は乱を黙らせるために与えたチョコ。御手杵はそれを私の唇にぐいと押し当て、口の中に突っ込んできた。

「うまいか?」

 乱暴なことをするんだから。眉を寄せつつも、こくりと頷いた。
 おいしい。深い甘さがじんわりと頭の中に広がる。チョコは私の口の中でとろけて、段々と形をなくしていった。
 黙ったままチョコを舐める私に、御手杵は優しく笑う。

「俺にも分けて」

 甘い瞳が近づいてくる。そのまま、今度は唇が奪われた。

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