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親も出かけ、兄も出かけ、ひとりぼっちで今日遊ぶ友人達を自宅のリビングで待機していた。イスに深く座り、テーブルに突っ伏してはあ、と小さくため息をつく。
部屋にいるのは落ち着かない。なんてったってあんなよく分からない黒いものがあるんだから。はあ、と自分がついた二回目のため息がリビングに響く。
有紀達、早く来ないかな。いつもなら遊ぶ約束をしていた数時間前に、突然やってきたりとかするのに。……ふ、普段準備出来てないからちゃんと時間通りに来てって言ってるからかな。いや、言ったこと守ってくれるのは嬉しいよ。うん、凄く嬉しい。でもそれがなんで今日かなぁ…!いつも通り来てくれたら、こんな不安になってる時間は少ないのに……!!
カチカチと時計の針だけが進む音が、なんだかむなしい。あの後、着替えて慌てて部屋から出てずっとリビングにいるけど…。宿題でもゲームでも何でも良いから持ってきたらよかった。
テレビを付けてまってたらいいんだろうけど、定期的にあの黒い空間に関するニュースが入ってくる。それはもう飽きたというか、今のあたしには辛い。
ケータイを見れば、充電は残り少し。昨日の夜充電するの忘れてたし、充電器は部屋だ。暇つぶしに使って電源が落ちてしまったら、連絡が来たとき困るしなぁ…。
いまだタッチ式ではない自分のケータイを眺めて、ぱたん、と折りたたんだ。コンパクトだけど少しだけ厚めの機械の箱をテーブルの上に置き、あたしは自分の腕に顔を埋めて何度目か分からないため息をついた。
「幸せ……逃げそう……」
いや、逃げそうじゃない。逃げまくってる。完璧にどこかいってる。
昨日まで普通で平穏で、友人達が少し面白いってだけで変哲なことは全然無い人生だったのに、どうして部屋にあんなものが。
警察に言わなきゃいけないんだろうけど……でも、そうしたらきっとこの家から出て行かなきゃいけなくなるだろうし…。そもそも、どうして兄ちゃんには見えてなかったのかな……。
もし、今日有紀とせりと七瀬にも聞いて、見えないって言われたらどうしよう。部屋を変えたいなんて言えないし。そもそも一軒家で家族の人数分しか部屋ないし。
……あ、ベッドの真横の壁にあったから、ポスターで隠せばきっと気にならないかな。でもあそこで寝るのはな…父さんかお母さんか兄ちゃんの部屋で寝たいとか……。中学二年生にもなってそれは……。
模様替えはどうだろう。でも長期休みでもないし、大変だしなぁ。そもそも、隠してもあれが広がっていったら何も意味ないんじゃ……。
「………う〜〜……っ!」
「おうどうした少女よ、何か悩み事かこの俺様が聞くだけ聞いてそのまま放置してやろうじゃないか!」
「わあ、流石有紀意味ないことするね」
「………え?」
聞き慣れた声が耳に入って、腕に埋めていた顔を勢いよく上げる。
わ、びっくりした。なんて、全く驚いた様子がないような口調でせりが言って笑っていた。
テーブルに並んでいたのは、見慣れた友人三人。しかも約一名なんでか平日毎日見ている制服を着ている。今日は休みなのになんで制服着てるの有紀!と言いたかったけど、それよりもまずは別のことをつっこみたくてしょうがない。
「い、いつ!どこから入ってきたの三人とも!?」
「漆黒の堕天使が舞い降りたときに惑星みねすとろーねから入ってきたんだ」
「訳が分からない!!!ミネストローネ食べ物だから!!」
「食べ物だったのか!どっかのプリティでキュアキュアな奴らが使いそうな名前だと思ったのにくそう!!」
いや違う、そうじゃない!有紀のボケにつっこみたいんじゃない!!
ここは私の家で、三人が家の合い鍵なんて持ってるわけ無いのにどうして勝手に入ってきてるの…!?
最後に出て行ったのは、確か兄ちゃんで……。そこで、はっと気付いた。あの兄ちゃんまさか…!
「玄関の鍵、空いてたわよ。不用心ね」
「……チャイムは鳴らした?」
「鳴らしてないよー」
くらり、目の前がくらむ。やっぱりか。兄ちゃんって家に人がいると鍵かけ忘れることよくあるから、昨日の夜までちゃんと確認しなきゃって思ってたのに……今朝変なことが起こったからすっかり忘れてた……!
それはまあ、本当にあたしが不用心だったし仕方がない。だけど、人の家に遊びに来たらチャイムぐらい鳴らして欲しいな本当……!いつも親か兄ちゃんがいたら鳴らしてくれるけど、あたし一人だって教えたときは結構な頻度で押さずに入ってくるんだからっ。
はあ、とまたため息をついた。けど、さっきまでのため息と少し違っていて、安堵の物も含んでいた。
やっぱり、この三人がいたら落ち着くな。行動的には全く落ち着かないけど。
少し自分の頬が緩んでいたのか、七瀬とせりに一言気持ち悪いと切られてしまった。少し辛い……!!
「そういや椿はなんでリビングいたの?いつも部屋で待ってるのに」
せりのその言葉に、ぎくりとした。
真実を話せばいい。この三人だから。ふざけるにしてもきっと真剣に一緒に考えてくれるはず。でも、どうしよう。見えないって言われて、変な目で見られるようになったら。この三人に限って、それはない。ない……はず…。きっと信じてくれて、私だけが見えてる状態でもきっと、きっと一緒になって考えてくれるはず……。
どっどっど、と心臓が激しく動く音が聞こえる。冷や汗があふれ出てきて、少し体が冷えてきた。
ぐっ、と息を飲み込んで、やっと、口を動かした。
「あ、はは……。な、なんとなく…かな……。あ、紅茶煎れてあるからここで待ってて、すぐ持ってくるから!」
動かした口から出てきた言葉は、自分が思っていたものと全然違う言葉だった。
きょとんと、そして何か怪しんでいるような表情をしている三人が目に映ったが、急いでキッチンに向かった。三人がくるほんの少し前に、丁度紅茶を煎れていたから、それをそのまま持ってこよう、うん。
心臓が動き過ぎて、痛い。
「……お待たせー…」
紅茶が入ったティーポットに、砂糖とミルク、空のティーカップ四つ、それと先日作ったクッキー。それらをトレーに乗せて歩けば、カチャカチャとティーカップ達がぶつかり合う金属音が鳴り響く。
ダイニングキッチンだから、私がキッチンに向かったときに三人が心配げにこちらを見ていたのはなんとなくわかったけど、有紀が何かを喋った後に視線が私からそれているのも分かった。
戻って来た私に、三人の意識がすぐさまこっちに向いた。このあとどうしよう、部屋に行かずに今日はリビングで遊ぼうって言おうかな…。でも、それだったら相談が……。
頭の中で必死になってぐるぐると考えて、決心がついた。よし、……話そう…!部屋に行く前に、ちゃんと伝えてから……!
様々な物が乗ったトレーを、テーブルの上に置く。その行動に不思議そうな顔をするせりと七瀬。有紀はといえば、丁度よかったと言わんばかりの笑顔を見せた。
「おう椿、とりあえずちょっとこれ見てくれよ!!」
「え!?わ、わわわっっ!!」
近距離だから手渡ししたらいいのに、有紀は何か丸い物をぽんっと空中に投げ捨てた。
家の明かりの光を反射させながら、それは私の胸元へと落ちてくる。慌てて両手で包み込むようにそれをキャッチした。
金属というよりはガラスっぽいし、落とさなくてよかった、とその球体を握りしめて小さく息を吐く。
「なあ、お前はそれ何に見える?」
「え?……………少し青みのかかった…ガラス玉?これ、水晶玉とか?」
手のひらの中にある物を、見たそのままの感想で返す。これと言ってなんの変哲もない、有紀が持ってるにはあまりにもシンプルなガラス玉だった。ヒビが入ってるのかな、とも思いくるくると回してみる。だけど、どれだけ見ても何も変わらない。そもそも、何に見えるって質問の意図が分からない。
自分が言おうとしていたことを少しどけて、有紀が渡してきたそれをまだまじまじと見る。うーん……何が言いたいんだろう……。さっきの聞き方、いつもとは違って少し真面目な感じだったし……。
やっぱり、ただのガラス玉にしか見えないよ。そう伝えて有紀に返した。
再び自分の手元に戻って来たガラス玉を、有紀は楽しげに見つめ、にやりと口角を上げた。
「ふっふっふ……やっぱり椿にも見えないか…」
「え?どういうこと?」
「私もせりもそれはガラス玉にしか見えないけど、持ち主の本人は中に砂時計が入ってるっていうのよ」
「相変わらず有紀は何かがぶっ飛んでるよねー」
あはは、といつもと同じ軽い感じで笑うせり。そのぶっ飛んでるという言葉は、有紀をからかっているのかただ何となく言った言葉なのかは分からないけれど、せりの言葉にいち早く反応したのはぶっ飛んでるらしい有紀だった。
「そう!この俺はいつだって一般人が歩く道を斜めかそれか上空を進んでいく、他人が認めてるか分からないが自分はそう認めてるなんか凄い少女だ!!」
「なんかって何!かっこいいこと言いたいなら語彙力付けようよ!!」
「ええい黙れこのツッコミが!!俺の話を聞け凄いから!!きっとその全然砂が落ちない砂時計は世界が俺を求めている証拠だ!そいつは何かのタイムリミットを表してるに違いない!!俺にしか見えないんだから俺が勝手に決めたって何も問題ないはずだ、だから今決めた!!どうだかっこいいだろう!この俺が!!」
「もうどこから有紀につっこんでいいか分からないよ、助けて!!」
一体どのタイミングで息継ぎしているのか分からないマシンガントークが飛んできた。確かにせりが言った通り何かがぶっ飛んでる。正直それは今に始まった事じゃないけど、今日は一段と酷い。
原因はきっとこのガラス玉……いや、有紀がこれだけ言ってるんだし、きっと本当に有紀には砂時計が見えてるんだろう。この有紀にしか見えない砂時計が確実に原因だ。これは彼女のテンションが最大になる部分を、見事突いてきたらしい。
ちなみにあたしが助けを求めた二人は、いつの間にか向かい合わせでテーブルにつき、優雅に紅茶を飲んでいた。くそう反応がないと思ったら!!
「有紀だけに見えるかー……。そういやね、今日分かったけどせりも何でかあの黒い空間に手を突っ込めるみたいだよー」
「……へ?」
「おおう流石せりだな!お前は何かしてくれるやつだと思っていたぜ!!よしその体質はきっと俺のお供になる為だ存分に黒い空間に体を入れろ!!」
「なんかめんどくさいからや〜だよん」
「くそうなんでだよ!!!!己に与えられた力フルに使い切れよ!!」
「え?え、え?」
ここでまさかのせりの発言、いつもどおり有紀に便乗したのかな。と、思ったけど、これは、もしかして、あたしだけあの黒い空間が見えてるのと同じような感じなのだろうか。
この話、七瀬はどんな顔で聞いているのか。少し気になってちらりと彼女をみた。いつもみたいに無表情なのかな。……そう思っていたのに、その顔は、少し今自分がしていた表情と似通っていて、何か思い詰めている雰囲気だった。
七瀬の事も気になるけど、これは、この状況は。今しかない。部屋に謎の空間が出来ていた、もしかしたらあたしだけしか見えないかもしれないと言うことを相談出来るのは、今だ。
「あの……実はっ」
「あ、砂が」
あたしの言葉を遮って、有紀が砂時計を見つめた。全然動かない、といっていたのに、どうやら砂が動いたらしい。あたしには見えないから、どれだけ動いたかは分からない。
それが顔に出ていたのか、有紀は「一粒だけ落ちたぜふううう!!」と叫んだ。
それタイムリミット表してるんじゃないの、落ちたら駄目じゃないの!?とつっこみを入れたかったが、有紀が叫んだと同時にイスに座っていた七瀬が勢いよく立ち上がった。
ばんっと大きな音を立てて立ち上がったから、テーブルの上に置かれていた紅茶がこぼれ落ちる。
いつもは絶対にしないような七瀬の行動に、あたし達三人は驚きを隠せず少し呆然とした。
見えた七瀬の顔は、眉間に皺を最大限に寄せて不快で仕方がなさそうな表情だった。
「……………嫌な音がする…」
「え?七瀬…?」
「椿、この家にあの黒いのあるわ」
「……!」
七瀬の言っている、嫌な音というのはあたしには聞こえない。せりも有紀も、きっと聞こえてない。今の状況的に、その音が聞こえているのは七瀬だけだ。
まだ眉間に皺を寄せながら、更に七瀬は嫌そうな表情で言葉を続けた。
「……でも、あちこちにあるのと何か違う…」
「……っ!そ、そう…!ある、あるよ…!!
どうしてか、あたしだけにしか見えてない、あの黒い空間が、今朝、あたしの部屋に突然……!!」
あたしの言葉に、いち早く反応したのは……有紀だった。
あたしの腕をがっしぃとつかみ、それはもうランランと目を輝かせ、いつも子供みたいな彼女に更に子供の好奇心を何十倍もかけたような表情だった。
え、待って今の雰囲気でその表情おかしくない!?
「ばっか椿、おま、ばっか。バッカ野郎!!!何でそんなこと早く言わなかったのなんだよ馬鹿なのかよもう馬鹿で良いよはやくお前の部屋に行こうぜええええええ!!!!!!」
「ちょちょちょちょちょ有紀ぃぃぃぃぃ!!!!」
ぐんっと引っ張られて転けそうになる。転ぶ!!本当に転んじゃう!!
有紀に引っ張られるまま、足がもつれそうになるけど走る。走らないと転んで床に頭ぶつけちゃう!
後ろを向くと、あたしと有紀に続くようにせりと七瀬が小走りでついてきた。せりは楽しそうな表情だけど、七瀬はもう本当嫌だ帰りたいって思っているのが分かるぐらい怖い顔をしていた。
正直七瀬があそこまで表情を変えるのは、数年のつきあいだけど初めて見たぐらい。そんなに聞こえる音が不快だし関わりたくないのかな…!
ばぁん!!とあたしの部屋の扉を勢いよく開ける有紀。その行動は何かデジャブを感じた。あ、今朝の兄ちゃんか…!!
部屋に入って、きょろきょろとあたしの部屋を見渡す。でも、壁にある黒い空間に視線が止まることはないから、やっぱり見えないんだ、と確信した。
「おう椿!その黒い空間どこだ!?」
「え、えっと、……その、ベッドの真横の壁…」
「…………確かに、そこから変な音が聞こえるわ…」
「へー、そこかぁー」
続いて部屋に入ってきたせりが、何の躊躇もなく黒い空間に向かって足を進め、ベッドの上に乗り、手を伸ばした。
その行動に、あたしはぎょっとした。
「せ、せり!?何してるの!?」
「だーいじょうぶだってー。せり黒いの触っても何もないしー」
けらけらと笑いながら壁に手を付く。そこは、あたしが見えている黒い空間のど真ん中だった。
あたしが触れようとした時みたいに、何か衝撃がくるようではなかったみたいで、ほっとした。せりは本当に壁を触ってるだけみたいで、何もなくただ「んー?」っと唸っていた。
なんだ、つまんね。と有紀が言葉を漏らした。
その、瞬間。
――――どぷんっ
「………え?」
沼に石を放り込んだ。そんな時に聞こえるような音が部屋に響いく。
黒い空間は、せりが触れている手を中心に波打って、ずぶずぶとせりの腕を飲み込んでいった。
「え?え?え?何、え?飲み込まれ、」
「せり!!」
頭の中が真っ白になって、とにかくせりのところまで駆け寄ってその体を抱きしめて、引っ張り出そうとする。でも、あたしじゃどうにもならない力でせりの体は吸い込まれる。
その時、せりを引っ張るあたしの体が、更に後ろに引っ張られた。
「……っ、だから、こういうのと関わりたくなかったのよ…!」
「おいおいおいおい確かになんかファンタジー的な展開は望んでたけどこういうのは止めてくれよぉお!!」
「な、七瀬!有紀ぃ!!」
「さ、三人ともっ、手を離しちゃやだからねー!!」
もうせりの体は黒い空間に半分以上入っていて、暗くて何も見えない空間からくぐもった涙声だけがこちらに聞こえてくる。
必死になって引っ張るけど、むなしくも何も意味がないようでせりの腰に抱きついているあたしの腕も既に黒い空間の中。外に出ているせりの体は、もうほんのわずか。
「………あっ」
そのわずかな部分すらも、黒い空間の中に飲み込まれてしまった。その瞬間、あたし達三人の体は落ちるように、せりに続いて飲み込まれてしまった。
―――とぷん…