10:Reencounter
-Turning point-





 いろいろあって野生の大型犬――むろんグラエナのことである――に噛まれたと言ったら執拗にレントゲンを撮られ、それにしては噛み千切ろうとして暴れた形跡がないと首を傾げる医者。噛み千切られる前に放させたと重ねればますます不可解そうにしていたが、それ以上詳しい事を話す気は毛頭なかったので完全無視を決め込んだ。野生ポケモン相手に説得を試みたなんて荒唐無稽な話、笑い話のタネにこそなれどまともに取り合う人間など誰もいないだろう。どうやら医者の方も私に話す気がないと分かったのか、怪我の経緯を問うのをやめてこれからの治療方針について色々と話してくれた。

 その後も迷路のような病院内を検査だの何だのの為にあっちこっちへ引き回されて、抗生剤、痛み止め、その他諸々を処方され、最後に次の診察の予約を入れさせられてようやく釈放となったのは翌日の朝のことだった。大規模な手術や入院にこそならなかったが、まさかこんな薬臭い所で一夜を明かす日が来るなど思ってもみなかった。

 「…んん〜…」

 青い空に手を翳して、ほぼ丸一日ぶりの太陽を満喫。薬品臭のしない新鮮な空気を思う存分吸い込み、待合室でぼーっとしすぎて凝り固まった身体をぐーっと伸ばし…びりり、と走った鋭い痛みに息を詰めて顔を顰めた。白い三角巾に吊られたお荷物、ギプスと包帯まみれで我ながら痛々しい左腕へと視線を落とす。医者の話によると先の理由により折れた骨にはさほどズレが生じておらず、暫く固定してそっとしておけばそのうち問題なくくっつくそうだ。折れた爪で抉られたのか、思っていたよりズタボロだった上腕の縫い傷も含め――診断は、全治一ヶ月強。

 (…まあそんなもんか)

 これから怪我が治るまでのあれこれについて、漠然と想いを馳せてみる。当然ながら二つのバイトは休むしかないだろうし、寄る辺なき1人暮らしの身からすれば日常生活すらわりと危うい。しかし、ダメにしたのが利き腕でなかっただけまだ救いがあると思うべきだろう。
 それ以前に、連絡なしの無断欠勤で多大な迷惑を掛けているだろうバイト先に早い所事情を、しかも当たり障りのない所だけ掻い摘んで説明しなければならない。本当なら電話で連絡を入れられればそれが一番早いのだが、生憎と番号は家の電話機のメモリーに頼りきりでさっぱり覚えていないのだ。要らない要らないと思っていたが、いざという時はないと不便だと今回の件で嫌というほど学習した。これを機に携帯電話的なものの購入も真剣に考えてみるか…

 「っと、」

 あれこれ考えているうちに足は勝手に目的地へと辿り着き、とりとめのない思考をシャットダウン。昨日と変わらない場所に放置されたままの愛車のボディをひと撫でしてから、ポケモンセンターの自動ドアを潜った。

 「こんにちは!ようこそポケモンセンターへ…あ、」
 「どうも、ジョーイさん。昨日はご厄介かけました」
 「いいえ、とんでもないです。それより、良い所に来てくれましたね」

 ジョーイさんが眩しい笑顔で助手のラッキーを呼ぶと、頭にナース帽を乗せたピンク色がとことこと近寄ってきて『こっちです』と袖を引く。まさか預けたグラエナに何かあったのだろうか?良い方にも悪い方にも取れるその言葉に不安を感じてジョーイさんの顔を見遣れば、なぜか困ったような苦笑が返ってきた。

 「そんな怖い顔をしなくても大丈夫ですよ。グラエナくん、つい今しがた目を覚ましたんですが、ちょっと…」
 「ちょっと?」

 ぐい、と服を引っ張る力が強くなって、バランスを崩してよろめいた。

 「うわっ!?」
 『とにかく、来てもらった方が話が早いと思います!さあ、早く!』
 「ちょ、ちょっとラッキー!歩くから引っ張らないで!」

 ジョーイさんに手を振られつつ、ラッキーに半ば引きずられるようにやってきたのは集中治療室のドアの前。どうしたっていい印象の抱けないその5文字にいよいよ思考がネガティブな方に傾きかけて、マコトはあれ?と首を傾げた。どうも中の様子がおかしいのだ。…なんというか、集中治療室にあるまじき元気な怒声が聞こえてくるというか…

 『離せ!!お前ら、あの人を一体何処へやったんだ!?』
 『あなたを運んできた女の子なら今頃別の病院でちゃんと治療を受けてるから大丈夫だって言ってるでしょう!それに昨日の今日で外出許可なんて出せません!!』
 『くっ…!でも、俺は…!!』

 間違いない、昨日拾ったあのグラエナと、恐らく婦長かなにかだろうやたら貫録のある声のラッキーが何やら言い争っている。それもどうやら、私を探しているらしい…

 『ついさっき目を覚ましたかと思えば、それからずっとこんな調子なんです』
 「そう…無事でいてくれたのは何よりだけど、もう動いても大丈夫なの?」
 『はい、稀に見る凄い生命力で順調に快復しています。ただ、念のためもう一日は安静にして様子見…って、え?』

 うっかり普通に返事をしたら隣のラッキーが目を丸くしていたが、周りに人の気配はないのでひとまず気にしなくても大丈夫だろうと判断した。部屋の中に入ってつかつかと現場に歩み寄り、特性“いかく”発動で毛の逆立った尻尾を容赦なく掴めば、余程驚いたのか『ふぐぉあ!?』と変な悲鳴。

 「グーラーエーナ?」
 『…あ、』

 先程までの威勢が嘘のように、しおしおぺたん、と垂れる耳と尻尾。あまりにも分かりやすい反省っぷりに思わずきゅんとしてしまった。可愛い所もあるじゃないか。何はともあれ、無事でよかった。彼を助けてくれた感謝と謝罪の意味で婦長ラッキーに軽く頭を下げてから、グラエナの前に回って目線を合わせる。

 「この通り、私なら大丈夫よ。落ち着いた?」
 『はい…すみません』
 「分かればいいのよ。今は治療に専念して安静に……?」

 しゅーんと項垂れた頭を撫でようと手を伸ばして……停止。ちょっと待て、いま会話内に何か妙な違和感を感じたぞ。

 「グラエナ、あなた最初からそんなキャラだったっけ?」
 『いえ。体を張って助けてくれた恩人に失礼な言葉は使えませんから』
 「そうなの?私が勝手にしたことなんだから気にしなくて良いのに」
 『でも、』

 何とも気まずそうに、腕の包帯と私の顔を交互に見比べてまたしおしおぺたん。2度目だというのに不覚にも再びきゅんとなりつつ、その様子を見て合点がいった。どうやら私のこの怪我に対して少なからず引け目を感じてしまっているらしい。元はといえば人間の勝手な都合で理不尽な虐殺に巻き込まれ、一瞬にして多くの仲間を失い、もっと酷い重傷を負っていたのは彼の方だというのに、だ。

 「…………」

 そんな奴等と同族である私など憎まれたって仕方ないのに、間違っても敬われるいわれなんて何処にもない。俯いたまま尚も何か言いたそうにしているグラエナの頭にぽす、と手を置いて、彼の自責の念を取り除くべく耳元にそっと口を寄せた。

 『――あの時、もし私がこれで話しかけてたらあなたはどうしてた?』

 ぽかんと成り行きを見守っているラッキー達には聞こえないよう注意しながら小さく、本来人間が扱えるはずのない言語でそう囁くと、案の定これ以上なく驚いた様子でこちらを凝視するグラエナ。秘密にしてね、の意味で口元に一本指を立ててから、用意していた言葉の続きを吐き出していく。

 「きっと今みたいに驚いて、固まっちゃって何もできなかったでしょ?だからこれは回避できた危険を察知できなかった私のミスよ。あなたが気に病むようなことは何もないの」
 『………!』

 しれっと混ぜた2割方の嘘。本当は、あの場面でポケモンの言葉を使うのはある種の逃げのような気がして敢えて…なのだが、今は私の意図したことなどどうでもいいだろう。こんな時妥当な笑みでも浮かべておければいくらかは様になったのだろうが、残念ながらそんな便利表情の作り方は随分前に忘れてしまって久しい。よって、今の私に作れるのは真面目くさった真顔だけである。
 言葉の真意を探るように、落ち着いた深い藍色の瞳――ポチエナ族には珍しい色だ――が私の暗い緑の両目を暫しの間覗き込み…

 『…ぷ、くくっ』
 「?」

 突然、吹き出した。別に面白い事を言ったつもりは無かったのだが、いったい何がツボに入ったのだろう。

 『…悪運もここまでくれば奇跡、だな。あの時素直に助けられておいて本当によかった』
 「ええと…そいつはどうも」
 『感謝するのは俺の方です。今こうして改めて話して、やっと決心がつきました』

 黒い尻尾が楽しげに揺れて、す、と獣が誇り高き頭(こうべ)を垂れる。それは野生の世界において、対する相手に一切の敵意を持たないことを示す合図だ。つまり、プライドの高い種族であるはずの彼が、目の前のこんな小娘ごときに従属の意を示してみせたのだ。
 …え?従属?

 「ちょっま、グラエナ?」
 『待ちませんよ。俺はもう決めたんです。この恩はきっとあなたの傍で返します、“ご主人”』

 “ご主人”、強い意志の感じられる声音ではっきりとそう言われ、返すべき言葉が咄嗟に出てこず喉の奥につっかえた。良かれと思ってしたことを認めてもらえた、という点では勿論嬉しい。一緒に来たいと言ってくれたこともそうだ、善きポケモントレーナーならば誰しも手放しで大歓迎するこれ以上ない喜びだろう。でも、

 「…私、トレーナーじゃないわよ。第一、あなたは傷が治ったら元の縄張りに帰るんでしょう?」
 『囮として残る時に、群れは信頼できる若いのに託してきました。帰るとしても顔だけ見せたらあそこを離れるつもりでしたから心配要りません』
 「えっ?」
 『それに、ご主人のパートナーになれるなら俺は尚のこと嬉しいですよ』
 「え、えーと、そうじゃなくて…うううう……」

 自由な右手で頭を抱えつつ何をどう言うべきか考え、一瞬にして放棄。理屈はどうあれモンスターボール、あれだけは、絶対にこの手にしたくはないのだ。とりあえずご主人呼びだけやめてもらおうと、縋る思いでグラエナの左前足をぎゅ、と掴む。そういえばまだ名前を告げていなかったな、と今更ながら思い出し、訂正されることを願って口を開く。

 「あのね、グラエナ。私の名前は…」
 『マコトーーーーーーーー!!!!!』

 しかしその目論見は、突如響いたずがああぁん、と扉が叩きつけられる音と私の名を呼ぶ大声に阻まれて消えた。何事かと振り返る前に、背中に重い衝撃。怪我と骨折に響く激痛に「い゛!?」と変な声が出ながらも咄嗟に怪我を庇いつつ転がり、結果的にはその乱入者に仰向けに押し倒されるような格好になった。倒れた私の傍で低い唸りを上げて今にも飛び出しそうなグラエナを、ラッキー達が2匹がかりで必死に押さえているのが横目に見える。

 『お前な!!性懲りもなくまた行方不明だって言うから死ぬほど心配したじゃねぇかコラァ!!』
 「ええええぇっ!!?まめすけ!?なんで!?」

 嗚呼、色々と衝撃的な事が立て続けに起こりすぎて思考回路が爆発しそうだ。ぜえはあ荒い息を吐き半分涙声になりながら、怪我のない方の肩を容赦なくべしばし叩いてくるまめすけ。痛い痛い痛い、そして何故にここが分かった。先生といいお豆といい、もしかして私はGPSか何かで遠隔から監視でもされているのだろうか?

 『んな訳ねーだろバーカ!お前の友達のあのぽやぁっとした奴から聞いて大体の目星をつけてきたんだよ』
 「あ、ああ、なるほど…」

 毎度のことながら考えていることをさらっと読まれた。ソースはエミか。あいつもあいつで、流石週3ペースででうちに飯を集りに来るだけのことはあるらしい。しかし、ここまで自分の行動が筒抜けというのも何だか恥ずかしいやら情けないやらすごく微妙な気分である。

 『おい!ご主人に何をする気だ、離れろ!!』
 『ん?何だ?あんたは』
 『それはこっちの台詞だ。さっさとそこから降りろ、今すぐ!』

 そして片や突然現れたまめすけを完全に不審者と認定したのか、敵意と牙を剥き出しにしてがうがうと吠えるグラエナ。それを聞いたお豆は渋々私の上から退いて手を引き助け起こしてくれたが、当然説明を求めてこいつ誰?と目で訴えてくる。説明しろと言われても、彼との件に関しては事情が事情であるがゆえにどうしたものか。頭の中の整理整頓も追いつかないまま困り果てた私がうんうん唸っていると、助け船は思わぬところからやってきた。

 『あの…何だか込み入った感じですし、一旦場所を移されてはどうですか…?』
 「『『………………』』」

 全くもってごもっともな案を呈した控えめな声にそちらを向くと、その隣でものすごい顔で仁王立ちしている婦長ラッキー。その声に混乱していた頭がすっと冷静になって…さぁっ、と肝が冷えた。そうだ、今の今まですっかり抜け落ちていたが、ここは仮にも集中治療室。つい先刻前までの和やかな話し合いならともかくとして、こんなにも元気で騒がしい奴らがぎゃいぎゃい喧嘩をしていいような場所ではなかったのだ。

 「す……すみませんでした」
 『よろしい。以後気を付けてください』

 苦笑いのひかえめラッキーに促されるまま、婦長ラッキーから迸る凄まじい気迫に押し出されるように、私達一人と二匹はすごすごと集中治療室から退散することになったのだった。







(みんなあつまれ)





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