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愛、屋烏に及ぶ

別れを選んだのは、若気の至りだといってしまえば簡単かもしれない。それでも若いなりに真剣だったし本気の恋愛だった。だからこそ不安になったし信じられなかった。今振り返ってみると愚かだったなと思う。

彼は年上だった。新入社員の私にも、他の社員と分け隔てなくとても優しく真面目に指導をしてくれた。その誠実さに惹かれるのに時間はかからなかった。
お互いの気持ちを確認し、交際を始め、同棲をした。
仕事のときよりリラックスしてはいるが、それでも私生活も真面目で誠実な人だった。自分の目で見た彼のことだけを信じられたら良かったのに、まだ若かった私は周りに惑わされ、彼のことが信じられなくなった。一度抱いた小さな不信感は消えることはなく、私の心に巣食ううちに大きな闇になった。

転勤を合図に「別れてください」と告げ、家を出た。返事は聞けなかった。

あれから数年。また転勤が決まった。
独身のうちは仕方がないかと諦め、新しい土地での生活を楽しもうと心に決めた。

そして迎えた転勤先の支社への初出勤の日。
配属された部署に顔をだした私は絶句した。

「……嘘でしょ」と思わず口をついて出た言葉は、目の前にいる彼にしか聞こえていないようだった。

「は、はじめまして。」
「違うだろ」
「社内研修とかでお会いしましたっけ?すみません人の顔覚えるの苦手で…」
「どういうつもりだ」
「どうと言われましても」

人気のない休憩室でドアを背に立つ土方さんは私を逃す気など更々ないようだ。

「このままずっと知らんぷりする気か」
「その方が…良いんじゃないかと思います」
「何故」
「何故って、だってそりゃ土方さんモテるし」
「だからなんだよ」
「元カノって知られたら何言われるかわかんないし」
「それはあのとき何か言われたってことか」
「あのときって?」
「お前が突然別れを切り出した時だよ」
「あ…それは、その」

あのときは大きなプロジェクトがあって、土方さんとひとりの女性社員がそれにつきっきりだった。その女性社員が土方さんに好意を寄せているのは簡単にわかった。私が彼女の眼差しに気づいていたからこそ、悪意を持った別の女性社員たちに不安な気持ちを利用されたのだと思う。
「彼、あの子とできてるわよ」
「プロジェクトのためと言いながら二人きりで残業してるじゃない」
「あなた捨てられるんじゃない?」
一度疑いを持つと、何も信じられなくなった。当時の私はまだ若かった。経験が足りなかった。

「……だんまりかよ」
「ごめんなさい」
「俺は別れたつもりねェぞ」
「え?」
「お前が別れようと言った日、返事してねェからな」
「だってそんな、もう何年も前の話で」
「簡単に忘れられる恋愛じゃなかった」
「私、疑ったんですよ?」
「好きだったからだろ」
「そうだけど……」
「信じる気になれねェ?」
「だって」
「俺はあのときからずっとお前が好きだ」

真っ直ぐな瞳でそんなことを言われると、蓋をしたはずの気持ちがどんどん大きくなって口から溢れてしまいそうだ。

「お前が置いて行った荷物、とってある」
「本当に言ってるんですか?私が出て行ったの何年前の話だと……」
「だからその何年も名前を忘れずに待ってたんだろうが」
「本気?」
「嘘に見えるか」
「見えません」
「なら信じろよ」
「土方さん…また私と付き合ってくれるの?」
「別れた覚えはねェんだって」

伸びてきた腕が私の体を引き寄せた。
硬い胸板に鼻が当たって少し痛かったが、そんなことどうでもいいくらいに嬉しくて、あの時と変わらないタバコのにおいが懐かしくて胸が熱くなった。

「私もずっと忘れられなかった。あのときはごめんなさい」
「不安にさせて悪かった」
「信じられなくてごめんなさい」
「俺にはお前だけだ」
「はい」
「また始めよう」
「はい」

転勤初日に私たちの交際は噂になったが、あの頃のように悪意を持って接してくる人はいなかった。まあきっと、そういう人がいたとしても今度こそ目の前の彼のことだけを信じられる、そういう自分になれている気がする。


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