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干潟の旋律

翌朝私は早々に身支度を済ませ、とある人物を訪ねていた。現在の吉原のまとめ役で相談役も担っている元花魁の日輪さんだ。恐らく彼女はこの吉原で一番銀時様と仲が良く、彼をよく知っているであろう。この人は銀時様のことだけでなく、人間というものをよく知る人だ。

「日輪さん、少し良いですか?」
「あら、名前太夫。どうしたんだい?」
「ちょっと相談がありまして」

お昼から銀時様と地上で会う約束をしていること、町娘が今時どういう格好をしているのかわからないことを話すと、彼女は瞳を輝かせ「デートなんだから気合い入れなきゃね」とファッション誌のようなものを持ち出した。車椅子を自在に操る日輪さんに横に座るように促され、私は長椅子に腰掛けた。

「若い子の間ではこういうのが流行ってるらしいけど、相手は銀さんだってこと忘れちゃいけないよ。あの人は世の中の酸いも甘いも噛み分けた人だから。中々食えない男だろう?」
「ええ。まだよくわからないです」
「でもね、とてつもなく懐の深い優しい男だよ、あの人は。それを見せないから小さいオトコに見られがちなんだけどね」

ひとしきり、ああでもないこうでもないとデート着に関する議論をしたあと、日輪さんは改めて私の顔を見て苦笑いをした。

「どうしましたか?」
「他にもまだ相談があるんだろう?」

この人も、銀時様と同じように敏い人だ。吉原という過酷で特殊な生態系を持つ場所で誰からも愛される花魁になった彼女は、周りの空気に敏感だった。今だって、私の表情ひとつで悩みがあることを言い当ててしまうのだから。存外私が分かりやすいだけなのかもしれないのだが。

「実は、ここに来て以来一度も上に行ったことがないんです」
「…そう」
「怖いんです」
「なにが怖いんだい?」
「違う世界があるようで、私は時代に置いてけぼりにされているんじゃないかって」
「はは、そんなこと?」
「そんなこと、なのでしょうか」
「ここも上も変わらないさ。人が作った町だからね。好きなことやってバカやって、笑って泣いて、吉原も銀さんがいるかぶき町も、同じだから安心しなさい」
「はい」
「うじうじしてる時間はないよ。天下の名前太夫がなんて顔してるんだい。さっさと着飾って行っておいで」
「はい、行って来ます」
「今日は戻らなくて良いからね、店の男衆には私が伝えておくから」
「…はい」

ニヤニヤと口角を上げて話す日輪さんにお礼と別れを告げ、呉服屋に向かった。先ほど雑誌で見たものを参考に、デート向きの着物を選び着せてもらった。それからいつも付けている真っ赤な紅ではなく、薄い桃色の紅を付けて地上へと続くエレベーターに乗り込んだ。まるで異世界に行くような恐怖感が拭えないが、きっと扉が開いた先には銀時様が待っていてくれる。そう思うと勇気が湧いた。

ドクン、ドクン、ドクンと心臓がやけに大きな音を立てている。外に出る緊張と、銀時様に会う緊張とが相まって、全身が心臓になったみたいに鼓動を感じる。

ーーチン、となんとも控え目な音がした後に扉が開いた。流れる空気は同じ。深呼吸を一つして私にとっての大きな一歩を踏み出した。見知らぬ世界にたった一人放り出されたように心細くて、キョロキョロと彼の姿を探す。

「よォ、大丈夫だったみたいだな」
「銀時様…!」

いつもの着物姿の彼はすっと私の横に並び、そう言った。どうやら私が出てくるのを近くで待っていてくれたらしい。

「着物、似合ってるな」
「そうですか…?こんな着物着慣れないから不安で」
「いい感じ。早速行くか」
「はい」

こうして私と銀時様の一日デートが始まった。

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