25

「あれ?姐さん具合悪ィんですかィ?」
「え?そんなことないよ?」

昼食時、沖田くんとその日初めて顔を合わせた時にそう言われた。彼が私のどこをどう見てそう言ったのかはわからないが、体調は至って普通だ。怠いのも眠いのもいつも通りだし、早く帰ってお布団に飛び込みたい気持ちなんて、社会に出て働いている人の八割以上が持っているものだろう。

隊士の殆どが利用する食堂で料理するとなると使うのは大鍋ばかり。人数分一気に調理する為、振るう鍋も大きいものばかりで、火の熱さと激しい動きが相まって額から噴き出すように汗が出るのも致し方ない。
ああ…なんだか今日はやけに暑い。

一通り調理が終わり、食堂を訪れる隊士たちに配膳が終わればあとは後片付け。洗い物で埋め尽くされた流し台を見るとため息が溢れるが、これが私に与えられた仕事なのである。その対価として十分すぎるお給料をもらっているのだから文句など言えるわけがない。パートのおばちゃんと共に一心不乱に汚れた食器を洗う。水が気持ちいいな、何て考えた瞬間に洗っていた食器がツルっと滑って手元を離れ、流しに溜まっていた食器とぶつかり割れてしまった。

「ナマエちゃん大丈夫?」
「ごめんなさい、大丈夫です」

慌てて割れた食器を片付ける。拾い上げると指先にピリッとした痛みを感じ、玉のように鮮血が出てきた。

「ちょっと切っちゃったから絆創膏取ってきます」
「もう少しだから私がやっとくよ。しばらく座って休んでなよ」
「良いんですか?」
「なんだかボーッとしてるみたいだし。いいから任せなさい、ね?」
「ありがとうございます」

傷口をティッシュで押さえ、食堂を出て医療用具が置いてある部屋へ向かう。食堂を出たのに汗が止まらないのは何故だろうか。

「失礼します…」
「あれ?ナマエさん?」

部屋に着くと包帯やら薬やらを補充していた山崎さんがいた。普段この部屋に出入りするのは隊士ばかりなので、女中の私が来ることが珍しかったのか、ひどく驚いた顔をされた。

「どうしたんですか?顔色悪いですけど…」
「え?いや手を切っちゃったから絆創膏貰おうと思って」
「それだけですか?」
「ええ、まあ」
「あの、俺が言うのもなんですけど、少し休んだ方がいいですよ」
「え?」
「だから顔色、凄く悪いです。横になったらどうですか?隣の部屋空いて…ないか、どうしよう」
「でもまだ仕事が」
「ちょっと副長に相談してきます」

山崎さんは救急箱を漁りながら「確かここに…」と呟き、ピンク色の可愛らしい絆創膏を出してくれた。何故男所帯にこんなものが?と聞くと、前に何かのオマケで貰ったらしいのだが、如何せん男所帯であるため使う機会がないまま長いこと眠っていたらしい。そのまま待つように言われ、すでに出血の止まった指に絆創膏を貼って畳に座り込んで壁に寄りかかった。目を瞑ればすぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。

「おい、ナマエ」
「副長…」
「大丈夫か?立てるか」
「いや、平気なんですけど…」
「本気で言ってんの?」

眉間に目一杯皺を寄せた副長は、私の額に掌を当て、熱あんだろと言った。嘘?そんなことないと思うんだけど。副長と目を合わせたまま首を傾げて見せると、盛大にため息をつかれた。

「今空いてる部屋ねェから、俺の部屋で寝てろ。布団敷いてやっから」
「いやだから、私なんともなくて」
「今日そんなに汗かくほど暑くねェぞ。なんで手なんて切った?意識朦朧としてたんじゃねェのか」
「そうなんですかね…」
「自覚症状ないのか?気づけよアホだろ。とにかく行くぞ」

副長に腕を引かれて立ち上がった瞬間目眩がして足元がふらついた。ああ、なんだ、本当に具合悪いんだ…私。

「っと、大丈夫…じゃねェな」
「すみません」

共に副長の部屋に向かい、恐れ多くも布団を敷いてもらい横になった。自覚してしまえば具合が悪い気がしてくるなんて、何とも単純な脳だこと…。副長にお礼を言って目を瞑るとあっという間に睡魔に襲われ意識を手放した。

「副長、頼まれたもの買ってきました」
「おう、山崎。サンキューな」
「ナマエさん大丈夫ですかね」
「色々あったしな、こいつもキツかったんじゃねェか。事前に気付けなかった俺の落ち度もあるが…」
「ナマエさんって…しっかり者に見えて、案外子どもっぽいところありますね」
「すぐムキになるし意地っ張りだし頑固だし」
「副長といいコンビですよ」
「んだとコラ」
「大声出すとナマエさん起きちゃいますよ〜。じゃ、俺はこれで」
「ああ、助かった」

私が眠っている間、副長が汗を拭ったり冷却シートを貼ってくれたりと甲斐甲斐しく世話をしてくれていたらしい。目を覚ますと部屋に副長はいなかったが、代わりに隣で沖田くんが寝転んでいた。枕元には薬や果物、スポーツドリンクなど、お見舞の品と思われるものがたくさん置かれていた。マヨネーズは…使えそうにないけれど。

「沖田くん、沖田くん」

布団もかけないまま眠っていた沖田くんを起こすと、あのふざけたアイマスクがずいっとずらされて、可愛らしい瞳が見えた。

「風邪引いちゃうよ」
「引いてるあんたに言われたくねェ」
「ごめん」
「昼間言ったろィ。さっさと治してくんねェと」
「心配かけたね」
「あんたの飯じゃねェと食う気しない」
「うん、早く治す」
「じゃあもうちょい寝てろ」
「はい」

あのふざけたアイマスクを手渡され、しぶしぶ受け取り装着するとパシャパシャと写真を撮る音が聞こえた。きっとしばらくの間、ふざけた格好をした私の写真が屯所中で流布するだろが…今は何も考えずに眠っていよう。元気になったら迷惑をかけたお詫びにみんなの好きなものを作ろうと心に決め目を閉じた。

prev | next