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銀さんが事故にあってから1ヶ月と少し。以前のような夫婦関係に近づけているとはいえ、記憶が戻ったわけではない。忘れられた私よりも忘れてしまった銀さんの方がきっと苦しんでいる、そう思うと泣きごとなんて言えなくて、私はただ大好きな彼の前で笑顔で居続けようと誓った。

それでもやっぱり苦しくて。
徐々に変わっていく自分の体と、母になることへの恐怖。そして何も知らずに突然父になる銀さんはこのことをどう思っているのか、なんて色々な思いが重なって、みんなが仕事に行っている間ひとりで泣くことが増えた。涙を流せばスッキリするし、また頑張ろうと思えるから…そう思って泣くことを我慢せずにいた。

(銀さん、置いていかないで、忘れないで)

日を追うごとに涙脆くなってしまい、ついには夢を見ながら泣いてしまうようになった。今日もひとり、居間でうたた寝をしている間に嫌な夢を見てしまい、起きると頬に涙が伝っていた。

(記憶が戻らないなんてこと、ないよね)

記憶がなくたって、銀さんは銀さんで、私の愛しい人に変わりはない。それでも…二人で積み重ねた思い出を共有できないのはとても寂しかった。

ずっとそばに居てくれ、なんて不器用で銀さんらしいプロポーズと共に渡されたシンプルな指輪は、彼が初めて私にプレゼントしてくれたもので、私にとって命に代えてもいいほどに大切なものだ。指輪の裏には二人の結婚記念日の日付を彫ってもらった。今日はその日だ。きっと銀さんは覚えていないだろうが…。

「さて、そろそろ夕飯の支度しなきゃ…」

私がうじうじしてても銀さんの記憶が戻るわけではない。だから私はいつもと変わらない温度で銀さんのことを迎えるだけだ。

今日は私達の結婚記念日なんですよ、と銀さんに教えてあげなくてはいけない。忘れてても良いじゃない、また新しい思い出を作れば良いだけ。

彼の好きなものをたくさん作ろうと、買い物リストを頭の中で作り上げていると電話が鳴った。

「はい、坂田です」

「名前?今日は新八も神楽も飯いらないって。俺はもうすぐ帰る」

「はい、わかりました」

「体調悪くなってねェか?大丈夫?」

「大丈夫ですよ」

「無理すんなよ、じゃあ」

こうやって出先からでも必ず心配をしてくれる優しいところは以前と全く変わらない。記憶がなくても彼は私の愛しい人。

もうすぐ帰ってくるならば、買い物へは一緒に行こう。そう思い、私は風呂の準備をしに向かった。掃除は仕事に行く前に銀さんがしてくれていたので、湯を張りながら溜まって行く様子をボーッと眺めていた。今日は一緒に入ってくれるかな、なんて。

ーーピンポンと聞き慣れたチャイムが鳴って、私は湯を止め慌てて玄関へ向かった。

「はい、今開けます」

「名前、開けなくていいからさ、そこで後ろ向いてて待ってて」

「銀さん?お帰りなさい」

「後ろ向いた?」

「はい」

チャイムを鳴らしたのは銀さんで、私にその場で後ろを向くようにと言った。私は彼に言われた通りに戸に背を向けてただ待っていた。ガラガラと戸を開く音がして、銀さんが入ってきた気配のあと、戸が閉められた。

「銀さん、いったいどうしたんです?」

「名前、こっち向いて」

振り返ると、銀さんは大きな花束を抱えていた。

「え…?どうして?」

「名前、改めて…ずっと俺のそばに居てくれませんか」

どうして、記憶がないはずなのに、一年前の今日と全く同じ言葉で、どうして…

私は返事をするよりも先に銀さんに抱きついて居た。銀さんはそのたくましい腕で私の全てを包み込んでくれた。

「名前、泣かせてばっかりで悪かった」

「え?」

「お前がひとりで泣いてるの知ってたんだ。つらい思いさせてごめん。大切なのに忘れてごめん」

「そんな…銀さんは何も悪くないのに」

「愛してるよ、名前。だからもう一回仕切り直しさせてくれ。今日からまたスタートしよう」

「銀さん待って、今日が結婚記念日だって知ってたの…?」

「今日出先でさ、なんとなく気になって指輪の裏を覗いたんだ。そしたら日付が彫ってあって…それが今日だって気付いて、大切な日だって思った瞬間に…全部思い出した」

もうなにも言葉にならなかった。みっともない嗚咽だけが漏れて、私は銀さんにしがみついて震えることしかできなくて。それでも銀さんはゆっくり私の背を撫でてくれた。

「ごめん、本当に悪かった」

もういいの、そう言いたくて首を振った。銀さんはゆっくり私の体を離すと、涙でグチャグチャになった私の顔を覗き込んで「もう一度、俺と結婚してください」と言った。再び涙が滝のように溢れ出て、言葉など発せない私は返事の代わりに銀さんに口付けた。

「はは、もう泣きやめ」

「無理です…っ」

「ごめん、ごめんな。愛してるよ」

「私も、愛してる」

危機を乗り越えた私たちは以前よりも強い絆で結ばれたのだと確信した。すでに愛しくてたまらないのに、きっとこれからもっともっとこの人を好きになる。そう、確信めいた予感がしていた。

--終--


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