寮の外を歩いていると、少し離れた所に見間違える筈のない後ろ姿を見つけた。緑色の短髪、筋肉質な広い背中。南十字学園ボクシング部のホンダ・ジョージ先輩だ。思わぬ偶然が嬉しくて、自然と駆け足になる。
「ホンダ先輩!」
「お、めのうか。」
ロードワークに出ていたのか、額に浮いた汗をタオルで拭いながらジョージが振り返る。
「自主トレですか?」
「まぁな。」
沈んでいく太陽が、最後の輝きを放つ夕暮れ刻。隣に並んで立つと、地面に長く延びた二つの影が手を繋いでいるみたいに重なった。
「シナダ先輩が、最近ずっと部屋に籠ってるみたいだって言ってましたけど…、何かあったんですか?」
「………」
思わぬ問いに言葉が詰まり、ジョージは不自然に視線を逸らす。まさか銀河美少年に続いて、今度は年下の女にボクシングでぶちのめされたなんて、口が裂けても言えない。
「あー……ま、色々あんだよ。」
曖昧に言葉を濁すと、隣からふふ、と小さな笑い声が聞こえた。今の会話のどこに笑う要素があったのだろうか。ジョージは怪訝そうに眉を寄せる。
「何だよ。何笑ってんだ、めのう。」
「いえ。誰に負けちゃったのかは知りませんけど、私ホンダ先輩のそういうとこ、大好きだなって。」
「…は?」
全く構えていない所に不意討ちのジャブを食らったような、そんな心境。何故負けたことを知っているのか。いや、それ以前に、こいつ今何て言った?色々なことに驚いて目を見張るジョージを見上げ、めのうは慌てて言葉を付け足した。
「あ、誰かから聞いたとかじゃないですよ!ホンダ先輩のことだから、きっと誰かに負けて悔しくて、部屋に籠って武者修行でもしてるんだろうなって。」
「いや、そっちは…別にいいんだけどよ…。その、後。」
「え…、あっ!」
歯切れ悪く言い淀むジョージの様子に首を傾げながら、何かおかしなことを言ったかと記憶を辿ってみる。原因となった自分の言葉に思い至ると、めのうは口許を押さえた。自分でも無意識に放った言葉だったのか、頬がみるみる赤く染まっていく。
「あ…、あの…。」
「…お、おう。」
「えっと……その、」
微妙な沈黙が流れる中、めのうは金魚のように口をパクパクさせていたが、やがて観念したのか大きく一つ深呼吸してジョージの方に向き直る。
「私そんな風にボクシングに一生懸命なホンダ先輩のことが大好きです!」
一息で言い終えて、めのうは直ぐ様くるりと背中を向けた。
「……めのう、」
後ろから聞こえる声に、びくりと肩が跳ねる。勢いに任せて言ったはいいが、頭の中は真っ白で、今にも心臓が飛び出してしまうのではないかと思うほど、耳元でドクドクと脈を打っている。恥ずかしくて、怖くて、振り向くことなんて出来る筈がない。
「頑張って下さいね、私いつだってホンダ先輩のこと応援してます!」
呆気にとられたまま目を瞬かせるジョージを置いて、めのうは吹き抜ける風に乗って走り出す。引き留める間もなく遠ざかっていくその背中を茫然と見送り、めのうの姿が寮の中に消えた後も、ジョージはそこに立ち尽くしていた。
「…言い逃げかよ。」
先程のめのうの言葉が頭の中で何度も何度も反芻され、その度に顔の火照りが強くなっていく。赤らんだ頬を隠すかのように、ジョージは肩に掛けていたタオルで顔を覆った。
110106
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