引っ越しの理由は、父親の仕事の都合での転勤だった。新しい土地に上手く馴染めるか不安だったし、生まれ育った大阪を離れるのは悲しかった。友達と、何より光と離れるのが辛かった。
『そっちの暮らしにはもう慣れたんか?』
久しぶりに聞いた気がする声は、電話越しであること以外は大阪にいた頃と何も変わらない。耳に心地よい低めの落ち着いたトーン。
「うん、まあ大阪ほどではないけど、ここも結構ええ町よ。」
『そか。』
皆転校したばかりの自分に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるし、ご近所付き合いも上手く行っている。ようやくこちらの土地にも慣れて、生活も落ち着いてきた。
「友達も出来たよ。けど、」
“―…光がおらへん。”
思わず口に出してしまいそうになって、寸でのところで何とか言葉を飲み込んだ。けれど一度寂しさを自覚してしまえば、それは瞬く間に心を冷たく覆っていく。
寂しい。
光に会いたい。
声に出せない声が頭のなかで響き渡る。つんと鼻の奥が痛くなる。熱くなる目頭を咄嗟に押さえた。駄目だ、ここで泣いたら光に心配を掛けてしまう。
『めのう?』
急に黙ってしまった自分を案ずる光の声が、涙腺を更に刺激する。
「か、母さんが呼んでるみたいや。ごめん、切る…!」
『え、ちょお、待ちぃや!』
震える息を吸い込んで、上擦った声で捲し立てるようにそう告げると、めのうは制止も聞かず一方的に通話を切った。同時にぽたぽたとディスプレイに雫が落ちる。
「光…」
ぎゅう、とケータイを握り締める。会いたくて会いたくて仕方がないのに、簡単には会えないこの距離が憎らしい。
沈黙したケータイを眺め、光は一つ溜め息を吐いた。
「バレバレやわ、アホ。」
震えためのうの声が耳に残っている。きっと泣くのを堪えきれなくなって電話を切ったのだろう。
「変な意地張んなや…。」
確かに会いたいと言って簡単に会える距離ではない。けれど簡単ではないだけで、決して不可能ではない。光はケータイを握り締め、机に置いてあった財布を引っ掴んでポケットに押し込んだ。衝動に身を任せ、そのまま家を飛び出す。
めのうに会いたい。
会って抱き締めてやりたい。
ただその一心で。
あの電話を切ってから、胸を満たすのは後悔の念だ。今度はちゃんと笑って話せるようにしよう。そんなことを考えていた矢先、光用に設定した着信音が鳴り響く。随分と時間は経っているとは言えまだ今日の今日だ。少しだけドキドキしながら通話ボタンを押す。
「…光?」
『めのう、外出てき。』
「え?」
『今、お前ん家の前におる。』
一瞬言葉の意味を取り兼ねて、理解すると同時にめのうは目を見開いた。
「…うそ。」
『嘘ちゃうわ、アホ。せやから、早よ出てこい。』
今、何て。通話が繋がったまま、弾かれたように玄関に向かう。勢いよく扉を開け放っためのうは、玄関先に佇む光を見てようやく耳に当てたままの電話を外した。
「何で…」
「何や、来たらあかんかったんか。」
冗談めかしてそう問えば、瞬く間にめのうの目に涙の膜が張った。ふるふると首を横に振りながら伸ばされた手を掴んで引き寄せ、めのうを抱き締める。
「光、会いたかった…」
久々の匂い、久々に聞く生の声、久々に伝わる温もり。全身一杯でお互いを感じ合う。
「そんなん、俺かて…」
肩を震わせながら泣くめのうの背中をなだめるように軽く叩き、光は抱き締める腕に一層力を込めた。
「ひかる…」
「俺かて同じや。」
ただ会いたくて20140102
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