【5,執事と弟と私】





耳障りなざわめき。



観衆の興奮を示す熱風。



身動きが取れないまま暁斗は真っ直ぐに前を見つめた。視線の先にいる女は暁斗を見つめ大粒の涙を流している。



十字の台に磔(はりつけ)にされた真下でパチパチと火花が散っている。色のない、モノクロのそれ。

不思議と熱さは感じない。ただ胸に込み上がって来るのは、強い悔しさと未練。



「この男を焼き殺せ!領主様の娘と駆け落ちした罪、生かしておくことは出来ん!」

「大罪だ!」

「灰にしてしまえ!」



観衆の野次が四方八方から飛ぶ。視線の先にいた女がその声に泣き崩れた。美しい顔を悲しみに歪ませ、声を押し殺すことなく泣いている。

不意に火花が目の高さまで上がった。下を見ると暁斗の体に炎が燃え広がっている。



野次が歓声へと変わる。



視界が徐々に狭まって来た。最後まで見つめる先で女が1人の男に抱き寄せられる。暁斗を指差し、狂気じみた顔で嘲り笑っていた。胸に広がる悔しさ。無意識に奥歯を噛み締める。



リースから離れろ!



暁斗はそう叫んでいた。喉は焼かれ、声はもはや正常ではなくなっている。

リースと私は愛し合っていた。それなのになぜ、私達は引き裂かれなくてはいけない。頬に伝う涙が熱で蒸気へと変わる。視界は陽炎のように儚く揺れ、モノクロの炎がこの身を包む。



……リース。



最後に呟いたのは彼女の名だった。





そして、暁斗の視界は真っ暗になった。








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朝の日差しがカーテンの隙間から顔を出す。単調な電子音が鳴り始め、それを止めようとベッドから手が伸びた。

少しさまよった後、無事目覚ましのボタンが押される。数秒して起き上がった彼はまだ夢から目覚めていないようで目が虚ろになっている。



「おはよう、暁斗。今日もコーヒーで良かったですか?」



カーテンを開きながら司貴はいつもの挨拶を述べた。爽やかなそれは朝に相応しく、たとえ相手が寝起きだとしても勘に障ることはない。

寝起きで掠れた主の返事を耳に、司貴もいつものようにコーヒーを淹れ始めた。それは執事としての仕事でもあり、彼自身の朝の日課でもある。

おぼつかない様子でベッドから出ると顔を洗いにシャワールームへ向かう主。僅かに目が冴えた様子で帰って来ては今度は着替えを始めた彼を横目に一連の動作でコーヒーを淹れ終える。テーブルの上にはコーヒーと、朝が苦手な彼に見合う軽い朝食を用意し、その名を呼んだ。



「暁斗」

「…なんだ」

「ボタンが一個ズレてます。ほら、こっちに来て。直してあげますから」



執事に手招きされ素直に寄って行く主というのもどうなのか。しかし2人はどちらかというと執事と主の関係よりも遥かに家族や兄弟というものに近い関係だった。血は繋がっていないが、"とある理由"で幼い頃から共に育ち主従の関係を超えた強い信頼関係が2人の間にはある。

ボタンをかけ直す執事の瞳には深い愛情があるがそれは決して邪なものではなく、真っ直ぐな曲がりのない愛。それを感じ取っているのかあの常に気を張っている暁斗でさえ彼には信頼しきった様子で身を任せていた。



「…また夢でも見てたんですね?」

「……あぁ。………黒こげにされた」



一度全て外したボタンをまた掛け直しながら司貴はお得意の苦笑を浮かべた。未だ覚醒しきれず眠たげな主。夜にあれだけ"動いた"のだから当然と言えば当然かもしれないが、夜の間が嘘のようだ。

昔から寝起きと"アレ"だけは苦手で、普段は凛々しくどちらかと言えば気の張った表情をしている。この瞬間だけ垣間見ることが出来る彼の無防備な姿。

なかなか無い、"本当に貴重な瞬間"だが、司貴には果たさなくてはいけない義務がある。それは、寝起きの悪い主を起こしなんとしてでも仕事に送り出すこと。それを怠れば主であるその本人にどやされてしまうのだ。

昔、連日の過密スケジュールゆえ彼の精神的疲労が溜まりに溜まっていたことがあった。見かねた司貴は勝手ながらもその日1日の行事を全て休ませることにしたのだが…その後数日間暁斗は口を聞いてくれなかったのである。

口を聞いてくれないだけならまだしも彼の場合は訴えるような眼差しが追加されるから堪える。口は聞かないが、ジッと見つめて来る。そして目を合わせれば顔を逸らされる、この繰り返し。

恐ろしい思い出が蘇り思わずまた苦笑する。あの時暁斗は子供だった。成長し大人となった今はきっと司貴を責めることはないだろうが、代わりに失態を犯した己を責めるのは目に見えている。



「黒こげの暁斗に確認ですが、今日からスケジュールが大変なことになってますけど…大丈夫ですか?」



なるべくさりげなく彼を起こしにかかる。茶化しと話題が功を成したのか彼の瞳から僅かに眠気が抜けた。



「昨日みたいなことがあるかもしれないですし、どうせなら俺も学校について行った方がいいんじゃ」

「…大丈夫だ。あんなことはただの事故でしかない。アレは…、夜にしか"来ない"。そうだろう?」

「…まぁ、そうですが」



再び彼の目が細まる。しかしそれは眠気からではなく、彼自身の癖だった。考え込むと顔が難しくなり、時には眉間にシワまで寄せてしまう。

難しくなりすぎている表情に歯止めをかけようと口を開いたが、僅かに聞こえた話し声に司貴は肩をすくめていた。暁斗から離れカートの側まで寄ると、主の朝食が終わるまでそこで待機の構え。

今日も長くなりそうなので壁に寄りかかっては腕を組む。少しして廊下から言い争いが聞こえ始めた。毎朝の恒例行事に暁斗は考えを中断させ、訪問者を迎え入れるよう体をドアに向ける。



「お待ちくだされ!もしも暁斗様がお着替えの最中でしたらっ!」

「知らないよ。着替えてた暁斗が悪いだけでボクは全然悪くない」

「いけませぬ!あなた様は暁斗様を意識し過ぎておられる!そんな弟君をお部屋に訪問させる訳にはっ!」

「朝からうるさいよ。それにいつものことだし、そろそろ放っておいてくれる?」



片方はまだ若い青年。もう片方は年季を感じさせる渋さを持った男の声。



「放ってしまえばあなた様は必ずあの方を、お、お、お襲いになるはずですじゃ!」

「そう。わかってるなら潔く放っておいてよ」

「ですからなおさら放っておけないのですー!」



高齢だろう男の声が叫び過ぎてかすれて来ている。彼の全力具合が良くわかる変化だ。

対して青年はというと語尾が上がりきらない癖でもあるのか口調も全体的に気だるげで。それがさらに会話の温度差を広げていることはまさしく聞いての通りだった。



「いけませぬー!」

「いい加減放してよ。執事のクセにボクに楯突く気?」

「執事であるからこそこの家の主暁斗様の危機をお救いしようとしているのですー!」

「だからさ、朝から叫ばないでよね。近所迷惑」

「ご近所様には到底届かぬほどこの屋敷の敷地面積は広いではありませぬかっ!」

「暁斗が、迷惑してるって意味。主を第一にしてるなら少しは静かになりなよ」

「!」



廊下が急に静かになった。

当初の目的を忘れ全て言いくるめられてしまった執事長、中津理壱(りいち)の哀れさに同じ屋敷の執事である司貴がこっそり苦笑を漏らしている。

ドアが開け放たれた。そして素早く閉じられる。後ろ手に閉められたドアに何か鈍い音が響いた。おそらくは同じく部屋に入ろうとした中津が顔面から突っ込んだのだろう。毎度のことながら哀れ過ぎる。



「暁斗」



黒スーツにダークレッドのシャツ。一見ホストに見えなくもないその青年は後ろから聞こえて来る執事の叫びを何事もないようにスルーしたまま歩みを進めて来た。

暁斗を視界に真っ直ぐ突き進んで来るのは、毎朝なにかと兄である暁斗の顔を見に来る弟、乃暁(のあき)だ。今年で19の彼だが高校を卒業した先月から数十の会社を従わせる社長の身でもある。


会社はボクに任せてよ。


そう言われたのは暁斗が教員免許を取ったその日のこと。教師を目指す兄の負担を彼なりに減らそうと考えたのだろう。兄の為にと彼自身が望んだのであれば暁斗が何を言える立場でもないが、毎朝彼が疲れを残していることに気付かない訳がない。

睡眠時間も学生の頃より遥かに減ったはずなのに今日も今日とて朝から暁斗の顔を見に来ている。それを兄として嬉しいとも心配とも感じていた。本来ならば恨まれてもいいぐらい会社の全責任を預けてしまったというのに、彼から恨み言を言われたことはまだ一度もないのだ。

それほどまでに彼と暁斗は深い絆で結ばれている。



たとえそれが、純粋な兄弟でなくとも。



「乃暁。今日はいったいどうした?」

「ねぇ暁斗。昨日もまた夜家にいなかったでしょ」



その言葉に反応したのは若干2名。だが大きな反応ではなく僅かに目を細めた程度である。

弟乃暁は忙しい身だ。その為彼は昨日も帰りが遅かった。だからこそ最近気が付いたのだ。暁斗が深夜、家にいないということを。

グイと力任せに腕を引かれ、逃れられぬよう距離を詰められる。

今日こそは問い詰める。そう彼が思っているのが長年の勘で伝わった。無表情だったその顔に僅かな感情が生まれているのだ。ちなみにこれは暁斗と司貴、そして中津にしか今のところ見分けられない。それほどまでに彼の表情は変化が乏しかった。



「どこに行ってたの、あんな夜中に。司貴、キミもだよ。暁斗と何してたの」



疑いをかけられ苦笑するしかない様子の司貴。言えるはずがないのだ、「ちょっと怪物退治に」などとは。



「答えられないってことは何、2人してボクに言えないようなコトしてたの?」

「乃暁、違う」

「そうなんでしょ。だって司貴、キミは否定してないよ」



兄想いとも言える彼だがその想いは異常と言える域に達していた。"兄さん"と呼ばれたことなんて暁斗はただの一度もない。昔から暁斗暁斗と呼ばれ続け、そして何故か、…妙に意識されていた。

子供の頃は寝ている間によく部屋に侵入されていたがそれは寂しさゆえと快く受け入れていた。しかしそれは彼が小学校高学年になるまでの話で、いつの日かを境に夜突然押し倒されたことから使用人年長者である中津の独断により彼は暁斗の部屋への出入りを制限されている。

暁斗も乃暁も限りなく母親似だが諸事情により血は半分しか繋がっていない。逆に言えば半分も繋がっていることになり、2人並んでいるところを見れば彼らが兄弟であることは頷ける。

昔はそれはもう可愛らしい弟だった。今も暁斗にとっては可愛いままだが、19になりつつある彼にとっては暁斗という存在こそが世界を統べる全てなのだ。



「いつ暁斗に手を出したの」

「だからそれは違うと…!」

「なんでソイツなんか庇うの?暁斗はボクよりソイツが好きなの?」



余計なことを言えば彼にバレてしまうと思ったのが裏目に出たようだ。"兄"を取られた"弟"の怒りは静かにピークへ達しようとしていた。



「…暁斗はボクのモノだよ。今からキミにソレを証明してあげる」

「っ、のあっ、よせ…!」



低くそう告げると、兄を引き寄せ口付けを求める。拒もうとする暁斗だが相手は大切な弟。冷たく突き放すことなんて出来るはずもない。流石の司貴もこれには動くしかなかった。



「離してよ!キミにボクを止める権利なんてないでしょ!」



羽交い締めにされてもなお暴れ続ける乃暁。体格上司貴に抗うことは出来ない為その隙に暁斗は彼から逃れることが出来た。

心臓がうるさいくらいに高鳴る。弟とはいえ力ずくで押さえられては"今の"暁斗に逆らう力はない。今までは軽く迫るくらいだったのに今ので彼は本気なのだと実感させられてしまった。



「権利はなくとも止めないといけないのは誰が見てもわかります。君と暁斗は兄弟であり、…男同士だから」

「だから何。男同士だからキスしちゃいけないの?仲のいい兄弟ってだけじゃん。暁斗とならセックスだってしてもいいし」

「…乃暁、落ち着いて。暁斗が困ってる」








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