彼と彼女の三日間戦争C



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【三日目】
 その日も相変わらずの朝が来て、共に食事をし、それぞれの時間を過ごした。それが起きたのは夕方だった。五時過ぎ、王馬がスーパーに行くと言い出したのだ。一人で行くと言ったのに入間はついて行きたがった。王馬も夕方ならそれなりに人の目もあり、ストーカーに何かされる恐れはないと踏んだからだ。上品なマダムや親子の姿も多いそこで、入間は王馬と離れ離れになった。一瞬の事だ。カートを取りに行ってくるからと、入り口まで行った時。店員に後ろから声をかけられたのだ。
『お客様、お財布落とされましたよ』
 振り向くと、いきなり口にハンカチのようなものを押し付けられ体に電流のようなものが走った。痛い、苦しい、助けて。力が入らず崩れ落ちる体を店員が支える。
『お客様、大丈夫ですか。ご気分が悪いようならバックヤードで少しお休みになられたらいかがですか』
 用意されたセリフのような淡々とした言葉を聞きながら、入間は必死で逃れようとしていた。店員じゃない。油断していた。助けて。王馬。そのまま無理やり抱えられるように店外へと出る。
「お、うま……」
そこで入間の意識は途切れた
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 入間がいなくなった。ほんの一瞬の事だ。カートを取りに行くと言ったまま戻ってこない。王馬は慌てて入口へと走り、付近で談笑をしている女性客に声をかけた。
「あの、ここに金髪の背の高い女の子がいませんでしたか?」
「……いたかしら」
「さぁ」
王馬は二人に礼を言い店外へと走る。入間らしき姿はない。部下に連絡を取ろうと携帯を取り出すとちょうど電話がかかってきた。
「もしもし」
「GPSが移動してます」
「やられた。追いかける」
「駐車場に出ててください」
 王馬は駐車場に駆けだした。数分の間もなく片目を隠した部下の運転する車が到着し、それに乗り込む。
「クソ……油断してた。こんな場所で接触するなんて」
「目撃者は?」
「いない」
 王馬は追尾システムの受信機を起動させる。念のため入間に持たせておいたお守りの中に小型のGPSを入れておいたのだ。点滅を繰り返す丸印はまだ近くにいる。十分追いかけられる距離だ。
「ちゃんと見てればよかったんだ」
「落ち着いてください。殺されることはないはずです」
「……悪い。株式会社 新伝だったっけ」
「はい。昨夜資料で送った通りです。奴らを探すのに手間取ってしまって申し訳ありません」
 王馬は震える手を押さえつけ、部下に行き先の指示を出す。徐々に距離を詰めていくがその距離すらももどかしかった。
 株式会社 新伝。今年で創業二十年目になる、ロボット製造企業だ。元々ロボット玩具・ドローンなどの製造を中心に行ってきたが、数年前に粗悪品を発売し破損やドローンの操作障害などにより怪我人が続出。それ以来業績が悪化している。入間から一度ストーカーの話を聞き、部下に調査させていたが犯人がまるで見つからず、顔写真を収めることに成功するもなかなか個人の特定にはなかなか至らなかった。例えば闇金融、秘密裏にドラッグの売買をしている組織などはブラックリスト化され王馬の手元に置いてある。初めはその中のどこかが入間の才能を使うために、誘拐を企てているのかと思ったが、顔写真に当てはまる者はいなかった。そこから入間の研究分野であるロボット・IT関係の企業などを中心に探しようやく見つけたのである。本来は入間が自分の家を去るまでに、彼らの悪事を見つけ出し世間に公開する予定だった。
 王馬は車の中に無造作に置いてあった資料に再び目を通す。クリップで止められた二枚の写真には若い男と女がそれぞれ写っている。例のストーカーだった。
「去年、中途採用で入社した者です。加藤と藤高とかいったかな。偽名かもしれませんが。三年前まで新興宗教に入会していました」
「神慈羽翼会だっけ。……確か、諜報専門機関だよね。そこ、右折して」
「はい。春川魔姫が所属する神明救済会の姉妹組織です。調べたところ、三年前に任務を失敗しそのまま行方をくらました男女がいるそうです」
「そいつらってことか」
「そういえば、神慈羽翼会は暗殺に向いていない連中しかいないらしいです」
「どういうこと?」
「人を殺せないそうです。銃を持たせてもダメ、血を見れば気絶する。代わりに尾行やハッキングの能力は長けている。そういう奴らの集まりみたいです。しかし、専門機関にいた人間を入社させるなんて、被害にあっているのは入間さんだけじゃないかもしれませんね」
「そうだな。あっ、あの車!」
 前を走る白いワゴンが見える距離に着く。このまま向こうのアジトまで連れて行ってくれれば御の字だ。王馬はシートベルトを外し、後部座席に移動し、用意してあった防弾用のスーツ一式に着替える。その下には防弾用のベストだ。暴力団を中心に出回っている、トカレフに対応して作らせたものだ。いくら暗殺に向いていない連中相手だとしても銃で撃たれれば致命傷は避けられない。そもそも向こうの情報が足りない。暗殺のプロがいる可能性だってある。スーツケースから銃を一丁取り出し、携帯で部下にも応援要請を出した。DICEには戦闘専門の部下がいる。彼らが来るまで約十分。時間を稼げれば、こちらの勝ちだ。
「それにしても、入間さんの才能を何に使うんですかね」
「兵器だよ。軍事用ドローン、戦闘用ロボット……そのあたりかな。入間ちゃんの才能があればあんなものはいくらでも作れる。最近、新伝の幹部である新田を含む数名がアメリカの貿易会社と秘密裏に会合をした。そこの社長は武器の密輸組織の一員だって噂があったんだよね。結局証拠不十分で逮捕には至らなかったけど。オレも調べてるけど、証拠らしい証拠はまだ見つかってない」
 昨夜、連絡を取っていた情報屋から大枚をはたいて買った情報だった。入間を乗せたワゴンは左折し、奥まった道へと入っていく。
「そういえば、新伝は一ヶ月くらい前に個人投資家から融資を受けてるらしい」
「誰ですか」
「李だよ。ロボットオタクの李。電話してみたけど、撮影用のドローンの新規開発資金として融資したらしい。どうせ嘘だろうけど」
「じゃあ、あいつらの悪行がバレたら……」
「うん。多分会社ごと潰しにかかると思う。味方だと頼りになるけど、敵に回すと怖いよね」
 口端を持ち上げて笑った。なんでも良かった。入間を傷つける奴らを潰せるなら、使える人間は誰でも使おうとすら思えた。ハイエースを追いかけて、辿り着いたのは敵の本部でも何でもない、ただの廃ビルだった。車を降りて王馬と部下は顔を見合わせる。
「ここで総統を殺そうって算段ですかね」
「だろうね」
「おっと。忘れるところだった」
 王馬は車の中からボイスレコーダーを取り出した。これも入間に作ってもらったものだ。何か証拠になることを喋らせて李に届ければいい。
「よし、行くぞ」
 王馬が走り出した途端後ろから部下の叫び声が聞こえてきた。振り向くと仮面をつけた男と格闘している。髪型から察するに、あの写真に写っていた男らしかった。部下の話通り、戦うのはめっきりダメらしい。
「うわっ!ナ、ナイフはあぶねーだろ!あー!俺の車に傷が!」
「おい、そっち任せたからな!」
 日も落ちかけ空が赤く染まる中、入間の元へ向かって王馬は走り出した。

汗を拭いながら、一気に階段を駆け上がる。息が切れても、王馬はただ入間の元を目指した。昔はテナントビルだったらしい廃ビルの五階までたどり着き、スーツの内側に入れたボイスレコーダーのスイッチをオンにする。銃を構えながら古びたドアを開けると、三十代くらいの不健康そうな男とその部下らしいおどおどとした男、先ほど写真で見た女が一人立っていた。その奥に入間が縛られて横たえられている。腕に食い込んだ縄が痛々しかった。敵は三人。中に戦闘に長けた者はいなさそうだ。勝てないことはないかもしれない、と王馬は予測する。
「途中からキミがつけて来ていることは分かっていた。まさか警察に通報なんて馬鹿な真似していないだろうな」
「してない」
「嘘だったら、この女を殺す。勿論キミもだ」
「入間ちゃんに何かしたの」
「睡眠薬を打っただけだよ」
 男が意地の悪そうな笑みを見せる。男は情報屋からもらった写真と酷似していることから、幹部の新田だと踏んだ。部下らしき男は銃を王馬に、残った女は入間に向けている。銃の種類はトカレフ。万が一撃たれたとしても貫通は避けられるかもしれないと王馬は安堵した。
「あんたは」
「名乗る必要はないね。キミは今すぐ死ぬんだから」
 男が動くよりも先に、王馬は銃口を向けた。男が一瞬怯えたような表情になったのを王馬は鼻で笑う。
「新伝の幹部、新田健三さんだよね」 
自身の情報を出された途端に、顔が引きつる。ポーカーフェイスではないらしい。揺さぶりをかければ、どんな秘密でも暴露しそうな精神の弱さがあるように見えた。
「キミは王馬小吉くんだね。超高校級の総統、だったかな」
「よく知ってるね」
「秘密結社DICEの総統。しかし組織自体の情報がまるで掴めない。構成員一万人以上だとか、もっと小規模だとか。キミ以外の人間に至っては名前すら分からなかったよ」
 自分の名前が知られている可能性は十分に考えてあった。しかし、DICE全貌を知る者は王馬と部下以外に存在しない。誰かに聞かれても必ず嘘をつく決まりになっている。だから常にDICEの情報は不正確なものが更新され続けるのだ。
「さっきの運転手はキミの仲間だろう。連れてこなくて良かったのか?」
「連れてこさせなかったくせによく言うよ」
「に、新田さん。こんな子供を殺すなんて……」
「うるさい!もう後戻りなんかできないだろ。こいつを殺せば、全て丸く収まるんだ」
 新田の部下らしき男が震えた声で止めようとするが、新田は聞く耳を持たないようだ。青白い顔は更に青ざめ、じっと王馬を見据えてくる。
「死ぬかよ。オレは入間ちゃんを助けに来たんだから」
 王馬はそう言いながらゆっくりと近づく。
「近寄らないで。この女が撃たれてもいいの」
 入間に銃口を向ける女はそう言ったがその声は上ずっていた。部下の言った通り殺しには向いていなさそうだ。王馬はそこで立ち止まる。
「入間美兎を殺されたくなければ銃を置くんだ」
 王馬は言われた通りにコンクリートの床に置く。こっちに蹴れと言われたらどうしようかと思ったが、新田達はそこまで思い至らないようだった。
「これでいい?ねぇ、あんたたちに聞きたいことがあるんだよね」
「何だ」
「入間ちゃんを誘拐した理由」
「キミに教える必要はない」
 新田が引き金に手をかける。しかしこの男も人を殺したことなどないのだろう。目はわずかに泳ぎ銃を構える腕は緊張で震えている。できれば人なんか殺したくない、そう言った思いが透けて見える気がした。こんな人間が兵器の製造なんてと王馬は舌打ちをする。入間が眼をつけられたのが、たまらなく悔しかった。
「じゃあ、別の質問にしようか。投資家の李氏から借りた金、撮影用のドローン開発に使うなんて嘘だよね。あんたたちが参入しようとしているのは軍需産業。……調べはついてるんだ。あんたらが接触したアメリカの貿易会社は裏で武器の密輸を行ってる。確か、紛争地域のテロ組織への密輸を中心に活動しているはずだ」
 貿易会社の件ははったりだった。裏付けは取れていない。しかしこれで、新田がボロを出してくれれば良かった。新田は唇を噛み、明らかに狼狽した表情を見せる。王馬の読み通り、ポーカーフェイスとは程遠い男だった。
「恐れ入ったよ。そこまで調べるとは大したものだ。確かにあの企業は武器の密輸に関与している。どうやら数年前に噂になったらしいが、結局証拠がなくて捜査は打ち切り。キミは警察より鼻が利くらしい」
 王馬はわざとらしく睨みつける。こういった場に慣れていないのか、王馬の目論見通り新田は重要な情報を漏らした。まるで王馬を殺すことを先延ばしにしたいかのように自分が持っている情報を喋り続けている。やはりボイスレコーダーを持って来ておいて正解だったと王馬は思った。
「つまり、あんたたちは金儲けのためだけに、入間ちゃんの才能を兵器製造に利用しようとしたってことだよね」
「ああ。しようとしたんじゃない、するんだ。軍事用ドローン、殺戮ロボット。彼女の才能さえあれば素晴らしい兵器が開発できる」
 王馬の中にふつふつと湧いていた怒りが一瞬にして頂点まで達する。何も知らない癖に。入間がどんな思いで今生きているのか考えたこともない癖に。それでも王馬の精神は凪いでいた。ただ静かに、この男を殺してやろうという思いだけが存在していた。部下を待つ必要なんかない。
「もういいだろう。キミがいなくなれば邪魔者はいなくなる。一人でここに来たことが運の尽きだ」
 新田は一度深呼吸をして、ようやく決心したような顔つきで王馬を見た。狙いは心臓を辺りに定められる。一発で殺せる頭を狙わない辺り、恐怖心が感じられた。
「いいスーツじゃないか。死に装束にぴったりだ。……じゃあな」
 新田が引き金を引いた瞬間、乾いた音が響き渡った。銃弾が脇腹のあたりにめり込む。防弾ベストとスーツを着ているからといって衝撃までが吸収されるわけではない。これだけで死に至りそうな圧倒的な衝撃を叩きこまれ、口からは本能的に悲鳴が漏れていた。そのまま後ろに倒れそうになるのを堪え、崩れ落ちるように座り込む。必死に痛みと吐き気を堪えながら、先ほど床に置いた銃を手に取った。
「あ、んたは……ゆ、だんしたことが、運の尽き、だよ」
人間を撃った衝撃のせいか放心している新田に向かって王馬は引き金を引いた。右の太ももを的確に撃ち抜く。新田の悲鳴を聞きながら、入り口に向かって逃げようとする新田の部下らしき男と女に向けて二発撃った。威嚇のつもりだったが、二人はその場で硬直している。連鎖する悲鳴がビルの中に反響し、不協和音を奏でていた。
「総統!」
 その声と共に最初に駆け込んで来たのはツインテールの部下だった。王馬と倒れた三人の姿を見て状況を瞬時に察し、三人が持っていた拳銃を奪いに走る。続けて、下で戦っていた部下と彼を助けたらしい黒髪の部下が入ってきた。
「う、撃たれちゃったんですか?死んじゃうんですか?」
「死なねーよ。お前は入間ちゃんをここから連れ出して」
 ゆっくりと息を整えながら、黒髪の部下に指示を出す。王馬は疼く痛みを堪えながら新田の元へ向かった。そして、倒れている新田に銃を突きつける。
「ま、待て。殺さないでくれ」
 肩に銃を押し当てて引き金を引く。再び絶叫が響き渡った。新田さんという弱弱しい声が聞こえたが王馬は無視を決め込む。黒髪の部下が入間の縄を解き、抱きかかえてビルを出ている。
「な、何が、望み――」
 新田の話はそこで途切れ、悲鳴へと変わる。王馬は先ほど撃ち抜いた肩を蹴り飛ばしたのだ。血が床に広がり、灰色のコンクリートが赤に染まる。
「お前ら全員ここで死ね」
「わ、私は…悪く…。しゃ、ちょうの……」
「じゃあお前を殺してその社長も殺す」
「そ、そんな……許して…れ、頼む」
 呆れたように王馬は嘲笑する。
「はぁ?あんたたちがやろうとしていたことってこういうことでしょ。簡単に軍事用ドローンとか、殺戮ロボットとか言ってたけどさ、これよりもっと酷い痛みを多くの人に与えようとしてたんだよ」
 新田は青ざめ、震えながら言葉にならない悲鳴を上げていた。
「ねぇ、オレに銃を向けた時怖かったでしょ?できれば誰かにやってほしいと思ったでしょ?向いてないんだよ、悪い奴になるならもっと非道にならなきゃ。オレみたいに」
 今度は左の太ももを撃った。新田は絶叫しながらその場でのたうち回っている。次で殺してやると額に銃を向けた時、ツインテールの部下が手で遮った。
「総統。もうやめようよ」
「何で?」
「死んじゃうよ。そんなの、あたしたちのモットーに反してる」
「……じゃあこれはオレが個人的にやったことだ。お前らは関係ない」
「馬鹿なこと言わないで!関係ないわけないじゃん!」
「うるさい!」
――笑える犯罪
それがDICEのモットーだ。ずっとそれを守ってきた。これからもずっと守るつもりだった。それでも、入間が傷つけられたことが、入間の人格を、彼女が願うものを、全てを踏みにじる行為が許せなかった。
「簡単に入間ちゃんを消費するな……」
 秘密を守る箱があったとしても、その箱が壊れてしまえば意味がない。王馬の中に生まれ、ずっと抱えていた思いが堰を切ったように溢れ出した。
「入間ちゃんの才能は、誰かを傷つけるために使うものじゃないんだよ。確かに、兵器だろうが毒薬だろうが、全人類を殺すような機械だって作れるだろう。それぐらい特別な才能だってこと、オレだって理解してる」
「それでも。あの子が今まで、この先もずっと望んでることは自分の力で世界を幸せにすることだけだ。それだけなんだよ。そういう、馬鹿みたいに単純で素直な願いを持ってるだけなのに。お前らも、メディアも、なんでそう簡単に人間を消費して生きていけるんだよ!才能だけとか、人格だけとか、どうして一部分を切り取って都合のいいように使おうとするんだ!」
「総統……」
 新田は血だまりの中で蠢きながらひゅうひゅうと息をしている。新田の部下たちは、それを呆然と見ていた。
王馬は激昂しながらも、自分がこれだけ残酷になれることに驚いていた。映画館で、そういう物語を見ているかのように客観的に自分を見ることができた。入間のことを守りたかった。助けたかった。自分なら助けられると思った。だから「救世主」のふりをした。
「オレは……」
 自分をここまで突き動かすものの正体は、きっと恋心だ。入間に対する愛に他ならない。今日までの二日間が走馬灯のように王馬の脳に浮かんでは消える。新田達を殺せば、王馬の気は済むが殺人犯として生きることになる。そうなってしまえば、きっと入間に対して今まで通りに接することはできないだろう。希望ヶ峰学園にもいられなくなる。DICEの総統として守ってきたルルを破れば、DICEそのものが成立しなくなる。王馬は目を閉じて、銃を床に置いた。
「分かった。殺さない。代わりに、オレ達の話を公言しないことを約束して。入間ちゃんを誘拐したこともね」
 新田の代わりに部下が返事をした。ほとんど悲鳴に近かったが。
「……警察と救急車を呼んで」
 新田の部下に携帯を渡す。ちゃんと、確かな自分でいたいと思った。殺人犯ではない、超高校級の総統の王馬小吉で。
「警察が来る前にここを出ましょう」
「ああ」
 部下に続いて王馬は出口へと歩き出したが、振り返った。
「お前らの話は全部録音してあるから、李に渡させてもらうよ。あの人、ロボットを悪用する人間が心底嫌いらしいからさ。まぁ、あとは頑張ってね」
 そう告げて廃ビルを後にした。
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 その後のことは、淡々と行われた。部下が李に音声を送ると、カンカンに怒ってすぐに調べさせるとかどうとか言っていたらしい。打たれた場所は知り合いの医者に見せたが、打撲程度の傷で済んだ。奇跡だと思った。ニュースでは廃ビルのことが報道されていた。新田の部下は約束を守り、王馬のことは話さなかったらしい。それどころか、自分が新田を撃ったとまで言ったのだ。一緒にいた女はほとんどすべてのことを吐いたらしかった。新伝が行っていた軍需産業への参入計画、入間を含む数名の研究者の自宅に侵入し窃盗を働いたこと、および誘拐を企てていたこと。競合企業のパソコンをハッキングしデータを盗んだこと。入間誘拐の他にも余罪はあるらしかった。もう王馬の知ったことではないが。
「……入間ちゃん」
王馬は名前を呼ぶ。ベッドに横たわる入間はまるで起きなかった。打たれた睡眠薬の効果が強いのかもしれない。時刻は既に朝六時を迎えようとしている。入間の手を握ると、やはり冷たかった。
「ごめんね。……ごめん」
 ぽつりと呟くと、入間の手がぴくりと動いた。
「……何」
 ハッと起き上がり、入間は慌てて辺りを見回している。
「お、王馬の家?なんで?」
「何が?」
「オレ様、スーパーでストーカーに……」
「何言ってんの。入間ちゃんはずっと寝てたじゃん!あんまり長い事眠ってるからもう起きないかと思ったよ!」
 そういうことにしたのだ。本当のことなんて入間は何一つ知らなくていい。入間は疑っているようだったが、王馬が何度もずっと寝ていたことを説明すると、首を傾げながらも納得してくれた。
「変な夢見た」
「へぇ。どんな」
「誘拐されて、王馬が助けにくる夢」
 本当は起きていたんじゃないかと王馬は訝しんだが、入間の夢は事実とはかなり異なっていたため、やはり眠っていたようだ。
「そういえばさ、入間ちゃんのストーカー捕まったっぽいよ」
「えっ?」
「なんかニュースでやってる」
 バタバタとリビングに向かい、テレビをつける。ちょうど朝のニュース番組が始まったところだった。話題は勿論、新伝が企てていた計画と昨日の廃ビルでの発砲事件で持ち切りだ。
「先ほど、株式会社新伝の幹部 新田健三容疑者の家宅捜索が行われました。社員であった佐藤純子容疑者が証言した通り、著名な研究者宅に侵入し、設計図などを盗んでいたようです。被害に遭った研究者は超高校級の発明家 入間美兎さん、ロボット工学の第一人者――」
 段ボールが運ばれている様子が映し出されている。入間はそれを真剣な顔で見ていた。強盗に見せかけて設計図などを盗んだこと、誘拐を企てていたことを聞き、入間はソファの上で脱力する。
「こ、こいつらが犯人だったのかよ。誘拐を企ててたって、やっぱさっきのは予知夢だったかもしれねーな!」
 予知夢どころか現実だったんだよと言いたいのを飲み込んで王馬はそうだねと相槌を打った。コメンテーターの意見などを聞きながら、入間はストーカーから解放されたのを喜ぶように大きく伸びをしている。
「これでオレ様に怖いものはもうねぇな!何もねぇよな?一週間以内に不幸になるっつってももうストーカーは逮捕されたし……」
「続いてのニュースです。都内で詐欺事件が横行。占い師を名乗る女性が、無料で占ってあげると呼び止め『あなたは何日以内に不幸になる』などの脅迫をし、高額なお守りを売りつける事件が頻発しています」
 先ほどまでの明るい表情は一転し、驚愕の表情でテレビを見つめている。
「詐欺だって。入間ちゃん、騙されたんだね」
「……詐欺?」
「うん」
「じゃあオメーが救世主っていうのも嘘?」
「嘘なんじゃないの」
「あーーー!」
 入間は叫び声を上げながらソファに突っ伏した。まるでバタ足の練習のように足を高速で動かしている。
「この生活は無意味だったってことか?なんだよなんだよなんだよぉ!」
「いろいろあったね。入間ちゃんの下着を見たり下着を見たり」
「それは言うなって」
「不安になって手握ってって言ってきたのは誰だっけ?」
「やめろ!」
 耳まで赤くなる入間をからかっていると、入間が突然勢いよく起き上がった。先ほどまでの喧騒はどこへ行ったのか、静かな口調で呟く。
「全部終わったんだよな。もう、怖い事なんて何もないんだよな」
「うん」
 入間の目に涙が浮かぶ。大粒の涙は頬を伝って、入間の手の甲に落ちた。ずっと我慢していたのだろう。
「入間ちゃん」
「うん」
「頑張ったね。怖かったね」
 入間の隣に座り、頭を撫でる。すると入間は、無言で王馬の胸に飛び込むように抱き着いてきた。この安心感を共有できる人間が欲しいのだと思った。大丈夫だよと囁きながら、彼女の頭を撫でる。入間は子供の様に泣きじゃくりながら、事件の終焉を喜んでいた。
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 朝方の駅はスーツを着た人々でごった返していた。トランクを持つ入間は、なんだか異国から来た人のように見える。
「じゃあ、気を付けてね」
「おう。ありがとな。色々と」
 もう王馬の家にいる必要もないために、入間は帰宅することになった。約三日間の同居生活。王馬はその思い出を噛み締める。
「なぁ、なんかお礼とかしてーんだけど」
「お礼?なんで」
「飯とか作ってもらったし。その、なんだかんだ楽しかったし」
「じゃあ、今度は外で遊ぼうよ。デートってやつだね」
「デ、デートって。……そんなんでいいのか?」
「いいよ。その代わり、オレのことちゃんと楽しませてね」
「当たり前だろ!あ、これ返さねーとな」
 入間は首にかけていたお守りを手渡して来た。王馬はそれを受け取る。
「それが、守ってくれたのかもしれねーな」
「……そうかもね」
「じゃあ、また連絡するから」
「うん。待ってる」
 そう言って通勤する人々に入間は紛れて行った。
「総統」
「うわっ!なんだよ、いたのかよ」
「いましたよ」
 今回王馬のことを助けてくれた部下たちが駅前のモニュメントの裏からぞろぞろと出てくる。そういう、エンドロールのようだと王馬は思った。
「本当に良かったんですか。入間さんに何も話さなくて」
「うん」
「総統頑張ったのに?」
「オレがもっとちゃんとしてれば、こんなことにはならなかったし」
「それは一理、いや百理ある」
「おい」
 部下たちも今回のことが終わって安心したのか、心なしか表情が柔らかい。あの占い師の老婆の役を買って出てくれた小柄な部下が地団駄を踏んだ。
「でもでも。あたしだって頑張ったんだよ?あの暑い中特殊メイクして入間さんをずっと待ってたんだから!通報されないか心配だったし。ていうか本物の方、ニュースでやってたし。時期がずれてたらあたし警察に声かけられてたかもしれないんだよ!」
「いいじゃん別に。俺なんて車傷つけられたんだぞ!」
「あたしは総統が人を殺すかひやひやしてた」
「確かに、あれは怖かった」
「僕は……あぁ、入間さんすっごい柔らかかった。役得だぁ」
 入間を守るために、部下たちには随分迷惑をかけてしまったと王馬は心の中で反省をした。同時に、自分の無茶に付き合ってくれる人間がいることが嬉しかった。神様はいないが、今はこんなに恵まれている。
「……本当にありがとう」
 そう言うと、部下たちは困ったように笑ってくれた。
「総統、入間さんの事好きなの?」
 好きだ、とはっきりと思った。好きだから守りたかった。助けたかった。これからもそれができたらいいと思う。王馬は、小さく頷いて笑う。
「うん。好きだよ」
 今度はちゃんとデートに誘おう。救世主としてではなく、ただの王馬小吉として。そして自分の気持ちを告げよう。王馬はそう誓った。 

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