本日はお日柄もよく!
ツイッターお題箱より
「友人以上恋人未満な関係を引きずってたら片方に婚約の話が出て、
それを機にきちんと告白する王入」

入間にお見合いの話が持ち上がり、
告白するべく奔走する王馬とそれに巻き込まれた最原の話

・オリキャラが数名登場します
・間接的ですが女性に対するリベンジポルノ
(性的画像を第三者に売りつける・それを使って脅迫する)描写があります


「あれは実に破天荒で滑稽で迷惑極まりない、ハッピーエンドの物語だよ」――関係者談

王馬小吉の胸の内は混乱と焦燥と葛藤がないまぜになりどうにも収拾がつかないほどだった。そのくせいつものような、屈託のない笑顔を作り上げてまるで動じていないふりをするのだから、流石に嘘つきを自称するだけある。原因は目の前にいる実に親しい友人から撃ち出された言葉の数々にあるのだった。
「今月末、お見合い?ってやつをするんだけどよぉ」
「まぁオレ様の御眼鏡にかなうような野郎じゃねーとは思うけど、向こうがうるせーから一回くらい会ってやってもいいかと思って」
「で、でも気に入れば婚約とか、する、かも」
やや照れながら、しかし言い寄ってくる男がいるという事実をひけらかそうとしているような口調が王馬の精神をすり減らしていった。訂正する。実に親しい友人であるだけならば、王馬はすぐさま心の底から祝辞を述べられただろう。幸せを願うどころか、最大限協力をしてこの素っ頓狂な女をどこぞの奇特な人物に押し付けただろう。
しかし、残念なことに王馬はこの女――入間美兎が好きだったのだ。期間にすれば約一年半、つかず離れずの距離を保ってきたものの、その実彼女に首ったけであり、どうにか彼女を籠絡せんと奮闘しているのだった。そこにこの砲撃とくれば、死線をそれなりに潜り抜けてきた王馬の心も白旗を上げざるを得ない。
おめでとうと言って諦めるか、いっそ好きだと告げてしまうか。窮地に瀕した王馬だったが、エベレストよりも高いプライドを持つ彼はそんな脊髄反射的で追いすがるような告白を許せなかった。自分に嘘をついてまでも、平然と彼女におめでとうと告げてやらなければと決心したものの、彼の口から出た言葉の数々は、彼が平常心を揺さぶられていることを物語っていた。
「へぇ。まぁ入間ちゃんみたいな下品で低俗で肉便器としても使えないような雌豚は恋人なんて簡単に見つけられないだろうし、うん、良かったんじゃない?いい人だといいね、きっといい人だと思うよ、ああでももし上手くいったとしてもその性格じゃあすぐ破談になるかもね。まぁキミは顔と体に限っては一級品だから、それを武器に必死に相手に縋りついたらいいんじゃないかな?え?頭も?あーじゃあそういうことにしておこうか。つまり、なにが言いたいのかというとね、どうぞお幸せに!!……勝手に幸せになればいいさ!!」
王馬は最期の力を振り絞るように入間に言葉の弾丸をぶつける。そして仮面のように笑顔を張り付けたまま椅子から立ち上がって、猛然と教室を出て行った。残された入間が呆然と教室の入り口を見つめた後に、机に突っ伏して盛大な溜息をついたことを彼は知る由もない。それを最原が目の端で捉えていたことも。
それが昼休みのことで、結局王馬は放課後になっても教室に戻らなかった。希望ヶ峰学園は才能を最優先事項に置く特殊な校風のためか、授業への出席は必須ではない。そのため教師も、クラスメイトも王馬が戻らないことを特に気にも留めていなかった。入間と、最原を除いては。

最原終一は探偵である。観察眼に長け、常に冷静な判断を下し、状況に置いて臨機応変に対応できる柔軟さを持った男だ。そして時にはそれを利用して依頼をこなすほどの端麗な容姿も兼ね備えている。精神的に傷つきやすいのが玉に瑕だが、それを支えてくれる友人や恋人がいることを踏まえれば短所らしい短所ではないだろう。そんな彼は王馬の恋心を知る唯一の同級生であった。
放課後、最原が王馬の部屋を訪ねた時には王馬の部屋は大いに荒れていた。元々整然としてはいなかったものの、それなりに置き場の区分があったものたちがそこかしこに散らばり、今の王馬の心模様を表しているようだった。
「……どうしたの?」
「なんでもない」
布団にくるまり、最原に背を向けたまま王馬は答える。最原はベッドの端に腰かけて王馬に語り掛ける。
「なんでもないわけないだろ。昼間、入間さんと何かあったの?」
「最原ちゃんには関係ないでしょ」
「関係ないって……。うん、まぁ、確かに二人の問題なのかもしれないけど。心配なんだよ。友人としてね」
友人という言葉に反応したのか、王馬は布団ごとぞもぞと動き最原の方に向き直った。頭からすっぽりと布団をかぶり、顔だけ出したその姿は普段の快活な彼からは程遠い。心なしか顔色も悪く、その瞳からは生気が失われていた。
「入間ちゃん、お見合いするんだって……」
「え?!」
掠れた声で告げられる衝撃の事実。最原は不覚にも大声を出してしまったことを詫び、王馬から詳細を聞き出そうとした。しかし王馬も混乱のさなかであり、まともに彼女の話を聞かずに教室を飛び出したという。分かっているのは、月末にそれが行われるということだった。王馬と知り合ってもうすぐ二年目になるが、ここまで焦燥しきった彼は見たことがなかった。最原は今すぐにでも、冗談の一つや二つ言って彼の気持ちを落ち着けさせたかったが、そんな慰めは通用しないことは理解していた。
最原は知っている。彼がどれだけ入間に執心していたか。約一年前、王馬に呼び出されて恋とはなんぞやという哲学的な話をした日から、最原は王馬のたった一人の相談相手を務めてきた。からかいや罵倒を中心とした会話の中で言葉巧みに入間の欲しいものや、行きたい場所を聞き出し、それをすべて叶えてきたことも。入間の些細な変化を見抜いて時に慰め、時に叱咤してきたことも。愚痴と称して最原に報告する度に、笑顔をたたえていたことも。そうして、外堀を埋めに埋め尽くした王馬に残された選択肢は告白以外にないのだが、まるでその気配がない彼に最原は業を煮やしていた。
「告白、しないの?」
「はぁ?なんでオレが告白しなきゃいけないの?」
「え……だって告白もなしに付き合うことはできないんだよ。僕だって、そうだったし……」
「だって告白って、弱みを見せるってことでしょ?」
「なんでそうなるの?」
「恋愛はバトルなんだよ?知らないの?惚れた方が負けなんて古来からの常識だね。五輪書にも載ってるし。あの宮本武蔵が惚れたら負けよ、剣士たるもの不覚取ることなかれって言ってんの。自分から告白するなんてもってのほか!!つまり最原ちゃんは赤松ちゃんに負けてるんだよ!!」
果たしてそんなことが載っているだろうかと最原は首を傾げる。しかしそれが真実だったとして、その精神を抱いて過ごしてきて迎えた結末がバッドエンドでは元も子もない。
「じゃあ入間さんが告白してくれるのを待ってるの?でもその結果がこれなんだよね?」
王馬は反論できずに布団ですっかり顔を隠し、小さくうめき声を上げた。そんな姿を見つめ、最原は一つの結論を導き出す。
「ああ、怖いんだ。フラれるのが」
「は?なんでそうなるの?そんなわけないじゃん。ははは……全然、そんなことないし」
「……怖いんだね?」
冷静な声で追及すれば、ほつれた糸を引かれた衣服の様に王馬の心の綻びは広がっていく。最原の視線に背中を押されるように王馬は再び布団から顔を出し、本心を吐き出した。
「だってここまでしておいて、いくら入間ちゃんだとしてもオレの気持ちに気付いてないわけないよね?それをこれ見よがしに婚約者がいるとか言っちゃってさ。それってつまり、その気はないから諦めろって意味でしょ?そこまでされたらもう告白とかしても意味なくない?」
拡大解釈にもほどがあるだろうと最原はため息をつく。人心掌握に長けているはずの王馬がここまで、狂わされるとは惚れたら負けとはあながち間違いではないのかもしれないと最原は考えた。
入間とは頻繁に話す方ではなかったが、彼女が王馬に心を許して、恐らくは恋心を抱いていることも最原には目に見えて分かっていた。今回のことも、入間はかまをかけるくらいのつもりだったのだろう。王馬が教室を去った後に、机に突っ伏して絶望的な雰囲気を放っていたことは記憶に新しい。
そして彼女もまた臆病者であることも理解していた。暴言と破天荒な行動で自分を守る彼女が、自ら告白するとは最原には考えられないのだった。
ここまでこじらせた王馬を行動に移させるための方法は一つしかない。最原はわざとらしくため息をつき、嘲るような口調で王馬に言った。
「へぇー。じゃあ王馬くんは入間さんが他の人に取られちゃってもいいんだ?」
「よ、くはないけど……」
「じゃあ何したらいいのか分かるよね?」
「な、なんでそんな嫌な言い方するの。キミって結構性格ねじ曲がってるよねー」
「ねじ曲がってるくらいの方が探偵らしいと思わない?」
「開き直らないでよ」
最原はあくまでも冷静に、王馬の神経を逆なでするような言葉を選んでいく。
「それで、臆病者の王馬くんはどうするの?やっぱり諦める?そのまま入間さんが知らない誰かと結婚するのを、親友として見守るわけ?超高校級の総統って言っても案外大したことないんだね。好きな女の子に告白もできないようじゃあ、程度が知れてるな」
心の綻びを引き裂くような最原の攻撃に王馬の顔が引きつっていく。青白かった顔には赤みが差し、その瞳には怒りの炎すら見える。最原は心の中で自分の演技の上手さを褒めたたえた。
「……してやるよ。告白くらい。ああ、してやるとも!!」
「あとから嘘でした、なんて言わないでよね」
「言うわけないだろ。……絶対、入間ちゃんを他の奴に渡したりなんかするもんか」
かくして、王馬の告白に至るまでの繁忙の日々は始まったのだった。

入間美兎はげんなりとした表情を浮かべて、自分の席に座っていた。お見合いをするという話は決して嘘ではない。先日依頼を受けた企業の社長が、是非自分の息子の婚約相手にと両親の元に連絡をしてきたのだった。名の知れた企業であるためか、両親は手放しで喜び、入間の意見もほとんど聞かない内に会食の場を設けてしまった。両親の顔を立てるということもあるが、たとえ会ったとしても断ってしまえばいいだけの話だ。しかしそれを王馬に話したのは、彼に引き留めてほしかったからだ。昨日の王馬の「勝手に幸せになればいい」という言葉を思い出し、胃がキリキリと痛む。彼の本心を知ろうと苦手な駆け引きに打って出た昨日の自分を入間は呪わずにはいられなかった。
「あー。時間、戻らねーかな。さすがのオレ様もタイムマシンは作れねーしなー」
「入間ちゃん、おはよー」
肩を叩かれてそちらを向けば胃痛の原因である王馬が微笑んでいた。ぎこちなく挨拶を返すと王馬は、隣の席の主であるキーボがまだ来ていないのをいいことにそこに座り、入間の顔をじっと見つめた。そして、昨日の自分の発言などなかったかのような自然さで話題を切り出してきたのだ。
「昨日のことだけどさー」
「き、昨日?なんのことだよ」
「やだなー。もう忘れたの?入間ちゃんってそんなにお馬鹿さんだったのかなー?お見合いどうこうって話だよ」
「あ、ああ。そのことなんだけど――」
入間の声を遮るように王馬からの質問が飛んできた。
「どんな人なの?」
「ど、どんな人って」
「相手のことだよ。顔とかー。立場とかー。色々あるでしょ?それともあれは嘘だったのかなー?」
「嘘じゃねーよ。大体なんでそんなこと聞くんだよ」
「気になるじゃん。友達の旦那さんになるかもしれない人だもん」
旦那という言葉に入間の顔は強張る。今まで散々自分にちょっかいを出し、固く閉ざした心をこじ開け、その奥に隠し通した弱い部分をあっさりと引き出してしまった男が。自分の初恋を奪ってしまった男が。
平然と見知らぬ誰かとの婚約を受け入れてしまえるという事実は、圧倒的な破壊力を持って入間の精神を傷つけていた。自分は王馬にとって、ただの友人であり、それ以上にはなれないのだと宣言されたような気がした。
「金城寺工業ってあるだろ。そこの跡取り息子だよ。今W大の4年で。写真見たけど、顔もまぁ、そこそこっつーか」
「……あー。最近入間ちゃんが技術提供してたところだよね?」
「よく知ってんじゃねーか。オメー実はオレ様のストーカーなんだろ?ストーカーっぽい顔してるもんなぁ?……でも、どうしても会いたいってわけじゃ」
「楽しみだね!!」
まるで自分のことのように、輝かしい笑みを浮かべる王馬。入間は言葉の端端に込めた自分の本心にまるで気が付かない王馬に、対抗心が湧き上がってくるのを感じた。こうなれば勝負である。とことん張り合って、むしろ自分を引き留めなかったことを後悔するくらい幸せになってやろうと、腹を決めたのだ。
「……ああ!!すげー楽しみにしてんだよな!!まぁオレ様は常に男どもに求められてっから、こんなこと慣れっこなんだけどよぉ。百戦錬磨のオレ様を射止めるような男なんてそうそういねーだろうし。でもテメーと違って高身長だからなぁ!そこは評価してやってもいいぜ」
「へぇー!!それはすばらしいね!!実家はお金持ちで、高学歴、顔もよければおまけに高身長!むしろ入間ちゃんみたいな色豚にはもったいないくらいの人なんじゃないの?」
皮肉を含んだ言葉の応酬に、二人の怒りのボルテージは上昇していく。ここまで言ってしまえば、もう今更王馬の気を惹きたかったなどという言い訳は通用しないと入間が唇を引き結んだ時、キーボが会話に割り込んできた。
「おはようございます。あの、王馬クン。そこはボクの席なんですけど」
「あれ?キー坊、なんで学校にいるの?廃品回収に出されたと思ってたのに」
「キミという人は…‥‥。朝からキミの冗談に付き合ってるほど暇じゃないんです。さぁ早くどいてください」
「えー。ロボの席なんてあるわけないじゃーん」
「ま、またロボット差別ですか?!入間さんも何か言ってやってくださいよ!!」
入間はキーボのタイミングの良さに安堵のため息をつく。これ以上王馬に食って掛かっても何も生まれないと理解していたし、それどころか恋人に格上げされることはないと、何度も認識させられてしまうのだろうと入間は思い込んでいた。まるで雑然とした思考をどうにか月末のお見合いへと切り替えようと、入間は眉間に皺を寄せた。

二人の会話を盗み聞きながら、最原は頭を抱えていた。告白どころか関係を悪化させるような王馬の発言、相変わらずの意地っ張りで王馬が投げ売りした喧嘩を買う入間。告白さえしてしまえば丸く収まるはずなのに、臆病者が揃っただけで複雑化するとは、恋愛は実に恐ろしいと再確認する。昨夜の王馬の決心はどうしたのかと盛大な溜息をついたとき、百田に肩を叩かれた。
「終一、どうしたんだよ。随分暗い顔してんじゃねーか」
「あ、ちょっとね……」
「また依頼のことで悩んでんのか?まぁ、守秘義務とか色々あんだろうけどよー。あんまり思い詰めんなよ?いつでも頼ってこい」
「百田くん……」
「なんせ、テメーはオレの助手なんだからよ」
「ありがとう」
太陽のような百田の笑顔と、頼もしい声音に最原の心は揺さぶられる。今すぐにでも、二人の現状を吐き出してしまいたい。しかし誠実すぎるほど誠実である最原にはそれができないのだった。百田のあたたかさに惹かれながらも、最原は放課後にどうやって王馬を𠮟りつけようか算段を付け始めたのだった。
「王馬くん。なんでもっと素直になれないの?」
放課後、再び訪れた王馬の部屋で最原は苛立たし気な声を上げていた。対して、恋愛戦争の渦中にいるはずの王馬はベッドに寝ころんで気だるげに最原の顔を見る。その憎らしい態度に最原は心の中で百田に助けを求めてしまうのだった。
「はぁー?そんなんつまんないじゃん」
「昨日と言ってることが違うんだけど」
「ん?素直になるなんてオレは言ってないよね?告白するとは言ったけど」
「それは屁理屈だろ。大体あれじゃあ入間さんに何も伝わらないよ」」
「う……。それは分かってるんだけど。でもさー、気にならない?入間ちゃんのお相手がどんな奴か」
「……少しね」
「でしょ?……あのね、そいつがすげーいい奴そうだったら、オレも少しは諦める気になるかなって思えたと思うんだ。でも、どうやら違うみたいだし」
「もしかして知り合い?」
「そんなところかなぁ。幸運なことに、向こうにとっては不運なんだろうけど、オレはそのお相手に心当たりがあるんだよねぇ。彼の重大な秘密にもね」
「秘密?なんでキミがそんなことを……。いや、それよりもどうするつもり?どうせ何か企んでるんだろ」
「……まぁね。というわけで、最原ちゃんにも手伝ってもらうから」
「やっぱり」
「にしし。超高校級の探偵に正式に依頼したいんだ。そいつの身辺調査をね」
王馬が口端を持ち上げて笑う。それは無邪気な、しかし確かに悪意を孕んだ笑みであり、最原の背筋に冷たいものが走った。王馬の昨日の言葉を思い出す。彼が恋愛をバトルだと考えているならば、どんな手を使ってでも、そして相手を手酷く叩きのめしてでも勝とうとするだろうという結論に思い当たった。しかし彼の心の内を知ってしまった以上、断るという選択肢は存在しない。最原は小さく頷き、彼の依頼を受けることを決めたのだった。

そんな会話をしたのが金曜日のことで、そこからきっかり三週間三人はそれぞれに奔走していた。
入間は憂鬱な気持ちを振り払い、相手である金城寺という男と頻繁に連絡を取り合ってはいたものの、彼の高尚な趣味やら将来的な企業発展の話やらにまるで興味も持てないまま過ごしていた。それでも両親が喜んでいる手前、相手に興味がないとは言えず、フラストレーションは溜まるばかり。いつもならば王馬にそう言った不満をぶちまけているところだが、もはや彼に頼れるはずもなく、悶々とした気持ちのまま月末を迎える運びとなった。
最原は、王馬が派遣してきた部下と共に金城寺の身辺調査にあたっていた。とはいえ大企業の跡取り息子という立場の男が、そう簡単にボロを出すはずもない。彼の幼少期からの人間関係を把握し、SNSを洗い出し、彼が足繁く通うという学生向けの経営学セミナーにも脚を伸ばした。結果として最原は、王馬の部下の協力もあり、王馬が話していた金城寺の「重大な秘密」の証拠を掴むことに成功した。その代償として恋人との約束を数回ふいにすることとなったのだが。
王馬はといえば、特に代わり映えのない日常を送っているように見えた。変わらない軽口で入間をからかい、最原と部下の報告を聞き、肝心の告白はどうしたのかと追及されてものらりくらすとかわす日々。
しかし彼はあまねく手段を使って、金城寺工業の実態に迫っていた。全ては入間を彼らの魔の手から逃すためであったが、王馬は焦りに焦っていた。万が一、縁談がまとまれば王馬は彼女を引き留めなかったことを今まで以上に後悔するだろうと確信していた。だからこそ、たとえ残酷であったとしても、彼女を救うために自分が手にした真実を叩きつけなければいけないと王馬は一人決意していたのだった。

**
そして六月末の土曜日、全てのことが許されるような穏やかな太陽の元、決戦の火蓋は切られたのである。
その日の入間は絢爛な振袖に、髪は綺麗にまとめあげられ、どこか武装的な美しさをまとっていた。しかし彼女が今現在いるのは広すぎるほどのトイレであって、ぬるい便座に座り込み、引っ張られて痛むこめかみを揉みながら、攻撃的な言葉を延々と放っている。
「あー。だりぃ。帰りてぇ。この時間で発明品の一つくらい作れたっつーの。でも断らなかったのはオレ様だし……大体全部王馬の野郎が悪いんだよ。あの童貞野郎、なんでこっちの気持ちに気付かねーかなー」
そう言いながら、ふと先ほどまで向かい合っていた金城寺哲夫という男のことを考えた。端正な顔立ちに、品のいい身のこなし。はきはきとした喋り方からは彼の明るい性格が窺えた。そして実際に話してみれば、国際問題から流行のドラマ、入間の得意分野に至るまで豊富な話題を提供して入間を飽きさせないように努めてくれて、流石の入間も「いい奴」と認めざるを得ないのだった。
何より、金城寺工業といえばロボットテクノロジーのパイオニアである。主に医療用ロボットの開発に力を入れ、その技術は海外からも絶賛の嵐。最近では国際宇宙ステーションと共同で、宇宙技術を応用した新たな外科手術用のロボットの開発に向けて尽力しているとのことだった。無論入間も興味はないわけではない。そこの跡取り息子で、顔よし、性格よし、高学歴とあれば引く手あまたに違いない。
「金城寺、哲夫ねぇ。きんてつ……バッファローズ……」
そんな非の打ち所のない彼だったが、入間はどうにも食指が動かない。はっきりとした理由はないが、入間の中の第六感がやめておけと告げているのだ。
(どうもいけすかねぇ男だよなぁ。それにああいう奴ほどド変態プレイが好きって、相場は決まってんだ)
もう一度舌打ちをして入間は立ち上がり、再び彼と向か会おうと心の帯を締める。
「そろそろ行かねーとな。あんまりなげーと勘違いされそうだし……」

窓から見える日本庭園の深緑に入間はそっと目を向ける。都内有数のホテル内の日本庭園。そこに建てられた数寄屋造りの料亭の中で、お見合いは行われていた。顔合わせもそこそこに両親同士は別室に移り、二人きりの空間が展開されてしまい、その息苦しさに入間はトイレに逃げ込んだのだがもうその作戦も使えない。緊張のためか、机の上に並べられた懐石料理にもなかなか手をつけられないでいた。
「綺麗ですよね」
「は?ああ。えー、そうですね」
オレ様の方が綺麗だけどなと言いたいのをぐっとこらえ、引きつった笑みを浮かべて見せる。両親から普段の喋り方を封印するように命じられた入間は、必死に順応しようとするものの体がそれを拒否しているのだった。
「入間さんの方が綺麗ですけどね」
「はぁ?!……まぁ、ご、ご冗談が過ぎますわ」
自分の心中で考えていたはずなのに金城寺に言われ、入間は動揺のあまり奇妙な喋り方をしてしまう。金城寺はそんな入間に微笑みかけた。
「冗談でこんなこと言いませんよ。……それと、入間さん無理してますよね。普段通りでいいですよ」
「え?」
「あ、いえ。会社で父と言い合っているのを見てしまったことがあって。その時に随分破天荒な喋り方をされてましたから、それが素なのかなって思って」
「うっ。あれは、その……」
うろたえ、しどろもどろになっている入間を優しく受け止めるように金城寺は続ける。
「僕も、普段はこんな堅苦しい喋り方してないし。もう親もいないし、そんなに頑張らなくて大丈夫だよ。ていうか父さんにはもうバレてるしね」
「……テメーがそう言うならもう遠慮はしねーからな」
「ふふ。やっぱりそっちのほうがいいね」
穏やかに頷く金城寺に入間は思わず、これが年上の余裕かと感動してしまった。同時にこれが王馬であれば、こっちも遠慮しないよなどと言って暴虐的な言葉の数々をぶつけられるのだろうとも思うのだった。この場においても王馬のことを考えてしまう自分に、入間はつくづく嫌気がさした。
しかし、そんな気持ちを抱いていても腹は減るもので。金城寺に勧められて料理に箸をつければ、その上品な味と空腹も相まって入間は次々と皿を空けていく。一体いくらかかっているのだろうと無遠慮な計算をしようと試みるも、まるで見当がつかないので途中であきらめてしまった。それを嬉しそうに眺めながら、金城寺は入間の学生生活や発明品の話を引き出して、入間を褒めたたえるのだった。料理もすっかり片付いたころ、金城寺は本題を切り出した。
「で、テメーはオレ様に一目惚れしたっつーのかよ。ケッ。まぁこんなクソ美人でクソ巨乳の女がいたら、どんな男だって夢中になっちまうよなぁ」
「……そうだよ。実は、気が強い子が好みなんだよね。それもとびきり過激な子が。だから、キミを会社で見た時運命だって思った」
「う、うんめい」
何故か脳内で赤松がベートヴェンの運命を奏でる姿を思い浮かべてしまい、慌てて振り払う。
「そ、そういうこと、誰にでも言ってんだろ?!そんで引っかかった女を手当たり次第に食い散らかしてんだろ!!テメーの魂胆はお見通しなんだよ!!」
「ううん。言わないよ。……会ったばっかりだけど、今日話してみてもっと好きになった。だから、入間さんが良ければ僕と婚約してほしい」
「ひぃっ?!こ、婚約……」
「あ、いや、ごめん。先走りすぎちゃったよね。お友達からお願いします、って言うべきかな」
「お、おう!!ったく、早漏にもほどがあるぜ」
「はは。ごめんね。でも、キミと結婚したいって思っちゃったんだ」
結婚という言葉に入間の胸は急速に締め付けられた。目の前の好青年の手を取れば、世間でいうところの幸せはつかめるのだろう。その幸せを得れば、王馬に一矢報いることも可能だろう。それでも、王馬への恋心は確かに本物だった。まるで漫画から出てきたような王子様のような金城寺だが、入間にとっては「いい奴」止まりでしかないのだった。学歴、財産、顔、身長、全て合わせても、一年半王馬と共に過ごした時間を覆すほどの一手にはなり得ない。こうして他の誰かを求めた結果、王馬への不変の気持ちを再確認させられ、入間はその悔しさに唇を噛む。それを隠すように入間がそっと俯くと、金城寺が言葉を紡いだ。
「僕と婚約すれば、キミは自由に我が社が保有している資材を使える。キミほどの才能があれば、父さんだって許すだろう。それは悪い話ではないと思うけど」
「た、確かにそうだけど。でも、オレ様は……」
二の句が続けられない入間に金城寺は更に畳みかけてくる。断って、王馬に自分の本心をぶつけるか、受け入れて王馬のことを諦めるか。こうして選択肢が浮き彫りにさせられた途端、入間ははっきりと決断がきた。ずっと前から、それを知っていたのだ。分かっていたのだ。それでも、怖いから逃げてきた。入間が金城寺の言葉に答えようとした時、失礼しますと聞こえ襖がスッと開いて給仕の女性が入ってきた。何度も料理を運んできた小柄な女性だ。慎ましく膝をつくのが俯いたままの入間の目に入った。
「お客様に、当店からのサービスがございます」
「え?」
「にしし。……御用改めである。なんっつってね!!」
入間はその無邪気な声を聞いた瞬間、顔を上げて彼女を見た。また別の女性に突き飛ばされて金城寺の父親が入ってきた。入ってきた、というよりも転がされたという方が正しいだろう。後ろ手に拘束され、口には猿轡を噛まされている。
「父さん?!お前ら、何者だ」
「聞いて驚け見て笑え!我ら「王馬くん、口上はいいんだよ。手っ取り早く済ませよう」
後から入ってきた女性が後ろ手に襖を閉め、自分の髪を掴むと短く切りそろえられたウィッグがずるりと落ち、見慣れたアンテナが表れた。入間は目を見開いて大声を出す。
「ダサい原まで?!な、なんでここに」
「うーん。なんでだろうね。王馬くんに巻き込まれちゃって」
「ごめんね?ちゃんとお礼はするからさぁ」
王馬は着物の内側から小さなボイスチェンジャーを外しながら言う。金城寺は狼狽しながらも、入間と侵入者たちを交互に眺めた。
「入間さんの知り合い?君たちは何なんだ」
「あんたたちの本性を暴きに来たんだよ」
「ほ、本性?なんのことだ。警察を呼ぶぞ!!」
慌てて金城寺が携帯電話を取り出すと、王馬は素早い動きでそれを奪った。
「警察呼ばれて困るのはあんたたちの方だと思うよ。まぁいいじゃん。話くらい聞いてくれてもさ。もしかしてそれもできないくらい心が狭いのかなー?」
「いや、無茶を言ってるのは明らかに僕たちの方だからね」
嘲笑するような笑みを浮かべる王馬と、申し訳なさげな最原を見ながら金城寺は静かに頷いた。
「……分かった。とりあえずキミたちの要求を聞こうじゃないか。でも、父さんは関係ないだろう?それに母さんや入間さんのご両親はどうしたんだ?」
「だから関係大ありなんだって。ああ、他の人は……殺しちゃった」
「おい!!そういう冗談やめろって。二人のご家族は無事です。ちょっと眠ってるだけだから、安心してください」
どこかちぐはぐなやり取りで緊迫感はないものの、金城寺は得体のしれない恐怖感に襲われていた。対して入間は怪訝な顔をしつつも、すっかり慣れ切った二人のやり取りをすんなりと受け入れてしまっている。王馬は冷たい視線を金城寺に向けた。獲物の駆るようなおぞましさを持ったその目つきに、金城寺は腹の底が冷えていく感覚を覚えた。王馬は畳の上でもがいている父親の猿轡を外し、淡々とした口調で尋ねる。
「金城寺工業が、秘密裏に取引をしているところがあるよね」
父親は肩で息をしながら、王馬を睨み付けた。
「……なんのことだ。キミたちはなんなんだ?!」
「関係を持ったのは最近かな?数か月前に多額の出資を実行している。自家用機で何度かジャバウォック島に現場確認にも行ってるみたいだし……。いやぁ、本当にびっくりしたよ。まさか天下の大企業の金城寺工業様があんな危険な会社と手を組もうなんてね」
そんな揺さぶりに無言を貫く父親の体を王馬は軽く蹴り飛ばした。
「ワタツミ・インダストリアル」
金城寺と父親の顔が引きつるのを見た王馬は不気味に笑う。それは、勝利を確信したような笑みだった。
「あは。図星みたいだね」
「ワタツミ……?」
入間が小さく呟いたのを最原は聞き逃さず、彼女に尋ねる。
「入間さん、知ってるの?」
「ああ。飯田橋のジジイが話してたのを聞いた。ほら、何年か前に東洋の方で戦争があったろ?すぐ沈静化したけど。そこで最新技術を投入したロボット兵器が使われてたらしいんだけどよー。それを作ったのがワタツミなんじゃねーかって」
「え……そんなフィクションみたいなことがあるの?」
「いや。オレ様も調べたけど、機械部品とかの精密加工企業だったぜ。ジジイも、あくまで噂って言ってたしな。まああいつはモウロクしてっからなぁ」
「へぇ。飯田橋博士がね。入間ちゃんも聴いたことあるなら話が早いよ。ワタツミは表向きは部品加工に特化した中小企業なんだ。でも裏ではロボット兵器を開発してるってわけ。で、こいつらは兵器開発に参入して一儲けしようとしてたんだよ。入間ちゃんの技術を応用してね」
「はぁ?!オレ様の?!」
「な、何を言ってるんだ?!私はそんな会社なんて知らない。勿論息子もだ。言いがかりはやめてくれ!!」
言い訳がましく反論する父親の声を無視しながら、王馬はボイスレコーダーを取り出した。再生された音声に入間は愕然とした。そこから聞こえてきたものは、確かに入間の才能を使い新兵器開発を目論むという内容だった。彼女と婚約し、その技術を余すことなく使うことができれば医療と軍需産業の両方で天下を取れる。その声は確かに金城寺と父親のものであり、入間はもう聞きたくないとばかりに耳を塞いだ。そんな入間の姿に、王馬は目を伏せる。
「ごめんね、入間ちゃん。こんなこと聞かせたくなかったんだけど」
「そ、そんなものでっちあげだろう!!入間さん、知り合いだかなんだか知らないけど、この人たちの言うことは信じないでくれ!!」
「まだ認めないわけ?でも、これは言い逃れできないんじゃない?」
王馬は最原が持っていた鞄の中から書類のようなものを取り出し、父親に見せつける。そこには二社で交わされたメールの内容や兵器の設計図が載せられていた。加えて協力者の候補として入間を筆頭に飯田橋や左右田、その他の工学者やメカニックの名前が載ったリストも存在している。自分とワタツミの人間しか知りようがないはずの情報が記された書類を目にし、父親は顔面蒼白になった
「な、なぜそれを……」
「まー、オレは悪人だからね。ハッキングくらいお手のものってわけ。つーかセキュリティーゆるすぎ。入間ちゃんの股よりゆるいんじゃないの?」
「ひぐぅ……な、なんで急に罵倒されなきゃいけないのぉ……」
「本当は不二咲さんに頼んだくせに」
王馬は小さく舌打ちをしたが、自分に関しても抜け目ない捜査を行っていた最原に心の中で賞賛の言葉を贈る。
「不二咲?なんであいつが?」
「最初は渋ってたけど……入間さんに助けられたことがあるからって、今回手伝ってくれたんだ」
入間は以前不二咲に頼まれ、気が遠くなるほどのデバッグ作業を手伝ったことを思い出した。そして改めて自分が引き込まれそうになった状況を認識し、腹立たしさと、同時に恐ろしさも感じていた。世界を幸せにするために培ってきた技術は、一歩間違えば世界を破壊する兵器を作り出してしまうかもしれない。この先も自分の力を利用しようとする人間が現れ、知らず知らずのうちに手を貸してしまうかもしれない。そう思うと、明るいはずだった未来に影が差していくのだった。呆然とする入間を見て、王馬が呟く。
「……入間ちゃんの才能はね、世界を幸せにするためにあるんだよ」
「王馬……」
「お前らみたいな人間に使わせてやるかよ。……さて、ここからは最原ちゃんの出番だよ」
そう言って、最原を自分の前に押しやる。最原は遠慮がちな雰囲気を漂わせながらも、はっきりと金城寺の名を呼んだ。
「哲夫さん」
「な、なんだよ。まだ何かあるのか?」
先ほどまでの品行方正な姿はもうなく、小さく舌打ちをして金城寺は最原を睨み付けた。
「ええ。僕はこの三週間、あなたの動向を探っていました。あなたは女性の……これまでお付き合いした女性たちの性的な画像を第三者に売りつけていますよね?」
「……は?」
最原の発言に入間は何度も瞬きをする。金城寺の顔を見れば、彼は絶望的な顔をしていた。もうそれだけで、最原の発言が真実なのだと分かってしまうほどに。
「あなたの友人が証言してくれましたよ。そしてその画像を使って元交際相手を脅し、性行為を迫っていることも。ここに証言も用意してありますが、その様子だとわざわざ聞いていただかなくてもいいみたいですね」
また別のボイスレコーダーを取り出して最原が言う。金城寺はそれを取り上げようと立ち上がろうとするが、体に力が入らないようでその場に崩れ落ちた。
「な、なんで、あいつらが」
「簡単に話してくれましたよ。……随分「いい友人」に恵まれたみたいですね」
「金城寺ちゃんはさぁ、気の強い女の子が好きなんじゃなくて、気の強い女の子を調教するのが好きなんだよね?本人が嫌がっててもさ」
「女性たちの証言もあります。逆らいたくても、あなたの権力を恐れてできなかったと言っていました。…‥‥あとは、法律があなたを裁いてくれますよ」
「ていうかさー。これを教えてくれたの、あんたの父親なんだよね」
王馬が父親に笑いかけると彼は震えながら首を振った。
「し、知らない」
「えー。忘れちゃったの?オレと話した時に言ってたじゃん。息子は自分に似ずに女性関係が激しくて困るって……。いやー酒って本当に怖いよねー」
「お前のような男と話した?何を……」
王馬が不気味な笑みを張り付けままウィッグを外す。その紫の髪をしばらく見つめていたが、父親はハッとした表情へと変わった。
「お、お前……そうか、どこかで聞いた声だと思っていたが……」
「お前?そんな話し方許可した覚えはないんだけど」
ひゅっと息を飲む音がした。最原と入間は視線を交える。自分たちの知らない「総統」としての王馬の片鱗を見るのはこれが初めてではなかったが、普段の王馬とはまるで違う雰囲気に二人は口出しもできずただ見守ることしかできなかった。
「まぁ会ったのも結構前だから仕方ないか。確か、政治家のパーティーかなんかだったと思うけど」
「ええ。……確かにあなただったら、ワタツミの情報を仕入れるくらい簡単かもしれませんね」
「ふん。期待を裏切られた気分だよ。ところでこの情報、いつでもリークできるんだけど」
王馬の蔑むような視線から逃げるように目を反らしながら父親が答える。
「……何が望みなんですか」
「オレたちは警察でもなんでもないからさー。……オレが言いたいのは、入間ちゃんに金輪際関わらないでってことだけ。あと自分の息子の躾くらいちゃんとしてよねー」
王馬は父親の拘束を解きながら言う。その口調は冷え冷えとしていて、部屋中が凍りついていくようだった。
「あと忠告だけど。ワタツミからは手を引いたほうが良いと思うよ。あんたたちみたいに技術一本でここまでのし上がってきた、いわゆる染まっていないところが、ああいうわけのわからない企業に関わってもいいように使い潰されるだけ。オレもあいつらの実態を掴めてないしね……」
王馬は縄を最原に渡し、虚ろな目をしている入間の元へ歩み寄った。そしてしゃがみこみ、入間の頬を両手で包み込むように触る。
「入間ちゃん、ごめんね。もっと早くキミを引き留められればよかった。どうしても証拠が必要だったんだ。でも、こんな思いさせて本当にごめん」
「……テメーが謝ることじゃねーだろ。決めたのはオレ様なんだから」
「……ごめんね」
その真剣な声に、入間は小さく頷いた。王馬は唇を噛みしめ、固まったままの金城寺に目を向ける。その視線に金城寺は小さく悲鳴を上げた。王馬は狩人のような目で彼を睨み付けたまま言葉を投げつける。
「お前、どうせ入間ちゃんも他の子と同じようにするつもりだったんだろ」
「……はっ。そうだよ。簡単に落ちると思ったんだけどな」
「開き直りやがって」
「……ざけんな」
入間がそう呟き、すっくと立ちあがり、微笑みながら金城寺の元に向かったかと思うと、振袖の裾をまくりあげて顔面を蹴り上げた。この世の終わりのような奇妙な悲鳴を上げてゆっくりと後ろに倒れ込む彼に入間はまくしたてる。
「テメーみたいなド変態犯罪者こっちから願い下げだっつーの!!つーか最初からいけすかねぇと思ってたんだよ!!なーにが運命だ!!刑務所で男に掘られてガバガバになった挙句そのすっかすかな脳みそをケツ穴から垂れ流せ!!ああーーー!!オレ様の大事な時間を返せっつーの!!重大な損失だぞ?!わかってんのか?!おい!!聞いてんのかオラァ!!」
意識が飛びかけた金城寺の襟元を掴み揺さぶる入間に、王馬と最原は顔を見合わせた。まるで反応しない金城寺を突き放し、入間は王馬に顔を向ける。
「王馬ぁ!!」
「な、何?」
「埋め合わせしろ」
「は?」
「テメーがさっさとこいつらに関する情報を教えてくれたら時間を無駄にすることなんかなかったっつーの!!そんなことも理解できねーのかこのカス脳の短小!!だからいつまで経っても童貞なんだよ!!わりーと思ってんなら、い、今からオレ様と……デートしろ!!」
「はぁー?!な、なんなの。今からって。だってキミのご両親に色々説明したりしなきゃいけないし」
「だぁー!!そんなもん知らねーよ。オレ様は超むしゃくしゃしてんだよ。オレ様がむしゃくしゃしてたらテメーら凡人がそれを解消するってのが世界の常識だろ?」
「そんな常識はない!!」
「いいからデートしろ!!このオレ様がしろって言ってんだよ。そ、それとも嫌なのかよぉ……」
王馬は騒ぎ立てる入間を見つめ、深いため息をついた。埋め合わせは勿論のこと、このまま二人きりになれるならば願ったり叶ったりだ。何よりもあまり入間を金城寺のそばにいさせたくないのだった。ちらりと最原を見ると、最原はその意図をすぐさま理解したようで顔をしかめて首を振った。しかし王馬は最原の肩を叩き、申し訳なさそうに微笑んだのだった。
「というわけで、あとはよろしく」
「よろしくって。ちょっと、王馬くん?!」
王馬は慌てて入間の手を引いて、手早く襖を開けてすり抜けていく。最原はその後ろ姿に手を伸ばしたが、王馬が放り投げた金城寺の携帯を掴むだけだった。巻き込まれた挙句、後始末まで任されることになるのは、想定内ではあったもののがっくりと肩を落とす。すると突然背中を叩かれた。振り向くと、自分と同じような給仕の格好をした女性が二人立っていた。それは王馬の部下であり、最原は首を傾げる。
「最原さん、大変でしたね」
「ごめんねー。いつも総統に付き合ってくれて」
「な、なんで?」
「んー。もし護衛がいて暴れられたりしたら、あたしたちがどうにかする予定だったんだけど。後片付け要員になっちゃたね。……悪いけど、もう少し付き合ってよ。お礼はたっぷりするからさ、総統が!」
「……分かりました。今回だけですからね」
もう何十目かの「今回だけ」に最原は苦笑する。王馬と知り合ってしまった以上、彼の人生に巻き込まれた以上、こういうことはこれからも何度もあるのだろうと確信していた。そして最原はため息をつきながらも心の中で願った。どうかあの臆病な友人たちが、今度こそ気持ちを伝えられるようにと。
「ていうか、王馬くん着替えなくてよかったのかな」
「確かに」
「女装して歩くとか正直キツイわー」
三人は入間の隣で歩く給仕姿の王馬を想像して大いに笑った。

**
料亭を出た王馬と入間は無言でただただ歩き続けた。日本庭園を抜け、ホテルを抜け、どこへ行くでもなくただ歩く。しかし手はしっかりと握ったままだった。王馬が入間の顔を見上げると、唇を真一文字に結んで、眉間に皺を寄せてむっつりとした表情をしていた。泣きそうなのを、堪えているのだと分かった。振袖を着ているせいかいつもよりも狭い歩幅でゆっくりと歩く入間は、弱弱しく今にも崩れ去ってしまいそうなほどに脆い人間に見えた。王馬はつないだ手がまるで生命線であるかのように感じ、より力強く手を握った。そうして、辿りついたのは海だった。二人は浜辺へと繋がる階段に腰かけて、穏やかな太陽に照らされた青とも緑ともつかない海を眺める。浜辺では親子が駆け回っていた。寄せては返し、延々と同じ動きを繰り返す波はまるで二人がこれまで過ごしてきた日々を思い起こさせた。それも、今日で終わりだ。
「オメーその格好どうにかなんねーのかよ」
「仕方ないじゃん!!」
「つーかなんで女装してんだよ。あ、分かった!!そういう性癖なんだろ?!テメーも相当なド変態だなぁ!どうせ今もおっ立ててんだろ?!」
「潜入するために決まってるでしょ。本っ当に色豚ってのは発想が貧困なんだね」
「んだよ、冗談だっつーの。……分かってるよ。来てくれたのには感謝してやる」
「……うん」
「つーかテメーが来なくても断るつもりだったし」
「え。そうなの」
「ああ。オレ様の勘が告げてたからな。こいつはヤベェって。想像以上にヤベーやつだったけどな!!ひゃっひゃっひゃ!!」
高笑いする入間の顔を見ると、その瞳から涙が零れ落ちた。入間は慌ててそれを拭うが、せき止めていたものが決壊したかのように涙は次々溢れてきた。王馬は胸元からハンカチを取り出して入間に手渡す。入間はそれを奪い取り、顔を隠すように押し付けた。そしてしゃくりあげながら、ぽつぽつと言葉を吐き出していく。
「……あいつ、逮捕されんのかな」
「だろうね」
「あいつと付き合った女、大丈夫なのかよ」
「……それは」
「テメーもそういうことしてーのか?」
「え?」
「ああいう風に他人にひどいことしたいって思ってんのかよ」
「思ってない」
「……本当に?」
「本当だよ」
入間はハンカチで目を抑え、とめどなく溢れてくる涙をせき止めようと必死だった。恐怖に近い感情が入間の中に湧き上がってくる。普段から猥雑な話ばかりしている入間だったが、それはあくまでも冗談の一つであったし、性交は愛する人間とすべきことだと認識していた。それを権力、あるいは暴力的なものによって強要されることを想像した途端吐き気がこみあげてくる。その欲求を自分に向けられていたことは、たとえ自信家の入間であっても恐るべき事態だったと判断した結果だった。デートをしろと無理やりにでも王馬に言いつけたのは、あの場から離れたかったこともある。あの男に向けられた視線も声もすべて削ぎ落してしまいたかった。王馬の嘘や、優しさで上塗りしてほしかった。
王馬はおずおずと入間の頭に手をやり、優しく撫でる。普段の喧々とした雰囲気はなく、弱いものを守るような手つきに入間は安心し、余計に涙が溢れてくるのだった。
「……ああいう人間の方が稀なんだよ」
「わかってる」
「……ごめんね」
「だから謝んなよ。……おい、オレ様を抱きしめることを許可してやるよ。精々喜べ、童貞」
肩を震わせながらそう言った入間を、王馬は守るように包み込む。入間はその小さな体にすっかり守られているような気がしてならなかった。小さくて、細くて、でもあたたかい王馬の体。ずっとそばにいて、いつだって入間の心を揺さぶって、安心させて、高鳴らせた、まるで理解できない不可思議な存在。今は彼がそばにいることがただただ嬉しかった。
「オレ様の技術は、いつか悪用されちまうのかな」
使い方一つで世界を変え得る自分の才能のことを思う。まだ見えぬ未来で、騙され、利用され、自分で世界を叩き壊す想像が脳裏から消えない。入間の震える吐息を聞いた王馬は静かに呟いた。
「……させない」
「え?」
「オレがさせない」
真剣な声が耳元で聞こえる。入間の心臓がぎゅっと締め付けられた。
「オレがずっとそばにいて、キミのことを守るよ」
王馬は入間の背中をとんとんと叩く。振袖の分厚い布越しだったがその感覚はきちんと入間に伝わっていた。
「あいつ、入間ちゃんのこと全然分かってなかったじゃん。入間ちゃんは強気なふりしてめちゃくちゃに打たれ弱いし。防御力マイナスに振り切ってるくせにすぐ喧嘩売るような馬鹿だし。RPGだったら最初の街でやられるレベルだよ?それを運命とか言っちゃってさー」
「聞いてたのかよ」
「まぁね。あれ、ちょっとときめいたでしょ」
「そ、そんなわけねーだろ!!あんなのにときめくのなんて処女ぐらいだっっつーの!!オレ様は百戦錬磨だって言ってんじゃねーか!!」
「あっそ。まぁ、そんな脆弱でチョロくて馬鹿で、満足に嘘もつけないくらい純粋な入間ちゃんをオレがずっと守ってあげるから。…だから」
王馬は入間の肩に手をやり、自分の身から離す。そしてしっかりと、涙に濡れた彼女の目を見つめて言った。
「オレと付き合ってよ」
それは入間がずっと待っていた言葉であり、王馬がずっと言いたかった言葉だった。入間の胸が高鳴っているのに対し、王馬の心は静かだった。あれほど悩んでいたものの、告げてしまえばあっけない。それをひどくこじらせて、彼女を傷つけるはめになったことを悔やんだ。まるで走馬燈のようにこれまでの思い出が王馬の中になだれ込んできていた。最初はからかっていただけなのに、その反応が気になって踏み込んで。くだらない発明を、世界を一新させるような目覚ましい発明を生み出す突拍子もない発想に興味を持った。多少目に余ることはあったものの、弱い自分を守るかのように繰り出される過激な発言もいつの間にか許せるようになった。きっかけというきっかけなんてなかったように思うのだった、ただいつの間にか彼女のことが好きで、いつまでもそばにいたいと思った。王馬にとっては無限とも思える沈黙の時間が過ぎ、入間は穏やかに微笑んで頷いた。
入間は恥ずかしそうに目を伏せる。下睫毛に留まっていた涙の粒が落ち、そっと口を開いた。
「ちゃんと告白しろよ」
「……好きだよ。ずっと前から好きだった。ねぇ、入間ちゃんも言って」
「テメーのことが好きだ。オレ様も、ずっと好きだった。……これでいいかよ」
王馬が何度も頷きながら苦笑する。入間は思う。運命じゃない。運命であってたまるか。こんなにもこじらせて、意地を張って、その結果自分を傷つけるような思いをして手に入れた恋なんて運命なんて呼びたくない。ふと入間は先ほどまでの恐怖心が消えていることに気が付いた。生きている限り、恐ろしい人間もいれば、いくつもの落とし穴があるのだろう。それでもこの、底の見えない男がそばにいてくれるならば未来は明るいように思うのだ。入間は鼻を鳴らして、不敵な笑みを浮かべた。
「本当は引き留めてほしくて、お見合いの話をしたんだよ。でもテメーみてーな鈍感な童貞野郎には伝わらなかったみてーだな。あーあ、これから先が思いやられるぜ」
「それは駆け引きってやつ?ふーん。入間ちゃんのくせにオレを騙したわけか。ムカつくなー」
「な、なんだよう。怖い顔すんなよぉ」
「あ。UFOだ」
「え?!」
王馬が海の向こうを指し、入間がそちらを向いた瞬間。頬に柔らかいものが押し当てられた。入間はすぐに王馬のキスだと分かり、頬を赤らめてのけ反る。王馬はケラケラと笑いながら入間を何度も叩いた。
「やーい。騙されてやんの」
入間は悔しそうに唇を噛むが、すぐに王馬の頬にも紅がさしていることに気が付いた。負けじと顔を寄せて、王馬が怯んだ隙に引き寄せてその唇を奪う。あたたかさとやわらかさが二人を繋ぎとめ、それぞれの心は一気に幸福感で満たされてしまった。
「はっ。オレ様の勝ちだな」
入間は突き飛ばすように王馬を離し、自分の唇を舐める。それがやけに煽情的に見えて王馬は目を細めた。
「つーか、ダサい原が困ってんだろうから戻ってやんねーとな」
「……そ、そうだね」
振袖をはたきながら立ち上がり、来た時とは打って変わってすたすたと歩いていく入間を見つめて王馬は言った。
「あーもう。完敗だよ、入間ちゃん」
「ん?」
「ううん。なんでもない」
振り向いた彼女に笑いかけ、王馬も立ち上がる。自分のプライドの高さは自覚している。だからこそ、フラれるのも怖くて、できることならば主導権を握りたかったはずだった。それをこんなにも振り回され、持てる限りの力を駆使して彼女を守ろうとするなんて本当に彼女に骨抜きにされてしまったのだと王馬は頭をかく。もし自分が自伝を書く日が来るのならば、恋は本当に恐ろしいからやめておけと書くだろうと一人思った。
「……まぁ、リベンジマッチはいつでもできるしね」
そう言って入間を追いかけて歩き始めた。

**
大変なのはそこからだった。睡眠薬で眠らせた入間の両親と金城寺の母親を起こし、全ての事情を説明した。入間に両親は各々に卒倒しそうになったり、事態の飲み込めなさに呆然としていたが、入間を育てた肝っ玉の強さを発揮したのか数時間後にはケロっとしていた。金城寺の母親は何も知らなかったようで父親に縋りつきながら泣いていた。
その後最原が得た証拠を元に哲夫の元交際相手の女性たちが彼を起訴することとなる。父親はワタツミ・インダストリアルとの関係を公表し、社長を辞任。しかし金城寺工業が培ってきた技術は高く買われ、社長の懸命な証言と綿密な調査により、一部役員を除き社員との関わりは見られないとして、社名を変えての営業を続行する運びとなる。勿論築いてきた地位は一気に失墜するものの、その高い技術力と地道な営業努力により徐々にイメージを回復していく。ジャバウォック島に本拠地があるとされていたワタツミ・インダストリアル及び関連の軍事施設は政府の調査が入った時点ではもぬけの殻で、王馬はまたそれを追うことになるのだがそれはまた別の話。

全てが終わった後、普段着に着替えた最原は一人でホテル内の喫茶店にいた。王馬と入間は後始末を終えた後に、入間の両親と共に食事に行ってしまった。最原も誘われたがあまりの疲れに断ったのだった。本当に破天荒な人々だと最原はため息をつく。しかし、告白は無事に成功したのだろうと思うと喜びの気持ちの方が大きかった。最原という男は、つくづく誠実でお人よしなのである。
「いや。あそこまでやっておいて、失敗されても困るんだけど。しかし、あの料亭も王馬くんの息がかかったところだったなんて……。ワタツミ・インダストリアルのこともあるし。彼は一体何者なんだ」
口元に手を当てて考えるも、王馬のことはどれだけ探っても理解できそうにないのだった。ふと窓を見ると、橙色の太陽がホテルの外壁の向こう側に落ちていくのが見えた。すべてが許されるような穏やかな夕日。最原はふと百田のことを思い出した。あの明るい笑顔で、この破天荒な物語を笑い飛ばしてほしいと思うのだった。そして、何度も自分の探偵業を優先してくれた恋人のことを思う。今すぐに会いたい、会って話したい。そんな思いが募っていた時、携帯が震えた。見れば王馬からのメールだった。

『最原ちゃん今日はありがとう!お金はまた口座に振り込んでおくね。あとオレと入間ちゃんのこと、みんなにバラしてもいいよ。どうせ百田ちゃんあたりに話したいって思ってるんでしょ?じゃあまた学校でね!』

絵文字をたっぷりつかった可愛らしいメールに最原は苦笑する。手早く返信をし、恋人に電話をかけた。コール音が鳴る中で最原はふと王馬に言われた、自分は楓に負けているという言葉を思い出す。負けていたって構わない。どうせ王馬もその内入間に負けることになるのだと思って笑った。数回のコール音の後、彼女の明るい声が聞こえた。それだけで最原は全てが報われるような気がするのだった。
「もしもし?ああ、うん。終わったよ。本当に大変だった。それで、今から会いたいんだけど、いいかな。……え?百田くんと春川さんもいるの?良かった!いや、こっちの話。じゃあ、駅前で。うん。すぐ行く」
最原は電話を切り、ゆっくりと立ち上がる。その顔には幸せそうな笑みが宿っていた。彼は後にこう語る。あんなにも、めんどくさいカップルは他にいないと。

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