3月14日の幸福
 こちらの「2月14日の難題」の続きです
ホワイトデーのお返しのためのデートをする王馬と入間
そしてそれを尾行するDICEのメンバーの話

※オリジナルキャラクターが数名登場します
※DICEメンバーの性格etc.ねつ造注意

ブランドもののバッグ、時計、アクセサリー、無難にクッキーとか飴でよくない?そんな声が飛び交う中、王馬はソファに深く沈みこませた体を起こして気まずそうな顔で部下たちを見回した。王馬の視線など完全に無視して議論は白熱する。いっそ総統自身をあげちゃえばよくないと部下の一人がツインテールを揺らしながら笑ったところで、王馬はついに口を開いた。
「あのさぁ」
「なんすか。今忙しいんで黙っててください」
「そうだよ。あたしたち真剣なんだからね」
「なんでお前らがオレのホワイトデーのお返しについて話し合ってんの?」
投げかけられた疑問に全員が間髪入れずに、楽しいからと答える。王馬はこいつらに聞いたオレが馬鹿だったと心の中で呟きながら頭を抱えた。その姿を見て、部下たちはにやにやと笑いながら次々にお返しの案を提案して来る。指輪やバッグなどの身に着けられるものをあげろという無難なものから、豪華客船を占拠して百万ドルの夜景を見せろというギリギリ実現可能そうなもの、電波ジャックをして愛の告白を全世界に配信しろという公開処刑じみたものなど様々な案が王馬にぶつけられた。一番最悪な意見は彼女に対抗して王馬も自分の体液入りのクッキーを作るべきだというもので、それが投下された時は王馬を除く全員が笑い転げてしまい話し合いは一時中断となった。結局、大喜利と化したその議論は収拾がつかなくなり王馬は手をパチンと鳴らして終了を宣言した。
「で、結局どうするんすか?ザー……ん、んん。失礼。体液入りクッキー作ります?手伝いますよ」
「作るわけないだろ!!」
「そんな怒らなくてもいいじゃないすか」
おどけた口調でそう言う部下を無視して自室に戻ろうとする王馬だったが、肩を掴まれて無理やりソファに座らされた。この不毛なやり取りをまだ続けるつもりかという視線を送るも、誰も王馬の意図を汲もうとはせずに議論は彼女が作ってきたチョコレートへと移る。
「でもさー、相手は髪の毛入りのチョコ作ってきた人だよ?」
「一筋縄じゃいかないわよね」
「それを捨てずに防腐処理して後生大事に飾っておく総統も相当ヤバい人だと思いますが」
「総統も相当ヤバいってギャグ?超つまんねーよそれ。やー、でも愛だな。愛」
「あのさぁ、なんなの?お前らはオレとあの子を馬鹿にしたいわけ?あとオレだってあのチョコはドン引きしたからね?!別に嬉しくもなんともなかったし。ただ捨てるのがもったいなかっただけで……」
王馬の分かりやすすぎる照れ隠しを皆微笑ましく思って笑う。彼らは何も王馬を困らせたいだけではないのだ。彼の部下として、家族のような近しい存在として彼の役に立ちたいという気持ちが確かにあった。色恋沙汰に興味のなかった彼に好きな人ができ、結ばれて、こうして何を贈るかで悩むことが出来る。王馬のことを総統として尊敬しながら、弟のように思っている彼らにとっては至上の喜びだった。勿論割合としては8:2くらいで王馬が困惑する顔が見たい方が大きい事には違いないのだが。
「まぁおふざけはここまでにして、どうします?何か作るならあいつらが手伝ってくれるだろうし」
真剣な口調でそう言う部下の視線の先には女性陣が微笑んでいた。その隣に座っている赤髪の男もひらひらと手を振りながら言う。
「アクセサリー選びたいならいいところ紹介するんで」
「本気で電波ジャックするなら早めに言ってね」
部下たちの言葉に王馬は唇をそっと噛みしめて笑う。どうしようもなく馬鹿で、どうしようもなく愛しい人々の優しさを感じる時、王馬はたまらなく嬉しくなる。しかし王馬は彼らの提案に応えようとはしなかった。
「……でもとりあえず、自分で考えてみる」
「ん。じゃあ解散ー」
「ざんねーん。公開告白してほしかったわー」
口々にふざけたことを言いながら自室へと戻ろうとする彼らに王馬は俯きながら言った。
「……ありがとう」
その言葉を聞くともなしに、皆は各々てきとうな激励の言葉を残して扉の向こうへと消えていった。一人残された王馬は考える。彼女――入間美兎に贈る、最良のプレゼントを。

**
三月十四日。土曜日。快晴。絶好のデート日和だ、と入間は空を仰いだ。あたたかな空気が町全体を包み込み、春が近いことを告げている。ホワイトデーのお返しがしたいから空けておいてと王馬からメールが来たのはバレンタインデーの翌日で、入間は楽しみにするあまり今日まで指折り数えて過ごしてきた。今日の為にわざわざワンピースも靴も新調もした。学校が異なる二人が会うのは実に三週間ぶりだった。さほど長い期間ではないが、付き合い始めて日が浅い高校生であるがゆえに電話やメールのやり取りだけではなかなか満たされない。ドギマギとした気持ちで待ち合わせ場所に行くと王馬が不機嫌そうな顔をして柱にもたれかかっていた。
「もー。遅い。二時間の遅刻だよー」
「えっ?!」
「にしし。嘘だよー。オレも今来たとこ」
パッと笑顔になって入間の顔を見上げる。夏のヒマワリのような快活さをまとったその笑顔に釣られて入間も微笑んだ。
「……元気だったか?」
「ううん。全身の穴と言う穴から味噌汁が出てくる奇病にかかって入院してたよ」
「息するように嘘ついてんじゃねーよ」
「たはー。バレたか―。入間ちゃんは元気だった?」
「ああ。オレ様の天才的な発明のおかげで体調管理は万全だからな!!」
いつもと変わらない調子の入間の姿に王馬はどこか安心した様子で何度も頷く。そして、鞄からチケットを二枚取り出した。それを見た入間は腕を組んで目を細める。
「オレ様をイかせられるようなプランじゃなかったら許さねーからな」
王馬が自信ありげな声できっと喜んでもらえると思うよと言ってチケットを見せるとそこには、入間が以前行きたいと零していたマジックショーの名前が書かれていた。入間は目を輝かせながら何度も確認するようにその文字を追い、ついでに自分の頬を抓って夢じゃないと呟いた。
「マジかよ。これチケット即完だったのに……」
「オレは悪の総統だからねー。主催者を脅せばこんなの簡単に手に入れられるんだよ」
「嘘だろ?」
「どうかなぁ」
頬を上気させ、興奮を抑えきれない様子の入間を見ながら王馬は相変わらず嘘か本当か分からない軽口を叩く。入間が上ずった声でありがとうと告げると、王馬はチケットをしまいながら満足げに微笑んだ。
「ところでさー」
「ん?」
「今日、すっごくかわいいね。嘘だけど!」
そう言って王馬は腕を絡ませる。そのよどみない動作に入間の胸は高鳴り、その鼓動が求めるのに合わせて彼に身を寄せて歩き始めた。

そんな二人の会話を盗み聞きしている三人組がいた。王馬の部下たちだ。王馬たちが待ち合わせ場所としていた巨大な柱の裏側で張り込んでいたのである。一人は目立つ金色の奇抜なヘアスタイルを隠すように帽子をかぶってマスクをし、もう一人はいつものツインテールを解いて三つ編みにして文学少女然とした装いをしている。三人目は自慢の黒髪をわざわざ赤のメッシュを入れた挙句、いわゆるヴィジュアル系と呼ばれる服装に身を包んでいた。その風変わりな変装とちぐはぐな組み合わせが決して尾行に向かないことに三人は気が付いていない。二人がその場から去るのを目の端で追いながら金髪の男がおどけた口調で言った。
「今日、すっごくかわいいねだってよ。いつあんなセリフ覚えたわけ?俺にも言ってほしいわー」
「チケットどうしたの?オク?」
「主催者と知り合いなんだよ。昔なぁ、アメリカでなぁ。くぅーっ、思い出すだけでも泣けてくるような感動的な話なんだけどよぉ」
「あっそ」
「というか姉弟にしか見えないのですが」
「本当それよねー」
「おい。話聞けよ」
「くだらない話をしていないで早く追いかけますよ」
足早に王馬と入間を追いかける。二週間前、全員で議論をしたあの日。王馬のあずかり知らぬところである計画が立ち上がった。ホワイトデーまでに王馬の動向をさりげなく探り、当日は行く先々で簡単なサプライズを仕掛けようという内容だった。普段の王馬ならば部下の些細な言動の違いに気が付き、その計画を見抜くこともできたのだろうが、入間のことを考えるので忙しかったらしく全く気付かれないまま今日まで来た。王馬も、部下たちもそれぞれが無事に今日と言う日を終えられるように祈る気持ちを抱えてホワイトデーが始まったのだ。

会場は大勢の客でごった返していた。国内のサーカス団が所有している名の知れたホールを借り切っての公演だが、立ち見席すら埋まっている。席に着いた二人はコートを脱いで柔らかい椅子に腰かけた。会場には軽快なBGMが響き、ステージでは青を基調とした照明が布の描けられた装置を照らしている。
「入間ちゃんってこういうのホント好きだよね。手品とか、サーカスとか」
「なんだよぉ。どうせガキっぽいって笑うんだろ?」
「そんなわけないじゃん。好きなものちゃんと教えてくれるようになって嬉しいんだよ。前は全然言ってくれなかったし。……まぁ、嘘だけどねー。そんなの教えてもらっても全然得にならないしー」
これは本当なのだろうと思いながら、入間はそうかよと小さく返事をした。入間は元来好きなものをはっきりと口に出す人間ではなかった。似合わない、子供っぽい、そんなことを言われるのが怖くて本当に欲しいものを隠してきたのだが、王馬に何度も尋ねられるうちに自分の内側を明かすようになっていった。心にかけたいくつもの鍵を少しずつ開けてもらえることで安寧が得られるなんて、王馬がいなければ知らなかった。あたたかい気持ちになり、横目でメールを打っている王馬を見ると、その視線に気が付いた彼は楽しみだねと笑った。
ブザーが鳴り会場が徐々に暗くなり、それに合わせてBGMがぐんぐん大きくなる。魔法が始まる直前の漆黒。興奮を掻き立てられ、入間はくっと息を飲んだ。照明が明るくなるのと同時に音楽が切り替わり、派手な見た目のグループがステージに現れてジャグリングを始めた。前座のようなものなのだろうが、入間はすぐにくぎ付けになった。いつもそうだ。単純な楽しさだけではない、ステージに上がる人々が全身で「自分を見ろ」と告げている感覚に心を打たれた。矢継ぎ早に繰り出される超絶技巧に魅せられて、入間の心臓の高鳴りは収まらない。彼らが大技を決め、観客に向かってとびきりの笑みを向けたところでドラムロールが鳴り、ショーのタイトルを告げる男の声が響き渡った。ジャグラーが退場するのと同時に、MCである金髪の大柄な男が登場して会場は大いに湧き上がる。フライヤーに主催者として顔写真が載っていた人物だった。流暢な日本語で先ほどの男女の紹介をし、舞台奥に置かれていた装置の布が取り払われた。入間は小さな声で王馬の名を呼ぶ。
「王馬」
「ん?」
「もうこの時点でめちゃくちゃ楽しい…!!」
「それはそれは。キミの御眼鏡にかなったようで安心したよ」
そう言う王馬を今すぐにでも抱きしめたいほどの感謝の気持ちでいっぱいになったが、公共の場であるがゆえに入間はどうにか堪えた。ありがとなと言って行き場のない手を握ったり広げたりしている彼女を見て、王馬はそっと微笑んだ。その後は、息もつかせぬほどのマジックに入間は目を奪われ続けた。空中浮遊、瞬間移動、剣刺しマジック、人体切断……いわゆる派手な王道マジックに歓声を上げ、舞台転換の間に挟まれる鳩を使ったマジックや縄抜けに拍手を送った。その上観客参加型のマジックで、抽選で選ばれたのだ。自分の席番号が呼ばれてスポットライトに照らされた瞬間に卒倒しそうになったが、どうにかこうにかステージに上がり助手を務めた。選んだカードや考えている数字を当てられ、鮮やかな手さばきでトランプを扱う姿に大袈裟なまでに喜ぶ入間は優秀な助手として会場に受け入れられた。まさか自分が一緒にステージに立てるなんて考えもしなかった入間は、いつもは信じもしない神に大喝采を送った。拍手の中、キラキラとした瞳でマジシャンの青年を見つめる入間の手を取り、彼はそっと口づけをした。その瞬間王馬の不機嫌度が上昇したのを彼は知らない。
「すごい緊張してたね」
席に戻ると王馬がからかうような口調でそう言った。
「あぁ?!す、するわけねーだろ。この大天才の入間美兎様が、緊張なんてするわけないし……」
「手にキスされて動揺してたくせに」
「……怒ってんのか?カーッ小さい男だなーテメーも。まぁアレは結構いいもん持ってるけどな」
「怒ってませーん。あと次そういう発言したら置いて帰るから」
少し不機嫌そうな王馬の肩に触れて怒るなよぉと揺らしていると、ゲストと称してMCが聞きなれた名前を呼んだ。二人で顔を見合わせてステージを見やるとまるで魔女を彷彿とさせる帽子をかぶり、黒いワンピースに身を包んだ小柄な少女が仁王立ちしていた。彼女の後ろには巨大な水槽、その上には大量のピラニアが入ったガラスケースがつるされている。
「ゲッ。ツルペタ干物女」
「うわー。オレたち超ツイてる。シークレットゲストだよね」
夢野秘密子。超高校級のマジシャンとして名を馳せる彼女は、かつて才囚学園で共に過ごしたメンバーの一人だ。簡単なマジックなら見せてもらったことはあるが、プロとして彼女を見るのは二人とも初めてだった。
「大丈夫かな」
王馬の視線の先にはピラニアの詰まったケースがある。
「……大丈夫だろ」
BGMが怪しげな雰囲気のそれへと切り替わったところで、夢野が水槽の上に立ち凛とした声で言った。
「うちがこれから行うのは最も高等な魔法。人体移動魔法じゃ。人体と言っても他の誰でもない、うちの体を使うんじゃがな。この水槽の中に入り、一分以内に見事脱出してみせようではないか」
その独特な喋り口に観客はざわついている。しかし夢野はお構いなしに観客を見回して微笑んだ。
「大気中にはお主らのおかげでマナが充満しておるようじゃな。これだけのマナがあれば完璧な魔法をお主らに見せることができるのう。今日ここに来られた強運に感謝するがよい!!」
「なんかすごいこと言ってる。ヤジでも飛ばしてみる?」
「相変わらず意味わかんねー女だぜ」
BGMが大きくなり、夢野が不思議な呪文を唱え始める。小柄ながらもその姿はプロとしての責任を背負っているような重厚さがあった。呪文がぴたりとやみ、立っていた場所が開いて水槽に落ちる。その瞬間に水槽が布で覆われた。会場全体がしんと静まる。カウントダウンが終わり、ピラニアが投下されるのと同時に布が取り払われる。しかしそこには夢野の姿がない。観客が息を飲んだ瞬間、後方にある扉が開き夢野が駆け出してきた。一瞬の間をおき、割れんばかりの拍手が鳴り響く。夢野はそんな観客をぐるりと見回し、やはり凛とした声で言った。
「うちの魔法でお主らを笑顔にできたなら、うちは幸せじゃ」

終演を迎えた会場で入間はぼんやりと座っていた。ショーの感動で体に力が入らず立ち上がることが出来ないのだ。特に最後の夢野の大脱出が脳裏に焼き付いて離れなかった。あの小さな体にあんな度胸や、責任感を宿しているのかと思うと不思議な気持ちになるのだった。
「随分強力な魔法をかけられちゃったみたいだね」
「あ……そう、だな」
「すごいよねぇ。オレは怖くてあんなことできないよ」
そう言って入間の隣に座る。今日、連れてこられて本当に良かったと王馬は考えていた。自分だけが見せられる世界と、そうでない世界が存在する。マジックはその「そうでない世界」の最たるものだ。他人の嘘が嫌いな王馬ではあるが、こうして現実に作り出された虚構的な空間は愛しかった。それが入間の心を打つことをよく知っているから。実際王馬も十分に楽しかったのだ。ワクワクして、ドキドキして、先の読めない展開を作り出すショーは夢野が言うように魔法そのものだと心の中で考えていた。すっかり片付けられたステージを見つめていると、オーマ!と声がして先ほどのMCと数人のマジシャンが慌ただしく王馬の元にやってきた。立ち上がって通路に出るとMCだった男がぎゅっと王馬を抱きしめる。その力強い抱擁に王馬はぐぇと小さく悲鳴を上げて抵抗する。
「痛い。痛いよアレックス」
「久しぶりだなー!元気だったか?」
「今絶賛死にそうになってる」
「ああ、悪い悪い。しっかしお前相変わらず小さいなぁ」
アレックスは王馬から離れて頭をぽんぽんと叩く。王馬は頬を膨らませて彼を見上げた。
「うるさいよ。あ、お疲れ様。ちょー楽しかったよ。本当に」
「はっはっは!!そう言ってもらえてうれしいよ。お、その人が例の彼女か?さっきステージに上がってたな」
「そう。ガチガチに緊張してて本当笑えた。……チケット、ありがとね」
「他でもないオーマの頼みだ。お安い御用さ」
相変わらずぼんやりしている入間を引っ張って通路へと押しやり、彼らを紹介する。ハグをしようと手を広げたアレックスを制止するようにその手を叩いた。
「ハグしたら入間ちゃんの体がバキバキになるから握手にして」
「優しくするって」
「ダメよ。男子はハグ禁止。オーマは嫉妬深いのよ」
人体切断マジックを行っていた女性が快活な笑顔を向ける。入間はその展開についていけないというような困惑した表情を浮かべながらも、自己紹介をして皆と順に握手をした。緊張で楽しかった、すごかった、と簡単な言葉しかつむげない彼女に団員たちはありがとうと答える。入間は何か言おうと口を開き、しかしまた考えこんで目を泳がせた。そんな彼女が何を欲しているのか、テレパシーの様に読み取った王馬はアレックスに言う。
「サインちょーだい。オークションで売るから」
「おい!!」
「にしし。嘘だよぉ。でも欲しいんでしょ?もらっときなよ。プレミアつくよー。あ、生活に困ったらそれを売って飢えをしのごうね!」
王馬の冗談に大声で笑いながら、女性が色紙を取りに控室へと向かっていく。アレックスは入間に寄り、小声で語り掛けた。
「オーマはいいやつだろう。少し変わってるけどね」
「いいやつ?ケッこんなクソ野郎初めて見たぜ。嘘しかつかねーし、態度もわりーし、オレ様より背が低いしよぉ」
「ああ。それは最悪だね。背が低いのは本当に良くない」
「だろ?!……まぁ、でも、感謝はしてるっちゃあしてる、けど」
「うん。ミウは愛されてると思うよ」
穏やかな口調でそう言う彼に入間は小さく頷いた。ミウ、という名前を聞き他の団員と話していた王馬が素早く振り返ってアレックスを指さす。
「勝手に美兎って呼ぶの禁止!!」
「おー、こわいこわい」
「あのう」
アシスタントを務めていた女性が申し訳なさそうに会話を止めた。皆でそちらを振り向くと眉根を下げた彼女がぼそぼそと話し出す。
「さっきの抽選に問題が」
アレックスは向こうで話をと合図をしてその場を離れる。振り返りざまに今度は食事でもと言い残し、王馬は嬉しそうに返事をした。すると、遠くからパタパタと足音がして夢野が走ってきた。二人の顔を見てにこやかに微笑む。
「お主ら、来ておったのか。久しぶりじゃのう!」
「夢野ちゃん!すごかったよー。すごすぎてオレ思わず泣いちゃった」
「嘘じゃろ」
「うん。嘘だけど。でもすっごく楽しかったー。ね、入間ちゃん」
王馬に促され、むっつりとした顔で頷く入間を見て、夢野はにやにやと笑った。
「そうか、付き合っとるんじゃったな」
「は?わりーかよ」
「わ、悪くはないぞ!ただ未だに信じられんのじゃ。あんなに険悪じゃったお主らが結ばれるなんて」
才囚学園での日々を思い出す。確かに表立って仲良さげな様子を見せることはなかったが、本人たちは十分に仲良しこよしのつもりだった。しかし周りからはそういう風に取られていたのかと苦笑する。
「この後空いてる?お茶しようよ」
「いや、遠慮しておく。うちは夜もあるからのう。それに、邪魔をするのはよくないじゃろ?」
「……そっか。ね、また会おうよ。今度は茶柱ちゃんも一緒に」
「んあー?!きゅ、急に転子の名前を出すな!!」
顔を赤くして帽子をぎゅっと握りしめる夢野に入間は怪訝な顔をする。
「なに照れてんだよ。気持ちわりーな。つーか今日はあのストーカーゴリラは来てねーのか?」
「転子のことをそんな風に言うな!!た、確かに心配されすぎて気持ち悪いと思ったことはあるが……」
「あるんじゃねーか」
「うるさい!!転子は今合気道の修行で山籠もりをしておるのじゃ。だから、しばらく会えん」
「じゃあ早く会いたいね」
王馬の言葉に夢野は寂しそうに答えた。
「……そうじゃな。早く、転子に会いたいのう。本当は今日も見てほしかったんじゃが」
「夢野ちゃん、随分素直になったんだね」
「はぁ?!ま、まぁ……転子のおかげでうちが変われたことは間違いないのでな……」
凛とした声でステージに立っていた姿を思い出す。その背後には少なからず茶柱の影響があることは想像に難くなかった。
「王馬」
「ん?」
「お主も随分素直になったように感じるがのう」
「え、オレが?やーん。気のせいじゃない?」
「おい。アジの開き」
「は?うちのことか?」
複雑そうなしかし確かに感謝の念を込めて入間は夢野に向かい合う。
「テメー以外に誰がいるんだよ。……今日、すごかった。楽しかった。ありがとな」
「入間……」
「オレ様を楽しませるなんてなかなかやるじゃねーか!!アジの開きからサンマの開きに格上げだな?!また見に来てやってもいいぜ!!ひゃっひゃっひゃっひゃ!!」
開きからは抜けられんのかいというツッコミを無視して高笑いをする入間に、夢野はふと思う。何も変わったのは王馬だけではない。この傲慢で高飛車で風変わりな女も変わったのだと。恋人、という存在は何事にも代えがたいまるで魔法のようなのだと夢野は確信していた。色紙を取りに行っていた女性が戻ってきて、全員分のサインをもらい満足そうな入間を見て王馬は安堵する。
「じゃあ、そろそろ行こうか。夜の準備もあるだろうしね」
団員たちと夢野に見送られながらロビーへと出ると、全部同じ番号だったんですという声が飛び込んできて、王馬はそちらを振り向いた。先ほどのアシスタントが抽選で使った箱を抱えて説明している。一瞬嫌な予感がよぎったが何かの手違いだろうと言い聞かせて、会場を後にした。二人が会場を出るのを見て、尾行していた三人組は待機チームへと連絡をする。
「バレましたかね」
「いや、多分大丈夫だろ。しかし箱入れ替えるなんてよくできたな」
「あいつに任せてよかったー。あたしたちだったらバレてたよね」
DICEいちの変装名人の彼に心の中でグッジョブと唱え、三人は再び追いかけ始めた。
その後の王馬の、そして部下たちの計画はつつがなく進行した。王馬が予約していた入間好みのカフェに行き、ゆったりとしたお茶の時間を楽しんでいると一万人目のお客様にプレゼントですと苺で彩られた小さなケーキが届けられた。甘いものが好きな王馬も入間も疑うことなくそれを喜び、食べるのがもったいないねなんて言いながら見事に完食をした。
しかしそれは部下たちが事前に頼んでいたものであり、情報班が厳重にロックされた王馬のパソコンの開け、履歴から彼がどこを予約したのかを探し当てた結果なのである。その際に「みうちゃん」と名付けられた写真フォルダを発見されたことを王馬は微塵も知らない。ハッキング担当の彼のモットーは「DICEにおいてプライバシーなんて幻想だ」である。

カフェを出た王馬と入間は電車で二駅先の街のハイブランドのショップが立ち並ぶ通りに来ていた。入間はそわそわとしながらショーウィンドウを眺めている。王馬はその手を引いて、一番奥へと向かって行く。真っ白で、清潔そうな雰囲気を漂わせている二階建ての店がそこにあった。他と違ってショーウィンドウはなく、Closeという看板がかけられているのを見て入間が首を傾げる。
「閉まってる」
「貸し切りなんだよ」
王馬が扉を開けると見知った女が立っていた。銀髪の、姿勢の正しい、メイド服の彼女。入間は思わず彼女の名前を呼んだ。彼女――超高校級のメイドである東条斬美は深々とお辞儀をした。その後ろには似たようなメイド服を着た少女が立っていて、同じように二人に向かってお辞儀をする。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「な、なんだよこれ。なんでメイドババアがここに」
「王馬様から依頼を申し渡されました。入間様のメイクアップを担当してほしいと」
入間が様付けで呼ばれたことににやにやと笑いながら淡々としている東条と王馬を交互に見やると、王馬はへらっと笑った後に申し訳なさそうな声で話し始めた。
「……えっと、その、これから連れていくところにドレスコードがあってね。まぁせっかくだしドレスとか着てもらおうかなって思って」
「またお得意のサプライズってやつか?ケッこれだから童貞の考えることは……」
「も、もう童貞じゃないし!!嫌だった?せっかくかわいい格好してきてくれたわけだし、先に言っておけばよかったかな……」
「ケッ。嫌なんて言ってねーし。それに、こういう服ならこれからいつでも見れるだろ?おい、東条。オレ様の体を好きにさせてやるよ。せいぜい喜びやがれ!!」
ええ、喜んでと東条が微笑んだ。安心したような王馬に東条の背後にいた少女が声をかける。東条の弟子だという彼女が王馬の担当らしい。シャワーを浴びるように促され、二人は二階にあるシャワールームに入った。この急展開に胸を高鳴らせながらシャワーを浴び、ドライヤーを済ませた入間は置かれていた新しい下着(それは入間が普段好んでつけているブランドのものでサイズは言わずもがなぴったりだった)をつけてバスローブで身を包んで階下へと降りる。東条にお疲れさまでしたと言われて入間はぐっと胸を張った。
「まずドレスを選んでいただきます」
そう言って東条は別室へと続く扉を開ける。そこはきらびやかなドレスや靴、鞄で埋め尽くされており入間は感嘆の声を漏らした。
「うわ……すげー!!これ、本当に着ていいのか?!」
「ええ。お好きなものをお選びください」
入間がどこか困惑した顔で東条を見つめると、その考えを読み取ったように彼女は微笑んだ。
「それがご依頼ですもの」
そう告げる東条の姿に先ほどの夢野の姿が重なる。才囚学園では分からなかった「超高校級」としての本来の姿。夢野も東条も世界を相手に立ち回る人間だ。では、自分はとふと不安になる。自分は「超高校級の発明家」として王馬の隣に立てるような人間なのかと頭の奥底で考え、それが渦巻く中でドレスを手に取り始めた。最初に手に取ったのは紺色のフレアドレス。おずおずとそれに袖を通し、鏡の前でくるりと回る。似合わないことはない、むしろ似合っている。自分の顔とスタイルに絶対的な自信を持っている入間は手当たり次第に試してみようと次のドレスを手に取った。そうして目まぐるしいファッションショーが始まった。無限にあるのではないのかと思われるほどのドレスを次々に手に取り、選べないと弱音を吐きそうになった時鏡を見た入間の動きが止まった。きっと一番、自分に似合うものはこれだと直感的に分かった。
「……これがいい」
慌ててそれに合わせた靴と鞄を探し出し、扉を開ける。扉の前で待機していた東条が口元に手を当ててうっとりとした声を上げた。
「とてもお似合いです」
「ケケッ。顔もスタイルも最高のオレ様に似合わねー服なんかねーからな」
入間が選んだのは赤いVネックのマーメイドラインのドレスだった。腰のあたりにダイヤがちりばめられている。深紅のドレスは入間の派手な顔立ちをより際立たせていて、それでいて高校生とは思えない上品な雰囲気を醸し出していた。靴は黒いミュールを、鞄もそれに合わせて黒を選んだ。東条に促されてまた別の部屋に入ると、大きな鏡台とメイクボックスが置かれていた。鏡台の前に座らされ、首の周りに白い布をかけられる。
「化粧水はあれでよろしかったでしょうか」
先ほどバスルームに置かれていたものを思い出す。それも入間が普段使っているものだった。東条の情報収集能力におののきながら返事をすると東条が微笑むのが鏡に映った。あなたを一番綺麗に見せられるように努めますと、東条の引き締まった声が聞こえて入間はそっと目を閉じた。迷いない手つきでヘアアレンジと、メイクが行われ目を開けた時には入間の目に飛び込んできたのは、夢のような姿だった。昔見た、映画に出てくるようなお姫様のような自分。髪は低い位置でふわふわとしたお団子のようにまとめられ、メイクはピンクを基調としてはいるが元来の入間のはっきりとした目鼻立ちを上手く利用した薄めのもの。耳には大きなイヤリングが揺れている。入間は思わず心の声を漏らした。
「お姫様みたいだ……」
「ええ。王馬様から、そのようなご指定がありましたので」
「……おい、その喋り方やめろ。気持ちわりーんだよ」
「……それがご依頼ならば。本当に素敵よ、入間さん」
白い布を取り去られた入間は立ち上がり、大きな姿見で自分を眺める。それはまるで、先ほどのマジックのような鮮やかな一変。あの空間から魔法が延々と続いているような感動が入間の中に生まれ、鏡から目を離せない。
「それからこれを」
東条が入間の首元にダイヤのついたネックレスがかけられる。入間がそれについて尋ねると、東条が答えた。
「拙宅に届いたのよ。差出人は隠しておくけれど、あなたにつけてあげてほしいと書かれた手紙が入っていたわ」
それはもう差出人を言っているようなものではないかと入間は苦笑する。その途端、扉がノックされて終わりましたと言う少女の声が聞こえた。東条に導かれて最初に入った部屋に向かう。そこには少女に仕立てられた王馬が立っていた。糊のきいた黒いスーツに赤いボルドーのネクタイ。滑らかに光る革靴。髪型は珍しくオールバックにし、ほんのりと香水が香っている。その姿に入間は褒め言葉よりも先に暴虐的な言葉を口に出した。
「ま、マフィアじゃん」
「そりゃー悪の総統だからねー」
腕を組んでわざとニヒルな表情を作って見せる王馬に入間は思わず吹き出す。王馬は入間を頭からつま先まで眺めて、すごく綺麗だよと静かに言った。そっと入間の手を取ってキスをする。少女が慌てて顔を覆うのに対して動じない東条は場数慣れしているのか、動揺を隠しているのか分からなかった。
「綺麗だよ。オレだけのお姫様」
「……テメーも、結構似合ってんじゃねーか」
「ご満足していただけたでしょうか」
「もちろん!」
少女が車を呼びに電話をかけに行き、王馬はもう少しスーツが見たいと別の部屋へと入って行く。東条と二人きりになった入間は東条の顔をじっと見つめた。その表情は少し固く、入間に内在する不安のようなものを感じ取った東条が口を開く。
「どうしてそんな顔をしているのかしら」
「うるせーな。オレ様にも色々あるんだよ」
「……こんな時なのに?」
黙り込んでしまった入間の手を東条は包み込んだ。そのしなやかな指と、あたたかさに入間はびくりと肩を震わせる。今東条に、自分は王馬の隣に立てるほどの人物なのかと聞けば「必要な言葉」をくれるのだろう。たとえば励まし、冷静な分析、叱咤であるのかもしれない。しかし入間はそのどれもが本当に欲しいわけではなかった。東条は気難しそうな表情を崩して微笑む。
「王馬くんから連絡をもらえた時は嬉しかったわ」
「そうかよ」
「またいつでも私を頼って」
「東条」
「なにかしら」
聞きたいことは次から次へと出てくる。その仕事に対する情熱や責任感の強さの根源は何か、自分はどう見えているのか、本当に綺麗?なんて言葉さえも浮かんでくる。それをすべて自分の胸にしまって、入間は言った。
「……ありがとう」
「いいの。だって私は、メイドだもの」

車がまもなく到着するとの連絡を受け、東条と少女と共に二人は店を出る。夕日が沈みかけ、外は薄暗くなっていた。ショーウィンドウが立ち並ぶ通りを抜けると道路に黒塗りのリムジンが止まっていた。入間が先に車に乗り込み、東条が王馬に色々と話をしている。荷物はホテルに届けておくわ、食事のマナーは以前教えたとおりに、入間さんに合わせてゆっくり歩きなさい……そんなアドバイスにわかったわかったとてきとうな返事をして王馬も入間の隣に座った。二人のメイドは店に入った時と同様に深々とお辞儀をする。しかし今度は、いってらっしゃいませという言葉を告げて。リムジンが発進して、王馬が入間にそっと寄りかかる。
「あいつも、魔法使えるんだな」
「そうだね。オレたちの周りって案外魔法使いが多いのかも」
自分は魔法使いになれるのかと入間はふと考える。世界を、王馬を幸せにできる魔法使いに。そっと目をふせた入間に王馬は目を細める。そして首にかけられたネックレスに見覚えがあることに気づく。アクセサリーショップのカタログを見ながら、部下にきっとあの子に似合うと話したことがあるものだった。東条が買っていたのだろうか。だとしたらなんてツイているんだと思い、王馬は囁いた。
「そのネックレスも、似合ってるね」
入間は隠された差出人のことを思いだし、王馬に笑いかけた。
二人を送り出した東条はぽつりとつぶやく。
「あのネックレス。王馬くんからではなかったわ」
「え?そうなんですか?」
「匿名だったの。でもこの店の場所や今日の計画も事細かに書かれていたわ。それに、私の住所は公開していないのに届くなんて……。私も追えるところまでは追ってみたけれど、おそらく彼の組織の人間からよ」
「それは、なんというか、愛されていると言ってもよいのではないでしょうか。お二人とも」
「ええ。本当に」
どうか、お幸せにと笑って東条たちは店へと戻って行く。それを見つめて尾行担当の三人組は安堵のため息をついた。
「メイドさんってすげーなぁ。総統がいい男に見えたもんな」
「総統はいつでもいい男でしょ」
「馬子にも衣装とはこのことですね。王馬だけに」
「だーからつまんねーって。ま、これで俺たちの役目も終了だな」
「なんもしてないけどね」
「仕方ないでしょう。僕たちは普段戦闘要員なんですから」
「じゃーあたしたちも行こっか。リムジンなんて乗れないけど」
駅へと歩き出した二人の後ろから、黒髪の彼が神妙な声を出す。
「……お二人はどう思われます?」
「ん?入間さんのこと?あたしは好みじゃないかな。無駄におっぱい大きいし」
「嫉妬かよ」
「でも、総統が選んだならいーよ。総統が幸せになれるならそれでいい」
彼女の言葉に男性二人はうんうんと頷いた。誰もがきっとそう思っているのだ。そうして、好みじゃないなんて言いながらも入間のことを憎く思っているわけではない。ただ、家族のようななにかという不思議な集団として、弟が取られたような気分になっているだけなのだと皆知っていた。
「同意です。しかしあの体を好きに出来るのは羨ましい」
「お前本当正直な。俺は好きだけどね、ああいう子。気が強いのなんて特にサイコー」
「あっそ。あーあ、弟が彼女連れてきた時ってこういう気分なのかなぁ」
口々にそうかも、そうですねと言いながら三人は歩き出す。最後の計画を完遂させる場所へと向かって。

都心にある3つ星ホテルの最上階。夜景の見えるレストランの窓際の席に王馬と入間は座っていた。こんな場所に来るのは初めてで、入間は口から心臓が出そうなくらい緊張していた。震える手でグラスを掴むと王馬がくつくつと笑う。
「緊張しすぎ」
「だ、だって……先に言っとけよ。心の準備とか、色々あるがだろうがこのツルショタが!!」
「えー。じゃあ次からはそうするよ」
多分、あまり言う気はないのだろうと思いながら乾杯と言ってグラスを合わせる。芳醇な香りが入間の鼻孔を通り抜け、淡く不思議な味の飲物が入間の喉を潤していく。ちょっと悪いことしちゃおうか、と言ってシャンパンを頼んだのは王馬だった。テーブルを担当した男は王馬のことをよく分かっているのだろう。すんなりと了承をして小さなボトルを持ってきてくれた。テレビや雑誌でしか見たことのない料理が運ばれてきて、入間は涎を垂らしそうになったのを堪える。静かに、ピアノが鳴り始めた。以前聴いたことがあるような曲。月の光と言っただろうか。その優しい旋律に耳を傾けながら入間が呟く。
「バカ松、どうしてんだろうな」
「そこでピアノ弾いてるけど」
「は?!」
入間が振り向いてピアノの方を向くと、青いドレスに身を包んだ赤松がピアノを奏でていた。真剣な、しかし楽し気な表情の彼女は確かにあの学園で入間を𠮟りつけ、引っ張りまわし、友達だよと笑っていた赤松楓だった。こんな場所に呼ばれるなんてさすがは赤松ちゃんだよねーと王馬が言う。周りを見れば、皆赤松の奏でる音を静かに聞いていた。彼女もまた魔法使いなのだと思い知らされる。楽しいはずなのに、嬉しいはずなのに、どうしてか入間の心は追い詰められていく。自分は?自分は何になれる?目の前で微笑む王馬に、どんな顔をしたらいいのか分からず固い笑みを作った。
「赤松さんのことを話してるよ」
「あんた連れてきて本当によかったわ」
二人から少し離れた、王馬がよく見える席にまた別の部下たちが座っていた。読唇術の達人である背の低い女と、入間に負けず劣らず抜群のスタイルを持った女。
「バレないかな」
「大丈夫。あんた今おばあちゃんにしか見えないから」
特殊メイクと変装によって老婆と若い男性にしか見えない二人は話を続ける。
「これってストーカーだよね。ていうかプライバシーの侵害だよね」
「DICEにおいてプライバシーなんて幻想、よ。受け売りだけどね」
「総統かわいそう。楽しいけど」
会話を読み取られていることを知らずに、二人の会食は続く。料理が運ばれ、赤松のピアノが静かな空間で魔法の様に変化していく。会話は今日見たマジックショーから、会っていない間なにをしていたのか、また十六人で集まりたいとか、話題を限定することなく広がって行った。デザートまでを食べ終えた時、王馬が外を眺めながら言った。
「外、すごく綺麗だよね」
「そうだな。まぁオレ様の方がずっと綺麗だけどな!!」
「……うん。本当に綺麗だよ。こんなお姫様に変身するなんて、正直びっくりしてる」
お姫様と呼ばれて入間の表情は強張った。嬉しいはずのその言葉が今は鋭く入間の心に突き刺さる。お姫様にはなれても、魔法使いにはなれる自信はない。綺麗なだけではどうしようもないのだ。自分はいくつもの発明をしてきた。企業がその権利を買い取ったこともある。しかし、それがどうなると言うのだろう。世界を変えられるのか、幸せにできるのか入間にはまるで分らなかった。夢野、東条、赤松は人々を幸せにすることが出来る。実際に自分は、その魔法にかけられてここに来た。そうして王馬もまた世界を変える魔法使いに違いないのだ。先ほどのマジックショーの団員達も、王馬に助けられた人々なのだろう。自分の知らないところで世界中に魔法をかけ、救い続けているのかもしれない王馬のことを思うと自分の存在が小さく思えた。ずっと心の中にあった、自尊心の炎が少しずつ消えていきそうになる。つぅ、と涙が零れ落ちた。
「入間ちゃん?」
「わ、わるい。目にゴミが入って」
「……どうしたの?具合悪い?」
「ちがう」
小さく首を振って心にしまい込んだ言葉を放つ。
「お姫様じゃいやだ」
「え?」
「魔法使いになりたい」
「オレ様も、世界を幸せにしたい。でも……できるかわかんない」
溢れ出る涙を指先でそっと拭う。せっかく東条に綺麗にしてもらったのにと、堪えようとするが止まらない。真っ白なテーブルクロスにぽたりぽたりと涙が落ちる。俯いて、こんな弱音を吐くつもりじゃなかったのにと自分を責めながら言葉を紡いだ。
「夢野みたいにすげーこともできねーし、東条みたいに誰かの期待に応えることも無理。赤松みたいな綺麗な音楽も作れない」
発明家としての実績はあるつもりだった。世界がその才能を渇望していると思っていた。しかし、実際はどうなのだろうか。普段の自信をすっかり失い、精神を揺らがせる入間に王馬は困ったような顔をしてみせた。
「……キミの技術は、もう十分に世界を救ってるよ」
「え……」
「キミの発明品の権利を買っている企業がこないだその技術を応用して地雷撤去用のロボットを作った。知らない?まぁ、手放した権利なんて興味ないか」
「……知らない」
「他の企業でも似たようなことをやってる。宇宙開発、終戦地域の整備、それに、寝たままシリーズも権利の譲渡の申請が来ているよね?あれは介護の現場で十分に利用できるだろうから……」
王馬がいくつか企業名や団体名を上げる。確かに入間が権利を売り渡したところばかりだった。入間は手放したものに関しては追わない主義だ。利益も求めるつもりもなかった。ただ、世界を幸せにする役割を担いたいと考えているばかりだった。どうして王馬がそこまで知っているのかと、疑惑の視線を向けると王馬が外に視線を移しながら言った。
「総統だからね」
数えきれないほどの建物が立ち並ぶその街も、王馬の手の中にあるのだろう。
「キミが権利を所有しないから、みんな自由にその技術を使える。キミが生み出したものが形を変えて世界を救ってるんだ。キミだって十分に魔法使いだよ」
その言葉に先ほどとは違う意味を持った涙が頬を伝う。鞄からハンカチを出して、そっとあてがいながら入間は言った。
「……超高校級の発明家として、テメーの隣にいてもいいのか」
「いいよ。ていうか、いてください」
真剣な口調でそう言う彼は、きっと嘘なんか言っていないのだろうと入間は思った。
「でも、オレの傍にいる時は普通の女の子でいてほしいなぁ」
入間が首を傾げると王馬は恥ずかしそうに目を伏せる。
「発明家だからキミを好きになったわけじゃないし。まぁ、興味を持つきっかけにはなったけれど」
黙り込んでいる入間の目を捉えて優しい声で入間を心を包み込む。
「お姫様にも、魔法使いにも、発明家にも、普通の女の子にもなれる、なんにでもなれるキミでいいんだよ。それが入間美兎という人だと思うから。きっとこれから、なれるものも増えていくからね。たとえばオレのお嫁さんとかさ」
いきなりの求婚じみた発言に入間は顔を赤くする。王馬も顔を赤らめて、うそだよぉと言うがもう遅い。入間はうぅとうめき声のようなものをあげながら勢いよく水を飲み、王馬はせっかく整えてもらった髪をぐしゃぐしゃとき乱そうとして、やめて、行き場のない手をぎゅっと握った。そんな二人を見ていた部下たちも唖然としていた。
「総統、地味に求婚しちゃった」
「泣かせてたと思ったら……やるわねぇ。立派になって」
「あ、きたよ」
王馬は自分の内ポケットから小さな箱を取り出した。蓋を開けて、入間にその中身を見せる。そこには揃いの指輪が入っていた。
「……貰ってくれる?断らせるつもりなんてないけど」
「サイズ、いつ測ったんだよ」
「え。この前会った時。キミが寝てる時に」
「抜かりねぇなー。……つーか、今日こんなに色々貰っちまっていいのかよ。オレ様はチョコレートしかあげてねーのに」
「チョコレート、すごく嬉しかったから。それにキミの初めても貰っちゃったわけだし」
バレンタインデーに初めて体を重ねたことを思い出し、入間はぎゅっと唇を噛みしめる。王馬に指定された方の指輪を右手の薬指に通す。王馬も自分の指に通して、幸せそうに笑った。
「……誓っとこうか?」
「は?何を?」
「病める時も健やかなる時もオレの奴隷として甲斐甲斐しく働きとおすこととか」
「オレ様のこと姫だのなんだの言っておいて結局それかよ」
「んー。じゃあ、オレの未来のお嫁さんになってくれる約束をしてみる、とか」
「仕方ねーなー。じゃー約束してやるよ。天才美人発明家の入間美兎様は、凡人で脳ナシの王馬小吉の嫁になってやるってな」
「はー?ドMで変態の入間美兎は、世界一かっこいい王馬小吉様のお嫁さんになるの間違いでしょ?」
「結果的には一緒なんだからいいじゃねーか。つーか世界一かっこよくねーから。自惚れんなバーカ」
二人でそう言い合って、笑い合う。なんて幸せなことなのだろう。入間がくっきりとした声で言った。
「オレ様を嫁にもらえるなんてテメーはマジで幸せ者だな」
「あはは。そうだね。幸せ者だ。……大好きだよ、美兎ちゃん」
そう告げてすぐにピアノの演奏が終わり、しんと静まり返る。その瞬間空に鮮やかな閃光が輝いた。巨大な花火が打ちあがり、暗闇を彩っていく。店内が少しざわつき始めた。入間は目をキラキラと輝かせて空を眺めている。しかし王馬の頭の中は疑問でいっぱいだった。この辺りで花火なんて打ちあがるわけがないのだ。目をこらして外のビル群から打ち上げ場所を探す。しかしビルに隠れて正確な場所はわからない。ガタンと音がして、そちらを見れば老婆と青年がレストランを出て行こうとしているところだった。早く、と言った老婆の声に聞き覚えがあり、王馬の頭の中で全てが繋がり始める。同じ番号しか入っていない箱、一万人目の客だと届けられたケーキ、欲しがっていたネックレス、そしてこの花火。
「あいつら……」
先ほどの老婆は読唇術を操る彼女だということにも思い当たり、思わず頭を抱える。全て彼らの手の内だったなんて総統としての威厳が形無しである。それどころか、入間にかなり恥ずかしい言葉をかけているところも全部見られていたのだと思うともうはらわたが煮えくり返って仕方なかった。
しかし、そんな思いも入間の一声で吹き飛んでしまう。
「綺麗。今日は本当に魔法みたいな一日だったな。ねぇ、……アタシも大好きだよ、小吉」
ああ、そうだね。魔法みたいな一日だったね、と王馬も思う。王馬からすれば、入間は天才的な魔法使いなのだ。どこまでも王馬を幸せにする魔法使い。王馬は今日という日をまだ終わらせたくないと思って入間に告げた。
「あのさ、ここのホテル取ってあるんだけど……。泊まってく、よね?」
「……うん」
その意味を噛みしめながら二人は照れ笑いをする。すると入間が妖艶な笑みを浮かべて王馬に顔を近づけるように言った。そして小声で鮮烈な言葉を放つ。
「今日はお礼に、いっぱい気持ちよくしてあげるからね」
王馬は脳みそがとろけそうになるのを感じながら、部下たちの所業に感謝をした。この花火のおかげで誰にも何も聞かれずに済むだなんて――。

**
翌日、帰宅した王馬を部下たちは揃って出迎えた。口々におかえりと言う彼らはどこか嬉しそうだ。王馬は愛用のソファに座り、彼らの顔を見回した。にやつくな、と言いたいところを堪えて昨日のことはお互いになかったことにしようと決めた時、部下の一人が余計な一言を言い放った。
「昨日はお楽しみでしたね」
その瞬間に王馬を除く全員が笑い出す。なんだかデジャヴだと思いながら王馬は机を叩いた。
「お前らさぁ、ふざけんなよ」
「えー。何が?」
「全部だよ!!全部!!」
「でも入間さん喜んでたじゃないですか」
「そうそう。花火とか頑張って買い付けたんだよ。褒めてよー」
「警察来たけど」
「めっちゃ追いかけられたけど」
王馬は深い深いため息をつきながら、不機嫌そうにああそうと言った。しかしすぐに真剣な顔つきになって、本当にありがとうと頭を下げる。部下たちはそれを見て嬉しそうに笑った。
「私たちもお返ししたかったのよ」
「総統が誰かと付き合うなんて思いもしなかったからさー。随分幸せそうだし。そのお礼、みたいな?」
お節介で、はた迷惑で、そして優しい家族のような彼らを王馬は愛しく思う。オレに愛されるということは、この馬鹿な奴らの愛も背負うことになるんだよなぁ。それって結構重い気がするなんて苦笑する。そして、ずっと気になっていた疑問を投げかけた。
「ていうかさ、もしかしてパソコン開けた?」
「……開けてない」
「開けただろ。嘘つくなよ。あーーーもう本当やだ」
「みうちゃんフォルダ見せてくださいよ」
「やめろ!!言うな!!」
「何すか?ハメ撮り写真?」
「お前いい加減にしろよ!もっと健全なやつだよ!!」
ゲラゲラと笑う茶髪の彼を叩きながら王馬は憤慨する。そこに突然セリフがかった言葉が投げ込まれた。
「今日、すっごくかわいいね」
「は?」
突然投げられたその言葉に、王馬は聞き覚えがあった。というよりも自分が昨日入間に言った言葉だと思い出し、それを言った男を見る。次々に自分の発言が部下から飛び出すのを聞きながら王馬は手近なクッションを部下たちに投げつけた。
「でも、オレの傍にいる時は普通の女の子でいてほしいなぁ」
「大好きだよ、美兎ちゃん」
読唇術の使い手である彼女を睨み付けると、すいませぇんと言いながら他の部下の後ろに隠れてしまった。
「総統もそんなこと言うんすね」
「やーん。あたしも言われたーい」
「どうせベッドの中でもみうちゃん大好きだよとか言ってへらへらしてたんだろ?」
「いや。案外、だめぇ。みうちゃんそんな恥ずかしい事しないでぇとか言ってるのかもしれない」
「は?総統がそんなこと言うわけなくない?え、言ってんの?やだー恥ずかしー」
勝手な想像をされて大いに腹を立てながら王馬は再度机を叩いた。しかし誰も黙ろうとはしない。
「あのさぁ、ここにはプライバシーって言うものはないわけ?!」
だからぁ、と皆が声をそろえて言う。
「DICEにおいてプライバシーなんて幻想なんだって!!」
そんなモットーはどこにもない!!と王馬は叫びながら部下たちを追いかける。こうして、怒涛のホワイトデーは幕を閉じたのだった。


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