お題集 | ナノ
 フォンダンショコラ(レイヴン)

「先生、今年もモテなかったんだね」
「あらそんなこと言っちゃう?」

保健室のイスに座ってくるくると回りながら、白衣を着た胡散臭そうな三十代半ばの男を前にしてそう言った。褐色の肌に野暮ったいグレーの髪。こんな男が保健室にいる先生だなんて思うとそりゃ生徒たちはあまりここには寄り付かないが、腕は意外と確かだということを私は知っている。

「今年は何個もらえたの?」
「先生方にしがない義理チョコを頂いたわよ…」
「泣かないで先生、いずれ春が来るよ」

しおしおと泣きまねをするレイヴン先生を、わざとらしく大げさに慰めてみる。すると小芝居が始まるのはいつものことだ。

「ケイちゃんっ!ケイちゃんしかそうやって俺を慰めてくれないっ!」
「可哀想な先生、そうしてまた結婚逃していくんだね…」
「やめてっ!せめてまともに慰めてっ!」

レイヴン先生は大げさに両手を顔を覆って泣きまねを始める。その姿がおかしくてケタケタと笑えば、先生は溜め息をついて顔を上げた。

「で、ケイちゃんはどうなのよ?」
「ん?何が?」
「ずっと言ってた本命のカレにはあげれたの?チョコレート」

その質問には答えずに曖昧な笑顔を返せば、先生は察してくれたのか、肩を竦めて眉を下げた。このやりとりももう、今年で三年目になる。

「今年で最後でしょーが。あげなきゃ後悔するんじゃないの?」
「そうなんだけどさ、やっぱ勇気出なかった」
「今年は何作ったんだ?」
「フォンダンショコラ。自信作なんだけどね」
「あれか、中がどろっとしたヤツ」
「それそれ!もう冷めちゃってるけど、また温めたらとろーってした状態で食べれるんだよ」

努めて明るく笑って言えば、先生は相槌を打ったきりそれ以上何も言わなかった。私も何も言わずに窓の外へ視線を向ければ、少しずつ日が傾き始めているのが見える。まだまだ寒さは抜け切らないけれど、時期に暖かくなって春が来て、そして私はこの学校を旅立つのだろう。近付きつつある未来が、ひどく虚しいもののように思えた。

今日は昼休みに抜け出してからずっとここに居るけれど、先生は何も言わない。また来たの、って呆れながら笑ってくれる。私がここへ逃げるようにやって来るのはいつものことで、相当のことがない限り暇をしているレイヴン先生は、いつも私の相手をしてくれる。だからここは居心地が良くて好きだ。眠くなったらベッドもあるし、重病人でも来ない限り、先生は何も言わずに寝かしといてくれる。そんなレイヴン先生の優しさに甘えた三年間だったなと、今となってはすごく実感する。

「ところで、今日は何の用事?」

レイヴン先生はそう言った。さすがに三年も保健室い通いつめていたら、顔を見てある程度のことは分かるらしい。適わないな、と思いながら私は肩を竦めて見せる。

「うん。卒業決まった」
「あら、良かったじゃないの。おめでとうケイゃん」
「ありがと先生」
「無事に卒業出来て何より」
「ほんとにね」

授業に出てなさすぎて一時は留年の話題も出たほどだったが、なんとか卒業も決まり、進学する学校も決まった。大学に行く頭は残念ながら持ち合わせていなかったので、保育の専門学校に行くことを伝えれば、レイヴン先生はゲラゲラと笑った。

「ケイちゃんが先生になる!?そりゃまたぶっ飛んだ進路選んだねえ、いいじゃない、応援してるよ」

なんとも失礼な回答だと思うが、下手に取り繕われるよりこうして笑い飛ばしてくれたほうがずっと気持ちが楽だ。私も思わず笑った。

「先生になったら報告にくるね」
「その頃までにおっさんがまだこの学校に居ればね」
「居てくれなきゃ困るよ。成人したら先生に飲みに連れてって貰うのが当面の夢なのに」
「そういうのは担当の先生がやるもんでしょ、俺様はパス」

そう言いきった先生の前でわざとむくれて見せると、先生はくつくつと笑った。先生は足を組みなおしてくるくるとペンを器用に回している。履き潰されてボロボロになったスリッパも、ちょっと破れた靴下も、もうすぐ見れなくなるんだなあとぼんやり思う。

「じゃあ私が成人して超いい女になってたらどうする?飲みに連れてってくれる?」
「そうねえ〜それなら考えてもいいかも」
「先生ほんと最低だね、だから女子から圧倒的に嫌われるんだよ」

笑いながらそう言うと、先生はわざとらしく傷付いた様子を見せる。今のはグサッときた!なんて言いながら、苦しそうに心臓を押さえる仕草が本当におかしい。三十代も半ばになるのに、よくこんなガキに付き合ってくれるな、と心底感心する。

「ねえ先生」

ぽつり、と、なんとなく落ち着いた声で言えば、レイヴン先生はすぐに表情を切り替えて、大人びた顔で私を見た。

「んー、どうかした?」
「…ううん、何でもない」
「そうか」

先生は、私が言いかけたって、何もないと言えばそれ以上は決して追求してこない。それを知ってて、それでも少しだけ聞いてくれるのではないかと期待して、だけど三年間、何一つ変わらなかった。結局先生は最後の最後まで、私に踏み込んでは来なかった。その優しさが大好きだ。

そして、大嫌いだ。

軽いノックの音が聞こえてきて、レイヴン先生は答える。すると私の担任の先生がやってきて、私の顔を見た瞬間不快感を露にした。その顔を見て、私も不快になる。そして浴びせられるのはいつものように怒号。この人は、私のことを好いてはいない。確かに授業をサボったのは悪いと思うけれど、それでもこんなところで怒鳴る必要はなかったんじゃないかと思う。嫌気が差して、小さく溜め息をついたとき、先生が私の髪の毛を掴んで引っ張る。何だその態度は、とか、聞いているのか、とか、言って叫ばれる。そんなとき、レイヴン先生がばっと間に入ってくれた。

「まあまあ先生落ち着いて。悪意があったわけじゃないんですよ、この子も」
「しかしですね…!」
「ちゃんと言って聞かせておきますから」
「レイヴン先生はいっつもそう言いながらこいつに何も…!」
「はいはい、後で職員室行きますから。ここ保健室なので、お静かに」

そう言ってレイヴン先生は担任をぐいぐいと保健室の外に押し出した。担任も諦めたようで、怒りを露にしながら立ち去っていく。その姿を見送ってから、先生は扉を閉めて椅子に座ったままの私の前にしゃがみこむと、ごつごつした手のひらで優しく髪の毛を梳いてくれる。

「大丈夫か?」
「へーきだよ。もう慣れっこ」
「女の子の髪引っ張っちゃダメだわなあ」
「先生ごめんね、毎回怒られてるでしょ、私のせいで、あの人に」

私がそう言うと先生は呆れたように笑って私の額を軽く小突いた。

「そう思うならちゃんと授業でなさいよ」
「うん、そうだね」

思ったより私が素直だったことに先生は少し驚いた顔をして、それから少しだけ笑った。先生は何も言わなかったけど、大人になったな、って言われてる気がした。

先生は立ち上がって鍵を手に取る。もう職員室にいくつもりだろう、それに倣って私も立ち上がった。それからもう一度だけ、声をかける。

「ねえ先生」
「んー?」
「…何でもない」
「そうか」
「でも、」

一呼吸置いて、私は続けた。

「何かあったとしたら、どうする?」

この三年間、私がそうやって言葉にしたことは一度もなかった。その言葉を聞いた先生はゆっくりと私に視線を寄越し、真っ直ぐにその目で私を射抜いた。深い色をした先生の目を、私も真っ直ぐに見つめ返す。逸らそうとも誤魔化そうとも、逃げようとも思わなかった。先生はしばらく私を見つめていたけど、ふっと表情を綻ばせると、仕方なさげに答えた。

「話くらいなら聞いてはやるさ」

それ以上は何もしない、ということだろう。本当に三年間、よく私のことを見ていてくれたから、きっとこのセリフが言えるんだと思う。どうせ私は言わないんだと、先生は知っているのだ。はったりは通用しない。諦めて、私も笑った。

「ありがと」

その言葉だけで、もういいと思った。先生は保健室を出たので、私もそれに続く。廊下にはまるで人の気配はない。バレンタインだから、みんなきっと出払っているんだろう。先生は保健室の鍵を閉めて私に向き合う。

「んじゃ、気をつけて帰れよ」
「先生も怒られてへこまないようにね」

私がそう言うと先生は笑って、それから真面目な顔で私を見た。それは今までに見たことのない顔で、私も表情が読み取れなくて少しだけ首を傾げる。すると先生の手が真っ直ぐに伸びて、私の頭にぽんっと乗せられる。その手がずしりと重たくて、私は重力に逆らえないまま下を向く。それから降ってきたのは、ひどく優しい声だった。

「卒業決定おめでとうケイ」

先生はそれから手を離して私を見た。私も視線を上げて思わず固まる。レイヴン先生は私の顔を見て、それから少しだけ寂しそうに笑った。

「じゃあな」

それからは一度も私を振り返ることなく、ひらひらと手を振って去ってしまった。小さくなっていくその背中を見つめて、しばらく呆然と立ち尽くす。レイヴン先生はこの三年間、一度だって「じゃあな」とは言わなかった。決まって「またな」とそう言ってくれていたのだ。

それを察して、私は全てを悟る。あぁやっぱり、この人は最初から全部知っていたのだと。全部知っていて、三年間私に付き合ってくれていたんだと。そう理解した瞬間、ぶわっと一気にいろんなものが込み上げた。その場に居られなくて、私はふらふらとした足取りで近場にあった自販機の横のベンチに座る。

座った途端、色んな感情が込み上げて、堪えきれなくなった。

なんとなく流れで保健委員になって、レイヴン先生に会って、どうしようもない私みたいなやつに三年間ずっと付き合って無駄話をしてくれて。相性の悪い担任からよく守ったりもしてくれた。その優しさに甘えて、私は先生の傍にいた。ただそれだけで良かったのに、人は欲張りになって、感情を抑えきれなくなる。

気付いたら、レイヴン先生が好きになってた。
相手は自分より十以上年上のおじさんで、ましてや先生で、だけどそれが、私の初恋なんだからいたたまれない。

ベンチに座ったままで、涙が溢れて止まらなかった。声を上げずに、私は延々と泣き続ける。部活中の生徒や居残りしている生徒が何人か自販機まで飲み物を買いに来ていたが、気にしている余裕など私にはなかった。

ずっと私の気持ちに気付いていながら先生が私を突き放さなかったのは、私がずっと自分の気持ちを伝えなかったからだ。伝えてしまったら、今までの距離感で一緒に居られなくなると、先生は分かっていた。だから私の心に踏み込まないし、先生から余計なことは何も言わなかったんだろう。

結局私は最後まで、レイヴン先生にとっては生徒だった。それ以上も、以下もない。



ひとしきり泣いた後、下校時刻を告げるチャイムが鳴り響いた。泣きすぎたせいで虚無感がひどい。私はのろのろと立ち上がって、重い足取りで学校の出口へと向かう。途中、一足先に学校を出て行った白髪のクラスメイトの後姿が遠くに見えた。隣には一年生の可愛らしい女の子を連れていたので、彼の恋はきっと実ったのだろう。私は残念なことに、人の幸せを喜べる余裕などはないけれど。

今年ももれなく、レイヴン先生にチョコレートは渡せなかった。義理だと嘘をつくことも出来ないほど、純粋に恋をしていた。この涙が晴れる頃には、少しでもいい女になれているだろうか。そう思いながら、私は最後のバレンタインチョコを、保健室にいちばん近いゴミ箱に捨てて学校に出る。

卒業して、新しい恋をするときには、滲む空が晴れていればいい。明日になればもう、保健室に通うことはないのだから。

さよなら先生。
次に会うときは、素敵な人と恋をしていると、そう笑って話せたらいい。

フォンダンショコラ
(この恋はもう二度と、溶けることはないのでしょう)

2016.02.17

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