◎ One Word(ゼロス)
ケイはフラノールの宿屋の外から、その眼下に広がる雪景色を見渡していた。なんとなく、その姿に心を奪われる。そんなケイを見下ろせるような真上の部屋に居た俺は、ケイに声をかけてみる。
「…おーいケイちゃーん、そんなに雪見るの、楽しいかあ〜?」
ケイがあまりに儚いから、雪と一緒に溶けて消えてしまわないかなど、柄にもなく不安になってしまったのだ。するとケイは俺の声に気付いて振り向くと、ニッコリ笑ってこう言った。
「うん、楽しいよー」
「あらそう…」
「ふふふ、ね、ゼロスもおりておいでよー」
「パス、俺さま寒いの苦手ー」
「いいじゃーん!おりてきてよー」
「……ったく…じゃあそこで待ってろよー」
「わーい!早く早くー!」
あんなに可愛い顔でお願いされたら、言うことを聞かないわけにもいかず。俺は大好きなケイの元へ、大嫌いな雪の中、会いに行くために部屋を出た。宿屋を出ようとすると、雪が嫌いだと知ってるロイドくんに珍しいと言われてしまった。
自分でも、そう思う。
それでも寒い中俺を待ってるケイの為なら、この雪も我慢してやろうと思えてしまうのが不思議だ。宿屋の扉を開けて外に出れば、ただただこの銀色世界を見つめるケイの、寂しげな後姿が見えた。白い雪がケイを連れて消えてしまいそうで、突然俺は怖くなった。駆け寄って、後ろからその細い体を力いっぱい抱きしめる。
「わぁ!」
驚いたようにケイが声を上げる。そして白い息を吐き出しながら俺の名前を呼んだ。
「ゼ、ゼロス?」
「…」
「びっくりするじゃん!もう!」
「…」
「ゼロス?」
俺に抱きしめられたまま顔だけで振り向いたケイだったが、俺はケイの肩に顔を埋めている状態だったので、俺の表情の確認が出来なかったんだろう。ケイは困ったように言葉を繋いだ。
「…怒ってる?」
「なんで?」
「雪、嫌いでしょ?」
腕の中で申し訳なさそうに落ち込んでいくケイが可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。
「いや、怒ってないぜぇ〜?」
「じゃあ顔、見せてよ」
ケイがそう言うから、彼女の肩に埋めていた顔をゆっくりと上げる。そして俺とケイの視線が合わさると、一瞬不機嫌そうだったケイだが、すぐに柔らかく笑った。
「ゼロスだー」
「おう、俺さまだぜ〜」
ケイを抱きしめたまま言うと、ケイは俺の頬にそっと触れた。手袋も何もしていなかったケイの手はひどく冷たく、俺は思わず声を荒げた。
「っ、冷た!!!」
「あはははは!」
「おいケイ!手袋くらいしとけ!」
「だってこの冷たさ実感したかったんだもーん」
「手袋してても実感できるって!」
「うん、ちょっと後悔してる。寒すぎて感覚なくなっちゃった〜」
「ケイちゃん、すっかりアホになったな」
「ゼロスと一緒にいすぎたからだね」
「俺さまのせいにすんなよな!」
「えへへへ〜」
へらへらと気の抜けた笑い声を聞いたら、それ以上何も言う気になれない。俺はケイを腕から解放すると、すっかり冷え切ってしまったケイの両手をそっと握った。包み込むように息を吹きかけてやると、ケイが幸せそうに笑いながら、だけど照れくさそうに言った。
「…あったかい」
「ほんと、俺さまがこんなことするのケイちゃんだけだぜ〜?」
「…そだね。私、幸せ者だね」
そう言いながら少し影を持った瞳をゆらゆらとさせる。いつもへらへらしてるくせに、いつもケイの側にはこんな風に影が漂っているのだ。その影は、少し気を抜いたらすぐにケイを飲み込んでしまいそうなほどに深いくせに、ケイに上手く纏わりついている。まるでいつでも俺からケイを奪えるのだと威嚇されているかのようで、俺はいつも不安だった。
ケイの頬にそっと触れると、冷たかったのだろう、ケイがびくっと肩を震わせた。しかしすぐに相変わらずの笑顔を見せると、俺の手に自分の手を重ねた。
「冷たいよゼロス」
「仕返し」
「なによーさっきはあっためてくれたのに」
「でひゃひゃひゃひゃ」
笑ってみせると、ケイもふんわりと笑った。柔らかくて儚くて、溶けて消える、雪みたいな笑顔だと思った。
そんな笑顔が、綺麗だと思った。
大嫌いな雪のような笑顔が、愛しいと思った。
「…なぁケイ」
「うん?」
「お前、すごいな」
「へ?」
間の抜けた声を上げて、一瞬ケイはポカンとしていたけど、すぐに笑った。
「まーねー、私すごいからねー」
何がすごいのかも分かっていないくせに、ケイは本当に幸せそうに笑った。
影を含んだ笑顔で、誰よりも幸せそうに、笑った。
「でもね、ゼロスもすごいよ、すんごいの」
「そりゃ俺さますごいからなー」
そう返せば、ケイはおかしそうにまた笑った。そして俺にぎゅっと抱きついてくる。俺はケイを抱きしめ返す。
「…ほんと、そんなすんごいゼロスがずっと側にいてくれたら、何にも怖くないのにな」
ケイの言葉に胸が詰まる。切なさと愛しさと、幸福とが合わさった、不思議な感情。
「…心配すんな」
「え?」
「ケイが支えてくれた分、俺がケイを支えてやるよ」
「…ゼロス」
「側にいる」
はっきりとそう宣言すれば、どんどんとケイの表情が崩れていく。いつも笑っている、ケイの裏側の表情。柔らかく冷えたケイの頬を、そっと涙が伝う。指先で拭ってやれば、ケイは影のない笑顔で、笑った。
「ありがとう」
そんなケイにつられて、俺も、笑った。雪が、影が、ケイを連れ去ってしまうことは、もうきっと、ない。ケイはこの瞬間、誰のものでもなく、俺のものになったのだ。影に怯えることも、雪を怖がることも、きっとない。
そして俺もまた、誰のものでもなく、ケイのものになった。ケイが消えてしまう不安に駆られることも、きっともう訪れないだろう。
「ゼロス」
「ん?」
「大好きだよ、ずっと、ずっとね」
One Word(そして冷たい唇で、雪のようなキスをした。)2011.09.03
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