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バタバタと騒がしい音が扉の向こう側から聞こえたと思ったら、次には遠慮なく乱暴に扉が開けられた。そこには肩で息をするゼロスが、真っ直ぐに私を捉えている。教会から慌てて走ってきたのだろうけれど、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていたものだから思わず笑ってしまう。

私の顔を見て、ゼロスが何か言いかけたけれど、私は唇に人差し指を当てながらしーっと静かにするよう促した。ゼロスはぐっと言葉を飲み込んで、ゆっくりと私たちに近付いてくる。


私の腕の中に抱かれた、生まれたばかりの小さな命を、ゼロスはしばらく見つめていた。


まだ目も開かない、しわくちゃの顔に、小さな手。ゼロスによく似た、くるくるの赤毛が可愛い女の子だ。
陣痛が来てから丸一日は出てきてくれなかったけれど、いざそのときを迎えれば驚くほどすんなりと出てきてくれた。初産に少し怯えていた私にとっては驚くほどあっけない出産だったけれど、陣痛で苦しんでいる姿しか見ていなかったゼロスは気が気じゃなかったんだろうなと思う。

「さっき寝たばかりなの。元気な女の子よ」

ゼロスは言葉が出てこないようで、おそるおそる腕の中にいる我が子の小さな小さな手に触れる。すると娘は、私たちの娘は、その小さな手を開いてゼロスの指をぎゅうっと握った。それと同時に、ゼロスの顔がくしゃりと歪む。泣くのを必死で堪えているらしい。

「…陣痛は苦しかったけどね、すごくすんなり生まれてくれたのよ。早く外の世界に触れたかったのかもしれないね、パパが救ってくれた世界だから」

泣きそうなのは見ないふりをしてあげてそう教えてあげると、ゼロスは空いた方の手で私を娘を丸ごと抱きしめた。その腕は労わりに満ちていて、ひどく優しい。

「…本当に、よく頑張ってくれたと思う」
「この子がね」
「ふたりとも」

その声が、腕が、ほんの少しだけ震えていた。つられて私まで涙声になってしまう。

「ふたりとも、無事でよかった」

安堵するような声を聞いて、なんだか突然肩の力が抜けた。ゼロスがいないまま迎えてしまった出産は、本当はずっと不安だったのかもしれない。

妊娠が発覚してから、教会の仕事も忙しいはずなのに、ゼロスはいろんな面で私を助けてくれた。お屋敷にはセバスチャンだってメイドだっていてくれるのに、ゼロスはなんでも率先して私の面倒をみようとするから、逆にみんなが気を遣っていたのを思い出す。屋敷の主人が任せておけばいい妻の世話をしてしまうのだから、当然といえば当然なんだけど。

私としては、素直に甘えられるゼロスが助けてくれるのは本当にありがたかった。結局足は治らなかったから、体を動かすこともままならない私の為に、忙しい合間を縫ってよく車椅子に乗せて散歩にも連れて行ってくれた。悪阻がひどい時期も、文句ひとつ言わずに側にいてくれて、身を案じてくれた。お腹が大きくなるにつれてどんどん父親の顔にもなっていったしその誕生を待ちわびてくれた。

だけど、私以上に私の体のことを考えてくれていたから、きっと不安は私よりも大きかったと思う。

娘は順調に育ってくれていたけれど、いざ出産を迎えたときに何があるか分からない。もしかすると、ふたりとも命の危機に苛まれていたかもしれない。変わってやれるものなら変わってやりたいとゼロスは何度も口にしていたし、出産に立ち会えなかったことは本当に悔やんでいるのだろうと思う。

「ちゃんと生きてるわ、ふたりとも」
「本当に、昨日の夜なんてどうなることかと…」
「心配かけてごめんね。でも側にいてくれて本当に心強かった」
「出産のときには側にいてやれなかったけどな」
「だけど教会から走って駆けつけてくれたじゃない。仕事放り出してきたんでしょう?」
「…バレてたか」
「バレバレです」

ゼロスの腕に抱きしめられてまま、ふたりでくすくす笑い合う。そしてようやく体を離した後、ゼロスが私にキスをした。

「…ありがとな」

唇を離して、ゼロスがそう言った。多分言いたいことはたくさんあるのだろうけど、私にはそれで十分だった。

「ゼロスも、つらいとき支えていてくれてありがとう」
「これからもっと大変になるぜ?」
「そうね、ゼロスに似てやんちゃになりそう」
「そこはケイちゃんに似て欲しいなあ」

ゼロスは私から体を離すと、まじまじと娘を見つめる。娘の白くて柔らかい頬をつついて、嬉しそうにニヤニヤしていたので、きっと親バカになると思う。なんだかどちらも可愛くて笑ってしまった。

「抱っこする?」
「する」

間髪要れずに答えたゼロスは、そっと私から娘を受け取ると、少し緊張しながらも、宝物を扱うように腕の中に閉じ込めた。すやすやと眠る可愛いその顔を見て、ゼロスは呟くように言葉を零す。

「あ、やばい、泣きそう」

さっきからずっと泣きそうなくせに、という言葉は、飲み込んであげた。本当に嬉しそうに娘を抱きしめるその姿に、愛おしさが込み上げる。


この人と、一緒になって良かった。


振り返れば辛いことなんてたくさんあったけれど、ゼロスはそんな過去を笑い話に出来るくらいの愛情を注いでくれた。一度離れた私を捕まえて、もう一度、一から関係を取り戻してくれた。あの空白の5年間が嘘みたいに、愛に満ちた日々を与えてくれる。

責任を取ると言った彼の言葉に、ひとつとして嘘はなかった。
結婚して、家族になって、家族が増えて。幾度となく超えてきた寂しい夜は、まるで柔らかな雪のように、嘘みたいに溶けていく。


きっと、この先、どんなことがあっても、私たちは大丈夫。辛いことも悲しいことも、二人でなら乗り越えていける。
すれ違って傷付けあった、あの暗く悲しい日々の中で、私たちが見つけて手にした多くの後悔を、反省を、愛情を。目一杯大切にして愛していけばいい。想いや感情は、素直に伝えていけばいい。

今日まで随分な回り道をして、それこそ喧嘩だってしたけれど、言葉や態度は大切な人を傷付けるためのものじゃない。その想いを伝えるための手段だ。私たちは何度も間違えて繰り返す生き物だけど、だからこそ正していけることもたくさんあるのだろう。私たちがそうだったように。


「ねぇ、ゼロス」
「んー?」
「私と結婚してくれて、こんなに可愛い娘まで連れてきてくれて、本当にありがとう」
「…それはこっちのセリフだっての」


世界中に多くの人が溢れる中で、想い合えたこの奇跡を、私はこの先もずっと愛していきたい。ふたりが年老いてしわくちゃになっても、いつかこの命が消え行くその瞬間まで。

「名前、どうしようか」
「女の子だもんな〜可愛い名前がいいな〜」
「デレデレしちゃって」
「ケイにも娘にもデレデレする日々が始まるってわけだ」
「私より溺愛するくせに」
「ケイだって俺さまのことほったらかして娘ばっかり構うようならおしおきだぜ?」

そんなことを言い合って、ふたりで笑い合う。


あの日のまま変わらないシルバーリングが、ほんの少しだけ色あせて、まるで大人になった私たちみたい。

それはまるで祝福するように、太陽に照らされていた。


Fin

 あとがき

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