24


柔らかいベッドの上、窓の外に降りつもる白銀の世界を眺めながら小さく息を吐いた。外では子供達が元気に駆け回っている。

あの後、しばらくはシルヴァラントにある小さな町の宿屋に預けられていたけれど、ようやく一段落ついたらしいゼロスたちに連れられて、無事テセアラに戻ってきた。
私としてはまず真っ先にメルトキオに行ってセバスチャンたちに謝罪したかったのに、そんなことよりまずは体が最優先だとゼロスにしつこく言われ、今はフラノールにいる。腕のいいお医者さまがいるので、今はそこにお世話になっているのだ。

あれからしばらくたつのに、私の足はいまだに動かすことが出来なかった。痛みはもう引いてはいるけれど、神経がやられてしまっているらしい。もしかすると、もう一生歩けないかもしれない診断された。

診断の結果を聞かされた当時、すごく絶望をしたのをまざまざと思い出す。あまりのショックに頭の中が真っ白になった。ゼロスが側にいて支えてくれていなかったら、泣き出してしまっていたと思う。

二度と歩けないかもしれないという未来を思ったとき、とてつもない不安と悲しみに襲われて、ぐるぐると言い知れない感情が巡って心の中が真っ黒になった。ゼロスと一緒にいたいのに、せっかくゼロスも私を選んでくれたのに、歩くことも出来ないお荷物な私がゼロスの側にいることが罪なような気がして、考えたくもないのに暗い思考に支配されていった。だけど今さら手にしてしまった愛情を手放せなくって、一度だけゼロスに弱音を吐いたことがある。


『私は、ゼロスの隣を歩くことも出来ない』


ぽつり、と吐いたそんな言葉は、ゼロスに唇を奪われたときに飲み込まれてしまった。そして優しく微笑んで、それでも私がいいのだと言ってくれた。歩くことも出来ないお荷物な私がいいと、そう言って抱きしめてくれた。それだけで心の中の不安はゆっくりと溶けて、泡みたいに消えていく。長い間ずっと求めていた温もりに包まれて、真っ黒い気持ちは浄化されるみたいに消えて行った。

ゼロスが愛してくれる。不思議とそれだけで大丈夫な気がした。
やっぱりそれでも不安には見舞われるし、思うように動かないこの両足に嫌気もさすし、自分がひどく惨めに見えることもあるけれど、左手の薬指に光る印が私の心を繋ぎとめる。だから辛くても、一人で待つ時間が長くても、目を閉じて紅く長い髪の彼の姿を思い出せば強さを保っていられた。



ゼロスには、もう何日も会っていない。
世界を救う危険な旅の途中なのだからワガママは言えないけれど、ほんの少しだけ寂しかった。

時々時間を見つけてはレアバードを飛ばして会いに来てくれるし、足のリハビリにだって付き合ってくれる。旅の話を聞かせてくれて、抱きしめて、キスの雨を降らせてくれる。別れを告げたあの時からは考えられないくらい満たされて、欲張りになってしまったのかもしれない。

私を見ていてくれるだけでいいと思っていた。名前を呼んでくれるだけでいいと思っていた。けれど、その両方を手に入れてしまってから、どんどんゼロスの愛情を欲してしまう。まるで飢えた動物みたいに。

「…会いたいなあ」


「俺さまに?」


ひとりきりの部屋で、ぽつりと呟いただけの言葉に望んでいた返答があって、驚いて振り返る。そこには紅い髪を靡かせて腕を組みながら、壁にもたれかかるゼロスの姿があった。一瞬、夢かと思った。

「ゼロス、いつからいたの…」
「ついさっき。で、ケイちゃんは誰に会いたかったのかな?」

そう言いながら歩み寄ってきたゼロスは、私のいるベッドの脇に腰掛けて、鼻先が触れるくらいの距離まで顔を近づけてきた。綺麗なアイスブルーの瞳に見つめられて、思わず心臓が音を立てる。嬉しくて、なんだかくすぐったい気持ちになった。

「知ってるくせに」
「ケイの口から聞きたいの」
「…ゼロスに、会いたかったの」
「知ってた」

嬉しそうに答えたゼロスは私を抱きしめて、冷えきった唇で、冷たい雪のような、それでいてあったかい愛情で溢れたキスをくれた。ゼロスの体はすっかり冷え切っていて、ついさっきまで外にいたことが伺える。けれど私の体温を奪いながらゼロスは徐々に体温を取り戻して、最終的にはふたりして身も心もぽかぽかとあったまってしまった。唇を離して、コツンと額を合わせたままゼロスが呟いた。

「俺もケイに会いたかった」
「…会いに来てくれて嬉しい」

ゼロスの口から零れた言葉が嬉しくて、思わず表情が緩んでしまう。さっきまでの寂しさは嘘みたいに消えてしまった。そんな私の顔を見て、ゼロスは困ったように笑いながら息を吐く。

「すーぐそういう可愛いこと言う」
「可愛くないわ」
「自覚がないのが困ったもんだ」

肩を竦めながらそう言ったゼロスは、ようやく私から体を離した。コーヒーでも入れるといって立ち上がると、部屋に設置されている簡易的なキッチンの前に立つ。そんなゼロスの後姿を飽きることなく眺めながら、香ばしいコーヒーの香りを楽しむ。ちゃんと現実だと受け止めているのに、夢みたいだと思った。

あったかいコーヒーを入れてくれたゼロスは、甘い方を私にくれた。紅い髪を靡かせながらベッドサイドのイスに腰掛けて、髪をかきあげながらブラックコーヒーを啜っている。そんな姿も様になるものだからずるいと思う。

そんな風に思ってしまうあたり、すっかりゼロスにほだされてしまっているな、と自覚はあるのに、いくらでも沸きあがってくるこの感情は止められない。歯止めがきかなくなりそうで、ちょっとだけ困ってしまう。自分では上手く制御できなくて、このくすぶったこの気持ちを持て余してしまうから。

温かい部屋の中、ただコーヒーを啜るだけの穏やかな優しい時間が流れていく。こんな未来がくるなんて、あの苦しみの中では想像もできなかった。ゼロスが側にいて愛してくれる日々の特別さを痛感してばかりだ。

「なぁ」

ふいにゼロスが口を開いた。

「なあに?」
「俺さまのこと、好きか?」

なんとなく不安げな様子で当たり前のことを聞いてくるゼロスに少しだけ面食らう。不思議に思ったけれど、彼の望む言葉を返した。

「大好きよ、愛してる」
「…それはちょっとあれだな、照れるな」

珍しく頬を染めて、照れたように鼻をかきながらそっぽ向くゼロスが可愛くて、私は思わず笑ってしまった。ムッとした顔でゼロスが私を見たので、同じ問いを返してみる。

「ゼロスは?」
「ん?」
「ゼロスは私のこと、好き?」
「そりゃ〜もうとびっきり」
「ちゃんと言って」
「…愛してるよ」

ちょっとふざけていたくせに、すぐに優しい顔をしてそう言ってくれるものだから、嬉しくて私も照れてしまった。きっと顔は赤いから、掛けられていた布団で顔を隠してみる。

「おい、貴重な照れ顔隠すなよケイ」
「だって恥ずかしい…」
「ちゃんと言ってって催促したのはそっちだろ〜?」

ゼロスはコーヒーを置くと、またベッドの方に腰掛けて布団を奪おうとしてきた。恥ずかしいので必死に抵抗するけれど、力で敵うはずもなくて、布団はあっさり引っぺがされる。そんな攻防をしていたせいで体制を崩してしまった私たちは、そのままベッドに倒れこんでしまった。ゼロスが私を押し倒したように形になる。


―――ドクン


一段と大きく心臓が跳ねて、私は真っ直ぐにゼロスを見つめることしか出来ない。ゼロスもまた私を見つめたままで固まってしまった。二人分の視線がぶつかって、お互いしか映さない世界が広がる。まるで時間が止まったような感覚に陥りながらも、部屋におかれた時計が静かに音を刻んでいるのを確かに耳にしているのだから、時間は進んでいるのだろう。

ふと、ゼロスが真剣な表情で私を捉えた。瞳に吸い込まれそうになって動けなくなる。無骨な指先が少し遠慮がちに私の頬を包み込んだ。

「…なぁケイ」
「…うん?」
「もし、俺が一人で遠くに行ったら、どうする?」

真面目な声が降ってきて、僅かに息をするのを忘れた。突然の問いかけに、頭が上手く回らない。

ゼロスが一人でいなくなる。そんなこと、想像すらしたくない。
あの日、私がゼロスを置いて去ってしまった日、きっとゼロスは張り裂けそうなほどに辛かったはずだ。だって私は今、こうしてそれを思うだけでこんなに胸が痛い。


だけどもしも、ゼロスが本当に遠くに行ってしまいたいと願っているとしたら、私はどうすればいいのだろう。


ゼロスがそう願うならと諦めてゼロスを手放す?
それともそんなのは嫌だと泣きじゃくって引き止める?

…ううん、違う。きっとどっちも不正解。

真っ直ぐに私を見つめるゼロスの顔が、なんだかひどく寂しそうに見えて、思わずぽろりと涙が零れた。ゼロスがぎょっとしたように目を見開いて、慌てて私の涙を拭う。まさか泣かれるとは思っていなかったのだろう。そんなゼロスの頬を包み込んで、私はそっと口を開く。

「…一緒に行く」
「え?」
「そんな寂しそうな顔で、一人ぼっちで遠くになんて、行かせたくない」
「…」
「そこがどんなに寂しい場所でも、ゼロスが側にいてくれるならそれでいいの。私、思ってたよりも欲張りだったから。だから、一緒に行くわ」

お願いだから、そんなに寂しい顔をしないで。
懇願するようにそう呟いて、彼の首に腕を回して力いっぱい抱きつけば、ゼロスは私を支えるように強く抱きしめ返した。

しばらくの間、私たちはそうしていた。ずっと抱きしめ合っていたからゼロスがどんな顔をしていたかは知らないけれど、ふっと耳元でゼロスが笑ったような声が聞こえてようやく腕の力を緩めた。ゼロスも私を解放したけれど、相変わらずベッドに押し倒されたような状態でいる。アイスブルーの瞳と私の瞳がぶつかった。

「…そうだな、俺さまも、ケイがいない世界は、やっぱりごめんだな」

何かを決意したようにそう言ったゼロスが、なんだかすごく遠くに行ってしまいそうで、反射的にゼロスの手を握った。きっと今、私はすごく情けない顔をしていると思う。

そんな私に覆いかぶさりながら、ゼロスはもう一度キスをした。何度も何度も繰り返すうちにだんだん深みを帯びていくそれに耐え切れず、私が空気を求めると、ゼロスはようやく唇を離した。肩で息をする私を見つめるその目に、たくさんの愛情と、燃えるような熱が広がっていて、また心臓が煩く跳ねた。

「…どこにも行かねぇから、そんな顔すんな」
「側に、いて」
「ちゃんといるだろ?」
「怖いの。遠くに行ってしまいそうで、なんだか怖い」

胸の内側から溢れ出すこの気持ちは、どうしたって上手く表現しきれない。不透明で不鮮明、さらには形を持たないこの感覚を、つたない言葉でしか伝えられなくてもどかしい。ゼロスはそんな私の言葉を聞いて、困ったような、それでいて諦めたような、優しい顔をして微笑んだ。

「…ここにいること、証明してやろうか」
「え…?」

そういうと、ゼロスは私の返事も待たずにカーテンを閉めて、部屋の明かりを落とした。そして私を組み敷きながら、暗闇の中で、はっきりと囁く。

「5年分だ、覚悟しろよ」
「ゼロ…」
「何があっても責任は取る」

言いながら、ゼロスは私の唇を塞ぐ。いつもよりも性急で熱を持った余裕のないそれに翻弄されながら、私は無意識にゼロスの大きな背中に腕を回した。

「ん…ゼロス…」
「今夜ケイが欲しい」

唇を離してなんとか彼の名前を呼べば、返ってきたのは予想もしてなかった言葉で。


「俺のだって、刻んどきたい」


甘えたように、子供みたいに、それでいてくらくらするような色気を発しながら、縋るように求められてしまったら、もう、私も何も言えなくて。暗闇の中でもはっきりと分かる私を見つめる瞳には、もう私しか映っていない。

ずっと求めていた、私も、望んでいた。

例えばそれが、彼にとっての寂しさを埋める行為だったとしても、向けられた欲望と愛情に嘘はない。だからこそこんなにも求められることが嬉しくて、私は自分からゼロスの唇に噛み付く。それが合図になって、私たちは溶けてしまいそうなほど、深い夜におぼれて行った。

 

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