01
潮時かな。
相変わらず貴族の可愛い娘に囲まれ、紅い髪を靡かせる私の恋人であるはずの男をぼんやりと眺めながら、私は一人溜め息をついた。左手の薬指で光るシルバーのリングをそっと撫でると、途端に虚しさが込み上げる。
5年間、結局何も変わりはしなかった。
きっとお互い、何も変わっていないから、こんなことになってしまったんだろう。それともお互いが変わりすぎてしまったのか。
…今となっては、考えても答えの出ない問いである。
窓の外で、私の恋人であるはずの男が、貴族の娘に口付けた。周りにいた他の娘が騒ぎ立て、私にもして下さい!なんて口々に言っている。こんな真昼間から、近所迷惑な団体だなあ、なんて思いながら、すっかり見慣れてしまった光景に、目線を逸らすこともない。見慣れてしまった自分に、何よりも悲しくなる。
もう、終わりにしなきゃ。
自分に言い聞かせて、私はもう一度、5年前から私の薬指で褪せることなく光り続けたシルバーのリングを撫でた。いつか彼が再び私の元へ帰って来てくれることを願って、ずっと嵌めていた、彼と私を繋ぐ唯一のもの。今思えば、これは私たちを繋ぐ指輪なんじゃなく、お互いを閉じ込める首輪か足枷だったのかもしれない。毎晩願いを込め続け、眠る前にキスをしたこの指輪は、きっともうすぐ彼の心を私から解放する。
私の恋人は、マナの神子であるゼロス・ワイルダー。彼とは幼馴染で、私はずっと、ずっと彼が、好きだった。
14歳の頃、そこそこ名の知れた貴族だったにも関わらず、私の父が事業に失敗して全ての財産を失った。メイドや執事は逃げるように居なくなり、父は自殺、母も後を追って自殺。取り残された私も、もう死ぬのが一番なのだと思っていたとき、仲の良かったゼロスが私に言った。住み込みで俺さまの家で働け、と。
断る理由なんてなかった。大好きなゼロスの側で、専属のメイドとして働けるのなら、それが私の生きる希望。それ以上なんて、望んでいなかった。望んでいなかったのに。
人はどんどん、強欲になる。
17歳のとき、何気ない流れでするりと私の口からこぼれ出た「ゼロスが好きだよ」の言葉。彼は軽い調子で、「じゃあ付き合う?」なんて言って笑った。その言葉が、ただ純粋に、すごく嬉しかった。私が頷くとゼロスは「じゃ、今日から俺とケイは恋人な!」って言って私の唇を優しく塞いだ。
今でも色褪せない、大切な思い出。
あの頃もゼロスは女遊びが激しくて、だけどそれが寂しさを埋めるための行為だと私は知っていて。だからせめて、私を選んでくれるなら私がその寂しさ全部埋めてあげようって、無垢で無知だった私はそう思っていた。
…だけど恋人になってみたって、結局は何も変わらなかった。
22歳になったゼロスも、相変わらず女遊びは激しくて。恋人でもない女は誰これ構わず抱いているというのに、私はこの5年の間、キスの先に進んだこともない。二人で居る時間も、前と何ら変わらない。結局私は、何も変えられなかったのだ。こんな結末を迎えると知っていたなら、きっと私はこの道を選ばなかったのに。ただ私を苦しめるだけの、こんな道を、選ばなかったのに。
それでも、最初の頃は幸せだった。恋人になった日からしばらくは、ゼロスは私だけを見ていてくれた。幸せだった。たったそれだけのことが、私にとっては幸せだった。
けれどその幸せも、結局長くは続かなかったけれど。
ゼロスにとって私は、なんとなくそこにいた遊び相手に過ぎなかったんだろう。付き合い始めてすぐにゼロスは私にこの指輪をプレゼントしてくれて、「その時がきたら結婚しよう」なんて言ってくれて、私は一人で舞い上がっていたのかもしれない。ゼロスからしてみれば、それは単なる冗談だったに違いない。
実際、5年待っても『その時』が来ることはなかった。
恋人になってから初めて、ゼロスが私以外の女と関係を持ったとき、もちろん私は憤慨した。しかしゼロスはあっけらかんと言ってのけたのだ。
「じゃ、別れる?」
体中が強張って、声が出せなくなったあの感覚を、忘れることはきっとない。必死に私が搾り出した言葉は、ゼロスとの別れを拒絶する言葉だけだった。それからは自然と、ゼロスの女遊びに口を出さなくなった。
それは私とゼロスの、暗黙の了解。
あの時思い切って別れてしまえばよかったのに、私はそれが怖かった。別れて変わってしまう二人の未来が頭をよぎって、それが現実になってしまうのが、ただひたすらに怖かった。
あれから5年、私はゼロスと、多分今でも、恋人のままだ。だってゼロスの左手には、私と同じシルバーのリングが輝いている。私とはキスしかしないくせに、他の女は平気で抱くくせに。
そういうところ、ほんとに、ずるい。
だけど、もうこの恋にも終わりを告げる。私から終わらせるんだ、何もかも、ぜんぶ。
貴方と私を縛り付ける、恋人という名の鎖を、私が壊してあげる。そうすれば5年間、軽い気持ちで私と付き合い続けたゼロスを、解放してあげられる。いつまでも、夢に縋る純粋な乙女でなんていられない。私も明日で22歳になるんだ、いい加減、子どものままでいるのはやめよう。あの日のまま変われずに、大人になれないままの貴方を置いて、私から大人になればいい。
貴方を手放すの。それがどんなに悲しいことだとしても、その先に未来がないことを知っているから。
だから、貴方に縋りついたこの手を、私は離すよ。
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