18


ミトスを連れて総督府に戻った俺たちは、パルマコスタ人間牧場の件をニールに報告した。でも俺にとって気がかりなのは、正直そんなことよりもケイのことだ。

戻ったらケイを連れてさっさとテセアラに戻るつもりだったのだが、今から俺たちがやろうとしているのは、テセアラとシルヴァラントを完全に分断して、供給し合う関係をなくしてしまう、ということだ。実際、俺はテセアラにはいない方がいいんだろうから向こうへ戻るつもりはないが、問題はケイがどうしたいかということだ。

彼女はシルヴァラントで生きることを、決意してくれるだろうか。

しばらくシルヴァラントにケイを残すとなれば、ここ総督府に預けておくのが実際一番安心だ。ニールもそれは許可してくれるだろう。ただ、良くも悪くもここにはニールがいる。ニールの気持ちがケイに傾き続けることは黙認しなければならない。ケイの気持ちが揺らぐことはないのだろうが、もしも、揺らぐようなことがあれば。そう思うと、どうしてももやもやしたものが胸を巣食う。

そして思う。
ケイは何年も、こんな不安な気持ちを抱えたままで俺の側にいたんだろうと。

女好きだ、最低だ、口を揃えてこう言われ続けている俺の側で、ケイは5年も絶え続けた。正直、よく耐えたなとすら思う。自分で言うのもなんだが、もしも俺がケイの立場だったら、簡単に見限って捨ててもおかしくないようなことばかりしてきた。俺の知らないところでは散々泣いてきたんだろうが、俺の前ではケイはいつだって笑っていたのを思い出す。本当は一番苦しかったくせに。

「…」

ある程度話がまとまったらしいロイドたちは、一旦宿で休むらしい。俺は視線だけでニールに話があることを訴える。ニールもすぐに理解したようで、席を立って総督府のケイの部屋の隣りの部屋へ俺を案内する。ロイドたちには何も言ってないが、まあしいなあたりが適当になんとかするだろう。

「話でも?」
「あー、ケイのことだ」
「諦める決心でもつきましたか?」
「まさか」

ニールの言葉を鼻で笑って、そのへんにあったイスを手繰り寄せて座る。

「しばらく預かっててくれや」
「…しばらく、というと」
「そう長くはねぇよ、1年も2年もかかる話じゃねぇからな。ただ…ちょっと今面倒なことになってんだよ。あいつにもちゃんと話はしとく」

一応シルヴァラントでは、コレットちゃんはまだ再生の旅を続けていることになっている。無闇にテセアラの話題を出すのは得策じゃない。まぁニールになら話したって別に問題ないのだろうが、下手に余計なことを口走って面倒なことになるのは、俺だってお断りしたいところだ。

ただ「世界再生の旅はいろいろと大変だ」ということさえ理解させておけば、それだけでケイをここにおいておける正当な理由にはなる。ケイは戦えない。連れて歩くのがどれほど危険かくらい、ニールも分かっているはずだ。

ニールはしばらく俺の様子を伺った後、なぜか眉を下げてふっと笑みを零した。俺はそんなニールを怪訝な顔で眺めることしか出来ない。肩をすくめたニールは、視線を窓の向こうへやって静かに口を開いた。

「…あなたは私とは正反対だ」
「そりゃな」
「ケイのことは散々泣かせるし、人に物を頼むには態度がなっていないし、私は自分のことをあなたよりはマシな人間だと思いました」
「…あっそ」
「だけどケイは、それでもあなたを選んだ」

ニールの瞳が一瞬だけ俺を捉えて、それからすぐに、その視線はドアに向けられる。足を進めたニールは部屋を出て行く仕草のまま、俺を振り返らず言った。

「私は、1年も何もせずに待っていられるほど我慢強くありませんよ」
「…」
「…幸せに出来なかったそのときは、覚えておいてくださいね」

そう言って出て行った背中を遮るように、ドアがバタンと、やけに耳につく音を立てて閉じた。しばらくそのドアを見て固まったまま動けなくなった俺だったが、思わずふっと笑い声がもれる。認めたくはないが、残念なことにあいつ自身が言う通り、ニールという一人の男は俺よりずっと人間として立派なようだ。

それでもケイは、俺を選んだ。その事実が俺の心を軽くしてくれている。俺はきっと初めから、ケイがいないと生きていけないんだろう。そんな存在を諦めるなんて、もう考えるのもあほらしい。例えそれがただの依存だったとしても、今日からは胸を張って言ってやろう。依存することの何が悪いんだ、と。

「…さて」

でもまぁ、1年も待たせたら本当に掻っ攫われそうだ。さっさと全部終わらせて迎えに来よう。俺の手からあっさりと離れていったあの日に、当たり前に側にいた日々の大切さをこれでもかというほど思い知らされたのだ。これ以上遠くにいかせてたまるか。

からっぽだった5年が嘘みたいだったと思えるくらい、愛してやるから覚悟しとけ。


俺はのんびりと腰を持ち上げて部屋を出た。隣りにあるケイの部屋の扉をドアをノックして声をかける。部屋に入ろうとノブを回そうとしたとき、俺が扉を開けるよりも早く、ケイが慌てたようにドアを開けた。目が合ってからちょっと恥ずかしそうに視線を泳がせるあたり、相当俺が来るのを心待ちにしていたことが伺えて、なんだか笑えた。

俺が笑えば、ケイは少しむっとしたような顔をする。そんな顔見るのも久々で、なんだか余計に胸があったかくなるから不思議なものだ。部屋に入ってドアを閉めてから、俺はケイの細い体を抱きしめた。

「ただいまケイ」

耳元でそう言えば、ケイは答えるように頷いて白い腕を背中に回す。腕の中に閉じ込めた温もりが、胸の奥につっかえてたものを全部溶かしていった。

あぁ、これが幸せと安心か。

ケイという存在の大きさを改めて思い知らされる。いろいろネジがぶっ飛んでもおかしくない心境ではあるのだが、それをなんとか堪えてケイを解放すれば、ケイは柔らかく微笑んだ。人の気も知らずそんな可愛い顔を向ける彼女にキスを落として、その手を引いてベッドに座らせた。

近場にあるイスに俺も腰を落として、ケイに話があると切り出せば、相変わらず不安そうな顔をする。すっかりそういう癖をつけさせてしまっているらしい。心のケアにはかなりの長期戦が予想された。

「そんな不安そうな顔すんなって。別にそう悪い話じゃねぇんだからよ」

頭をなでてみても、相変わらず不安そうに俺の顔色を伺うばかりだ。そんなケイの手を握って俺は出来るだけ優しく口を開く。

「企業秘密なんだけどな、俺さまたちは今、訳あってテセアラとシルヴァラントを分断しようとしてんだ」

さすがにケイも驚いた様子で俺を見た。ニールにも内緒だぞ、と言って人差し指を口元に宛がえば、ケイは素直に頷く。

「世界が分断されれば、こうやって世界を跨いで行き来することも出来なくなる。だから俺さまたちは、最終的に自分たちが生きる世界を決めなきゃならないってわけだ」
「…」
「ミズホの民はシルヴァラントへの移住を希望してるらしいから、しいなたちはこっちに来るだろうな。で、肝心の俺さまも、こっちの方がいいんだろうなと思ってる。まだはっきりした答えは出せてねぇけどな」

ケイは真っ直ぐに俺を見つめたまま、頷くこともしない。

「…俺がこっちで生きるって決めたら、ケイはどうする?」

ケイはしばらく俺の顔を見つめたままで動かなかったが、ベッドの脇に置いていた紙とペンを手に取ると、さらさらとそれに文字を綴って俺に見せた。


『セレスちゃんはどうするの?』


それだけが書かれた紙は、真っ直ぐに俺の心を締め付けた。腹違いな上に嫌われているとはいえ、たった一人の妹だ。そのセレスのためにも、俺はテセアラからいなくなった方がいい。

「俺さまがいる限り、あいつは修道院から出れない。だからいいんだよ」
「…」
「…そんな顔すんなって」

悲しげに眉を寄せるケイの頬に触れる。ケイのことだ、いずれ和解してほしいとどこかで願ってくれていたんだろう。

「俺さまがテセアラからいなくなるってことは、テセアラから神子がいなくなるってことだ。そうなれば次の神子はセレスだ、あいつも俺さまも自由になれて、一石二鳥ってもんだろ」

ケイは認めるのを渋っていたようだが、出来るだけ明るく言ってやれば諦めてくれたようで、再び紙とペンを手にとって文字を綴る。


『私はゼロスの側にいてもいいの?』


「…いてくれねーと困るって」
「…」
「言っただろ、もうケイだけだ。テセアラでの権限なんて失っていい。でも、ケイだけは二度と失くせない」
「……、…」
「いいんだよ、喋れなくたってなんだって。代わりに俺さまがうるさいくらいに喋ってやる」

指先でケイの頬をなでて、笑いながら言葉にすれば、ケイは泣きそうなのを堪えてくしゃりと笑った。子どもみたいな歪んだ顔さえやけに綺麗に見えるのは、この5年間、そんな顔にすらさせてやれなかったからだ。泣きたいときに泣きもせず、笑いたくもないのに笑い続けたケイの心は、きっと俺が思う以上にボロボロなんだろう。つぎはぎだらけで、どうにか形を保ってきただけの痛ましい胸の奥に、俺が居座り続けたのは奇跡に近い。

「…なぁケイ」
「…」
「お願いがあるんだけど」
「?」

泣きそうな顔をなんとか引っ込めて、ケイは首をかしげた。そんなケイに顔を近づけて、その額に自分の額を合わせて目を瞑る。そして俺の口から次々と零れる言葉は、格好のつかないものばっかりだ。

「散々泣かせたし傷つけたし、そのくせ簡単にキスもして、抱きしめて、いろいろ順番もバラバラだったし今さらだとは思うけど」

星の綺麗だったあの日、ケイは俺を諦めて別れを告げた。胸に刻まれた異常なまでの喪失感を、俺は一生忘れないだろう。だからもう一度、ちゃんと新たに繋いでおく。鎖だろうが呪縛だろうが、そんなものはなんだっていい。


「俺ともう一度、付き合ってください」


ただ側にいるだけで、理由が必要な世界だ。好きだとか愛してるとか、そんなものがいちいち必要な世界だ。俺はそれを、心のどこかで嘲笑ってた。お互いを繋ぐものが恋人という形じゃなくたって、後を引かないフェアな関係だったらそれでいいと思ってた。

だけどそうじゃない。
俺は本当に誰かを愛しいと感じることが、それを形にするのが、ただ怖かっただけだ。離れていっても傷付かないように、自分だけを守ってきたのだ。今まではそれで良かったのに、ケイがすり抜けていった瞬間にそれが間違いだと知った。

…本当は最初から、間違いだなんて知ってたくせに。

気付かないフリをしてきたから、当たり前じゃない日々を『当たり前』だと思い続けて、自分自身の感覚が鈍ってしまった。そのせいで、いつの間にか『当たり前』だったはずの日常が、狂い始めたことにさえ気付けなくなっていただけだ。


「そして出来れば、俺と一緒に、ここで生きてください」


今は、ケイの側にいることに理由が欲しい。その理由が二人を繋ぐ楔になっても、今までと同じように苦しいと感じさせてやりたくはない。二人をここに繋ぎとめるその楔が、安らげる場所であるように、本当の意味で愛してるからだと、胸を張って言いたい。


微動だにしないケイに不安が増して、俺は恐る恐る目を開いて額を離し、ケイの顔を覗き見る。するとそこには、顔を真っ赤にしてボロボロと泣き出すケイがいた。当然、俺はぎょっとなる。

「え、ちょ、ちょっと、ケイ…!」

珍しく動揺する俺を見て、泣きながらケイは笑うと、勢いよく俺に抱きついた。その体を受け止めながらゆっくりと頭の中を整理する。多分、照れたのと恥ずかしいのと嬉しいのとが、いっぺんに込み上げて来たんだろう。それが可愛くて、思わず笑みを零す。

「…返事は?」

やけに声が弾むのは、俺にだってどうにも出来ない。ケイは俺に抱きついたままで、何度も何度も頷いた。抱きとめる腕に力を込めて、嬉し泣きを続けるケイの耳元に声を落とす。

「本当に迎えに来てやれるまでまだかかりそうだから、もうちょっとここで辛抱しててくれ。ニールにはちゃんと言ってある」
「…、」
「…ありがとな」

腕の中で頷きながら、俺にしがみつく腕に力を込めた『恋人』の愛しさと大切さを噛み締めながら、彼女にだけは見られないように、晴れやかな気持ちで破顔した。

 

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