15


「…ケイ、何か食べないとまた弱ってしまうよ」

ニールさんが言う。私はベッドに潜り込んだまま、首を横に振った。ニールさんは少し溜め息をついて、私の頭を優しく撫でた。

「じゃあ食べたくなったらすぐにメイドたちに言うんだ、私はもう部屋に戻るから」
「…」
「…無理せず、ゆっくり整理すればいい」

おやすみ、そう言ってニールさんは部屋から出て行った。私はベッドに潜り込んだまま、どうすればいいのか悩んでいた。


―――全部、思い出した。


あの日、あの深い夜の日、あれが私たちの運命の日。ゼロスは言った、思い出せば私はゼロスのことを嫌いになる、と。

なるわけない、なれるわけがない。

だけど、でも、

私はゼロスを好きだと気付いたあの日から、ゼロスだけを想っていた。裏切られても、傷付けられても、いつか、いつの日かゼロスが再び私を見てくれると信じて疑いもしなかった。けれど5年たっても、ゼロスは私を見てはくれなかった。

記憶を取り戻した私に、ゼロスは言った。後悔している。この先私の気持ちを取り戻せないことも覚悟している。だけどこれだけは分かって欲しい。


『俺は、今までも、ずっとこれからも、ケイを愛してる』


もう何を信じればいいのか分からなかった。記憶を取り戻して、ただでさえいろいろと混乱しているのに、突然ゼロスにそんなことを言われても、信じられるわけがない。でもその言葉が嬉しくて、縋りたい気持ちでいっぱいな私が存在することも否定出来ない。

仮にゼロスを選んだら?じゃあ私を想ってここまで尽くしてくれたニールさんはどうなるの?

何がなんだか、自分でもよく分かっていない。私が喋れないのをいいことに、ゼロスは言いたいこと想ってること、自分だけ全部吐いて去って行った。そういうずるいところは本当に変わらない。

私はぎゅっと強く目をつむった。こんな夜、いつも誰かに側にいて欲しいと願ってた。それが他の誰でもなくゼロスだったのだと、ようやく思い出したのだ。

ゆっくりと目を開けて、彼が改めてつけてくれたシルバーリングを見つめる。あの日、私がさよならの気持ちを込めてゼロスの部屋に残してきたもの。こんな小さなもの、あのゼロスがよく旅をしながら失くさずに持っておけたものだと思う。この指輪が私たち二人を縛り付けていたと思っていたのに、彼は私にまたこれを手渡した。

ゼロスは私に依存しているだけじゃないか、私もゼロスに依存しているだけじゃないか。

思えば思うほど分からなくなって、考えれば考えるほど苦しくなる。目を閉じても、思い浮かぶのはもうゼロスの顔ばかりだ。こんな夜はいつもゼロスのベッドに潜り込んで、せめて彼がちゃんと側にいることを感じながら眠ったな、とふと思う。それが単なる空想でも、幻でもよかった。ただ、側にいたかっただけなのだから。


「…」


私はもう、彼の名前を呼ぶことすら出来ない。そしていちいち文字にしなければ、彼に想いを伝えることも出来ない。いっそこの想いを全部怒りにかえてぶつけられたら、泣きながら全部吐き出せたなら、少しは楽になれたのだろうか。

そんな私の曖昧で醜いこの気持ちを、ゼロスはちゃんと受け止めてくれただろうか。もしかすると、そんな気持ちが重くなって、また別れようと言われるのではないか。その言葉が怖くて、私は今まで何も言えなかったのだから、それを思うと結局何も言えないんだろう。

言わなければ変わらないこと、進めないことがあることは理解しているのに、どうしようもないこの想いは膨れるばかりだ。

声を上げてみようと足掻いてみる。しかしながら、やはり苦しくなるばかりで声は出ない。もうゼロスの名前を呼ぶことは出来ないのだろうか。

ようやくゼロスは、私の名前を呼んでくれたのに。

ぐるぐると巡って、行き場をなくした感情が涙になってあふれ出す。声を上げたいのに、わめきたいのに、憎たらしいこの声は私の想いをうまく吐き出す道具にはなってくれない。


直後、私はどうすればいいかわからない感情に押し殺されて、狂った。


涙程度じゃ私の感情はまとまらなかった。声にならない声を上げて暴れだす私。そんな私の異変が隣の部屋にも伝わったのか、メイドが慌てて私の部屋に駆け込んできて、その後すぐにニールさんも私の部屋に駆けつけた。わがままな子どものように泣き狂う私を、ニールさんはあやすように抱きしめる。

「ケイ!落ち着くんだ!」
「…!……っ、…!!!」
「大丈夫、大丈夫だから…!」

ニールさんは私を押さえ込むようにして抱きしめる。そんな彼の腕の中で、いまだに暴れる私は、酷く醜い。暴れる私はニールさんに危害を加えてるに違いないのに、彼は私を離さない。

「ケイ」
「…っ、…!」
「ケイ」

何度も私の名前を優しく呼びながら、強く強く抱きしめる。次第に落ち着いたのか、私の体からゆるゆると力が抜けていく。そのまま呼吸を荒くしながら私はニールさんに体重を預けた。私を抱きしめたまま、ニールさんはゆっくり腕の力を緩める。小さな子どもにしてあげるように優しく背中をポンポンと規則的に叩かれ、私はだんだんと冷静になっていった。

「…ケイは私が見る、みな下がってくれ」

ニールさんはメイドたちに向かってそう言った。心配そうに私を見つめながらも、メイドたちは部屋を出て行った。部屋に静寂が訪れても、変わらずニールさんは背中を叩いてくれていた。私の鼻をすする音だけが響く。自分で自分を醜いと思わざるを得ない。

「ケイ」

優しく柔らかな声で、ニールさんが私を呼んだ。

「今夜は、側にいてもいいか?」

ひとりになるのが不安な私は、ただただ頷いた。今まで一度も、ニールさんと同じ部屋で夜を過ごしたことはない。記憶がなかったときも、なんとなく、それが罪な気がしてたからだ。そうあるべきはゼロスなのだと、きっと本能で悟っていたのだろう。

でも今混乱しきっている私には、もうその抑制心もまともに働いていない。背中から伝わる心地良いリズムに泣きつかれたのも相まってか、全身の力が抜けていき、眠気が私を襲う。

「…私が、守るよ…ケイ」

最後に耳元で聞こえたのは、力強い誓いだった。その誓いの残響を耳に宿したまま、私は気を失うかのように眠りについた。

 

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