三百年前、私の体は"姫"と呼ばれたそれに奪われた。私の自我は姫と替わるように閉じ込められ、そこで徐々に記憶や感情を奪われながら、それと入れ違うようにして六百年前からの蛇の信者の記憶を甦らせた。裏切られ、捨てられ、傷付いた者たちが集まり、持ち寄った憎しみと共に得たのは、大蛇から得た恐ろしい力。感情も何もかもを失い、からっぽとなった私の中に次々と入り込む蛇の信者が辿った歴史は、いつしか私の全てになった。

我々を迫害した者への憎しみ、怒り、悲しみ、絶望。器となった私の体から分離された自我は、負の感情ばかりを呼び覚ます。そうして三百年もの長い間、体を失ってもなお、多くの苦しみに飲まれ続けた私の中で最初に生まれた感情は、大蛇と共に再び生まれ、復讐したいと強く思う気持ちだった。その使命を全うするために、いつしか私は器を欲するようになる。これが、新たな"姫"の誕生だ。

私が姫となって次の器に宿り、その体を支配する。そして本来器に宿っていた自我は、次の姫となるために大蛇が復活するまでの三百年間、蛇の信者の記憶の中に飲まれていく。私がそうであったように。

そうやって、くり返していくのだ。

姫や王と呼ばれる覚醒した蛇の信者たちは、こうして出来上がった怨念たちの集いだ。復讐を強く望み、愛されることに飢え、欲望に忠実で、ただただ全ての破滅を望む。大蛇が私たち信者を受け入れたのは、私たち一族が持つ感情が、大蛇の持つ感情に近かったからだろう。そうして最終的に、私たちはこの命を差し出すのだ。力を分け与えてくださった、「大蛇様」のために。



深く悲しい歴史の記憶に飲まれながら三百年、私はいつしか"彼女"と同じ視線から世界を覗くようになった。それが渓、私の器。周囲の人間から愛され、悲しい記憶さえも受け入れて、真っ直ぐに生きる強い娘。彼女の視界から見える景色は、嬉しいことや楽しいことばかりではないはずなのに、なぜかいつもきらきらと眩しいくらいに輝いていた。小さな渓の視界から見える空はうんと高く、重々しい曇天も大したことのないように思えるのだから不思議だった。

渓に宿る私には、彼女の感情も伝わってきた。胸の底に家族を失った悲しみを抱えながらも、毎日を懸命に生きようと必死で、だからこそ幸せを感じていた。自身が蛇の信者という一族の末裔であることも知らず、悲しい運命を背負っていることも知らず、なんと愚かな娘だろうか、と私はずっと思っていた。抱えた使命の重さなど気付かずに、平気で大蛇と敵対する一族の人間と笑い合っているこの娘が、私は嫌いだった。

ところがある日から、この娘の感情に変化があった。風魔の男、金城白子と名付けられたその者への想いに気付いたときからだ。今までも十分に幸せすぎる日々を送ってきたくせに、それまでの日々よりもずっと色付いた世界がそこには広がっていた。渓の視界から見える世界には、必ずどこかに金城白子がいる。傷付くことの方がずっと多かったはずなのに、金城白子がいるというだけでより一層渓の心は喜びに震える。

初めは理解出来なかった。金城白子という存在など、いずれ失ってしまうのに、どうして愛してしまったのかと。私は後々面倒になることを思って、彼女の中で随分と苦い思いをしていたのを思い出す。所詮その恋は、何があっても叶うことはないというのに。

肝心なところで奥手な渓は、金城白子に想いを伝えることはしなかったし、金城白子もその気持ちには気付いていながら、応えることはなかった。当然だろう、彼は風魔、大蛇の眷属。いずれ渓も知ることだ。だからこそ、彼は応えなかったのだろう。本当は自身も同じような気持ちを、彼女に寄せていたくせに。そんな二人には、もやもやとさせられたものだ。遺憾ではあるが、いつも二人を見守っている曇家の人間の気持ちも、こんなものなのだろうと思わされた。

そんなことを思いながら、私はとうとう、ある一つの答えに辿り着いてしまった。あぁ、私はただ、彼女が羨ましいのだと。

敵対するはずの者たちから愛され、その愛を一身に受けて真っ直ぐに育ち、笑って生きていられる渓という娘が、ただただ羨ましかった。憎しみや怒りや悲しみばかりが生まれ苦しみ抜いたこの三百年も、彼女の中にいることで馬鹿馬鹿しく思えてしまう。私の器は、残念なことに私の欲しかったものを全て持っていたのだ。気付いてしまえば、なんということだろう、この体を奪うことさえ億劫になる。



私は渓になりたかったのだ。しかし、私が渓になったところで、彼女と同じようにこうやって愛してもらえるとは限らない。自身の記憶を失って、感情さえままならない私は、欠陥まみれの大蛇の道具だ。渓という人間には程遠い。

渓は眩しい。渓の向いている方向にはいつも太陽があって、彼女の背中から影が伸びている。私はその影に身を埋めているだけなのだ。渓が光なら私は影で、渓が表なら私は裏、渓が朝なら私は夜、渓が希望なら私は絶望。あぁ、どうしてこんな娘に宿ってしまったのだろう。どうして私は"姫"なのだろう。こんなことになるのなら、いっそ運命など背負いたくなかった。渓という人間になんて、宿りたくなかった。

この小さな体から見える景色も、過ぎていく日常も、いつしか私の心を蝕むようになった。日を追うごとに、欲望は膨れ上がる。私も早く、そこへ行きたい。眩しい世界で、彼女のように光を浴びたい。けれど、渓でなくなったものが、同じように同じだけのものを得られるとは限らない。あぁ、どうすればいい。渓、私はどうすればいい。たすけて、たすけて、いくらそう叫んでも、この声は渓には届かなかった。

そんな日々を繰り返し、私は僅かに感情を取り戻し、渓の中で少しずつ自身の新たな自我を形成していく。渓が欲しい。渓の持つ全てが欲しい。彼女のように、誰もから愛されるようなものになりたい。その為に、より渓の事を知ろうともがく。そしてもがけばもがくほど、渓という存在への愛情は増すばかりだ。蛇の信者としての使命と、渓という存在への想いが幾重にも重なって、気付けばどちらが正しいのか分からなくなっていた。

いつしか緩やかに狂っていく。渓を想う心は、次第に欲望に飲まれていった。所詮私は大蛇の道具、蛇の信者。"姫"と呼ばれる生命の一部になってしまった以上、私を飲み込む深い記憶に抗えはしない。せめて彼女に宿らなければ、こんな無駄な感情を抱くことなく、器を乗っ取ることが出来ただろうか。彼女の隙間から零れる光ばかりを、焦がれることはなかっただろうか。



ねぇ渓、もしも、もしもよ。
あなたが私と同じような運命を辿って、いつか"姫"になる日が来たならば、あなたも私と同じように狂ってしまうのかしら。それとも優しくて眩しいあなたは、私のように蛇の信者の悲しい歴史と、暗い記憶に抗って、それらを太陽のように照らしてやるのかしら。

そうね、きっとあなたは後者でしょうね。だってあなたは、蛇の信者のお姫様なんて暗い存在、似合いやしないわ。だからね、せめて、大蛇という存在が目を覚ましている間くらい、その体を貸して頂戴。偽りでもいい、私に光を浴びさせて。広い世界を直接この目で見てみたい。その間、どうか消えないでいて。渓という存在を忘れないでいて。忘れそうになったら、彼を思い出して。最後の最後にはきっと、あなたを選ぶ彼を思い出して。あなたが消えてしまったら、私はもうそちら側へ戻ってあげられないのだから。

ささやかで小さなワガママは、叶うかしら。届くかしら。願わくば少しでいい、愛を受けることは出来るのかしら。



愛情と使命の狭間で揺れる想いは、きっと渓に伝わることなどないのだろう。いすれ"姫"としてこの世に甦る私のことなど、彼女にとっては邪魔な存在なのだろう。それでいいのだ、所詮私は望まれない陰。使命に抗う強さなど、到底持ち合わせてなどいない。人間らしさなどどこにもないのだ、冷酷に渓の心を苦しめてやるだけだ。それが一番正しいことだと、疑わないことが私に出来る最善なのだから。

そして胸に込み上げるのは、馴染んだはずの苦しみ。馴染んだはずなのに、今までよりもずっと重くて悲しい苦しみ。

私はまだ、その苦しみの名前を、知らないでいたい。



光の陰で笑う人
(今はまだ彼女の影に埋もれたままで)



イメージソング:隣人に光が差すとき、聖者の行進

誰よりも一番過酷な運命を背負った姫様の本音。本当は人一倍優しくて人間臭いのに、三百年もの間歴史の中に閉じ込められて、記憶も感情も失った彼女は、それが人間らしさだと気付けない。優しすぎるあまり欲張りになりきれなかった彼女の、ちょっと寂しいお話でした。

2015.05.15

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