13
朝靄の中で、




片恋の空:13




翌日、目覚めたあたしには毛布がかかっていて、一角さんの姿はそこになかった。外から気配がしたのでのそのそと起き上がると、そこには朝早くから鍛練に励む一角さんの姿。あたしは目をこすりながら一角さんに近付いた。

「…おはようございます」
「おう!緋雪か!早いな!」
「…人のこと言えないでしょ、一角さん…」
「俺は目が覚めちまったんだから仕方ねぇだろ。おめーは時間ギリギリで叩き起こしてやろうと思ったんだけどな」
「…お風呂入りたい」
「なら帰れ」
「…めんどくさい」
「なんなんだおめーは…」

一角さんは困ったように頭をかくと、何かを思いついたように言った。

「緋雪、銭湯行って来いよ」
「え?」
「この近くにあるんだよ、朝からやってるとこ」
「そうなんですか?」
「あぁ、多分もう清掃の時間は終わってるはずだ。帰るよりは近いし、まだ時間もあるしゆっくりできるだろ」
「じゃあそうします」

あたしは一角さんに銭湯の場所を教えてもらい、一人そこへ向かった。一角さんも一緒に行こうと誘ったけれど、顔を赤くして断られたので、怒る前に退散しようと思い、諦めて一人で来ることにした。

銭湯に着いて、番台のおばさんにお金を渡す。何もなかったので、石鹸やシャンプーを買って入った。朝一番のお客さんだと番台のおばさんが教えてくれたので、銭湯にはあたし一人しかいなかった。頭や体を洗い、磨きたての綺麗な湯船につかる。昨日の出来事を、じんわりと溶かしてくれているような気がした。

しばらくすると男湯の方から音が聞こえてきた。誰か来たんだろう、と特に気にするでもなくゆっくりと疲れを癒す。

お風呂から上がって、湯上りにりんごジュースを飲んだ。体中にじんわりと行き渡る感覚に安心感を得て、頭を乾かした後外に出た。空を見上げれば、いい感じに太陽が昇ってきている。今からゆっくり歩いて帰れば、丁度仕事が始まる頃には十一番隊に戻れるだろう。そう思って歩き出そうとすると、背中からカラカラと音が聞こえた。男湯から誰か出てきたのだろう、と特に気にするでもなかったのだが、突然の声に思わず振り返ることになった。

「…緋雪…?」

弾かれたように振り返れば、少し濡れた髪を靡かせた恋次がそこにいた。驚いたように恋次はあたしを見つめていて、あたしももちろん、驚いたまま恋次を見つめていた。まさかこんなところで恋次に出くわすなんて、誰が想像しただろう。ぽかんと見つめ会うばかりのあたしたちだったが、先にその沈黙を破ったのは恋次だった。

「…こんなところで何やってんだ?」
「何って……お風呂入りに来た」
「そりゃあ見れば分かるけどよ…」

ぽりぽりと頭をかいて、恋次はなんとなく気まずそうだ。そして昨日のことを思い出す。そうだ、あたしは恋次に心配をかけてしまったんだ。

「あのっ、恋次…」
「あン?」
「昨日は、その、ごめんね。なんかあたし、混乱しちゃってて…」

自分の心の奥で暴れまわる感情を上手く伝えられる気がしなくて、簡潔に伝わる言葉で本心を濁す。なんとなくこっちまで気まずくなって俯いてしまったとき、頭に優しく乗せられた恋次のてのひらに、思わず顔を上げた。

「もう大丈夫なのか?」
「うん、だいじょうぶ。ありがと恋次」
「気にすんな。俺だって悪かったな、ルキアの極刑のこと……お前、教えたら絶対泣くとは思ってたんだけどよ、教えなくても泣く気がしたから、言っちまった」
「…うん、そうだね。だけど、聞いて良かったって思ってる。聞かなかったらあたし絶対怒って恋次に泣きついてた」
「はっ!だろうな」

恋次はくしゃくしゃとあたしの頭を撫で回す。ぼさぼさになると言ってその手を払いのけると、恋次は笑った。どことなく影を含んだ笑顔だったことには気付いていたけど、あたしじゃその影を拾ってあげることは出来ないなんて、知っていた。

「さ、仕事行くか」
「…うん」

あたしは恋次と一緒に隊舎に向かって歩き出す。ちらりと見上げれば、まだ青くない空に恋次の髪の赤。そして再び視線を落として、お互い無言のまま歩く。こんなに早朝だと外を歩く人もおらず、耳に入るのはあたしたちの足音だけだ。

「…ねぇ、恋次」

あたしたち二人っきりのこの世界で足音以外に響いたのは、あたしの声。

「どうした?」
「あたしね、ルキアの減刑、請う」
「は?誰にだよ」
「朽木隊長」
「…」
「あたし程度じゃ四十六室に掛け合ったって話すら聞いてもらえないだろうけど、隊長なら少しは何か変わるんじゃないかなって」

まさかこんな意見が朽木隊長の心に届くなんて、正直微塵も思ってはいなかった。けれど、何かしなくちゃもうあたし自身の気が済まないところまで来てしまったのだ。これはただのひとりよがりだっていうことも分かっていたけれど、何もしないままでなんて居られなかった。

「何度だって請うよ。それでも聞き入れてもらえないなら、もう直接四十六室に掛け合う。だってあたしに出来るのはそれくらい」

あたしはルキアを諦めたくはなかった。その気持ちはもちろん恋次だって同じはずで、理解してくれていると思っていた。

だけど、

「…………やめとけ」

恋次の口から発せられたのはそんな言葉で、あたしは思わず立ち止まって絶句してしまった。恋次は悲しい眼差しをあたしに向ける。

「…どうして?」

かろうじてあたしの口から漏れた声は、恋次に届いたらしい。

「もしそれでお前にまで刑が下っちまったらどうすんだ。罪人を庇った、なんていってよ」
「どうって……そんなの、わかんないけど…」
「じゃあやめとけ。もしそんなことになったら、それこそルキアが悲しむだろうが」

チクリ。
あたしの心に、静かに鋭い針が落ちた。

「…じゃあ、どうすればいいの?どうすれば、ルキアは助かるの…?」

あぁ、ダメだ、また泣き出しそうだ。
思わず俯いて必死に涙を堪える。

「…」

恋次は、何も言わなかった。あたしの欲しい言葉は、何一つもらえなかった。大きな手で優しくあたしの手をとって、また歩き出すだけだ。あたしは何も言えずに、恋次に手を引かれるまま、同じく隊舎に向かう。

その後、お互い何も言葉を発さぬまま、恋次はあたしを十一番隊舎に送り届けるとそのまま六番隊へと向かってしまった。あたしは何にもやる気がおきずに、ただ淡々と書類をこなす。そんなあたしの異変に気付いた一角さんが、あたしの頭を小突いた。

「…痛い」
「なに腑抜けた面してやがんだおめぇ」
「…別に」
「何があったかしらねぇけどよ、昨日で切り替えたんじゃねぇのかよ」
「切り替えましたよちゃんと」
「だったらなんでそんな腑抜けた面でこんなとこいやがる」
「…」

あたしはぽつぽつと、今朝のことを話した。理解してくれる、背中を押してくれると思ってた人が、あたしの言葉を、想いを、否定した。なのにどうすれば笑っていられるんだろう。大切な幼馴染を助けたくて、だから理解してほしくて、一緒に頑張ると言って欲しかっただけなのに、どうしてこんなことになったんだろう。あたしが甘えすぎなのか、幼すぎて運命を受け入れるのが怖くて足掻いてるだけなのか。置き去りの気持ちは向かう場所を知らない。

話し終えると、一角さんが軽く舌打ちをした。あぁ、やっぱりあたしは間違っているんだ、と思うとまた塞ぎこみそうになる。すると突然一角さんは項垂れるあたしの胸倉を掴んで立たせた。

「え、い、一角さん?」
「てめぇちょっと来い」

一角さんに胸倉を掴まれたまま、あたしは鍛練場に連れて行かれた。木刀を投げつけられる。

「…一角さん、一体…」
「見りゃわかんだよ、構えろ」
「え…?」
「手加減しねぇぞ、気引き締めろよ」

そう言うと、一角さんは容赦なくあたしに襲い掛かる。あたしは慌ててそれを受け止めるが、一角さんの攻撃を防ぐので精一杯だ。

「く…っ!」
「おらどうした!?てめぇはこんなもんじゃねぇだろ緋雪!!」

一角さんのいつにない攻撃を必死に防いでいたが、隙をつかれてしまい、一角さんの攻撃が見事にあたしに浴びせられた。あたしは勢いよく倒れこむ。痛みで立ち上がれなくてふらふらとする。

「立てよ」
「う…」
「立てっつってんだろ!」

一角さんはまたあたしの胸倉を掴んで、無理矢理あたしを立たせた。

「そんな腑抜けた面しやがって。ろくに鍛練もできねぇのか?あ?だったらさっさとうちの隊なんざやめちまえ」
「…」
「女だからなんだからって、いつまでも甘やかされると思うなよ緋雪。昨日で腑抜けの時間を最後にするために甘やかしてやったんだろうが」

一角さんの瞳は、真っすぐにあたしを射抜いている。
その瞳の奥に、怒りと、悲しみと、とびっきりの優しさが見えた。

「お前は自分のことばっかりで周りのことなんか見えちゃいねぇ。そのくせ周りの言葉にいちいちふらふらしやがって、くだらないと思わねぇのかよ」
「…」
「恋次にやめろって言われたからなんだ。おめぇがそうしたいならそうすればいい。やめろと言われてやめちまうくらいならその程度なんだろ、ルキアちゃんに対する思いなんてよ」

その言葉に、あたしは怒りを露にする。

「…違う、その程度なんかじゃない」
「だったらなんでやめる?恋次に言われたからか?」
「…」
「図星だろ。その程度でしか相手のことを思いやれねぇんならルキアちゃんの友達面すんのはやめてやりな。相手がかわいそうだし、お前が惨めに見えるだけだ」
「…違う」
「お前がどんだけ否定しようとその程度なんだよ。助けたいだのなんだの、今のお前じゃ何言ったって綺麗事にしか聞こえねぇ。自分の意思もちゃんと持てねぇようなヤツの綺麗事だ」
「違う!!!」

あたしの怒りが、頂点に達した。胸倉を掴む一角さんの腕を振りほどくと、そのまま怒りに任せて攻撃をくりだす。一角さんはそんなあたしの攻撃を難なく避けると、涼しい顔であたしを見た。怒り任せのあたしは、もうやけくそだった。溜め込んだ感情を吐き出したくて叫ぶ。

「あたしはルキアが大事なの!でもあたしよりもずっと恋次はルキアを大事にしてる!なのに恋次はルキアの減刑を請うのはやめろなんて言ったの!絶望して何が悪いの!?」
「…」
「恋次だって本当はルキアのこと助けたいくせに強がって、全然素直にならない!ルキアだってそう!昔から…昔からあの二人はそうやってすれ違ってばっかり!」

あたしの攻撃は、一角さんにあっさりと受け止められてしまった。その場の空気もあたしの声も、一瞬にして止まる。

「…………あたし一人、そんな二人に嫉妬して、バカみたい」
「…」
「…助けたいのに、恋次がそんなこと言って悲しくて、嫉妬して…もう、わけわかんない」

あたしはその場に崩れ落ちた。へたりこんで、地面を見つめる。

「ただ、そんな自分に嫌気がさしただけなんです…。あたしなんて、だいっきらい」

今この瞬間、自分が惨めで仕方なくて、笑えた。自分自身の情けなさを鼻で笑う。一角さんに言われた言葉は的確にあたしの気持ちを射抜いていて、あたしが悔しくて放った言葉は全部強がりだ。中身のないからっぽの言葉を放つあたしは、一角さんの目にどれほど愚かに写っているのだろう。考えただけで、また泣きそうになった。

そんな不安を抱えていると、一角さんがあたしの目の前にしゃがみ込んだ。そしてあたしの頭に優しくてのひらを添える。

「…すっきりしたか?」

言われて、気付く。情けなさは残っているものの、言いたいことを吐き出したためか、幾分か気持ちが楽になっていた。あたしは素直に頷く。

「…ごめんなさい一角さん…ありがとう」

あたしがそう言うと、一角さんは軽くあたしの額を弾いた。一角さんの顔を見ると、一角さんは笑ってた。

「よーし緋雪、じゃあ一本勝負だ。今度は真面目に気合いれてやれよ」
「っ、はい!」

あたしは笑顔で立ち上がって構える。一角さんとの一本勝負は、結局三本勝負になってしまったけれど、打ち合う分だけあたしの心を軽くしてくれたのだった。


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