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そして動き出す

悲劇の序章



 ● ●



私は一人、あの森へ来ていた。やはり虚の気配は感じない。真夜中で一人っきり、不気味な森にいるなんて居心地が悪い。

(修兵やお姉ちゃんがいたら、全然平気だったのにな…)

そう思った瞬間に、私は頭を軽く振ってその考えを揉み消す。ちゃんと出来るとわかってほしかったから、一人でここにきたのだ。修兵やお姉ちゃんのことを考えて、不安になったりするもんか!自分の弱い心に言い聞かせる。

風の音が聞こえるたびに、意味もなく警戒してしまう。私はさらに森の奥深くへ足を踏み入れた。奥へ行けば行くほど、どんどんと森は荒れて行っている。それにつれて、だんだんと嫌な空気に変わっていく。私の予想が間違っていなかったとすれば、多分、この奥にいるのが例の虚だろう。

私はゴクリと息を飲み込んで、少し息を整える。

斬魄刀を構え、ジリジリと進んでいく。私を包む嫌な雰囲気に怯みそうになりながらも、足をゆっくりと進めていく。そして私は、人の形をした何かを発見した。

「…なに、あれ」

背筋が凍った。私の声に反応してか、その人の形をした何かがゆっくりと振り返る。私くらいの大きさしかない人型に似たそれは、間違いなく虚の霊圧だった。しかし、それはあまりにも異様だった。

白く濁った体は半透明で、目元はぐるぐると黒い渦を巻いている。同じくぐるぐると黒い渦を巻いている口元からは、だらだらと紫の液体が溢れている。虚にしてはあまりにも不気味だ。

「…っ」

私はしっかりと斬魄刀を構えた。そんな私の姿を確認すると、その虚らしきものはニタァっと不気味に笑って、よろよろと私に向かって歩き出した。覚束ないその足取りは、まるで歩くことを覚えたばかりの赤子のようだ。

『ケヒ…ッ…ケヒヒヒヒヒヒヒ…』
「…笑ってるの?」

甲高いような、ドスの利いたような、よく分からない調子で、だけれど愉快そうに声を上げるそれ。だらだらと流れる紫の液体は、森の草にボトリと落ちるが、その草に特に変わった様子はない。液体というよりはドロっとした粘土のようにも思う。危険ではないかもしれないが、警戒するに越したことはない。

「…お前が、他の死神を殺したの?」
『ケヒヒ…ッ、ケヒ…』
「言葉は通じないみたいだね…」

私は意を決して飛び掛った。のろのろと歩いて来るのを待っていたら、夜が明けてしまう。勢いよく飛び掛り、刀を振るう。いける、と確信したのに、それはあっさりと私の攻撃を受け止めた。

「な…!?」

のろのろとした歩き方とはまったく違う速さで私の刀を受け止めると、また不気味に笑った。

「―――…!」

ものすごく嫌な予感がして、私は咄嗟に距離を取る。私が距離をとった瞬間、それは紫の液体を吐き出した。もし反応がもう少し遅れていたら、私はあの液体に直撃していただろう。震える手足をぐっと堪える。

「なんなのよ…お前…」

虚なら今まで散々倒してきた。だから今回も大丈夫だと思っていた、だからひとりで来たっていうのに。

こいつは本当に、虚なの?

初めて目にする異様なものに、私は恐怖していた。霊圧はそうだとしても、こんなの絶対虚じゃない。

だけどここまでひとりで来たんだから、ここで怖気づいて帰ってたまるもんか!私は恐怖を押し殺し、もう一度飛び掛る。しかし今度は、その腕がものすごい速さで伸びたのだ。

「!!!」

その勢いは凄まじく、私は簡単にその腕に振り払われてしまった。小柄な私の体が宙を舞い、簡単に地面に叩きつけられる。

「あ、う…」

あいかわらずのろのろと、不気味な笑みを湛えたそれは私の方へと歩み寄る。腕が伸びるなんて反則だこの野郎。そんな悪態をつくが、体は痛み、うまく立ち上がれない。

「…く…っ」

なんとか立ち上がると、再びそれに向かい合った。歩く早さは、もしかしたら変わらないのかもしれない。そう思った私は、瞬歩で目くらましをすることした。あっちに行き交いこっちに行き交い、敵の目を拡散する。

『ケヒ…?』

どうやら速さには疎いらしい。首をもたげて、笑顔を失くしたそれは、不思議そうに、やはりのろのろと私の探しているようだった。そしてヤツの後ろをとった私は、その速さに任せてそれに切りかかろうとする。

しかし―――



それはニヤリと、振り返った。

「!!!!」

私は嫌な予感がしてそれから離れようとするが、瞬歩の勢いはそう簡単には止まらない。それはまたものすごい勢いで腕を伸ばして私の胴体を強く殴った。瞬歩の勢いとヤツの腕の勢いが重なった異常な重さが、私の腹に響く。骨の折れる鈍い音と共に、私は豪快に血を吐いた。

そのまま地面に崩れ落ちると、身動きが取れないまま目だけでヤツを追う。まともに息が出来なくて、苦しい。のろのろと楽しそうに笑いながらこちらに歩み寄ってくるそれが、ひたすらに怖かった。こんなことなら、大人しく家で眠っていればよかったなんて、今更思ってももう遅い。

ヤツの腕が再び伸びる。伸びた腕の先が、なんと五本に分裂した。まるで指だ。あれで私を絞め殺すのか、それとも引き千切るのか。どちらにせよ、まともに動けやしない私は、もうここで死ぬんだ。覚悟して、きつく目を瞑った瞬間、聞きなれた声が聞こえた。


「揺れ踊れ、黒煙蝶々」


声と同時に、靄がかかったような黒い蝶が私を包む。私を守るように飛び交う蝶の群れ。今にも私を掴みかかろうとしていた五本に分裂した腕が黒の蝶に触れた瞬間、腕はすぐに黒い煙に変わって、消えていく。異様な姿をした虚は、突然の出来事に頭がついていかないのか、少し考え込んだあと、消えた自分の腕を見て発狂した。そんな虚の向こう側に見える姿を、私はようやく確認する。

「…お、ねえ、ちゃん…」

私は声を振り絞って、助けてくれた人物を呼んだ。お姉ちゃんはいつになく冷め切った目で、異様な虚を真っ直ぐ見つめていた。

「よくも私の大事な妹を傷つけてくれたね」

恐ろしい程、冷めた声だった。

「…修兵、私、今ものすごく怒ってるから」
「…見てりゃ分かるぜ、そんなもん」
「あの変なの、さっさと殺すよ」
「おぉ怖」

お姉ちゃんの隣には修兵がいた。ふたりとも、いつになく怒っている。私が勝手な行動をしたせいで、ふたりまで危険な目に合わせてしまうことになるなんて。悔しくて、涙が出た。

『ケヒッ…キシャアァァァァァァァァ!!』

発狂したそれは、真っ直ぐにお姉ちゃんに向かっていく。今までのろのろと歩いていたのが嘘のような速さだった。

「おねえちゃ…!」

私が叫ぼうとするが、お姉ちゃんは冷めた様子で呟くだけだった。

「…黒煙蝶々」

無数の黒い蝶がお姉ちゃんを包み、それに触れたやつの腕がまた煙になる。再び声を上げるそれを横目に見て、お姉ちゃんは冷めた声で言った。

「醜い声を上げないで、蓮華の体に響くでしょう」

そうして再び刀を振るう。すると黒い蝶が、今度は得体の知れないそれを包んだ。そこから脱出しようともがくそれが黒い蝶に触れるたび、体は次々と煙に変わる。お姉ちゃんは瞬歩で私のもとまでくると、いつもみたいに柔らかな笑顔を向けてくれた。

「もう大丈夫だよ、蓮華」
「おね、ちゃ…」
「怖かったね」

そう言ってお姉ちゃんは私の頭をそっと撫でた。そして両手に霊圧を込める。

「痛いの、すぐに治してあげるから」

お姉ちゃんが私の体に触れる。ゆるゆると痛みから解放されていく私は、涙が止まらなかった。

「お、ねえちゃん…」
「うん?」

優しい声と、笑顔だった。

「ご、めんなさい…わたし、わ、たし…」
「…もういいの。生きててくれて、よかった」

お姉ちゃんは私を治療しながら、再び優しく頭を撫でてくれた。それと同時に、また異常な声を上げる、虚らしき、それ。お姉ちゃんは弾かれたように振り向いた。

それはお姉ちゃんの黒煙蝶々を無理矢理跳ね除けたのだ。しかし黒煙蝶々に触れてしまった体は、ほとんど煙になってしまったようで、随分と小柄になってしまっていた。そして怒り狂った様子でお姉ちゃんを見つめている。再び発狂したような声を上げた。

『ケヒ…ケヒ……キシャアァァァァァァァァ!!!!!』
「…とんだ化け物ね」

お姉ちゃんは私を治療しているため、手が離せない。それが勢いよくお姉ちゃんに飛び掛る。それと同時にお姉ちゃんは声を張り上げた。

「修兵!」
「分かってる!」

修兵が得体のしれないそれの攻撃を受け止める。その間にお姉ちゃんは私の治療を進めていく。

「…しゅうへ…」

起き上がろうとした私を、お姉ちゃんはやんわりと制止する。そして笑顔で私に言った。

「大丈夫」
「でも…!」
「今は治療に専念しなさい。修兵を信じるんだよ」

修兵はそれの攻撃を受け流しながら、ゆっくりと私たちからそれを引き離す。お姉ちゃんは修兵のことを一度も振り向くことなく、私の治療に専念しているようだ。それだけ修兵を、信頼しているんだろう。

「お姉ちゃん…」

それでも不安な瞳でいる私を見つめて、お姉ちゃんはくすくすと笑った。

「大丈夫だよ、修兵は副隊長さまなんだから」

お姉ちゃんの言葉通り、修兵は難なくそれの攻撃をよける。四肢のほとんどを失ったそれは、紫の液体を修兵に吐き続けるが、修兵はその液体に触れることなく攻防を繰り返す。

―――私なんか、手も足も出なかったのに。

悔しくて、でも助けに来てくれたことが嬉しくて、私はまた泣いた。お姉ちゃんはそんな私の涙を拭うことも、優しく声をかけることもせず、黙って治療をし続けた。


私の治療が完了すると、お姉ちゃんはやっと修兵の方を見た。そして声を上げる。

「修兵!こっちはもう大丈夫!」
「…了解!」

修兵は斬魄刀を振りかざし、ヤツの頭に止めの一撃を食らわせた。異様だったそれは声を上げたっきり動かなくなり、そのままごとりと地面に崩れた。斬魄刀を鞘にしまった修兵は、ゆっくりとこちらに歩いてくる。私の前までくると、じっと睨むように私を見下ろした。

「…あの、」

私は目線を地面に落とす。すると頭に鈍い痛みが走った。修兵に思いっきりゲンコツされたのだ。

「〜〜〜〜〜〜」

あまりの痛みに私が頭を抱え込むと、次に聞こえてきたのは怒鳴り声だった。

「こんの馬鹿!!なんで勝手にひとりで行動したんだ!!」
「そ、それは…」
「元々今回の虚は危険視されてたんだぞ!?それを席官に上がったばっかりの隊員ひとりでどうにか出来ると本気で思ってたのか!!」
「…」

本気で怒っている修兵。いつもなら私を庇うように止めに入るお姉ちゃんも、今回は何も言わずにただ黙って聞いている。

「…ごめんなさい」
「…これはな蓮華、謝って済む問題じゃねぇんだよ。もし俺たちが助けに来なかったら、お前自分がどうなってたか分かってんのか」
「…」
「分かってんのかって聞いてんだ。答えろ」
「……殺されてた…」

声に出せば、とんでもなく恐ろしいことだった。私は思わず身震いする。そうだ、私、死んでたんだ。

「そうだ、お前は殺されて死んでた。その運命を捻じ曲げてやったのは俺たちだ。分かるな?」

私はこくりと頷く。立っていた修兵は、私の前にそっと屈んだ。私は目も合わせられなくて、じっと地面を見つめたままだ。

「俺の目、見ろ」
「…」
「見ろって言ってんのがわかんねぇのか」
「…」
「蓮華」

私は恐る恐る顔を上げる。修兵はまっすぐに私を見つめていた。申し訳なくてまた目を逸らすと、修兵は私を怒鳴りつけた。

「悪いと思ってんなら俺の目を見ろっつってんだ!逃げてんじゃねぇよ!」
「…っ」

私は涙目になりながら修兵を見る。必死で泣くのを堪えながら、真っ直ぐに修兵を見つめた。

「…なんでひとりで勝手に行動した?」

穏やかだけど、怒りを含んだ声に、何も言えなくなる。何も言わない私を見て、修兵は言った。

「…勝手にふて腐れて、実際行動してみたらこの様だったんだ。ふて腐れただけが理由なら、今後一切勝手な行動するなよ。全部俺たちの指示に従え。もちろん、どんなときでもだ」

修兵が私に指示だなんて言葉を使ったのは、後にも先にもこれが初めてだったように思う。これが修兵なりの私の躾け方だっていうのは、いつも後になって気づくものだ。

「ひとりで飯食えっつったらお前はひとりで飯食わなきゃいけねぇし、ひとりでやれっつったらお前はどんなことでもひとりでしなきゃいけねぇ」

その現実を想像して私は怖くなった。それがいやでふるふると首を横に降る。堪えていた涙はぼろぼろと零れていて、私は肩を震わせ、顔を歪ませ泣いていた。

「嫌でもそうしなきゃいけないんだよ。理由がそうじゃないなら言えよ。ちゃんと、自分の口で」

私は嗚咽交じりに泣いていたから、ろくに言葉も出なかった。ここでお姉ちゃんが助けてくれることを、心の奥で期待していた。だけどお姉ちゃんは涼しい顔で、何も言わずに私たちを見つめているだけだった。しばらくの沈黙の後、修兵は呆れたように言った。

「じゃ、お前はただふて腐れてその鬱憤でも晴らそうと、命令無視してまでこんなことしたんだな。つまり今後は絶対に俺たちの指示に従うってことだな。分かった」

修兵はそう言うと、立ち上がる。

「紅、お前もそれでいいな」
「うん、いいよ」

お姉ちゃんは絶対にもう許してあげようって言ってくれるって、心のどこかで甘えてただけに、私の絶望は大きい。

「私は生きててくれただけで許してるもの。でもそういう決まりが出来たんなら、それでいいよ」
「だとさ。じゃあ早速何を指示するかなー」

修兵が考える。するとお姉ちゃんが私を見て言った。

「蓮華、自分の意思はちゃんと伝えなきゃダメだよ。ここで甘やかしてくれるほど、修兵は優しくないんだからね」

お姉ちゃんの言葉に、私は余計涙が出た。ぐずぐずと鼻をすすりながら、懸命に声を上げる。

「ち、が…」

あまりにも声が小さかったのか、修兵は私の言葉なんて無視する。お姉ちゃんは何も言わずに、じっと私を見つめるだけだ。悔しくて、もう全部全部悔しくて、私は声を張り上げた。

「ちがうもん!!!」

ようやく、修兵の目が私を捉えた。



幼い私は、いつもなにも守れずに泣くばかりだ。
(いつも後になっていろんなものの大切さを私は知る)


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