2010/3/7


「なんか外、騒がしくないですか」
「ああ、ちょっと前から5階のスカイファイナンスって店にサツが張ってんだよ」
「……へえ」


ソファーの背もたれに腕を預けどっかりと座って、仕事前の紫煙をくゆらせていた萩原は眉をひそめる。警察という単語にはあまりいい思い出がないのだ。目ざとくそれを見て取った伊達が、グラスを磨きながら苦笑を漏らす。


「随分嫌そうじゃねえか」
「癖ってのもあるんですけどね、一番はこれですよ」


机の上で不在着信を知らせ光りっぱなしの携帯をつかんで、白いお父さん犬のストラップをぷらぷらさせてみせる。着信履歴は上から下まで一人の名前で埋まっていた。


「嫌な予感しかしない」


真っ直ぐに整えられた眉を思い切り寄せてわざとらしいほどのしかめっ面をしてみせる萩原に、伊達は堪え切れず噴き出した。笑い事じゃないですよ、と咎めかけた萩原の声を遮ったのは、手元からこぼれる「Get to the top」だった。おさまらない笑いに揺れる肩を竦めて携帯を指差す伊達を恨めしげに下から睨んで、誇らしげに震えるそれをしぶしぶ耳に当てる。


「はい」
「やーっと出よった!ちょい頼みたいことがあんねや!」


少々食い気味にかぶさってきた独特のイントネーションとふざけたような声に、萩原は目をつぶってこめかみに指をはしらせた。電話の向こうの相手は、文句も返事も聞かずに急き立ててくる。


「あんな、リリっちゅう女探してんねやけど」
「うちは案内所じゃないんだけど」
「ちゃうねん!キャバのネエちゃんやったんはそうなんやが、ちょっと訳ありでな」


警報が踏切前並にうるさく頭を横切った。カンカンカンカン。この人の訳ありほど厄介なものを萩原は他に知らない。めんどうだとかややこしいだとかはまだましな方で、最悪だったのは3年ほど前のことだ。呼び出されて行ってみたら、中道通りを埋め尽くす、やる気満々の血気盛んな関西やくざの群れに対峙する羽目になり、生き残れたからよかったものの、後々各方面からお叱りを散々受けてげんなりしたのをよく覚えている。
そして今回もちょうどその時と同じ、むしろ悪化さえしている匂いがさっきから萩原の鼻をついていた。


「花屋は?」
「もう聞いたわ、キャバ嬢やったことだけな」
「……ふうん」


いぶかしんで目を細め眉間に皺を刻む萩原の横顔を、伊達が窺うように一瞥する。


「2日前までエリーゼって店に勤めてたんやけど、そのあとが掴めてへんねん。…頼まれてくれるやろ?」
「…初めからわかっててやってるでしょ」
「おう、すまんの」
「聞くけど、そのキャバとスカイファイナンスって街金、なんかつながりあったりする?」


瞬間の沈黙が、驚きを如実に物語っていた。しかし気を取り直したようで、すぐに愉快そうな笑い声が聞こえてくる。ムッとしてつい、聞き咎める声が荒っぽくなってしまう。


「なに」
「さすがやな。どっちも秋山っちゅう男が経営しとる」
「だけどそいつも知らないと」
「ああ」
「……まあいいや、それじゃ分かり次第またかける」


ささやかな仕返しとして、萩原は返事を聞く前に切った。ぱちりと閉じて、老婆心の塊のような顔をしてこちらを見ている伊達に、眉尻を下げて頭をかいてみせる。近江の神室町強襲のときも、そうだった。またか、と苦々しげにつぶやくものだから、萩原は余計に困ってしまう。危険な綱渡りの連続にどれだけうんざりして、平穏な地面に足をつけていようとしたって、結局なるようにしかならないのだ。どんなに周りが止めたところで、とまらないものはある。


「遅かれ早かれ、ってとこでしょう」
「…気をつけろよ」


エプロンの紐がしゅるりと小気味いい音を立てて解かれ、放られたそれは翻ってカウンターのいすの上に着地する。束ねたえりあしに右手を伸ばしながら、すっくと立ち上がり椅子の背に掛けてあったジャケットを左手で掴み、立ち去る背中に伊達が投げた言葉に、萩原はゴムを外し終えた右手をひらりとふった。手首のゴムが合わせて揺れる。つくづくきざな仕草が似合う奴だ、と伊達は鼻から息を漏らした。






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