有能な秘書がキーボードをたたく音は微かであったのに、どうやらこの小さな事務所いっぱいの存在感を持っていたようで、いやむしろ秘書本人のものかもしれないが、とにかく誰かがいるという気配は秋山が思っていた以上に空間認識に影響を与えるようだった。荒らされた時より片付いているとはいえ散らかり放題だというのに、恐ろしく広くなった事務所。応接用のソファーに、いつにもましてやけにけだるい体を横たえて、灰皿につもった煙草の死骸を新たにまたひとつ増やしたところで、がちゃりと突然にドアが開いた。いまちょっと営業してないんです、と丁重にお帰りいただこうと口を開いたけれど、半瞬客の方が早い。細く開けたドアの隙間に滑り込むようにして入ってくると素早くドアを閉め、言う。


「秋山さん、ですか?」


容姿に関して何かを思う間もなく、引き寄せられるように黒々した瞳とかちあう。そらしたら最後、喉元に噛みつかれかねない、獣じみた危機感。それも少し違う。引力にぞわり、と背筋がざわめく。客の、あわく上げられた口の端に、危うさがにじんでいる。


「融資のご相談、ってわけじゃなさそうだね」


表の警察は一体何をやってるんだと内心ぼやく秋山のこめかみを冷や汗が伝う。柴田組でも初芝会でも真島組でもいいが、正直やくざはあと2年くらい相手にしないつもりだった。組だの会だの、文字すら目にしたくない。


「何の用?」
「いやちょっと人を探してるんですけど、協力してもらえないですかね」
「嫌だ、っていったら?」


銃がでるか、ドスが出るか。チェーンソーってのもあったな、つい2日前に。
男の手がすっと持ち上げられて、黒いスーツの懐に向かうかと思われたそれは気まずそうに頭をかいて、男は心もち肩を落としたようだ。


「やっぱりそっちの人に見えますか…」
「……へ?違うの?」
「………同じビルのニューセレナって店で働いてます」
「えっ、それってあの会員制のとこだよね」
「はい、今度ぜひ。私の紹介って言ってくれればいつでも歓迎しますから」


手渡された名刺は、肩書きは一切なく名前とおそらくビジネス用だろう番号が記載されているだけの、あまりに簡素なものだった。ジャケットの内ポケットを探りながら、もう一度その少ない情報をなぞる。萩原なまえ。どうも決定的な食い違いがあるようなので、今度は声は乗せないまま唇を動かす。萩原なまえ。


「ねえ、失礼なこと聞いてもいい?」

どうぞ、というよりは降参、もしくは勘弁してくれとでもいうように両掌を秋山に向けて肩の高さに上げる。急に細く見えだしたその首をうなだれながら。


「もしかして、女の子?」
「はい」


ややあって、驚愕の声をあげた秋山に、なまえは最早苦笑するほかなかった。






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