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背より腹


 ここを立つ宣言のあと、おれ閃は一角に追い込まれ逃げ道をなくした。
牛頭丸は瞳孔を開いて抜刀し、牛鬼は静かに「屋敷から鼠一匹だすな」と指示をする。

「どうしてっ!? どうして行っちゃうの!?」
「だから、おれはそろそろ旅がしたいんだよ」

 腰に巻き付いて離れない馬頭丸の頭を撫でながら、なん十回と説明を繰り返す。

「赤土たちは家事もこなせるようになったし、あれから年月も経っていまいい感じのときなんだよ」

(きっと浮き世は活気に満ちている)

 同じ説明だからだめなのか、その場にいる誰ひとりとして納得してくれない。
 どうしたものかと途方に暮れていると、どすっと音がした。

「……お?」

 横を見れば、鈍く光った刃が壁に刺さっている。
 あと数寸間違っていたら、おれの耳が斬られていただろう。

 未だにその柄を握っているのは、怒りで顔を真っ赤にした牛頭丸だ。

「ふざけんなっ!! 散々、散々おれの中に土足で踏み込んできてっ! 跡つけたままどっか行くのかよっ!? そのままはいさよならって、どっかに行くのかよっ!!」

 凄まじい怒気だった。

 牛頭丸は片手で乱暴に刀を引っこ抜いたが、刀を鞘にしまわない。

「牛頭丸。そんな跡は、いずれ消え――――うっ」

 言い終わるまえに、彼に本気で殴られた。
 目のまえがチカチカと点滅し、そのあとに鈍い痛みが広がる。

 自分の歯が深く舌に突き刺さり、あっという間に口内は血の海になる。

「……ってぇ」

 自分の血の味は好きじゃない。好みは塩っ気のあって、とろりと濃厚な血だ。

 ――――おれのはあっさりしすぎている

 冷静な頭で、血のことが過ぎった。

「閃っ……」

 いまので頭がすっきりした。しがみついたままの馬頭丸を引き剥がす。

「いいか、そもそもおまえたちはおれを喰らおうとしていた輩。いろいろと世話にはなったがそもそもおれは鬼ではない。牛鬼組に荷担する理由はないんだ」

 じっとこちらをみている牛鬼の目を捉える。
 その目の奥で、必死に考えているのだろう。

 長い間ともにいると、そんなことも解ってしまうのか。

「牛鬼、あなたにはほんとうに世話になった。牛鬼の話を聞いているうちに、おれも外をでて歩きたくなってな。すまないが、もうおれは決めたんだ」
「――――なら、力尽くでもっ」

 刀をかまえた牛頭丸は、迷うことなくおれに刃を向けた。
 彼は一度頭に血が上ったらなかなか冷めない。言葉は通用しないのだ。

「牛頭丸」

 牛頭丸の刀の鍔には、小さな穴が開いている。おれの太刀の、切っ先くらいの穴が。

 牛頭丸の突きを躱したとき、おれは太刀を懐から引き抜いた。
 刃が自分のほうへ向くように持ち、牛頭丸の鍔に引っかける。

「なっ!」

 そして勢いよく腕を後ろに引けば、刀は牛頭丸の手を離れ、壁に突き刺さる。

「変に熱くなるのが悪い癖だな」
「くそっ、言霊で……」
「そんなもの、箸で耳を刺せば」
「やめてよっ!!」

 箸を掴んだおれ手を叩いたのは馬頭丸だ。
 おれと牛頭丸の間に両手を広げて割り込み、悲痛な声を上げた。

「喧嘩で済まなくなるよ!? 牛頭っ、もう閃に怪我させるなよっ!」

 おれは最低だ、ふたりを傷つけた。それは十分自覚している。

 だが、ここで謝るのは筋違いだ。

 謝罪の言葉を奥歯で噛み殺し、眉ひとつ動かさず、ただ表情に馬頭丸を見下ろし続けた。
 こうしなきゃずっとここに居ることになる。

 ずっと同じ景色を見るだけでは、おれがなに者なのか知ることはできない。

 違う場所、違う妖怪を見て、それでやっとおれがなんの妖怪か解るはずなんだ。

「――――己が解らずに死に逝くなんて、あまりにも滑稽じゃないか……」

 牛頭丸に刀を返して、最後にと頭を撫でる。

「おまえは己を理解し、極めるべき……不動の志がある――――それが、おれにはないんだよ」

 ――――そんな奴が、どうしておまえたちと生きていける?

 部屋は人っ子ひとりいないと思うくらい静かだ。
 おれの問いに誰も答えない、そもそも答えなんてない。

「こんな最後で、申しわけない……礼を言う」

 こんどこそ、でて行くおれを誰も引き留めなかった。ただ、皆床を睨んでいただけだった。

 もっとほかにやりかたがあっただろうか。皆を傷つけないで、穏便に済む方法が。

(もう遅い)

 後先考えずに行動した自分を少しだけ恨む。

 胸もとにある小太刀を確認して、おれは草履を履くため廊下を突き進んだ。

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