[ 36/41]
刹那を永く
いい男の目線を受けながら、どう言おうかと悩む。
いろいろとありがとう。一番に浮かんできた言葉はそれだ。短すぎる。素っ気ない。
いままで生きてきて、面と向かって誰かにお礼を言うのは初めてかもしれないな。
そんなことを思いながら、尻尾を揺らせてみせた。誤魔化すためだ。少しばかり気恥ずかしい。
「二代目。態度が悪くて申しわけなかったね。血が暴れて、感情が荒くなっていたんだ」
「まぁ、狼だからな。オレぁもっと気の荒いもんだと思ってたよ。それに、大事な仲間が大怪我したんだ。そんなときに問い詰めるような場を作ったオレたちも悪い」
あぁ、あぁ。彼は器が違う。小言ひとつ言ってこない。
ちらりと烏天狗を見てみる。刹那に視線が交じ合う。しかし彼は顔を逸らし、憮然とした態度で「奴良組」を守る為にやったことだと呟いた。
おれにとってはいけ好かない奴でも、二代目たちからしたら頼りになるお目付役だろう。
二代目に免じておまえだけを嫌いでいよう。鼻を鳴らせば、すぐさま同じように返された。
こいつ、鳥の癖に。言い争うことも考えたが、時間が惜しい。無視だ無視。
「……まぁ、その。おれは牛鬼組に残るつもりだ。彼らとともに生きていくよ」
早口で言うと、二代目の顔が明るくなった。
「オレたちの仲間になるってことかい」
その言葉に首を振る。
「いいや。牛鬼組の仲間になるんだよ。そこら辺ははっきりさせておこう。くどいようだが、狼はほかと群れるのが好きじゃない。そういう本能があるのさ」
言い終わると同時に、烏天狗がでしゃばる。
「牛鬼組に所属することは、奴良組となることだ。歩調は合わせてもらおうか」
「喋る烏が。腸を喰われたいのかい? 大した肉も詰まってないくせにっと、肉の話は関係なかったね」
敵意はないんだよ。おまえとは相性が合わないだけさ。
にっこり笑うと烏天狗はまた小言を言おうとした。言わせるものか。
「なんだい。好いている人たちのそばにいたいだけなのに、おまえたちは「ならば盃を」と強要するのかい?」
烏天狗を手で制した二代目は、薄く笑う。
「盃を交わしたい奴とは交わすが、交わしたくないなら強要はしねぇよ。おまえさんの好きにしな」
二代目は言い終えたあと、空気を変えた。
ぬらりひょんとして、妖怪を率いる頭としておれを見据えている。
口元は微笑んでいるが、瞳は強い。親しみの笑みを“作って”いる。
その行為が彼の最大の譲歩であることは容易に理解できた。だから目を逸らさずに見返す。
「おまえが仇を成す気がないならなにもしねぇが、違えるときは容赦しねぇぞ」
「わかったよ。“お互い”肝に銘じておこう」
優しい笑みを浮かべ合い、お互いの空気を首もとに突き立てながら、おれたちは同意した。
しばらく睨み合いが続くかと思ったが、見えない刃を二代目はあっさり引いた。
やはり、器が違う。
「そういうことだ烏天狗。オレに免じてこれ以上はなにも言うな」
二代目は烏天狗の肩を叩いて説得した。
目のまえにいるのは最強の妖怪だ。
これからも顔を合わせるだろう。ずっと先の話、敵になる可能性もある。
だが仲間になる可能性はない。なるはずがない。だっておれには牛鬼組がいる。
腹の奥底で牙を研いでおこう。対峙するそのときまで。
さて、お話しはまとまった。
背の高い法師に破戒僧。雪女に毛倡妓。そして首のないいい男。
ひとりひとりの顔を見たあとに、そっと頭を下げた。建前は大切だ。
「私たちを助けていただきありがとうございました。それでは、また」
長く留まることはしない。後ろの行列は、進めなくなって困っているだろう。
強く微笑んだあとに大きな尻尾を翻して、おれはその場を離れた。
しばらくしてまた澄んだ音が聞こえ始めた。
朝靄のかかる森の中。音を木霊させ、鈴の音は聞こえ続ける。
ちりん、ちりんと心を不思議にさせる音は、夜が明けきっても遠くから木霊していた。
屋敷に帰ると、家鳴りが慌てて駆け寄ってきた。牛頭と馬頭が目を覚ましたらしい。
朗報に、気分が一気に上昇する。
「ほんとうかいっ」
「あぁ、牛鬼様はもう向かわれた。閃もはやく行きなっ」
「あぁっ」
さっと草履を脱いで、足早に廊下を行く。
子鬼たちはよかったよかったと飛び跳ねている。顔が見たい。
無邪気な光に照らされた、濡れているように輝く瞳を。
柔らかい頬に浮かぶ笑顔を。考えるだけで胸が締め付けられる。
「牛頭、馬頭っ!!」
勢いよく障子を開いて名を呼んだ。
ふたりは身体を起こしてお粥を食べている。あぁそんなっ。おれが食べさせてあげるのにっ!
機嫌が宜しくないのか、馬頭丸はぶぅっと頬を膨らましている。
「閃っ。お座りっ!」
「え?」
「お座りっ!!」
牛頭丸は気まずそうに目線を逸らし。
ふたりを眺めていた牛鬼は眉を下げて苦笑いをしている。
おれはとてもとても機嫌が悪い馬頭丸の隣に腰かけた。
同時に馬頭丸が感情を爆発させた。
「もっーー!!! ボクが最後だった! 閃がわんちゃんだったて知ったの、ボクが最後だった!! もーっ! 牛頭丸のばーかっ」
「オレかよ」
馬頭丸がおれの腰にがばっ!! っとしがみついてきた。恨みがましい瞳で睨んでくる。
「怪我はないんでしょ? 聞いたもん。 ボクたちを助けてくれたんでしょ? 聞いたもんっ。辛くて泣いたんでしょ? 聞いたもんっ! 本部の奴らにいじめられたんでしょ? 聞いたもんっ!! 全部! 全部! 聞いただけっ! ボクだけまだ閃と話してないっ!!」
「そりゃいま起きたんだからな」
「うるさいな牛頭! 黙ってて!!」
荒ぶってるな。鎮めきれるか。
「よ、よーしよし。いい子だね馬頭丸」
こんどは怒り狂った瞳で睨まれた。
「いい子じゃないもんっ! 閃の気持ち全然考えてなかったしっ! わがまましたし! ごめんね閃っ」
ぐりぐり〜っと抉られるんじゃないかと思うくらい、頭を押しつけられた。
片手を床について、体勢をなんとか保つ。
牛鬼と同じように苦笑いするしかないな。
「こいつ薬草食べてちょっと変になってんだよ」
ずずずっと、牛頭丸はお粥を完食した。この落ち着きよう。おじいちゃんか。
馬頭丸は口をぎゅーっと閉じていて、とても不満そうだ。
大怪我をしているはずなのに、いつもとおりの元気さ。治療のおかげだろうか。
それとも牛頭丸の言ったとおり、薬が効いているのだろうか。
まぁなんにせよ。おれがやることは変らない。可愛い子のご機嫌をとらなければ。
「よしよし」
丁寧に頭を撫でてやる。目は合わなかったけれど、ちらりと牛鬼を見た。
「まだ誰にも教えてないこと、馬頭丸に一番に教えちゃおうかなぁ」
「なに? なんなの?」
こんどはきらっきらの瞳になった。百面相みたいだな。ほんとう荒ぶってるな。
教えて教えてーっと馬頭はおれの膝に顔をのせた。
機嫌が幾分かよくなったようだ。
「まだ誰にも秘密だよ?」
「うんっ!」
自分の耳に髪をかけ、ゆっくりと口を馬頭丸の耳に近づける。
手を口もとに当て、言霊が逃げないように小さく小さく囁いた。
「……」
言い終わり、顔を少しだけ離す。
馬頭丸は動きを止めているが、瞳は爛々と輝いている。そして頬は鮮やかな桃色に染まっていた。
はっとした馬頭丸が小さな両手を口の端に当てた。こんどはおれが耳を近づける。
「ほんとう?」
「ほんとうだよ」
言葉なく、馬頭丸はふにゃりと笑った。頬は完全に染まりきっている。癒される。
そんな彼の変りように牛頭丸も牛鬼も首を傾げた。
「おい、なんて言ったんだよ」
「教えちゃだめだよ閃っ! まだ内緒」
馬頭丸は真底楽しそうに声を弾ませた。
よかった、機嫌は完全によくなったみたいだ。
「もうちょっと内緒にしとこうか」
「うん!」
この空気に流されてはいけないと、ぐっと拳を握る。
牛頭丸には謝った。そして許してもらえた。ここにいていいと。
まだおれは、馬頭丸に謝っていない。流していい問題じゃない。
多少空気を重くしてしまうだろうが、ちゃんと頭を下げよう。
意を決して口を開こうとした、だけど間合いよく、馬頭丸がおれの頬に触れた。
そっと優しく触れてきた小さな手に、どきりとしてしまう。
「閃。謝らないでね。罪悪感なんて感じないで、苦しんだりしないでね。今回のことはボクたちが悪いんだから、ね?」
見たことのない顔だ。慈しむような瞳、思いやるような優しい声。
そんな大人びた顔もできるのか。
まだまだ、もらう側の子どもだと思っていたのに、与えることを知り始めているなんて。
軽い衝撃を臓にくらう。
おれになにも言わせる気がないのか、色を感じる仕草で手を握られた。
「馬頭丸」
名を呼んでも無視だ。
馬頭丸は真っすぐにおれを見つめ、綺麗な笑顔で締めくくった。
「閃、帰ってきてくれてありがとう。これからもよろしくね」
「……う、うん」
小さな声で頷いて、まだまだ小さな手を握り返す。
成長などしないで、ずっとそのままでいればいいのに。
大人になってしまったら、とても寂しい。
戸惑うおれをみた馬頭丸は、それは幸せそうにはにかんだ。
「牛鬼様っ! 糸は張りましたっ! あとは牛鬼様がぐるっぐる巻きにするだけですっ」
どういうことだと思ったが、咳き込んだ牛頭丸と神妙な顔をした牛鬼をみて理解した。
「もうっ。馬頭丸っ」
顔に熱が集まり、尻尾がぶわっと揺れる。
「もう閃ったらっ」
「言った本人が照れてどうするんだよ」
両手で頬を押さえた馬頭丸に、牛頭丸は冷静に突っ込んだ。