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只、温かい


 しばらく沈黙が続いた。
 牛頭丸は嬉しそうに目を細めておれを見つめている。
 おれは小さな手を握って、温かさを噛みしめていた。
 ふと、牛頭丸が頭を見て呟いた。

「閃、頭から耳が生えてる」
「おれはね、狼なんだよ」

 不思議そうにおれの動く耳を眺めていた牛頭丸は、“狼”という言葉に目を輝かせる。

「狼か……格好いいな」
「ありがとう。畏れが解ったからもうどこにも行かないよ。旅をする理由もなくなったから、ずっとおまえのそばにいてあげられる」
「ほんとうか? 牛鬼様のそばにいる?」
「え? あぁ、そうなればいいね」

 喜の感情をもろにだして笑うものだから、一瞬笑顔が馬頭丸と被ってしまった。
 いや、それよりも、むかし人里で会った幼い子どもを思いだす。
 まだ言葉を覚えていないその子が、おれのあげた折り紙を見てそんな笑顔を浮かべていた。
 あぁ、牛頭丸はまだ無垢な笑顔を忘れていない。馬頭丸みたいに笑うことができるのか。
 できればこれからもずっと、その顔で笑ってほしいな。

「ほんとうに、もうでて行くなんて言わないか?」

 まだ不安なのか、牛頭丸はおれの手をぎゅっと握りなおした。
 これからはおれがそばで見守ってあげる。
 牛頭丸と馬頭丸がいつも幸せでいられるように支えてあげる。
 そんな願いを込めて、あどけない男の子に心からの笑みを浮かべた。

「ほんとうだよ。ずっと、十年も牛鬼組にいたんだ。これからだってそうさ」

 ゆっくりと頷いた牛頭丸は、引き込まれるように意識を落としていった。
 規則正しく膨れるお腹に笑みを零しながら、そっと布団をかけ直す。
 牛頭丸が好きだといってくれた。その言葉が、柔らかい湯たんぽとなって心を温めている。
 替えのきかない温かさだ。長い間生きていたが、こんな気持ちになったことはない。
 いまでも十分幼い顔だけど、昔と比べたら少しだけ頬がすっきりしたかもしれない。
 背も伸びている。きっと、将来牛頭丸は牛鬼に負けないくらいのいい男になるだろう。
 その成長を、そばで見ていよう。

「……」

 馬頭丸はまだ寝ている。
 顔で見えるのは口だけ。あとは全部包帯で覆われている。
 彼が起きたら謝ろう。彼も牛頭丸のように泣くだろうか。
 口を尖らせて怒るだろうか。それでもいい。
 あの天真爛漫な笑顔がまた見られるのなら、徹底的に甘やかしてあげよう。

 どんな狼なのかも、どれだけふたりが大事なのかも、ふたりが寝ているから打ち明けられないけれど、大丈夫だ。
 ふたりを胸に抱ける日は、きっとすぐにくる。
 わがままに困ったり、からかったりして過ぎる日々は、すぐに戻ってくる。

「生きていて……ほんとうに、よかった」

 また、涙が溢れてきた。
 こんなに涙もろい餓狼がいるだろうか。きっと牛頭丸にからかわれるに違いない。
 こんなにも弱い餓狼がいるだろうか。それでも、彼らはおれを守るというだろう。
 そばにいてくれと、あんなにうれしい言葉はないだろう。
 あぁ、牛鬼も言ってくれるだろうか。

「……うっ」

 だめだ。いまはなにを考えても泣けてしまう。両手で押さえても、涙が止まらない。
 あぁ、どうしてだろう。どうやっても涙が止まらない。
 情けなくて、申しわけない気持ちなのに。それなのにどうして、こんなにも胸が熱いんだ?
 どうしてこんなにもうれしいんだ? 牛鬼組がおれに居場所をくれた。包んでくれた。役目をくれた。
 そしてきっと、愛してくれた。

「ありがとう……っ」

 拭っても拭っても涙は止まらなくて、喉から溢れてくる幸せは零れ落ちていく。
 しばらくの間、おれはおいおい声を放って泣き続けた。

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