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思い立ったが吉日
「世話になる」と言ってから、何度季節がとおり過ぎただろうか。
山に桜が咲き誇り、牛鬼組総出で花見をした春。
嵐が屋敷に突撃したり、大量の蚊に頭を悩まされた夏。
紅葉の中、牛頭馬頭と熱々の芋を頬張った秋。
凍える牛頭馬頭の手を温め、布団の中で語り合った冬。
おれは牛頭馬頭を甘やかすのが役目。
牛鬼はそんなおれを労り、おれも牛鬼を気にかける。
ほんとうの家族のような絆は、ときとともに構築されていった。
何度心地よいと思っただろうか。
そしてその心地よさのあとには、いつも苦痛がついて回る。
己も知らない妖怪風情が、誇り高い牛鬼組に居座ることが酷く滑稽に思えるのだ。
だけど誰にも言えなかった。
おれを慕ってくれる牛頭馬頭に申しわけなくて。
深く考え込んでしまう牛鬼にも申しわけなくて。
いつからか、時折幽閉されている気分になった。
そのたびにおぞましいと自分の考えを否定してきた。
だが浮き世に恋い焦がれる想いは溢れだすばかり。
押さえ込むのは
限界に近かった。
***
今日はいい天気だから、牛頭馬頭の布団を干そう。
そのあとに赤土たちと川へ行って、魚を捕ろう。きっと干物にしたら美味しいぞ。
――――朝、目が覚めて一番に思ったことがこれだ
「おれは女房かっ!?」
ばっと上半身を起こして叫んでみるが、静かな朝では誰の耳にも入らない。
女房って誰の? 牛鬼一家の?
いつもそうだ
でて行こうと、牛鬼に挨拶をしに行けばなにかと邪魔が入る。
家鳴りに家事を手伝ってほしいと袖を引っ張られたり、馬頭が明日山で遊ぼうと抱きついてきたり、牛頭が明日は鮭が食べたいといってきたり。
明日、明後日、明明後日、すべてなにかの用事が入る
もうこれは陰謀としか言いようがないだろう。
これまで毎日、律儀に用事をこなしてきたと思うと自分が嫌になる。
すぱっと「世話になった」と言い切ってでればいいのになぜしない。
(このお人好しめ)
寝癖の付いた髪を掻き、すっかりおれの匂いが染みついた部屋を見渡す。
こんなに長いときを、ひとつの場所で過ごしたことがあっただろうか。
爺さんと住んでいた家が燃やされてから、もう長居する場所がなくなったと思っていたのに。
(ここが、家になりかけている)
「いかんな」
そろそろ旅にでたいと、心の中が騒いだ。
自分がなんの妖怪か、どういう畏れを持っているのか知りたい。
見たことのない景色に出会い、人間に触れて、その文化の中に身を投じたい。
気ままに歩いて、引き返すこともなく、深い森を歩きたい。
浮き世に想いを募らせ続けもうなん年目になるだろうか。
柔らかい布団に目を落とし、おれは自分に言い聞かせた。
「――――もう、いいかな」
でて行っても、いいかな。